第3話 竜の心



《さて、幼きよ》


 ニーナの眼前にはじめて姿を顕した竜は、ゆったりと落ち着いた声音でニーナに語りだした。


《人の子らの住まう世は、小さくはかない》


 それは本当に、わが子を思う父親としての愛情を垣間見させるような温かさを含みながらも、荘厳な声音だった。


《そなたらが一生は、我らが瞬きするほどの間に過ぎぬこと。……われらは余りにも、生きるよすがたる時の流れの異なるものであるがゆえにな》


 水竜神にとってみれば、つい今しがた生まれたばかりの赤子の竜に向かって、噛んで含めるようにして語ってくれているのがありありと伝わってきた。


《が、そう言う我ら竜だとて、広大無辺の宇宙てんからすれば、やはり塵にすぎぬ存在もの――》


(……!)


 ニーナは驚いて、暗く沈む水底にある、巨大な竜のまなこをじっと見つめた。

 竜自身が、己のことを塵に喩えるとは思ってもみなかったのだ。

 ニーナの驚きを見て取ったように、周囲を包む水がゆらりと揺蕩たゆたった。


《……なにを驚くことがあろうか》


 竜が静かに笑ったのだと、ニーナは思った。


《我らとて、この無窮の宇宙そらに生きる命の、わずかひと雫に過ぎぬ身よ。そなたらの生とはまた次元の異なる身だとはいえ、なんらの不可思議もありはせぬ》


 ニーナは呆然と、竜の言葉をただ聞いていた。

 今までの、人としての知識と経験からだけでは到底、竜の言葉のすべてをすぐに理解するというのは難しい話だった。

 しかしニーナは、分からぬままにも一心に、体じゅうを耳にするような気持ちでもってそのの言葉を聞こうと努めた。

 父竜は、そのことをことのほか、寿ことほいでくださったようだった。


《まずは、そなたの人としてのたがを外さんがため、この惑星ほしと、我らがし方とを語ってしんぜよう――》


 またゆらりと周囲の水が揺らいで、やがて水の守護竜は、こうして話を始めたのだった。




◆◆◆




 五竜はそもそも、かの「竜の星ドラッヘ・シュテルン」に起源を発する。


 かの恒星ほしの光はいまだ、この地に届いてはいるけれども、その実、いまもうこの時に、かの星は消滅しているのだった。

 いや、その星ばかりではない。

 その星が従えていた様々の小さな輝かぬ星、つまり惑星と呼ばれる星々も、それと時を同じくして、広大な宇宙そらの塵となって消え果てた。

 いま、この地に届くかの星の光は、すでに人の時間にして数万年も前のもの。


 ともかくも、その当時、五竜はその恒星系のそれぞれに気に入った惑星に、それぞれの名を冠して翼を休め、棲みついていたのである。


 すなわち、火竜は火の星に。

 水竜は水の星に。

 雷竜は雷星かみなりぼしに。

 風竜は風の星、土竜は土の星にといった具合にだ。


 なかにひとつ、五竜たちがそっと見守る、水の多い碧き惑星がひとつあった。

 そこに生まれ、そこに暮らす「小さき者ら」を、五竜はたいそう可愛がっていたのである。


《それが、そう、そなたら人の子の源よ――》


 人の子らは、竜たちよりもはるかに個体としての寿命が短く、しかしそれがゆえに次々に子孫を生んでは増えてゆき、やがてその青い星のうえに広がっていった。

 竜らの目から見ればまるで箱庭のようなその世界で、子らは日々、植え、育て、娶り、生み育てては土に戻り、そうしたことを繰り返しながら、徐々に増えていったのだ。

 しかし彼らは、不思議と争いを好んだ。

 竜らには理解できぬことだったのだが、彼らはやがて「国」なるものに分かれ、その王たる宗主を仰ぎ、もとは朋輩であろう互いの仲間を虐げたり、殺したり、土地や持ち物を奪うようになっていった。

 竜らは暗澹たる気持ちでそれらを見ていた。

 瞬きほどの時間ときしか持たぬその命を、なにが面白くてわざわざさらに短くせねばならぬのか。

 竜らにとって、彼らの争う姿はまことに理解に苦しむものだったのだ。

 しかし、手出しはしなかった。


 自分たちが、もしも生き物としての分限を越えれば、必ず人の子らにとっての災いとなる。

 竜の力は、人の子らのもつ火の力とは比べようもないほどの強大さを持っていた。竜の鼻息ひとつで、人の子らは塵のように空中に巻き上げられ、だれひとり生き残ることも叶うまい。

 かの小さくか弱い箱庭は、それだけで滅茶苦茶に破壊され、見るも無残な仕儀となり果てることだろう。

 竜らはだから、黙って人の子らの小さな小さな、しかしむごい騒乱をじっと眺めていたのである。


 が、やがて人の子らは、本来あるべきその青い惑星ほしだけでは、住む場所に困るようになっていった。

 人の子らは、増えすぎたのだ。

 その命をつなげるために、彼らは本来、失くすべきでないものまで刈り取り、掘り抜き、崩し、そして壊した。つまり彼らは、己が棲みかを傷めすぎてしまったのだ。

 そして地上の騒乱は、少し前とは比べ物にならないほどに熾烈さを増してもいた。ときにはそれら騒乱の最中さなか、彼らの大地を焦土と化する巨大な丸い炎の柱が散見されたものだった。

 毒を撒き散らすその炎は、すでに住みにくくなりつつあったその箱庭を、さらに汚して棲みにくいものへと変えてしまった。

 人の子らは、竜から見ればまさに胡麻粒のようにも見える、いかにもささやかな船をつくって、少しずつその「青い住処すみか」を離れ始めた。

 そうして、竜らの棲みかであるほかの惑星ほしへと足を伸ばした。


 竜らはそれでも、特に文句は言わなかった。

 それぞれの星の上で、子らが小さな棲みかをつくり、生まれ、育ち、生きて、また死んでゆく。その営みを、ただそっと、地中や黄土色にけむる風や、凍りついた大地、赤茶色にそそり立つ断崖の中に隠れて、何千年と見守っていた。

 子らは「竜の星ドラッヘ・シュテルン」の恒星系の中だけでは飽き足らず、やがてそのほかの恒星系へも足を伸ばし、さらに散っていったのだった。


 しかし。

 やがて、その恒星系にも寿命というものがやってきた。

 竜らにとって、それは自然の流れに過ぎぬことだったし、そうなればまた、別の恒星系を探して宿としようと考えていただけだった。

 しかし、小さき人の子らは、その頃にはとうに、生き物として、文明としての力をなくしかけていた。


 彼らにとって、宇宙は広大すぎたのだ。

 彼らの常識、生き物としての力で生き抜くには、宇宙はあまりに過酷にすぎた。

 彼らは広がりきったその生活の範囲を、その頃にはもう、もとの「青い星」へと戻しつつあったのだ。

 しかしその時、もはや彼らの故郷には、彼らを受け入れるだけの未来が残されてはいなかった。


 五竜はそこで、とあることを考えたのだ。

『この小さき者らをどうにかして、ほかへ移してやることはできまいか』と。

 竜らの愛した、箱庭に生きる小さき者らを、このまま放置してゆくのは忍びなかった。


《そうして、風の朋輩が、力を貸してくれることとなった――》 


 すなわち、五竜はごくわずかの人の子らを、その箱庭を構成していたいくらかの生き物もともどもに、竜の魔力によってそっと眠らせ、滅びゆく「竜の星」の恒星系から、この地へと携え、連れて飛んできたのである。

 風の朋輩は、空間を瞬時に越える。

 人の子らは、「光」より速いものなどこの宇宙にはないとは言うが。

 しかし、竜の魔力にそうしたことは意味を成さない。


 そうして、五竜は今度はこの恒星系に根をおろし、五竜がともに、体の大きさを小さなものに変え、ひとつの惑星に眠ることにした。竜らとしても、この遠い旅路を抜け、星の滄海わだつみを渡ってくるのは、相当に疲れることだったからである。

 そういうこともあって、竜らはやはり、人の子らの歴史には極力介入することもなく、普段はただ、静かに眠るばかりなのだ。


 人の子らは、置かれた新しい環境に最初は戸惑い、呆然としていたらしかったけれども、やがてまた大地を耕して増えはじめ、あの「青き星」のごとくに、その地上に広がって、「国」なるものをつくりだした。


 これが、この「五竜大陸」の、その歴史のはじめである。

 小さき人の子らにとってはすでに数千年、数万年にも及ぶ、太古の歴史ではあるだろうが、あいにくと竜らにとってはそれは、せいぜいがつい最近の出来事だ。

 したがって、旅の疲れのためにせっかく眠っているところ、なんのかのと人の子に揺り起こされるのも、竜によっては「面倒でしかたがない、もう少し静かに寝かせてもらえぬものか」と、嘆くようにいう者もいる。


『揺り起こす……というのは、もしかして』

 ニーナが問うと、水竜の気が、「いかにも」という風に少し揺らいだようだった。


《左様。それが、そなたもよく知る、かの『竜の眷属』よ――》


 こちらに「引越し」をしてから後は、この地上にすむ人の子らの中に、時おりが生ずるようになった。

 竜らがその歴史に介入し、かつての恒星系の滅びと同時に滅ぶはずだった小さき子らに関わったからなのかはわからぬが、時折り、人の子らのなかに、竜の魔力を少しばかり受け取れるものが出現するようになったのだ。


 彼らは竜の魔力のほんの一部を我が物とする。

 いや、それとて単なる人の子にとっては、生命を脅かすほどの危険な賭けだ。多くの者はその魔力にあてられて命を落とす。

 だから今回、火竜と風竜、二竜の眷属が同時に顕現したというのは稀有の事態といわざるを得ない。

 だからこそ、ニーナたち他の国の人々にも多大の影響が及ぶ仕儀となり、水竜と雷竜とにそれぞれに「祈願の儀式」を行なう娘が現れることにもなった。


《そうして生まれたが……我らが『光の子』たるそなたよ》


『光、とは先ほどから申しておられますけれども。お義父上ちちうえさま、それはいかような意味なのでございましょう。わたくしごときに、いったいいかほどのことが為し得ましょうか――』


《疑いはもっともであろう。……が、その儀は是非とも、雷が朋輩に訊ねるがよい》


 水竜は優しいながら、その質問には答えるつもりがないようだった。


《まずはそなたが、かの地に向かい、雷が朋輩とも斯様かようにして向き合うことこそ肝要である。我があまりに出しゃばれば、恐らくかの者が臍を曲げようほどに。可愛い娘にものを教えるその栄誉と喜びを、かの者にも与えてやるがよかろう……》


 水竜は少し楽しげに、含み笑うようだった。

 ニーナを取り巻く水が細かく震えて、その楽しげな心持ちが伝わってくるようだった。


『お義父上さま……』


《さあ。これにて、の話は終わりぞ。そろそろまた、眠りに就く刻限である》


 水竜の声はゆったりとし始めて、目の前の巨大なまなこも、静かに閉じられてゆくように見えた。

 ニーナは居住まいを正すと、竜なりにまた、貴人らしい礼をした。


『はい、お義父上ちちうえさま。お休みのところを、この小さき娘のために、丁寧なご垂訓、まことに有難うございました――』


 それを見て、ふ、と竜の瞳が優しく微笑わらったようだった。


け。……僥倖を祈るぞ、わが娘よ――》


 水竜がそう言った言葉を最後に、ニーナを包んでいた泡と同じようなものが、ふたたび水底から音もなくあがってきた。


 それはきっと、竜の吐息だったのだろう。

 大きな水泡は再びニーナの体を温かく包んで、ぐっと水面みなもへと持ち上げた。

 そうして、もう次の瞬間には、ニーナの体は湖面の上へと吹き上げられていたのだった。


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