第4話 激突 ※



 そこからニーナは、日の没するまでは人の姿で「水竜の結晶」と韻律を使って、アレクシスと共にヴァイスに「治癒」の魔法をほどこした。

 とはいえ彼女も、韻律についてはさほど詳しくはないらしい。あのレオンと同じく、やはり使えるのはごく下級の魔法に限られるようである。


 クルトはあれからすぐ、アレクシスの指示で拷問吏たちに有無を言わさず拘束され、彼らからは少し離れた場所で首元に剣をあてられて、ニーナへの人質にされている。もちろん、クルトだって一応は抵抗したのだったが、首枷に足枷まである状態で、大人の男に数名がかりでそうされたのでは、悔しいが手も足も出なかった。


 太陽がついに水平線に没すると、たちまち彼女の姿は掻き消えて、そこにあの小さな白い竜が現れた。


「おお……」

「竜……!」


 クルトを拘束している男たちの口から、感嘆の声が洩れた。

 とは言えクルトにしてみれば、その竜の姿はいつもの美しいものからは程遠かった。

 前にあの檻馬車に捕まった時のように、その美しかった鱗は赤銅色に変わってしまい、そのほとんどが剥げ落ちたようになっている。その翼も、穴だらけでぼろぼろだった。


 惨めな姿になった竜は、意識を失って岩の地面の上に仰向けに寝かされているヴァイスの胸の上に静かに下りて、ゆっくりと「治癒術」を施しているようだった。その体が、僅かに発光しているようだ。しかし相当に消耗している分、いつものような劇的な治癒は彼女にも行なえない様子だった。

 ヴァイスの体のすぐそばに片膝をついたアレクシスが、なんとも言えない目つきでじっとその竜を睨むようにしている。

 そこにあるのがただの憎しみや執着だけではないような気もして、クルトは何となく怖いような、でもどこか胸が締め付けられるような、変な気分になるのだった。


 夜になって暗くなった洞窟内を照らすため、今は拷問吏の何名かが松明に火をつけて周囲に立っている。

 クルトが見ていると、黒焦げの文官服はそのままながら、次第にヴァイスの焼け焦げた皮膚が元通りになりはじめ、絹のような白い金髪がつややかな美しさを取り戻していった。

 どのぐらいの時間が過ぎただろう。

 やがてうっすらと、青年が長い睫毛を開いた。


「ヴァイスっ……!」

 途端、アレクシスが竜のニーナにお構いなしにヴァイスを抱き起こした。

 ニーナはぱたぱたと皮膜の破れた翼を羽ばたかせて、すとんと地面に降り立つ。

「でん……か? どうして……」

 ヴァイスはまだ意識がはっきりしていないらしいが、自分を抱き起こしているのが誰かが分かると、クルトでもびっくりするぐらいの、うれしそうな顔で微笑んだ。

 綺麗な人の笑顔というのは、ほんとうに綺麗だ。

 その場の一同はちょっと黙って、そんな二人を見つめていた。



 と、出し抜けに周囲にごうっと強風が巻き起こって、クルトは思わず目をつぶった。

 こんな洞穴の中にこんな風が湧き立つなんて、不自然なことこの上もない。

 案の定、それはやっぱり自然に起こった風ではなかった。


 ようやく風がおさまって目を開けてみれば、「火竜の檻」のそばに、今まではいなかった人々の一団が現れていて、クルトは我が目を疑った。


(な……)


 鷹のような目をした巨躯の男と、文官らしい中年男。

 さらに、長剣を携えた赤毛の青年。

 そして――


 黒髪、隻眼、黒マントのその男。

 手にはすでに、彼の両手剣が握られている。

 クルトは目を見開いた。


「レオンっ……!」


 クルトが叫んだのと、アレクシスがぱっと動いて、側にいた竜のニーナの首根っこを引っつかもうとしたのとは同時だった。

「ニーナさん!」

 しかし不思議なことに、アレクシスの手元にはあの竜の姿はなかった。どうやら先ほどの強風で吹き飛ばされてしまったらしい。

 周囲を見回しても、その姿はすぐには見つからなかった。


 間髪容れず、レオンとファルコ、それに赤毛の青年カールがクルトを捕まえている拷問吏の男らに襲い掛かった。

「う、うわあっ……!」

 こちらの男らが虚を衝かれてまごまごしているうちに、レオンの両手剣がクルトを脅しつけていた男の手から長剣を瞬時に弾きとばした。

 他の男らも、それぞれファルコの二刀流の戦斧に吹っ飛ばされたり、カールに切り伏せられたりして沈黙してゆく。

「ひいっ……」

「ぐはっ……!」

 クルトを放り出して逃げ走ろうとする男たちを、三人とも容赦なく屠ってゆく。

 レオンの斬戟は容赦なく、男らの体を両断している。

 ファルコはファルコで、もはや得物など必要ないのではないかと思われるほど、その膂力でもって相手を体ごと宙に吹っ飛ばすようにしていた。

 相手はそのまま、岩壁に叩きつけられて意識を失っている。きっと、あの重い一撃で骨や内臓まで凄まじい損傷を受けているのに違いなかった。


 それは、瞬きをするほどの間のことだった。

 あっという間に、八名ばかりいた男らは地面に昏倒させられていた。

 中には明らかに絶命している者もいる。

 レオンが血刀を提げたまま大股にこちらにやってきて、ぐいとクルトの肩を抱き寄せてくれた。


「遅くなった。……すまん」

「レオンっ……!」

 あんまり嬉しくて、クルトは思わず彼の腰のあたりにしがみついたが、すぐに顔を上げて叫んだ。

「ニーナさんが! ニーナさん、どっか行っちゃった……!」

 すると、ふとレオンの隻眼の底に、言い知れない何かが走ったように見えた。

「……いや。心配いらん」

 その声音も、どこかレオンらしくないものを湛えている。

「え?」


 が、それを訊ねている暇はなかった。

「貴様ら、一体どこから――」

 アレクシスが怒りの炎をその双眸に閃かせ、仁王立ちになってぐっとこちらへ腕を伸ばしていた。

「殿下……!」

 彼の背後で、ヴァイスが半身を起こして悲痛な声を上げる。

「いけません、殿下――」

 が、傷が治ったとはいっても、まだ元気を取り戻したわけではないらしく、ヴァイスは自分ひとりでは立ち上がれない様子だった。

 次の瞬間、アレクシスのかざした手のひらの辺りから、膨大な火炎が発生し、巨大な渦を巻いてこちらに突進してきた。


「ひ……!」

 クルトは思わず目をつぶって、レオンにまたしがみ付いた。

 が、その劫火はいつまでたってもこちらへはやって来なかった。

 恐る恐る目を開くと、目の前に、長い緑色のドレスにマントを羽織った黒髪の女が立っていた。まるで、庭の散歩でもしているような何気ない様子である。その手は、襲いくる炎の方へと向けられていた。

 彼女の隣には、レオンらと共に現れた魔法官アネルが立って、水色をした結晶を手に、一心に韻律を唱えていた。

 いまや二人の前に、暴風の中に雪や雹の混じりあった、強大な雪嵐シュネー・シュトルムの盾が出現していた。

 そこに、アレクシスの放った炎熱攻撃魔法がぶち当たり、反応しあって、凄まじいまでの蒸気が溢れ出している。


(あ……)


 クルトは女の手許を見て、はっとした。

 女は防御魔法を発しているのとは違うほうの手のひらの上に、小さな風でつくった檻のようなものをこしらえていた。それは、ややうっすらと紫色に染まっているのでやっとそうと分かる程度のものだった。

 その中に、あの小さな竜のニーナが羽根と体を丸めるようにして入っていたのだ。


(そうか――)


 レオンたちが現れたあの一瞬、皆がそちらに目を奪われていた隙に、女はニーナを風の魔法によってこっそりと取り籠めていたのに違いない。


(でも、なんで――?)


 クルトの頭の中では、色んな疑問が渦巻いている。

 どうして今回、この女はレオンたちの味方になるような行動に出ているのか。

 何故、あれほど憎んでいたニーナを手にしていながら、彼女を害する様子がないのか。

 なんだかクルトの胸の中には、非常に嫌な予感が広がり始めていた。


 そんなことを思いながらも、目の前の魔法同士の衝撃と轟音に圧倒されていたら、ファルコがひょいと近づいてきて、拷問吏らの持ち物から探して来たらしい鍵を使い、クルトの枷を外してくれていた。

 足元に金属の輪と太い鎖が落ちて、がちゃがちゃと音を立てる。


「あ、ありがと、おっさん……」

「いんや、礼にゃ及ばねえ。仕事よ、

 男はにやりと笑ってちょっと片目をつぶって見せ、クルトの頭を巨大な手でぽすぽす叩いただけだった。


 そうこうするうちにも、火竜の魔法と風竜、水竜の魔法の激突は続いている。

 そのうちに、岩壁がじゅうじゅうと音を立て始め、あまりの炎熱に溶かされてどろりと流れ始めたのを見て、クルトはぞっとした。

 激しい衝突と高温のために、堅牢なはずの岩壁ですらあちこちに亀裂が生じて、ついにぼこりと大穴があき、向こうに星空が見えたのには驚いた。

 しかし、そうでありながらも、あの「火竜の監獄」の箱はびくともしないで、ただ四角いままにそこに毒々しい赤い姿を晒しているのだった。


 周囲は今や、凄まじい高温になっているらしい。

 クルトらが無事でいるのは、ミカエラとアネルが自分たちの周囲を魔法障壁で覆い、守ってくれているからに他ならなかった。

 見れば、先ほどレオンたちに倒された拷問吏どもの体が、すっかり黒焦げになって燃え上がり、人の形を失いかけている。


 と、アレクシスのほうを向いたまま、ミカエラが甲高い声で叫んだ。

「わたくしに近づきなさい! 置いていかれたくない人はね」

 言われて、レオンたちは皆、慎重ながらも素早い足取りでミカエラの周囲に集まった。レオンの手に抱かれるようにして、クルトも否応なく近寄らされる。


 異属性の魔法同士がぶつかりあう轟音の中、ミカエラがいきなり高笑いをして、クルトはぎょっとした。

「では、そろそろ失礼いたしますわ、アレクシス様。竜の女は、頂いて行きますわよ」

 炎と雪嵐のせめぎあいの向こうで、アレクシスが凄まじい相貌でこちらを睨みつけているのがちらりと見えた。

「貴様っ……! 許さんぞ」

 もはやその奥歯が軋る音も聞こえるのではないかと思うような形相だ。

「俺を裏切るとは、いい度胸だ。覚悟しておけよ、この雌犬――!」

「あら。人聞きの悪いことをおっしゃらないで?」

 対するミカエラは憎々しいまでの涼しい顔だった。

「『裏切る』もなにもございませんわ。申し上げたはずよ。わたくしは、レオンさえ手に入れば何でもいいの。確かに、この女のことはどうでもいいけれど――」

 と、ちらりと手の中の「風竜の檻」に目をやる。

「今回はこうすることが、レオンとの約束なものですから。……おあいにく様でしたわね、王太子殿下」

「なに……?」


 ぎりぎりと犬歯をむき出しながらアレクシスが瞠目した。

 ミカエラはその視線を往なすように、ふわりと笑う。


「でも、これで確かに、先日のは返していただきましたわ。もう二度と、お目にかかることもございませんでしょう。この女のことは、あとは是非、ご自分のお力で手にお入れ下さいな。わたくしは別に、その邪魔だてをするつもりはございませんから」

「く……」

 さすがのアレクシスも絶句したようだった。

 彼の足元では、アレクシスのほうでも火竜の防御魔法を使っているらしく、まだ起き上がれずにいるヴァイスが無事な姿でこちらを見つめているのが見えた。


「……それでは、ごめんあそばせ」

 言うが早いか、さっと小ぶりな手を振って、ミカエラはさっさとこの不毛な会話を終わらせた。


 その途端、先日と同様の、足元から地面が消える感覚がクルトを襲い、目の前で繰り広げられていた壮絶な景色が嘘のように消えうせた。

 今度はレオンの腕に抱きこまれるような体勢になりながら、クルトはまた、ぐるぐると目の回るような「跳躍」の魔法によって、遠くへ運ばれていったのだった。



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