第3話 火柱 ※




「いけません、殿下。このようなこと――」

「ヴァイス、貴様……」


 アレクシスの両眼から、炎が噴き出すかのように見えた。

 男の臣下である青年は、クルトを背後に隠したまま、唇を噛むようにして自分の主人あるじを見返している。その顔は、ただただ、悲しげだった。

 クルトは彼の背中に寄り添うようにしながら、ことの成り行きを見守った。


 こちらから、あの真っ赤な色をした鉱物でできた「箱」の中で座り込んでいるニーナの姿が見えている。

 これも、このヴァイスの使った魔法によるものだった。

 ヴァイスは、この島にやってくるにあたっても、あの風の魔法をいくつか駆使して、何度も短距離を跳びながらアレクシスやこの拷問吏たちを運んできたのだ。

 もちろん彼は、その時々で、アレクシスに何度も「どうかこのようなことは思いとどまりを」と願い出ていたのだったが。

 当然、アレクシスは聞く耳など持たなかった。



 島。

 そう、ここは島なのだった。

 それも、ごつごつした岩だらけの、激しい荒海の中に浮かぶ孤島だ。

 ヴァイスが言うには、ここは火竜の国で流刑となった者たちが送り込まれる場所なのだということだった。とはいえ、ごく小さな島であるうえに、食物になるような草もろくに生えない場所で、ここに送られた囚人は事実上、死罪とさほど変わりはしないのだと。

 時おり立ち寄る海鳥や魚でも捕まえて食いつなぐ意外、生き抜くすべはほとんどない。

 火竜国ニーダーブレンネンの東と南は、それぞれ雷竜国、水竜国に接しているわけなので、おそらくそれは、国土の西側や、北側に位置しているものと思われる。



「どういうつもりだ、ヴァイス。貴様、まさか俺に逆らうつもりか?」


 憎々しげなアレクシスの言葉を受けて、美貌の文官ヴァイスは一瞬、項垂れたようだったが、それでもしっかりとまた顔を上げた。

「……申し訳ございません、殿下。しかし、どうかこの儀ばかりは……お許しくださいませ」

 クルトを後ろに隠したまま、必死に願うヴァイスの声に嘘はないようだった。

「このようなこと……殿下の御ためにはなりません。どうか、おとどまりくださいませ」


(ヴァイスさん……)


 クルトは、不思議な気持ちになる。

 どうしてこの人は、こんな奴のことをこんなに心配するのだろう。

 クルトのことを憐れんでのことなのは勿論だろうけれど、この人はどうも、何よりあのアレクシス本人のことを心配して「こんなことはしないで欲しい」とお願いしているようなのだった。


 しかし、アレクシスの機嫌は悪化するばかりのようである。

「知ったようなことをほざくな。そこをどけ。二度は言わんぞ」

 白手袋をした片手を、容赦なくヴァイスに向けて持ち上げる。その仕草はちょうど、あのミカエラが竜の魔法を発動させるときと同じだった。

 ヴァイスはただもう、黙って首を横に振るばかりである。


「貴様ッ……!」


 遂に、アレクシスの怒りが沸点に達したようだった。

 その瞳の真ん中に、あの竜の虹彩がぱかりと開いて、瞳の色そのものも金色に変じた。 

 と思ったら、もう次の瞬間には、目の前でヴァイスの体が燃え上がっていた。


「う、わ……!」


 思わず、クルトはそこから飛びすさった。髪がちりちりと焦げる臭いがする。

 ヴァイスの体は炎に包まれ、今や人の体の大きさをした大きな火柱になっている。

 次にはもう、クルトは大声で叫んでいた。


「バカッ! あんた、何してんだっ……!」


 そして、周囲に居る拷問吏たちを叱り飛ばした。

「火、消せよ! あんたら! はやくっ……!」

 ヴァイスの体は燃え上がりながらその場に崩れ落ちている。

 クルトの叫びに、一瞬ひるんだようになっていた拷問吏たちが、慌ててわらわらと近寄ってきて、自分の上着やマントなどでその火を消しにかかった。

 アレクシスは、炎を発した自分の指先と、地面に倒れたヴァイスの体を呆然と見ながら立ち尽くしている。どうやらそれは、突発的な怒りの爆発によるものであって、決して彼の本意ではないということのようだった。


 クルトはアレクシスを真っ直ぐに見上げて言い放った。

「あんた、アホかよ! また、……また、大事な人を死なせる気かあっ……!」

「な、……に?」

 アレクシスの眉がぴくりと上がった。

「何を言ってる、貴様――」


 が、クルトは構わずに叫び続けた。


「バカかよ! ほんっと、バカかよっ……! あんた、自分の母ちゃんだってそうやって死なせたんじゃないのかよ! 後になって、めちゃくちゃ後悔したんじゃないのかよっ……!」


 どうせ殺されるんだ。

 もう、どうでもいい。

 それなら、せいぜい最後に、言いたい事は全部言ってやる。

 もう、そんなことしか考えていなかった。


 アレクシスは呆然と、ぴくりともせずにそこに立ち尽くして、凄まじい目でクルトを見下ろしている。

 その瞳は、あきらかに驚愕の色を乗せていた。


「ヴァイスさんは、あんたのこと、ほんとに心配してるんだ。あんたにとっちゃ、ぜってー死なせちゃいけない人だろっ!」

「…………」

「この人死なせちまったら、あんた……あんた、ほんとに一人ぼっちになっちまうぞっ……!」

 喉から血がほとばしるのではないかと思った。

 でも、クルトは構わずに叫び散らした。


「死んじゃったら、終わりなんだぞ。……もう、二度と戻ってこねえんだぞっ……」

 言いながらもう、ぼろぼろあふれ出すものが止められなくなってゆく。

「あとで、どんな後悔したって……もう、誰も戻ってこねえっ……」


 もう、自分でも何をいってるのか分からない。

 それでも、クルトはわあわあ泣きながら、絶叫するのをやめなかった。


「あんたはいいよ。そうやって、誰か殺して、殺しまくって、が晴らせるんだからな。でも、……でも、俺はっ……!」


 と、アレクシスが怪訝な顔になったとき、「箱」の中から静かな声がした。


《その子も、亡くしているのです――》

 やや疲れたような、しかしやっぱり涼やかな声。ニーナである。

《そのお父様も、お母様も……すでに》

 とても理不尽な理由で、と、優しい人は控えめに付け足した。


(ばっきゃろ……。ばっきゃろ……!)


 もう言葉は何にも出なくて、クルトはそこに膝をつき、体を丸めるようにして、ぼたぼた涙を零して泣いていた。


 殺すんなら、殺せと思った。

 丁度いい。

 そうすれば、もう自分は、ニーナの枷ではなくなれるのだから。

 そうすればニーナはここから、逃げる方法だって見つかるはずだ。


「いや……待て。なぜこんな餓鬼が、俺のことをこんなにも――」


 アレクシスはそう言って、やっと火を消し止めてもらったらしいヴァイスのほうをちらりと見やった。

 ヴァイスの体は全身が焼け爛れて、見るも無残なことになっている。

「ちげーよ。ヴァイスさんじゃねえ」

 クルトは嗚咽をかみ殺すようにして言った。

「ニーナさんには、竜のとき、あんたの声が聞こえてんだ。……だから、みんな知ってるよ。あんたのこと、昔のこと……俺も、ニーナさんも……レオンもな」


 ヴァイスには、あれほど「言うな」と止められたけど。

 でももう、言わないわけにはいかなかった。

 どうせ死ぬのだ。

 言いたい事は全部、こいつに叩きつけてから死んでやる。


「なに……? まさか――」

 アレクシスが愕然として「箱」のほうを見やれば、ニーナが非常に困った様子で、座り込んだまま項垂れていた。

 クルトは慌てて、言葉を続けた。

「は! いい年して、いつまで『母ちゃん、母ちゃん』言ってんだよ。あんた、いくつだ?」

 ここで、怒りの矛先をニーナに向けてはならないと思った。

「王太子なんて言ったって、結局、その程度かよ。レオンとは大違いだな……!」

 クルトとしては精一杯、相手を侮辱する声を作った。

 クルトなりの、必死の挑発のつもりだった。


《クルトさん、やめて……!》

 箱の中から、ニーナの悲痛な声がする。彼女には十分、クルトの意図が分かっているようだった。


 アレクシスが、ぎりっとこちらをめつけた。

「貴様……!」

 まさに音を立てるかと思われるような殺気の籠もった目線だった。

 しかし。

「お、……やめ、くださ……」

 すぐにそんなか細い声がして、アレクシスは今まさにクルトを燃やさんとして上げようとした片手をぴたりと止めた。

 それは、瀕死のヴァイスの声だった。

「ど……うか。もう、それ、以上は……」

 見れば、彼の美しかった相貌は焼け爛れて、見る影もないほどに崩れていた。

 恐らく目も見えていないのだろうに、それでも震える手を少し上げて、アレクシスに向かってのばそうとしているようだ。

 クルトは思わず、そちらに駆け寄った。

 足枷につながった鎖が、じゃらじゃらと音を立てた。

 が、青年の手に、緑色に光る鉱石のようなものが握られていることに気付いて、クルトははっと足を止めた。

 ヴァイスの焼け焦げた唇が、かすかに蠢いている。

 彼は韻律を唱えていた。


 と。

 しゅうう、と不思議な音がしたかと思うと、目の前の真っ赤な「火竜の檻」の前の空間がゆらゆらと揺らめいたようになり、そこに女性の姿が現れた。

 ニーナだった。

 彼女は驚いたように、こちらを凝視している。

 ヴァイスはどうやら、「風竜の魔法」を使ってニーナを「箱」から外へと跳躍させたらしかった。


「ニーナさんっ……!」

「ク、クルトさ……」


「お、逃げ、くださ……早く――」

 ヴァイスはごくかすかな声でそう言うと、がくりと意識を失ったようだった。

 ニーナに駆け寄ろうとしていたクルトは、それに気付いて思わずヴァイスの体に手を掛けた。

「ヴァイスさんっ……! 大丈夫? だれか、『治癒』の魔法、使えねえの!? 早くしないと――」

「どけっ……!」

 と、ぐいと体を乱暴に押しのけられて、呆気なくクルトは地面に転がされた。

 アレクシスである。

 彼はすぐ、手袋を外してヴァイスの体に手をかざし、火竜の魔法である「治癒」を施し始めたようだった。

 しかし、見たところ、彼の治癒魔法ではごくゆっくりとした治癒しか行なえない様子である。ヴァイスはもう、ぴくりとも動かない。彼の命の灯は、まさに尽きようとしていた。


(ちっくしょう……!)


 クルトはいらいらした。

 火竜の魔法は、確かに攻撃力は空恐ろしいほどのものだけれど、これらの加護や回復の魔法にはあまり特化していないのだ。


 と。

 背後から静かな声がした。

「……わたくしが致しましょう」

 一同が、はっと目を上げる。ニーナだった。


「大丈夫、逃げは致しません。幸い、ここに『水竜の結晶』もありますし」

 凄まじい目で睨みつけているアレクシスの眼光を、ニーナはその澄んだ碧い瞳でもって柳に風とばかりに受け流していた。

「それに……もうすぐ、日も暮れるようですし」

 そう言って少し微笑んだニーナの横顔は、悲惨極まりない、ぼろぼろのその鎧や衣服とはかけ離れて、神々しいほどに美しかった。

 隣に居るアレクシスでさえ、ちょっと言葉を失ってそれを見つめたようだった。


 ニーナの言葉に、クルトが洞窟の出口を見やると、確かに彼女の言うとおり、海上に開けた寒空は、ぼんやりと橙色に染まり始めていた。


 島を取り巻く荒波の向こう、西の水平線。

 そこに、いままさに、太陽が沈まんとしていたのだった。


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