第二章 故国

第1話 倉の宿


「眼のいい鷹を知らないか」


 土竜国ザイスミッシュの王都、その下町の居酒屋で、他の酔客には聞こえぬように、レオンはあの男に言われたとおりの台詞を言った。

 あの不思議な巨躯の男に森の中で出会ってから、すでに半月が過ぎていた。



 ザイスミッシュの王都は、他の国の王都に負けず劣らずの、やはり大きな街である。

 国土の中央部からやや南に下った場所にあるその街の周りには、脇を流れるドニア川の豊かな流れによる恵みで、広大な農地が広がっている。

 王都の人口、約二十万。

 やや小高い丘になった王都の周囲は高い石壁がめぐらされ、それが幾重にも、大樹の年輪のようにして王都の中に引き回されている。

 その中央に、国王陛下のおわす王城が、高い尖塔をいくつも聳えさえた威容を見せつけていた。

 石壁が外郭へくだるに従って、そこに住む人々の暮らしは貧しいものになってゆく。

 もっとも外側の壁の中には、石を積んで藁屋根を葺いただけの粗末な建物が俄然多くなっていた。


 求める下町の居酒屋は、こうしたごく貧しい人々の住む雑然とした界隈に存在していた。

 そこは、貧しさとは裏腹に、ひどくにぎやかに活気に満ちた場所でもあった。どうやら、王都に働く男たちの大切な憩いの場でもあるらしい。


 店の中では店員と、客の男らの威勢のいい声が飛び交っている。

 それと共に、麦酒と一緒に供される豆や野菜のごろごろはいった鶏のシチューだの羊肉の揚げたのだのの、うまそうな匂いがいっぱいに満ちていた。

 クルトはもうとうに、運ばれてきた料理のうち、甘辛いたれの絡んだ大きな鳥の足に夢中でかぶりついている。



 ファルコと名乗った男があの時「女将おかみ」だと言った人物は、でっぷりと肥えた中年女で、ひどく気風きっぷのいい女だった。

 女将はちらっと、レオンの連れているクルトのほうを見たようだったが、そそくさと持ってきた料理やらなにかをテーブルに並べながら、こちらを見ようともせずにこう言った。


「話は聞いてるよ。宿の名前を教えな」

 レオンも彼女の顔をみる風もなく、泊まっている宿の名を告げ、ぼそりとこう言っただけだった。

「悪いがには、『夜に来い』と言ってくれ」





 そこからしばらく、クルトとレオン、そしてニーナは王都の宿に数日泊まった。


 とはいえ、いつものことなのだが、昼間は馬の姿になるレオンは、日が昇る前に宿を出て、日が沈んでから戻ってくる、という面倒なことを繰り返している。

 どうやら単独で馬の姿でいる間は、王都の外へでて、人や害獣に見つからないよう、草原や何かを走り回っているらしかった。


 時にはニーナも一緒に外へでて、クルトと黒馬も一緒に王都の市場などを見て回ったりもしたけれども、なんといっても彼女はこの美貌だ。平民らの中にあって、この見てくれでは目立ってしょうがないのである。

 そんなわけで、基本的には、ニーナは日中ひっそりと宿の部屋にいることが多かった。

 夜は竜の姿になる彼女は、外に出る場合とか宿のだれかが部屋に入ってくるようなときには、いつもよりもだいぶ小さな体の竜になって、クルトの荷物にまぎれるようにして隠れている。


 竜というのはなかなか便利なもので、彼女がそう望むのならば、クルトの手のひらに乗るぐらいの大きさにもなれるのだった。

 小さくなるということは、つまり幼体になるということでもあるらしく、体の大きさに対して翼や背びれなどが小さく丸みを帯びて半透明のような色になり、全体的にころんとまるまるした感じになる。それに対して、頭と澄んだ青い眼は大きくなるのだ。

 それがもう、えも言われずにかわいかった。


「かわいい、ニーナさん、かわいい……!」


 最初に見たとき、つい大声でそう叫んでしまって、クルトはレオンに睨まれた。

 ニーナはニーナで、「そ、そそそうですか……?」とでも言いたげに、ちょっと恥ずかしそうにクルトの頭上でくるくる、いや、ころころ回った。


 ともかくも。

 夜にはそんな状態のニーナと一緒に、クルトはレオンと同じ部屋で過ごした。

 ひさしぶりに寝台で眠ることができたクルトは、王都の中でありつける人間らしい食事のこともあって、なんだか急に背が伸びたような気がしていた。




◆◆◆




「なんだ、結構時間がかかったじゃねえかよ、兄ちゃん」


 男がやってきたのは、そんな調子で数日すごしたあとの、とある夜のことだった。

 それはまったく唐突だったが、男はさも「それが当然」といったような顔つきで、ずいと部屋の中に入ってきた。浅黒い肌をした巨躯の男が入ってくると、狭い宿の部屋がますます狭く見えた。

 男はやっぱり、勝手知ったる顔のまま、二つある寝台のうちのひとつにどかりと腰をおろしてにやりと笑った。


「で? はなんだい? まさか今更、俺の命が欲しいとかってんじゃねえよなあ?」


 けたけた笑いながら、面白そうに顎など掻いている。

 レオンはちょっと仏頂面になった。


「先日お前が言っていた、バルトローメウス陛下の件だ。ご体調がすぐれないというのは本当か」

「んな嘘いってもしょーがあるめえ? 俺ぁ別に、王宮の回しもんじゃねえってば。いい加減、信じろよ――」


 男は呆れたような言い草で、それでもやっぱり顔は笑ったままだった。


「要するに、陛下にじかにお会いしたいってことで、いいんだよな? 兄ちゃん。ってこたあ、あんたが俺の探してたお兄さん、ってことで間違まちげえねえと。そこは認める、でいいんだよな?」

「…………」


 レオンは腕組みをしたまま少し黙ったが、やがてちらりとクルトの荷物のあるほうに目をやってから、渋々といった様子でひとつ頷いた。

 当然、今はその中に小さな姿になったニーナがいる。


「……ああ」

「で? いくら出せるんだい? 俺ぁ別に、慈善事業やってるわけじゃねえからよ」


 そこからあれこれと大人同士が値段交渉をしているのを、クルトは男の居ないほうの寝台の上に座り込んでしばらくじっと眺めていた。

 ファルコは、やはりこの国の宰相、ハンネマンとかいう男への伝手つてを持っているということらしい。



(それにしても、意外だったなあ……)


 大人同士の話を聞くともなしに聞きながら、クルトは考えている。

 それは、レオンとニーナからまた新たに聞かされた話のことだった。


 この男には特に説明はしていないが、レオンは万が一の時のため、とあるを用意している。

 彼は武人ではあるけれども、あの優秀な医術魔法官だったアネルの養い子だったため、ある程度の下級魔法についてはその韻律を唱えるすべを持っているというのだ。

 もちろん、あのミカエラのように自由自在にあちらこちらを飛び回るなどは無理な話だが、小さな「風竜の結晶」さえ手元にあれば、ごく近距離なら「跳躍」の魔法が使えるらしい。


 もしもこの一連のことが、この男とその飼い主のだれかの陰謀で、レオンを捕縛したり殺したりするための罠だったら、レオンはすぐさまその魔法でその場から逃げることができる。

 だからこそ、彼もこのある種「賭け」といってもいいような行動に出る気にもなったのだろう。


 ちなみに、この高価な「風竜の結晶」がなぜレオンの手許にあるかと言えば、八年前、呪いを受けた二人があの雷竜国に転がり込んだ時、放浪の旅に出るに際して雷竜王エドヴァルトが、各種の竜の結晶をこの二人に持たせてくれたからということだった。

 竜の結晶は、こうして身を守るためのすべにもなる上、その貴重さから、いざとなれば路銀の足しにもなるからである。


(でも結局、俺、留守番なんだよなあ……)


 「ちぇっ」と思いながら、クルトは恨めしげに、巨躯の男と話しているレオンの横顔を見やった。

 レオンが王城へ行っている間に、クルトが人質などにされてはまずいので、宿はこの日で引き払い、のちに落ち合う場所を約束して、クルトとニーナは城には行かないことになっているのだ。


 竜の姿のニーナだって、だれかに姿を見られること自体まずいのだったが、いざレオンが窮地に陥った場合には夜空を飛んで、彼の助けになることもできる。しかしクルトに関しては、足手まとい以外のなにものでもない。それがレオンの意見だった。

 クルトは本当に悔しくて、「俺も一緒につれてって」「絶対、なんかの役に立つから」と、随分と二人に食い下がったのだったが、こればかりは二人とも、声を揃えて「だめだ」「いけません」の一点張りだったのである。


(あーあ。はやく、でっかくなりてー!)


 そんなことを思ううちに、どうやらひととおりレオンとの相談も終わったらしく、巨躯の男は寝台からひょいと立ち上がった。

 最終的に、彼が事前にあちらとの約束をとりつけて、うまくレオンを王宮内へ導く算段をつけてくれることになったようである。


「そんじゃ、万事、任せとけ。また連絡すらあ」


 あれこれと今後の行動を確認すると、ファルコは来た時と同様のすっ呆けた様子で、また無造作な足取りで宿の部屋から出て行った。

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