第2話 土竜王バルトローメウス
そして、その夜。
クルトは竜のニーナと共に、王都の町外れにある空き家の一室で待っていた。
ニーナはいざというときのため、小さな姿になってクルトのマントの下に入り、首元からちょこんと顔だけを出している。
月の明るい晩だった。
いままさに、レオンはファルコの案内で、あの王城内にいるバルトローメウス陛下のもとへ向かっているのだ。
(あーあ……。なっさけね。)
つくづく、まだ子供の自分が恨めしい。
自分があと五歳、いやせめて三歳でも
そう思うと、ただただクルトは悔しかった。
勿論、剣の腕なんてまだまだだし、レオンのような閃くような剣術の才能なんて、自分にあるかどうかは分からない。
でも、そのレオンをして、「なかなか筋はいいようだぞ」と言ってもらえるぐらいには、これでも剣の腕は上げてきたのだ。そうは言っても、大人の振るような長さの剣は重過ぎるため、使っているのは短剣だけれど。
今、レオンはあの眼帯の中に、ニーナの持っている「水竜の結晶」をひとつ仕込んで、竜のニーナとの交信が可能なようにしているらしい。
なんと、ニーナは竜の魔力を使い、レオンの見たもの、聞いたことをそのまま感じることが可能だというのである。そしてニーナは今、彼女が受け取っているレオンからの情報を、クルトにも見えるようにしてくれていた。
それは、クルトだけが蚊帳の外のようになって疎外感を味わわないで済むようにという、ニーナの心遣いであるようだった。
ちなみにニーナのあの薬袋に入っている結晶は、やはり竜たちの加護による品であるためなのか、使っても決して底をつくことがないのだという。「ある程度減ってきたな」と思った次の日には、また元通りの量に戻っているというのだから驚きだった。
今、クルトは粗末な寝台のうえに座り込み、灯りもつけないまま、そこで目を閉じている。
すると、目の前がだんだんとぽうっと明るくなり、瞼の奥から不思議な温かさが染み出してきて、次にはじわじわと、今いる場所とはちがう光景が見え始めたのだった。
◆◆◆
そこは、両側に灯火のともった、広くて薄暗い廊下だった。
レオンがひたひたと、足音をしのばせるようにして進んでゆく先には、あの巨躯の男の広い背中がのしのしと歩く姿が見えていた。
どうやらそこは、もう土竜国の王宮の中らしかった。
周囲に人影はない。
事前に、向こうの宰相閣下のほうで人払いをし、なるべくレオンの姿が人目に触れないようにと配慮したものらしかった。
巨躯の男は勝手知ったる風な足取りで、いくつもの角を曲がり、どんどん王宮の奥へ奥へと入り込んでゆくようだ。
見ているクルトのほうが、なんだかどきどきするようだった。
やがて。
男は大きくて豪華な細工のほどこされた扉の前に立つと、無造作に「来ましたぜ」と中へ向かって声を掛けた。
扉が内側から音もなく開かれて、そのままレオンはファルコについて中へ入る。
その部屋も、豪奢であるのに薄暗く、なんだか陰気な様子だった。
床には土竜国の特産品でもある、くっきりとした派手な織り地の毛足の長い絨毯が敷かれ、壁も天井も草花の紋様やら
そうであるにも関わらず、部屋は全体にとても暗くて、湿っぽい臭いがしていた。それに、薬湯のものだろうか、奇妙に鼻をつく匂いが部屋の中に満ちていた。
竜であるニーナのこの魔法は、レオンが五感で感じるものをそのまま、クルトにも伝えてくれるものであるらしい。
部屋の中央に置かれた天蓋つきの大きな寝台に、横たわっている老人がいる。老人の肌は土の色をしていてかさつき、皺だらけだった。白くなった髪も残り少なく、またひどく頬がこけて、痩せていた。
ひと目みただけでも、その御方のお命はそう長くないことが知れるような姿だった。
その脇に、金糸で刺繍のほどこされた煌びやかな長衣をまとった初老の男が立っていた。真っ白になった肩までの髪を後ろへ流して切り揃え、房のついた飾り帽をかぶった姿から、それが宰相、ハンネマンなのだろうと思われた。
病み衰えた国王陛下に対して、その男はがっちりとした肉付きで血色もよく、至極健康そうに見えた。
穏やかそうな物腰ながら、その灰色の瞳は
「陛下。いらっしゃったようでございます」
男が低い声でそう言うと、寝床の中の老人が、皺と皺の間にうもれるようになっている目を、ほんの少し開いて頭を動かしたようだった。
レオンは側に立っていたファルコの求めに応じて投擲用の短剣や背中の両手剣を鞘ごと彼に渡し、ハンネマンに
ファルコはレオンの剣を持ったまま、入り口の扉近くに立っている。
レオンが王に近づくにつれ、老人はぽかんと口を開いて、非常に驚いた様子になった。
「おお……。まさか、これほどとは――」
しわがれてはいるが、深く考え深い声音が聞こえた。
「まさに、かの風竜王、ヴェルンハルト公に生き写しじゃ。余は、かつて……もう三十年も前にお会いしたことがあるのじゃが……いやいや、まことに……」
そんなことを言いながら、ゆっくりと、何度も頷いている。
その瞳には、確かな慈愛と、礼の心が見て取れた。
そこにうっすらと、光るものまであるようだった。
「いやはや、懐かしいのう……。そなたの父君、ヴェルンハルト公は、まさに天賦の才を下されし非凡の王であられた。勇壮、精悍なる覇気を纏う一方で、言葉を交わすに、いかにも
そして、干からびたような細く骨ばった腕を上げ、レオンを差し招くようにした。
「レオンハルト殿、と申したな。苦しゅうない。……さあ、こちらへ。もそっと、この爺いの側へ寄ってはくれぬだろうか」
「……は」
レオンがちらりと、寝台のそばに立つハンネマンの方を見やると、相手の男も少し会釈をして、半歩ばかりそこから下がった。
それを「どうぞ」という意味にとって、レオンは遠慮がちに前へ出、土竜王の枕元へ近寄ると、床に片膝をついて一礼した。
「お初にお目にかかります。レオン……レオンハルトと申します」
「うむ、……うむ。余がバルトローメウス。まあ、見てのとおりの年寄りじゃ。このような
老人からやせ細った腕を差し出され、レオンが少し身を起こしてそのお手を取り、もう少し側へ寄る。
ハンネマンが脇から王の枕の位置を調整して、バルトローメウスの上体を起こす手伝いをしてくれた。
老王は「やれやれ」という風にひとつ溜め息をつくと、また改めてまじまじとレオンの顔を
「うむ、……なるほど。そなたは
聞けば、王は二十数年前、あの事件の起こる少し前に娘フランツィスカからの連絡を受け、ゲルハルトとムスタファの一派から命を狙われたヴェルンハルトたちを保護せんがため、兵を出す準備をしていたのだと言う。
つまり、表向き、風竜王のご家族が休暇のために別荘に向かうということにはなっていたが、あれは実際は、フランツィスカとレオンハルトを国外へ逃がすためのヴェルンハルトの策だったということらしい。
しかしながら、思った以上にことは早く進んでしまい、残念ながら父の手は愛する娘には届かなかった。
娘の悲惨な死を知ったバルトローメウスの悲嘆は、はかりしれないものだった。
娘の果てたその場所に、小さな王子の遺体もあったと聞いた時には、当時はまだ壮年の域だったこの王も、声をあげて号泣なさったとのことだった。
「無論、そなたがその身の証を立てる、なにがしかの品も持っておるのであろうな? ……うむ、
王はレオンが首肯するのを見て、満足げに頷いた。
クルトが思うに、それはあの、風竜王のつけていた「風竜の指輪」のことだろうと思われた。
老王の瞳は飽くまでも優しいもので、じっとレオンを見つめるその眼差しは、まさに祖父としての慈愛に満ちているようだった。
レオンの胸が、じんわりと温かくなったようだった。それは、こちらで魔法の力によってそれを見ているクルトにも伝わってくるようだった。
「ときに、レオンハルト殿――」
「いえ。どうぞ、『レオン』とお呼び捨てください」
レオンが静かな低い声でやんわりとそう言うと、バルトローメウスはますますにっこりと微笑んだ。老王が微笑まれると、皺の間にその目がまぎれこんで、どこにあるのかわからなくなるようだった。
レオンの手を握るその手に、さらに力が加わった。
「……そうじゃの。わが孫に『殿』付けは、いかにも無粋きわまりないわのう――」
「……はい」
「それなれば、レオンや。どうかそなたも、今後はこの老いぼれのこと、まことの爺いと思うて、何か困ったことでもあらば、遠慮のう頼っておくれ。……よいな?」
「……は」
(レオン……)
その瞬間、この様子を見つめているクルトも、ニーナも、多分、同じ気持ちになっていたと思う。
あの日、育ての親であるアネルから、彼自身の本当の出自を知らされたとき、「自分には本当の親はもういないのだ」と思ったレオンに、まだ血縁のある人が生きていてくれたのだ。
それも、彼の身をこうして案じ、無条件に愛してくれるお方がだ。
そのことは、どんなにかレオンにとって嬉しいことだろう。
クルトはちょっとべそをかきそうになってしまって、目をつぶったまま、慌ててぐいと目元を
バルトローメウスの声がまた聞こえる。
「ときに、レオン。もう一人、そなたに会わせておきたい者がおる。……呼び入れても良いかのう?」
「……は」
すると、ハンネマンがすぐに王に向かって一礼して、レオンたちが入って来たのとは別の扉へ向かい、そこを開けて、隣接する部屋で待っていたらしい人物を招じ入れた。
どうやらかねてより、レオンの出自を確認したらこちらへ入ってもらうつもりで待って頂いていたということらしい。
宰相の招きにより、静かな足取りで入ってきたのは、土竜国の王族が着る軍装をまとった、壮年の男だった。土竜の軍装は、黒地に金銀の縁飾りのついたもので、今の彼はそこに黒いマントを流している。
それは質の良さを感じさせる衣装だったが、決して華美でなく、全体にごく落ち着いたものだった。その様子はいかにも、この人物の人柄をうかがわせるように思われた。
やや癖のある砂色の髪に、茶色の瞳。体格は中肉中背といったところで、年相応な落ち着きがあり、浮わついたところの微塵もない佇まいである。
ハンネマンとファルコが、彼が入室してくるとすぐに頭を下げ、臣下としての礼をした。
レオンもそれに倣って一礼をしたのだったが、相手の男は少し慌てたように片手を上げて「ああ、どうか」とそれを制した。
寝台のバルトローメウスが、改めて穏やかな声で紹介をしてくれる。
「王太子、テオフィルスじゃ。年は離れておるのじゃが、そなたの母、フランツィスカの兄じゃから、そなたからすれば実の伯父にあたる者ということになる。テオ、こちらが
「おお。では、あなたが……」
テオと呼ばれた王太子は、そう言ってじっとレオンを見つめてきた。全体にやや地味な印象ではあるものの、ごく誠実そうな目の光をもつ男である。
父王の紹介に預って、王太子は改めてレオンに向かい折り目正しく一礼をして、軽く微笑んでくれた。
「お初にお目にかかります。テオフィルスと申します」
「レオンハルトです。こちらこそ、どうぞ、以後お見知りおきを」
やや堅苦しい挨拶が済むと、バルトローメウス王はようやく「やれやれ」といった様子になって、羽根枕に頭を沈めた。
「では、後の話はしばらくこのハンネマンに譲るでな。年寄りは少し、疲れてしもうた。すまぬな、レオン……」
「は、……いいえ」
ほんの少しの間だったが、老王は確かにそのお言葉どおり、たったこれだけのことでも相当にお疲れの様子に見えた。
そうして、側に立っていたハンネマン卿にそっと目配せし、ゆっくりと目を閉じられた。しかし、レオンの手は最前からそのままに、しっかりと握られたままである。
レオンは王の手を取ったまま、傍らの壮年の男に目をやった。
ハンネマンは王からの紹介を受けると、レオンに対して改めて低く礼をし、続く話を始めたのだった。
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