第2話 山師ファルコ
「なあ、レオン。どうすんの……? あのおっさん」
さりげなく焚き火の世話などしながら、クルトは小さな声で、隣に座る黒髪の男にこしょこしょと話しかけた。
白い竜の姿のニーナは、この男が近づいてきたことを早くに察知し、すでに森の中へと姿を隠している。どうやらこうしたことは、彼らの長い放浪生活の中で、すっかり身についた技術であるらしかった。
竜になったニーナは、人間の女性であるときよりも、遥かに感覚が鋭敏になるらしい。
「見たところ、あまり下手に断るのもあとあと面倒な人種らしい。ひと晩だけのことなら、我慢するさ――」
そうは言っていながらも、レオンも決して楽しげではなかった。
そればかりか、先ほどからずっと、そのひとつだけの瞳でじっと炎の向こう側に座っている巨躯の男を油断なく見やっている。
男は、名をファルコと言った。
茶色い短髪に、同じ色の無精ひげをぼうぼうに生やし、革鎧の胸当てをつけた、一見みすぼらしい
「
こんな夜の森、山奥に、大した装備もなしにたった一人で入ってくる、その理由は一体なにか。猟師や
さっきだって、男は大事そうに抱えている
その時、確かにその中から、ちゃりっと金属の音がした。
(なんっか、怪しいな……このおっさん)
つい先日まで、隣にいる隻眼の男をそう呼んでいたはずのクルトだったが、ここへきてその呼び名は、完全にこの新参者のものになっている。
男はそんな風に顔じゅうで「胡散臭い」と言っているクルトの様子を見てにやりと笑い、ちょっと顎を掻いて言い足した。
「いやまあ、ほんとは山師なんだけどよ。……ってもほれ、『詐欺師』っつう意味のアレじゃねえよ? ほんとの山師。こういう山やら丘やら崖っぷちなんかから、金やら銀やら、竜の遺物やらを探し当てるのが本業よ」
言いながら、男はくいと顎でもって、周囲の山並みを示して見せた。
「けどまあ、このご時勢、それだけじゃ喰えねえんでな。しょうがねえから、金持ちの商人やらお貴族さまなんかから、特に山ん中での落としもんとか、行方不明の誰かさんだとか、探すのを引き受けたりしてるってわけよ――」
そこでちょっと、男の真っ黒い瞳が意味ありげに光って、正面に座っているレオンのことをまっすぐに射抜いたように見えた。
が、レオンもしれっとしたものだった。
男のそんな視線に気付かぬわけはなかったろうに、彼は表情も動かさず、あっさりとそれを無視してのけた。
「明日は、日の出前に出立する。早く寝ろ」
そうして、クルトにだけ聞こえる声でそう言うと、レオンは自分もマントと上掛けに
それはそうだろう。朝になって、自分が黒馬に変わるさまをこの男に見られるわけには行かないのだから。
本来、彼は睡眠を必要としないのだが、こうして普通の人間の男のように眠る素振りを見せているのも、目の前の男に不審がられるのを避けるためであるらしかった。
「ああ、……うん。じゃ、おやすみ……」
クルトもそれ以上は何も訊かず、大人しく言われるまま、自分の寝床の準備に掛かった。これ以上は訊いても無駄だし、なによりあちらの男の不審を買うだけだった。
当然、夏は暑いわけだが、雪もそうは降らないし、しっかり体に掛け布を巻きつけて寝ていれば、風邪を引くような心配もなかった。
◆◆◆
翌朝、未明。
レオンにそっと揺り起こされて、まだ暗い中、クルトは目を覚ました。
焚き火の向こうをそっと窺えば、ファルコと名乗った男は
ちょっと不思議な気はしたが、クルトは黙って自分の荷物を手早くまとめ、レオンとともに足早にその場を後にした。
と、どこからか竜のニーナがぱたぱたと現れて、彼らの少し前を先導するようにして飛び始めた。レオンは、しばらく彼女と心で話をしていたらしかったが、やがてクルトを見下ろしてこう言った。
「どうやらあれは、追っ手らしい」
「えっ……!」
クルトはびっくりして、歩度を緩めない男についていくため小走りになりながらも、ぎょっと目を丸くした。
「誰の差し金かまでは、彼女にもわからなかったようだが――」
どうやらニーナは、あの男が横になり、目を閉じた瞬間を狙って、男に深く眠る魔法をかけたらしい。その際、少し男の荷物の中味なども覗いたのだと。
男のずだ袋の中には、何に使うのかも分からない、奇妙な形をした様々な道具が詰め込まれていた。武器になるような鉄の固まりや太い鎖などもあり、ニーナはすぐに「これは危険」と判断したということだった。
自分たちの前ではすっ呆けた顔をしていたが、あの男、なかなか侮れない相手のようだ。
クルトも、貰った干し肉にはもちろん手はつけていなかったが、さっさとどこかで処分したほうが良さそうだった。
「いつ、だれが、どんな手を使って俺たちを捕まえようと動いているかは分からん。用心するに越したことはない」
と、レオンが言い終わったときだった。
きれいな朝焼けに燃え立っていた東の空から、ぴかりと赤い朝の曙光が差した。
その瞬間、隣を大股に歩いていた黒髪の男の姿は消えて、そこにまたあの黒馬と、白銀の鎧を着た女剣士が立っていた。
「さあ、クルトさん。彼に乗せてもらいましょう」
ニーナがそう言って先にレオンである黒馬に跨り、クルトを鞍の上に引き上げてくれる。
そのまま、さらに山奥の方をめざして、三人は急ぎ足に進んでいった。
◆◆◆
「うわっ! なんでえ……」
男がぱっと飛び起きたとき、朝日はもうさんさんと森の梢の間から降り注ぎ、頭の上では朝の食事に忙しい鳥たちの声がにぎやかに響いていた。
もちろん、焚き火の周りには、あの黒髪、隻眼の男の姿も、彼の連れていた小さな少年の姿もなかった。
焚き火はすっかり、
「まさか、この俺がよ――」
少し呆然としながら、「いや、まてよ」と考え直す。
こういう仕事を長年やってきた勘とでもいうものが、「それは違う」と男の心に告げていた。
これでも、この国では一番の腕を誇る自分なのだ。ここ一番、眠ってはならない時に、こんな間抜けな失態を犯すはずがない。
(ちっ。魔法を使えるのか、あの兄ちゃん――)
どうも、そういう種類の男には見えなかったのだが、意外だった。
そもそも、どこの国でもそうなのだが、武術を使う人種と魔術に頼る人種とは、わりに明確な線引きが存在する。程度の差こそあれ、どこの王家においても、武官たちと、文官の一種でもある魔法官らとは相容れない存在であると聞く。
そもそも、両方の技術を習得して、共にそれなりの練度にまでなろうと思ったら、人の一生の七割以上の時間が掛かってしまってもおかしくはない。当然、両者には棲み分けが生まれるということになるのだった。
(あの兄ちゃんは、ぜってえ剣のお人だと思ったのによ……)
ぽりぽり頭を掻いてそんなことを考えるが、さしてがっかりはしていなかった。
第一、これで確かな証拠を掴んだも同然なのだ。人目を避けて逃げるということは、つまりそれだけ、後ろめたいことがある証拠。
このまま戻って、自分は自分の見聞きしたことを雇い主にあらいざらい話し、必要な報酬を頂けば話は終わり。
今回の依頼主は、別に彼らの捕縛まで望んでいるわけではないからだ。
(そりゃまあ、『うまく話をつけて連れ帰れれば、もっと多くの報酬を』たあ、言われてたがよ――)
正直、それに対する執着はあまりなかった。
あまりこうした「貴人がた」のごたごたに首を突っ込みすぎれば、こちらの命だって危うくなりかねない。適度なところで身を引くのが賢いやり方のはずだった。
そうしてあとはまた、別の依頼をもらって他の仕事をすればいいだけのこと。
……と、いつもなら考えるところだったが。
「ん〜〜……」
しかし、何かが妙に、男のそんな判断の足を引っぱった。
(そう言やあ、あの白い鳥……)
いや、遠目だったのでよく分からなかったけれども、あの生き物はなんだったのか。
自分が近づいてからあとは、男のそばに鳥の気配などはなかった。
(夜だしなあ……。鳥なら寝てる時間だし。となるとありゃあ、
いくら夜目、遠目だったからと言っても、自分が梟と他の鳥とを見間違えるはずがない。
どうも、気になる。
依頼主が欲しているのはあの隻眼の男のことだけだったけれども、どうもあの男、色々な秘密を抱えているように思えてならない。
(おっし。もうちいっと、調べてみるか――)
男はさっさと腹を決めると、懐から小さな革袋を取り出した。
そこから太い指先で小さな黒い粒を取り出す。
黒光りする、
(俺の虎の子、使わせるんだ。うまく後を追わせてくれよ)
にやりと口の端を引き上げ、男はごく下級の魔法である「追跡」の韻律を低い声で唱え始めた。この程度なら、まあ素材さえあれば自分でも操れないことはない。
魔法にも、こまかく分かれた等級がある。
下級魔法はこんなふうに、自分のような武に傾いた人間でも唱えられないこともない、わりに簡単な韻律の組み合わせで成り立っている。多少のこつは要るけれども、やってやれない話でもない。
ただ問題は、その素材になる「竜の結晶」が、やたらに高価な品であることだろう。
だから普通、一般的な庶民に魔法は扱えないのだ。
男はあの少年に与えた肉の、その匂いを追ってみることにした。
もちろん、途中で捨てられている確率は高い。しかし、あの小さな坊主は見たところ、けっこう食い意地が張っていると見た。そうそうすぐに、捨てはしないで持っていてくれていることを願おう。
まあ、いつまでもでなくていい。大体の方向さえつかめれば、あとは勝手知ったる土竜の山地である。この地域は、自分の庭のようなものなのだ。人馬が使える道など限られているのだし、自分に掛かれば逃げ切る目などほとんどない。
(ちいっと、俺を舐めすぎたぜ。片目の
隣国、風竜国の先王の息子、二十数年前に死んだはずの王太子が、実は存命だったという噂だ。
ここ、
当時の国王陛下のお嘆きは、それはもう見ている者らも涙するほどにおいたわしいものだったと聞いている。それほどに、彼女は父たる陛下から、愛し慈しまれた大切な王女殿下であられたのだ。
だから、もし、彼女の子である風竜国の王太子とやらが存命だというならば、彼は現土竜国王バルトローメウスの実の孫ということになる。
そういう血縁による人情のことも勿論あるだろうが、それ以上に、隣国の正当な王位継承者だということは、彼は今後、こちらが政治的に利用するための大いなる手札にもなりうるわけだ。
この噂がまことしやかに囁かれ始めて以降、王家やそこに仕える貴族連中が目の色を変えてその男を探し始めたのも、無理のない話だった。
ここ数年ばかり、なぜか
まあそうした政治利用うんぬんがなかったとしても、王の実孫を発見してそのもとにお連れすれば、王の覚えはめでたくなる。陛下からなにがしかの褒美やら権益の下賜、さらに地位の引き上げなども期待できよう。
さらにその王太子を使って、わが国にとって有利にことを運べるようにでもなれば、その貴族の家はより多くのうまみを享受することにもなるはず。
だがまあ、今の自分にはそこまでの話は関係ない。
自分はただの、雇われの「尋ねびと探し人」に過ぎないからだ。
(それにしても……。
だれが流し始めた噂なのかは分からない。
しかし、その青年は、故・風竜国王、ヴェルンハルトにそっくりの容姿をしているのだという。
黒髪に、翠の瞳。
長身にして精悍、そして使う得物は両手剣。
かつ、以前の不幸な事件によって、右目を失った姿であると。
(まちげえねえや。……あんたのこったよ、お兄ちゃん)
ファルコはにかりと、ざらつく顎を撫でてひとりごちた。
相当、わけありなのだろうとは思うが、ここで会ったが百年目だ。
こうなったらとことんまで、追いかけて正体を暴いて見せよう。
と、手元の黒い小さな粒が、ふわりと空気に溶けて見えなくなった。
と見る間にも、それがわずかな黒い霧のようなものに変わって、とある方向へと流れはじめた。
(……お。)
男はそれを見てにんまり笑うと、ずだ袋を無造作に肩に掛け、黒い霧の示す方角へ向けてのしのしと歩き出したのだった。
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