第15話 土竜の男
「そっか……そうだったのか」
ぱちりと、焚き火の
ついに、彼らの話は終わろうとしている。
「なんか……意外だった。雷竜国の王妃様まで、その儀式を、なんてさ――」
「……そうだな」
そこで儀式のために命を捧げられたのであろうその人は、今、少年にこの話をしてくれている黒髪の男の実の叔母でもあった方だ。
ここまで聞いただけの印象だと、雷竜王の正妃だったそのティルデという
しかしそれでも、やはり彼女も王族だったということなのだろう。
最後の最後、覚悟を決めねばならないその時には、その責任を果たすため、か弱い女性の王妃さまでさえ、決意を持って行動なさった。
彼女だってやっぱり、風竜国の王族なのだから。王族の矜持とは、つまりそういうことなのかも知れなかった。
クルトはそう考えると、少し悲しい気持ちになった。
王妃様たちはみな、ご自分の愛する者と、その夫の国のために命を捧げられたのだ。
そして、いまは小さな白い竜となっているこのニーナにも、その責任感は受け継がれている。
(もし……、もしも。)
いつか、もしも本当に、また国同士の大きな争いごとが起こってしまったら。
もしかしたらこのニーナだって、その王妃様たちと同じことをせねばならなくなるのかも知れない。
もしそれが、このレオンに関わることならなおさら、きっとその命を費やしても、彼を救うため、その「祈願の儀式」に臨んでしまうのかも――。
(やだ……俺。そんなこと――!)
ぐっと、拳を握り締める。
レオンはそんなクルトの気持ちを察したのかどうか、暗い闇に落ち込んでいる森の梢のほうを見るようにして、ぽつりと言った。
「ティルデ様もそれだけ、ご自身の侍女だったミカエラの件で、非常な責任をお感じだったということなのだろう。それに、甥である俺のことも、まるで実の母であられるかのごとくに案じてくださってもいたしな――」
だから恐らく、ブリュンヒルデがそうしたように、ティルデは雷竜神のもとに向かい、このレオン――つまり、風竜国のまことの王、レオンハルト――と、雷竜国の守護とを願い奉ったのに違いない。
そしてブリュンヒルデと同様、そのお命を供物に捧げた。
「お二方の尊い犠牲のお陰で、水竜国と雷竜国はある程度の魔力の加護を得た。以来、火竜の暴挙は相当に食い止められていると聞いている。最初に押し込まれた国境線も、十数ヤルド程度は押し戻したらしい。……とはいえ残念ながら、あの『蛇の尾』についてはいまだに返還されていないらしいがな」
レオンは訥々とそう言って、肩先でじっと話を聞いていた白い小さな竜の体を優しく撫でた。
「俺と姫殿下は、以来、
それはそうだろう。
あの王太子のことだ、またどんな手を使ってニーナを手に入れようと無茶な要求をしてくるか、分かったものではない。実際、先日はあの禍々しい馬車を作ってまで追っ手を放ち、もう少しでニーナを奪われるところだった。
あのことからも、その王太子のニーナに対する執着のほどが窺われるというものだろう。だから両陛下は、やむなく二人を行方不明の扱いにすることで合意したのだ。
愛娘をこんな形で手放すことになったミロスラフ王の心中を思えば、クルトはまた胸が痛んだ。
「以来、八年。姫殿下と俺は、あのミカエラを探しながら、こうして二人で生きてきた。いまだ性懲りもなく姫殿下を追う、アレクシスの手から逃れてな――」
「…………」
クルトはそれを聞いて、ちらりと小さな竜を見た。
ということは、ニーナはそれ以来、父上であるミロスラフ王にお別れも言えないまま、ずっとこんな旅を続けていることになる。
竜はクルトの視線を感じたようだったが、しかし「大丈夫よ」と言うように、レオンの顔に首を摺り寄せるようにした。
そんな様子を見て、クルトは少し、ほっとしたような気持ちになる。
(そっか……)
彼女は今、不幸ではないのだ。
「とても幸せ」、とまでは言えないにしても、それでも彼と共にいるから。
ずっと昔、二人が王女と臣下の士官だったころ、約束をしたその通りに。
『わたくしの側にいて、レオン。どんなことがあっても、何処へ行っても』
『何があっても、ずっと……わたくしの側にいて――』
クルトの脳裡に、薄青いドレスを纏ったとてもきれいな王女様と、水竜国下級士官の軍服を着た精悍な少年の姿が、ぱっと現れて消えていった。
決して、見たことがあるはずもないのに。
そしてそれを、何故か少しも不思議だとは思わなかった。
森は静かに、夜の闇に落ち込んでいる。
その場を照らす焚き火の明かりが、三人を包み込むようにして、あたたかな音を立てていた。
◆◆◆
のしのしと、大きな影が森を
木立の作り出す深い陰に覆われた山道である。
かたい猪皮を縫い合わせた短靴で踏みしめる足許には、もう暗い闇が落ち始めている。
隙なく鍛えあげられた健やかな筋肉が、そのみすぼらしい布と擦り切れた革ベルトの間から隆々と盛り上がっている。
短く刈り込んだこげ茶の髪に、獰猛な色を放つ漆黒の瞳。
うすく無精髭の生えた、たくましい顎。
やはりくたびれた革製の
日は傾きかけている。
そろそろ、今夜の
近くに綺麗な水場があり、煮炊きのしやすいちょっとした空間があって、森の獣どもやら山賊の襲撃があっても身を守りやすい立地となると、案外、森の中といえども限られてくるものだ。
人の住む集落に程近い場所であれば、たまには先客がいることもあるけれども、こうまで山奥となると、それは珍しい話だった。
(ここいら辺りに、小せえ泉があったよな。あそこは水が綺麗で便利なんだが、ええっと――)
と、過去の記憶を頼りに周囲を見回したときだった。
(……およ?)
もう暗くなり始めている森の中で、焚き火のものらしい光が木立ちの間からちらっと見えた。
そして、その近くに黒々とした大きな生き物の姿を認めて、男は変な顔になった。
(馬……?)
そうして何となく、足音をしのばせるようにしてそちらへ近づいた。
山道とはいえ、周囲はさほどの坂道ではない。道幅は広くはなく、ほとんどが猟師や
しかしそれでも、そこにいた黒い馬は場違いな感じがした。
男は仕事柄、馬の世話なども日常的によくやっている。が、別に
かなり遠目で、しかも周囲の暗い中ではあったけれども、それでも男は、その馬に違和感を覚えたのだ。
つまり、うまく言えないのだが。
(な〜んか、馬っぽくねえんだよな、アレ。)
そうだ。
ひとことで言ってしまえば、そんなような事だった。
その目つきや佇まいに、不思議な知性を感じるとでも言ったらいいのか。
まあ勿論、馬というのはもともと賢い生き物だ。人の顔色もよく見ているし、騎乗した人間の馬術の技能やら性根やらまで、乗せた途端に瞬時に判断してくれる。
事実、生っ
だが今、男が感じている違和感はそういう馬たちのものとは全く違う。
なにか無性に気になって、男は息を殺したまま、少し離れた木の陰からその馬の姿をそっと見つめていた。
やがてじりじりと太陽が山の
と。
(ん……!?)
男は我が目を疑って、思わず身を乗り出した。
今の今まで、そこに立っていたはずの黒馬が、まるで空気に溶けるようにして姿を消したのだ。そうして、馬が立っていた場所に入れ替わるようにして、黒いマントの男が姿を現した。
と見ると同時に、木の上からぱたぱたと白い鳥のようなものが舞い降りてきて、男の肩にすっととまった。
黒マントの男はそのまま、同行しているだれかと焚き火を囲んで、低い声で話をしている様子である。
男はここで、多少皮肉な言い方ではあるが、ようやく初めて気合をいれて、自分の気配を完全に消した。こういうことをするのも仕事柄、かなり得意なほうなのだ。
男はそのまま、猫がするよりも忍びやかな足取りで、抜き足差し足、そちらの方へ近づいていった。
大き目の木の後ろにしゃがみこみ、じっとマントの男の風体を眺めやる。
年齢に、背格好。
黒髪、隻眼、両手剣。
ここからでは目の色までは確認できないが、これは恐らく――。
(こりゃ……)
男は知らず、じわりと唇を舐めていた。
(運がいいぜ。どんぴしゃ、かもしれねえや――)
と、腹の底で思った時だった。
黒マントの男が、姿勢も変えずに横顔で言った。
「出て来い。そこの奴」
(……お。)
気がつけば、男の肩にいたはずの白い鳥のようなものの姿が見えなくなっている。
焚き火の向こう側にいたらしい小柄な少年が、どんぐり
(ちっ……)
男は、自分が珍しく下手を打ったことを理解した。そしてさっさと腹を
頭を掻きながらそこから立ち上がり、ちょっと両手を上げて見せながら、わざと無造作な足どりで前へ出てゆく。
「あ〜。
特に悪びれる風もなく、軽い調子で声を掛ける。
近づくにつれ、相手の男の顔がはっきりと見えた。
片側は黒革の眼帯に覆われているとはいえ、品のある端正な顔立ちは隠せていない。
そして、その目は。
(お〜、キレーな緑色。……間違いねえやな、こりゃあ。)
男は腹の中でほくそ笑み、顔では屈託のない笑みを作った。
「ちょっと、焚き火に当たらせてくんね? 夜の山ぁ、冷えるからよ――」
「探しもの」は、見つかった。
これで、あの土竜のお大尽様からの、残りの報酬は手に入ったようなもの。
(……ま、それもこれも、この
暗い殺気を沈めたような、相手の男の翠の隻眼を眺めつつ、男は無精髭の生えた顎をちょっと撫で、にかりと人懐っこく笑ったのだった。
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