第12話 火竜の剣 ※

 ひゅうひゅうと、広場に虚しい風が吹く。

 その中央で話し合う王族たちとレオンの姿を遠巻きにして、ぼろぼろの姿の水竜国の将兵たちがじっと無言で佇んでいた。


 と、にわかに上空に黒雲が湧き立って、ぐるぐるととぐろを巻きはじめ、その中心に稲妻が走りだして、虜囚の兵らやその刑吏である兵士らは驚きにどよめいた。


「うわっ……」

「なんだ……!?」


 彼らは思わず、枷の付けられた腕で頭をかばい、身を低くしている。

 兵らの驚愕も、無理はなかった。

 今の今まで、からりと晴れた空だったのだ。

 にも関わらず、両腕をあげて上空を見上げるようにした火竜の王太子の頭上に、唐突にそんなものが現れたのである。

 黒雲はあっという間に面積を広げて、やがてこの「蛇の港」の町をすっかり、覆い尽くすほどの大きさになった。真昼間であるというのに、周囲は夕暮れのように翳りだす。ひゅうひゅうと不穏な風が巻き起こり、放置されたままの商店の屋台を覆った破れた天幕布をばさばさとはためかせた。

 びしびし、ばちばちと雲の中から音がする。そこに、赤紫色の電光をまとった稲妻が閃くのを、人々は呆然と見上げていた。



 しばし、その黒雲を見上げていた王太子アレクシスは、彼だけに聞こえるらしい、何者かの声と話をしていたようだった。

 やがて、その顔が一瞬、苦悶に歪んだように見えた。

 しかしその次には、その顔にはいっぱいに、皮肉な笑みが広がった。


「ふ、……は、……はは、あはははは……!」


 王太子は顎をあげ、涙を流さんばかりの馬鹿笑いをしている。

 その哄笑は、酷くむなしく、周囲の空間を打ち続けた。

 やがて彼は、鬼の形相もかくやというような、まるで泣いているかのような恐るべき満面の笑みで、ぎらりとミカエラの方を見やった。

 さすがのミカエラも、そのあまりの鬼気迫る相貌に、ぎくりと身を竦ませたようだった。


「喜べ、風竜の魔女。火竜神おやじどのは、どうやら我がを、快くお受け取りくださるそうだぞ……!」


 ぎゃはははは、と、少しも楽しくなさそうな、いやそれどころかむしろ心に突き刺さってくるような、しかし紛れもない大笑の声が続く。

 それは、見る者、聞く者の背筋を寒くさせずにはおかないような響きだった。


 それが一体、アレクシスという青年にとってどういう意味を持っていたのか、その時のレオンやアルベルティーナには、分かろうはずもないことだった。

 しかし確かに、いまその王太子が火竜神と語りあう中で彼が差し出した「人身御供」は、彼が真実、心から愛し、大切に想う相手であることが立証されたのに違いなかった。


 そうして、それが立証されたと同時に、

 彼はその人を、たった今、永遠に喪ったはずだった。



(……壊れてしまえ。)


(滅んでしまえ……!)



 不意に、そんな赤子の泣き叫ぶ声のような、また悲鳴のような思念が、どっとレオンとアルベルティーナの心の中に流れ込んできた。

 しかし、二人にはそれがいったいなんなのかと、考えるいとまもなかった。

 次の瞬間、頭上の黒雲はその渦の早さを増して、赤い光を溢れさせ、周囲一体を真っ赤な色に染め上げたのだ。それと共に、アレクシスを挟むようにして立っていたレオンとアルベルティーナの体を、ねっとりとしたその赤い光が包み始めた。


(なんだ、これは……!)


 不思議なことに、それが明らかに、自分たちの体を侵蝕し、何らかの呪いを与えんとしていることははっきりと分かった。

 レオンは本能的に、姫殿下のほうへと走った。

 この呪いに気を取られてか、アレクシスは先ほどの魔力障壁を解除していたようで、レオンは呆気ないほどに、彼女の側へ近づくことが出来た。

 彼はそのまま、自分と同様、この気持ちの悪い光に体を包まれて呆然としているアルベルティーナの体を抱きしめた。彼女の方でも、反射的にレオンの体に腕を回して抱きついてきた。


 と、その時だった。

 どちらの体からともなく、抱き合った二人の中から青白く聖なる光が放たれて、今しも二人を包み込もうとした赤い光を跳ね返した。

 ぐぐぐ、と二つの光の力が拮抗し、ちょうど青白い光が繭玉のようになって二人を包んで、赤い光の浸食を食い止めている。


(これは……!?)


 と、驚くうちにも、腕の中にいたアルベルティーナ姫が叫んだ。


「お母様っ……!」


 そのひと言で、レオンもはっきりと理解した。

 これは、彼女の母、ブリュンヒルデが、あの「碧き水源ブラオ・クヴェルレーゲン」において行なわれた「祈願の儀式」で、水竜国の守護竜に祈り奉った加護の力に相違なかった。


「な、……に!?」


 その様子を見て、アレクシスもほんの一瞬馬鹿笑いをやめ、じっとこちらを窺う様子に見えた。


「その光……。まさか、水竜の……?」


 レオンはその機を逃さなかった。

 姫をそこに残し、一足飛びでアレクシスに突進して、肩先からその鳩尾のあたりに激突して突き転がした。そしてすかさず、相手の得物である腰の長剣を奪い取った。

 そのまま再び、姫の眼前に立ちはだかり、剣先をぴたりと相手に向ける。

 アルベルティーナ姫から離れても、レオンの身体は青白い水竜神の加護の光に包まれたままである。姫ご自身のお体も、同じ光に守られていた。


 アレクシスはほんの数瞬、虚を衝かれた様子だったが、すぐさま飛び起き、恐ろしい目でこちらを睨みつけてきた。


「貴様……! 少し甘い顔をしていれば……!」

 言うなり、がっと腕を上げ、今にもレオンを焼き殺そうとしたようだったが。

「殿下!」

 横あいからミカエラがそれを制するようにして鋭く叫んで、ちッと舌打ちをし、腕を下ろす。それでもぎらぎらと燃える竜のまなこは、重い殺気を孕んでレオンを睨み据えている。


下僕いぬが……!」

 吐き捨てるように言い放ち、アレクシスはじろっとミカエラのほうを見た。

「鬱陶しいわ、この小僧。さっさと呪いを完遂して、連れて行け」


 しかし、ミカエラもそうしたいのは山々ではあるのだろうが、火竜神の魔力と水竜神の魔力が凄まじい力で押し合いへしあいしている中で、思うようには自分の魔力を使えない様子だった。

 周囲には、二つの属性の激しいせめぎあいのためか、水蒸気の渦とともにきな臭いにおいが立ちこめている。

 アレクシスは大きく舌打ちをすると、右手をぐっと宙に突き上げた。


(なに……!)


 それは、我が目を疑う光景だった。

 アレクシスが持ち上げた手の中に、ばちばちとまばゆい赤い光が生み出されたかと思うと、それがしゅっと鋭く長い形を作り出し、次にはもう、それは真紅に燃え上がる一振りの剣になって彼の手に握られていた。

 その刀身がきらきらと光を反射するように見えるのは、どうやらその剣そのものが、「火竜の結晶」によって編み上げられたものであるからのようだった。

 紅くきらめく刀身には、流麗かつ精緻な竜の紋様が刻印されている。


「火竜のつるぎだ。これで相手をしてやるぞ、下僕いぬ野郎」

「…………!」


 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、もう目の前に王太子の剣が迫っていた。

 レオンはすぐさま、彼から奪った長剣で応戦した。がぎっと二つの剣が激しくぶち当たったが、奴の燃え盛る刀身にあたった場所から、こちらの剣はあっというまにじゅうじゅうと煮溶かされ始めるのだった。

 残念ながら、剣そのものには水竜の加護が働いていないらしい。それはもしかすると、もともとの持ち主がこの王太子であるからなのかもしれなかった。

 そればかりではない。

 王太子の剣が発する炎によって、レオンの着ている軍服も髪の毛も、ちりちりと端から焼かれて焦げ臭いにおいを発した。


(くそっ……!)


「やめて、殿下! その方は殺さないとのお約束よ……!」


 ミカエラが必死の声でそう叫ぶが、アレクシスはもはや聞いていない様子だった。

 ぎゃり、ぎいん、とふた振りの剣が数合噛み合う。


 正直なところ、相手が竜の眷属になったからなのか、アレクシスの剣勢は以前の数倍にも膨らんでいるように思われた。まともに剣を合わせていたのでは、剣そのものの炎熱のためばかりでなく、あっという間に刀身を折られてしまいそうに思えるほどだ。

 レオンはどうにか相手の剣筋を読みながら、それを受け流しつつ、じりじりと姫殿下の側から離れることに集中した。いや正直、それで精一杯といったところだった。


 そうこうするうちにも、レオンの身体はあちこちに浅い切り傷と、軍服には焼け焦げや破れが目立つようになってゆく。

 到底、互角などとはいえなかった。

 それでも、まだどうにか立っていられたのは、明らかに自分が今、水竜神の加護のもとにあるからだった。そうでなければレオンはとうに、地面に倒れ伏した躯にされていたことだろう。


「ええい、しつこい奴……!」


 対するアレクシスは、なかなかレオンに致命傷を与えられないことに苛立っている様子だった。とはいえ、剣筋には少しの乱れも、ぶれもない。

 それどころか、間断ない打ち込みをなすだけで息の上がりかかっているレオンとは対照的に、彼は息も乱していなかった。

 先ほどアルベルティーナに向けられていた嗜虐心が、いまはレオンに向かっている。

 火竜の王太子は明らかに、じわじわとレオンを傷つけ、弱らせて、じっくりと楽しみながら嬲り殺そうとしていた。


 アルベルティーナは自分も愛剣を抜き放ち、アレクシスにその切っ先を向けてはいたものの、ただ蒼白のまま、そこに立ち尽くしているばかりだった。

 それも無理はなかった。二人の青年がこうまで激しく打ち合うところには、そうそう斬りこめるものではない。自分が傷つくのも勿論だったが、それこそ下手なことをすれば、気を逸らしたレオンがアレクシスに傷つけられる恐れもあるのだ。


 しかし、ミカエラも黙ってはいなかった。少し離れた場所に退避して、遂にその「呪いの祈願」のための韻律を唱え始めている。

 濃緑のドレスを纏った腕を高々と上げ、いまの彼女の父である風竜神に向かって話をしている様子だった。


 が、彼女の様子にほんの一瞬、気を取られたことが、レオンにとってのあだになった。


 それは、ほんのわずかの間隙だった。

 アレクシスの紅く燃え盛る魔剣の先が、深々とレオンの右目をえぐっていた。


 勿論、水竜の加護あってこそ、それで済んだのだとも言えただろう。

 そうでなければ、剣先は恐らくレオンの頭蓋そのものを、とうに貫いていたに違いなかった。


「が、……あッ!」


 最初に感じたのは、凄まじい衝撃だった。

 次に襲ったのは、眼球から全身に走った炎熱だった。


「ぐ……あ、が、あああああああッ――――!!」


 レオンは雄叫びを上げて体をのけ反らせた。

 火竜の剣はそのまま上からぐりぐりと傷を抉って進められ、今にも脳髄に達するのではないかと思われた。

 火竜の魔力の凄まじい侵蝕を撥ね退けようと、体内の水竜の力が湧き立ち、必死にあらがっている。体を構成するすべてのものが悲鳴をあげて、レオンにそのことを教えていた。


 それはもう、熱さとか、痛みとかいったものではなかった。

 全身が発火して、霧散するのではないかと思った。


「レオン! いや、……いやあああああッ!」


 アルベルティーナ姫の布を裂くような絶叫が響いたつぎの瞬間、

 レオンは眼前が真っ暗になり、深い洞穴の中へ落ち込んでいく錯覚に捉われた。


 そうして、あとは何もわからなくなった。

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