第11話 呪いの祈願


「虜囚の将兵らの命を救って欲しくば、火竜の王太子アレクシスと、水竜の姫との婚儀をうけがえ。……いかがか」


 アレクシスのその言葉が、広場に響いたその瞬間。

 言葉にならない沈黙が、じっとりとその場を支配した。

 レオンの中でも、えもいわれぬ怒りのほむらが渦巻いた。


(問うというのか。今、この兵らの前で、それを姫に……!)


 あまりの憤怒で、目の前が暗くなりかける。

 そのようなこと、この姫が拒絶できるはずがない。誰よりも心優しく、王族としての責務もよく認識しておられる、この姫殿下が。

 この王太子は、それもこれも無論分かり尽くした上で、恥知らずにも真正面から、姫に婚儀を持ちかけているのだ。

 そしてこの場で、兵らの前で姫ご自身が「婚儀を望む」と答えれば、それは一応、曲がりなりにも本人の希望をれたというていになる。これで今後、姫に公的な文書でもしたためさせれば、なんらの国際問題にもならぬ。

 相当苦しいのは事実だが、少なくともそういう言い訳は立つわけだ。


(卑怯、千万……!)


 ぎりぎりと、奥歯が軋む。血の滲むほどに拳を握り締める。

 「自分の今の立場では」と半ば諦めかかっていたとは言え、よもやこんな風に、喉元に刃をあてて脅し上げるような形で頷かされる姫を目の前で見せ付けられようとは思わなかった。

 だが、それもこれも、自分の予断の甘さ、力の足りなさによるものだ。

 なにより自分の若さ、未熟さが招いたことに他ならない。

 この自分の不甲斐なさが、今こうして、姫殿下を窮地に陥れているのである。


(こんな風に失うぐらいなら……いっそ。)


 レオンの胸の奥底で、そう叫ぶ者がいる。

 それは、紛れもない事実だった。


 アルベルティーナ姫は、もはや全く血の気のない顔で、黙って相手の王太子のにやついた顔を見返している。体の両脇で握り締めた拳も、血の色を失って真っ白に見えた。


「ああ。しかし、せっかくでもあるし――」


 と、何を思ったかアレクシスは、またさらに笑みを深めて、じろじろと姫殿下の体を舐めまわすように見ながら言った。


「このたびはそちらから、『是非とも輿入れさせて欲しい』と言ってくれると有難い。ここで改めて俺とまみえ、恋心に火がついた、ということにでもしてくれれば、あとあと面倒もあるまいし」

「な……」


 レオンは絶句し、アレクシスをさらに睨みつけた。

 姫は蒼白のまま、やはり唖然として言葉を失っている。


 いったい、どこまで厚顔無恥なのか。

 確かに、父王に勝手に断りを入れられてしまったアルベルティーナ姫が、自分の意思として「王太子に好意を持ったので輿入れさせてほしい」と言って乗り込んできた、というていの方が、話は何かと滞りなく進むには違いない。


(しかし――!)


 レオンは頭の芯がかあっと熱くなるのを覚えた。

 少しでも前へ出ようとするのだが、やはり、熱い空気の壁のようなもののために一歩も前には出られない。

 レオンがそこで身動きも取れずにいるうちに、遂に姫が、意を決したかのようにぐっと顔を上げ、わななく唇を開きかけた。


「わた、くしは――」


 彼女は今にも、その言葉を言いそうだった。

 レオンの脳内に、大鐘が打ち鳴らされるような衝撃が走った。


(だめだ……!)


 いやだ。


 いや、許さん。

 そんなことは……決してだ。


 閃くように思った次の瞬間、

 レオンはもう、姫の言葉を遮るようにして言っていた。


「姫殿下。それでは、お約束が違います」


 アルベルティーナは、はっとしたようにこちらを見た。恐れと悲しみに満たされていたその瞳が、ふと怪訝なものになる。

 隣に立っているミカエラも、眉を顰めてレオンを見上げている。

 レオンは構わず、言葉を続けた。


「姫殿下は、この自分にお約束してくださったではありませんか」


 レオンは姫を真っ直ぐに見ながら、我が胸に手を当ててそう言った。

 王女は黙ってこちらを見つめ返していた。その瞳は、まだ不安げに揺れている。


「今はまだ、こんな身分ではありますが。いずれ自分が姫殿下に相応しき身分になれた暁には、必ずと――」


 自分でも驚くぐらいに、その言葉はさらさらとレオンの口から流れ出た。

 そしてそれは、さもそれが当然のことであるかのような、ごく静かな声音だった。


「え……?」


 姫は呆気にとられたように、ただ不思議そうにこちらを見ているばかりだった。

 レオンはそれ以上、姫が「何を言っているの、レオン」などと聞き返してくれぬようにと、ひたすら祈るだけだった。

 何しろ自分は、今までこうした「はったり」を人に向かって言い放った経験など一度もないのだ。あれこれと細かいことをつつかれれば、すぐにぼろが出てしまうことだろうから。

 レオンはずいと火竜の王太子に向き直り、奴を真正面から睨み返した。


「すでに内々に、ミロスラフ王陛下からもお許しを頂いている。アルベルティーナ姫はもう、自分と将来を言い交わした仲だ。たとえ火竜の王太子殿下といえども、くだらぬ横槍は遠慮してもらいたい」


「なんだと……?」

「なんですって……!」


 驚愕の声は、二つ同時にこぼされた。

 アレクシスのそれは、単純に驚きと忌々しさによるものだったが、ミカエラの全身は一瞬のうちに、暗い炎に燃え上がったように見えた。


「なんてこと……! その女、もうそんなことまでやっていたの……!?」


 恐ろしい目で射すくめられたように、アルベルティーナが沈黙のまま、そこに立ち尽くした。その瞳が、じっとレオンに当てられている。

 彼女は彼女で非常にもの問いたげではあったけれども、不思議とどこかその奥に、浮き立つような感情が仄見えたような気がした。それを見て取って、レオンは少し安堵した。

 対するミカエラは、もうとてもそれどころではない様子だった。まさに怒り心頭、恨み骨髄の形相である。


「曲がりなりにも王女の癖に、なんって、手の早い……! 下衆げすの極みね、この、盛りのついた雌ネコ女……!」


 ぎりぎりと歯噛みをして、今にも姫を殺しそうな勢いだ。

 ミカエラの目の中に、くわっと口を開けるようにして金色に光るあの竜の眼が現れて、その体を包む瘴気のようなものが一層黒さを増したようだった。

 ぐっとその片腕を突き出し、アルベルティーナ姫に向けている。


「呪ってやるわ……! もう二度と、誰の妻にもなれないような体にしてあげる! 臭いもの、汚いもの……その心のとおりの姿にしてやるわ。あんたなんて、あんたなんて……蛆虫か何かにでも、なってしまえばいいんだわ――!」

「やめんか、バカ女! 頭を冷やせ」


 鋭く叫んだのは、アレクシスだった。

 彼の瞳にも、ミカエラ同様の竜の虹彩が浮かんでいる。彼にしてみれば、せっかく手に入れようとしている美姫をむざむざ、味わう前からそんな姿に変えられたのではたまらないということだろう。


「そもそも『呪いの祈願』には、お前の風竜神おやじどのとて見返りを求められよう。これは、単純な攻撃魔法や防御魔法とは訳が違う。我ら竜の眷属だとて、見返りなしにそこまでの魔力の使用は許されん。貴様、いったい誰を人身御供ひとみごくうにするつもりだ」

「う……」


 冷ややかな王太子の言葉を受けて、ミカエラはぐっと言葉に詰まった様子だった。


「そこの下僕いぬの男ぐらいしか、貴様が捧げられる者はおらんのではないのか? そいつを犠牲にしてまでも、姫を蛆虫に変えることになんの意味がある。いい加減にしろ」

「…………」


 ミカエラは一言もないようで、ぎりぎりと歯を噛み締めるようにして沈黙した。


(『呪いの祈願』……? 『人身御供』――)


 言葉の端々をつなぎ合わせて考えるに、それはどうやら、この「竜の眷属」たる二人でも、あの王妃ブリュンヒルデが行なったような「祈願の儀式」に類する手順が必要なことらしい。そしてそれにも、やはり竜たちは貴重な見返りを求めるのだろう。

 つまり、祈りびと自身の命あるいは、その者の心より愛するなに者かの命をだ。


 そうして幸いなことにと言うべきか、ミカエラには風竜神に対して捧げることのできる、価値ある人間がいないらしい。どうやらここで彼女が捧げられるのは、レオンその人しかいないということのようである。

 そしてレオンを捧げてしまえば、彼女がアルベルティーナを害する意味もないどころか、彼女自身の生きる意味すらなくなってしまうことになるはずだった。


「くだらん女の浅知恵で、俺を振り回すのは勘弁しろ。少しは頭を使え、風竜の魔女」


 アレクシスはさも苦々しげに言い放った。そしてゆらりとその体を揺らすようにして、一歩、また姫殿下に近づいた。

 びりっと、姫が体を緊張させる。レオンも、はっと身構えた。


「要は、こやつらを決して添えぬ体にすれば済むことだ……。そうであろうが? 風竜の魔女。こやつらが女として、また男として、決してつがえぬ体にしてやればいい。そうかと言って、俺やお前が添えぬわけでもない体に、な――」


 王太子は不気味な竜眼をすっと細め、白手袋をした指先で顎をなでながら、なにやら思案する様子だった。

 そうしてやがて、にやりと笑った。


「……そうだ。こういうのはどうだ?」


 そして王太子は、遂にその忌まわしい思い付きを明らかにした。

 すなわち。


「女は昼に。男は夜に。人として生きられる、その分限を隔てるのよ。女は夜に、男は昼に、人ではない生き物としてしか生きられん。……それならば、すべてが丸くおさまろう」


「それは……!」

 ぱっと、ミカエラが顔を輝かせた。とは言えそれは、限りなくくらい光を湛えた笑みだった。

 アレクシスがさらに楽しげに言葉を継ぐ。


「それならば、お前にも呪いの半分は行なえよう。つまり、言わばそこの男のを、俺が半分貰い受けるわけだからな。それを使えば、お前にも姫の姿を変える呪いぐらいは行なえるやもしれん。男のほうは、風の竜神おやじどのの末裔だという話だから、あちらで呪うのを拒絶される恐れがある。したがって、俺がやるのが穏当だろう」

「ああ……! そうですわね。さすがはアレクシス様ですわ……!」


 レオンとアルベルティーナは、アレクシスがまるで算術の問題でも解くようにして冷静に様々の判断を下してゆくのを、ただ愕然として聞いていた。


(何を、言っている……?)


 嬉々として小躍りせんばかりのミカエラの隣で、レオンは声をなくしていた。

 この人であることをやめた生き物たちは、自分と姫殿下をも、その呪いによって人でないものに変えようというのだろうか。それもただただ、己が欲望を満たさんがために。

 そして、今の話を聞く限り、この者らは自分たち二人の時間をわかち、互いに昼と夜、二つの時間に別の生き物に変化へんげするという、恐るべき呪いをかけようと画策しているらしい。

 アレクシスがその呪い全体の制御をし、二人の時間の分限を分けてレオンの変化へんげを担当する。一方でミカエラが、レオンの「人としての命」すなわち時間の半分を使用してアルベルティーナに変化へんげの呪いを掛ける。

 つまりは、そういうことのようだった。


(しかし――)


 レオンの頭を掠(かす)めたその疑問は、ミカエラが先に口にした。

「けれど、王太子殿下。人身御供はどうするのです? あなた様には、どなたか捧げるお方がおありなのですか……?」

 すると、何故かふと、アレクシスの瞳が微妙に揺らいだようだった。

「まあ、……それだな」

 その声には、また先ほどまでとは色合いの違う何かの皮肉が、大いに織りまぜられていた。

「ことによると、火竜神おやじどのには『こんなものは役に立たん』とばかり、突き返されるだけのことかも知れん。だがまあ、一か八かだ――」


 その時のアレクシスの心中に何が、つまりどんな「人身御供」の姿がよぎっていたのかなど、誰にもわからないことだった。

 しかし、レオンは確かに、彼が口の中で呟いたその声を聞いた気がしたのだ。


 「これ以上、あの女を生かしておく意味もないしな」……と。


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