第10話 虜囚たち ※

 アレクシスについて防壁の下へ降り、もとは街路だったはずの道をゆくうちに、次第にアルベルティーナの顔からはさらに血の気が引いていった。

 それは、普通であれば彼女のような身分の姫殿下が直接目にすることなどないはずの光景だった。


 「蛇の港」は、周囲を防壁に守られているばかりでなく、敵の攻撃を想定したつくりになっており、その道は決してまっすぐに町を突っ切るようには敷かれていない。むしろぐねぐねと曲がりくねり、よく知らない者が入り込むと簡単に道に迷うような仕掛けがあちこちに施されている。

 にも関わらずアレクシスは、すでにここに何度も足を運んでいるものらしく、すいすいと勝手知ったる様子で歩を進ませてゆく。


 すでに戦闘やその後の暴虐によって死んだ者らの躯はとり片付けられているらしかったが、道のあちらこちらにはおびただしい血糊のあとや壊された家屋が見え、街の空気の中には血と腐った肉の臭いがむわっと立ちこめていた。

 やがて四人は少し道幅の広いところへ出て、さらに街の中央部に向かって進む。

 そこへ近づいてゆくうちに、道の両側に奇妙なものが突き立っているのが見え始め、レオンは思わず、姫の肩をまた引き寄せた。


 「お見せしてはならない」、と本能的に思った。

 しかし実際、それは不可能だった。

 レオンが姫の視線をそらそうとしたその時には、もう彼女はその碧い瞳をいっぱいに見開いて、そこに驚愕の色を浮かべていたからだ。

 前を行くアレクシスがそんな二人をちらりと見返って、ふんと片頬を歪めたようだった。王太子は別に歩度を落とすこともなく、そのままずんずんと林立するの間を進んでゆく。


 アレクシスが近づくと、それらの上からばさばさと羽音を立てて、死肉を食らう大きな烏どもが飛び立った。そうしてそのままぎゃあぎゃあと、さも不満げに不気味な鳴き声をあげて上空を旋回している。


 それは、長い槍の先やら棒杭の上に突き刺された、人間の頭部だった。

 男や老人のものがほとんどのようだったが、中には女や子どものものもある。すでに腐って傷みかけたそれらの首は、上空を舞う黒い烏どもの餌になり、もはや相当、原形をとどめてはいなかった。

 それでもその目は恨めしげに、虚空をかっと睨んで果てた、苦悶そのままの表情を浮かべているようだった。


 アルベルティーナ姫は、レオンがその肩に掛けている手を、さりげなく放させた。それは彼女の、王族としての矜持と責任感によるものだったのかも知れない。彼女は、それらが何であるかを認識してはおられるようだったが、ただ黙りこくり、唇を噛み締めて歩き続けていた。

 レオンもやむなく、姫のすぐ後ろから黙々と歩くしかなかった。

 ミカエラはさらにその後ろから、姫に対してじっとりと皮肉げな視線をあてながらついてくる。


 他の道もすべて同様だということではなかったようなので、アレクシスは明らかに、この道を選んで自分たちを案内したということらしかった。

 ごく涼しげな顔のまま悠々と前を行くその王太子の背中を、レオンはきつい視線で睨みつけつつ歩いた。視線に物理的な力があるのだったら、とうにその王太子の赤いマントには大穴があいていたのに違いなかった。


 やがて、一同は街の中央部、もっとも開けた地点に着いた。

 そこはもともと、街でもっとも大きないちが開かれる広場だった。今はその周りにも、ぐるりと串刺しにされた人々の遺体や頭部が取り巻いている。


 と、がらがらと重い車輪の音がして、太い木製の柵で囲われた檻馬車が何台か、その広場を横切っていった。先頭の馬車の御者台にいるのは豪奢な身なりをした太った中年男で、いかにもその一団の長らしかった。

 そして、その檻の中には、虚ろな目をした女こどもが、ぎゅうぎゅうに詰め込まれるようにしてしゃがみこんでいた。みな、髪の毛をふり乱し、全身土埃に汚れた姿だ。まともに衣服を身につけている者など、一人もいない。そして皆、首に太い鎖のついた大きな枷をかけられていた。


「…………!」


 それを見たアルベルティーナ姫の顔が、見る見る引きつったのが分かった。レオンは、思わずそちらへ駆け出そうとする彼女の腕を、急いで掴んで引き止めた。

 姫はぱっとレオンの顔を見上げた。その碧い瞳には、怒りと悲しみが満ち溢れていた。レオンはしかし、黙って首を横に振った。

 今ここで、あれを「やめよ」と言ったところで、何がどうなるわけもない。この場にあの者ら全員を買い取れるだけの金子や財宝を持っているというならいざ知らず、こんな着の身着のままで連れてこられた自分たちに、何を言う権利もない。

 いやもちろん、姫とてそんなことは百も承知のはずだった。


「…………」


 姫殿下は、しばらくそのままレオンとにらみ合うようにしていたが、やがてかくんと肩を落とし、腕から力を抜いた。レオンも黙って、姫の腕から手を離した。

 檻馬車の一団は、こちらの様子になど気付かぬふうに、皮肉なほどに派手な車輪の音をたてながら、街の外へ向かって走り去っていった。


 二人がそうするうちに、アレクシスはやってきていた火竜兵に何事かを命令していたらしかった。そこで少し待つうちに、建物の向こう側から、がしゃがしゃ、ざくざくと多くの人の歩いて来る音が聞こえ始めた。


(この、男――)


 レオンは思わず両の拳を握り締め、奥歯をぎりっと軋らせた。

 彼にはもう、この時点で嫌な予感のほか、なにもありはしなかった。

 思ったとおり、それは火竜兵らに引っ立てられて連れてこられた、水竜国軍の捕虜たちだった。

 火竜兵らは手に長い鞭を持ち、のろのろと歩く者には容赦なく、その鞭を振り下ろしていた。ぴしりとその音が響くたび、打たれた兵士が悲鳴をあげた。


 彼らの着ている水色や紺色をした水竜国兵の軍服はすでに血と泥で汚れきり、あちこちが裂け、上半身裸でいるような者や、軍靴を履いていない者もいた。

 ろくに食事もとらせてもらえていないらしく、みな真っ黒に汚れた顔に白い目ばかりぎょろぎょろさせながら、よろよろと歩いて来る。

 虜囚の兵たちは腕や首を木の枷で戒められ、互いに鎖でつながれている。彼らが歩くたび、その鎖がじゃらじゃらと足もとで音を立てた。


 彼らの一人が、ふとこちらを見て「姫殿下」とひと言いったのが聞こえたかと思うと、彼らは驚いて、棒立ちになって彼らの姿を凝視している、美しい姫のほうを見た。


「ひめ、でんか……」

「いや、まさか……」

「いや、まちがいない、姫殿下だ」

「アルベルティーナ姫殿下……!」

「でも……どうして、姫がこちらに――」


 疲労困憊して弱々しい声ながら、困惑した彼らの声は、ざわざわとその広場を満たした。

 姫の顔には、もはや血の気などなかった。

 彼女はじっとその場に立ち尽くし、着ている軍装の裾を握り締めるようにして、薄汚れた臣下の兵たちをただひたすらに凝視していた。


「……さて。役者は揃ったな」


 やがてアレクシスがそう言うと、ずいとアルベルティーナの側へ近づいて来た。

 レオンは反射的に、彼と姫との間に立った。


「邪魔だ。どけ」


 アレクシスはさも不快げに片目だけをすうと細めると、指先をほんの少し動かした。

 すると、熱い空気の圧力のようなものが全身を襲い、レオンの体は呆気なく吹っ飛ばされた。

 ちょうど、そこにはミカエラがいて、レオンの体が少し当たってよろめいた。ミカエラが高い悲鳴をあげた。


「きゃ! ちょっと、殿下。レオンハルト様には、無茶はなさらないでって申し上げたではありませんか」


 不満げに、しかし随分と打ち解けたような様子で翠の女が不平を鳴らす。しかし、アレクシスはそんな彼女の言い分を空気のように無視してのけた。

 いまやこの狂気じみた王太子は、目の前のアルベルティーナのことしか見てはいなかった。じりじりと姫との間合いを詰め、両者の間は、もう腕を伸ばせば届くほどの距離になっている。


「姫殿下――!」


 レオンが叫んで、再びそちらへ向かおうとしたのだったが、今度は先にかの王太子がこちらに向かっててのひらをかざしていて、どうやってもそれ以上、そちらに進むことが叶わなかった。

 ちょうどそこに、熱い空気の壁があるような感じだった。

 アルベルティーナは唇を引き結び、蒼白ではありながら、それでも眼前の不気味な王太子から一歩も退く様子はなかった。

 王太子がまた、にやりと片頬を持ち上げる。


「相変わらず、気丈だな。……だが、そのお高くとまった顔が、いったいいつまでもつものやら――」


 彼奴きやつの目には、どろどろとしたあらゆる感情が蕩けて渦巻いているように見えた。

 やっと手にした獲物を前に、さあ一体この女をどうしてやろうかと、その心は今まさに、嗜虐の炎に燃え上がっているのに相違なかった。

 対するアルベルティーナ姫は、こんな場にあってもなお、美しかった。蒼白にはなりながら、その柳眉をきりりと引き締め、じっとアレクシスを睨みつけている。しかしそうでありながら、今の姫は、どこかとても悲しげだった。


「どうしようというのです、アレクシス殿下。このようなことまでなさって……いったい、何をお望みなのです」

「…………」


 なぜかその時、アレクシスがぴたりと動きを止めた。

 そして、レオンは見た。

 その唇が、微かに「なにを」、と動いたのを。


 彼がその時、何を思ったかなど分かるわけはない。しかし。

 アレクシスはその一瞬、その金色の瞳を揺らし、やや呆然としたようにアルベルティーナ姫を見返した。と思うと、次にはもう、全身からたぎるような憤怒の気を迸らせていた。

 それは真っ黒い霧のようになって立ちのぼり、本当に目に見えるのではないかと錯覚するほどのものだった。


「俺が、だと……? 貴様に、なにが……!」


 ぎりぎりと、大きめのその犬歯をむき出すようにして王太子が唸る。鬼気迫るそのかおに、さすがの姫殿下も少しひるんだ様子だった。

 彼女の言葉の何が、この竜人と化した王太子の逆鱗に触れたのか、それはまったく分からなかった。しかし明らかに、彼は彼女の言葉のどこかに、非常な怒りを覚えたように見えた。

 が、今にもその怒りのままに掴みかかるかと見えたアレクシスは、逆にふいと踵を返して、広場に集められている水竜兵の捕虜たちを見た。


「これから、奴等に選ばせる。まあ、毎日やらせてはいるんだがな」

「え……?」

 怪訝な顔になったアルベルティーナのことなど一顧だにせず、アレクシスは言葉を続けた。


「この中から、明日の朝一番にに罹る奴を選ばせる」

 その言葉が、あまりにさらりと紡がれたため、レオンは初め、彼が何を言ったのかすぐには理解できなかった。

 しかし。


「な……っ」


 それが理解できるにつれて、アルベルティーナが目を見開いた。

 彼女と同様、レオンも不覚にも戦慄した。

 この男は明らかに、毎日、次なる処刑者を虜囚ら自身に選ばせていると言ったのだ。


「な、……なんという……!」


 アルベルティーナの震える声など、王太子は綺麗に無視した。さして面白くもなさげな顔で、ちょっと顎など掻きながら言葉を続ける。


「はじめのうちは、重傷者やひどい病に冒された者らを選んでいたようだったんだがな。その場合は、本人がそれを望んだようなことも多かったらしいのだが。しかし、見ての通り、そろそろ今日あたりからはそういう訳にもいくまいよ――」

「…………!」


 見れば、集められた虜囚の兵たちは、青ざめてやつれた顔で互いの顔をおどおどと見比べるようにしながら、所在なげにそこに立ち尽くしている。彼らは王太子の言の通り、痩せ疲れては見えたけれども、見たところどこかに怪我をしている様子もなく、一応は元気な青年らであるようだった。

 その態度は明らかに、彼らが今からここで何が行なわれるのかを理解しているものだった。一様に青ざめて、「次は誰を選べばいいのか」あるいは「次こそ自分になるのでは」と、恐れ思い悩む顔、顔、顔である。


 彼らのそんな顔を見るだけで、レオンの鳩尾はきりきり痛むようだった。

 しかし当のアレクシスは、むしろあっけらかんとしたものだった。


「一応は、どんながいいのかぐらいはこやつらに選ばせてやっている。各種拷問の上で車裂き、鋸引き、火刑に磔刑、その他もろもろ……まあ、どれも取り立てて楽に死ねるというものでもないんだがな――」


 その言いざまは、まことに「どうでもいい」と言わんばかりのものだった。

「…………」

 アルベルティーナ姫はもう、土気色の顔になって今にも倒れんばかりである。レオンはそんな姫のもとに駆け寄りたいのは山々だったが、あいにく王太子の魔力障壁によって、今もまだ一歩も進むことができずにいた。


「と、言うわけで、ものは相談なんだがな、水竜の姫」

「…………」


 姫はのろのろと、目の前の王太子の顔を見返した。

 そのお顔は、もう彼の次の言葉を聞くまでもないという表情を浮かべていた。

 火竜の王太子のほうでも、そんなことは承知の上だったろう。

 それでもこの王太子は、勿体ぶるようにして、ゆっくりと姫殿下にこう言った。


「この場でもう一度、貴様の父に訊ねた問いを繰り返すぞ」


 その声はいかにも朗々として、広場にいるほかの将兵らにもしっかり届いたはずだった。


「虜囚の将兵らの命を救って欲しくば、火竜の王太子アレクシスと、水竜の姫との婚儀をうけがえ。……いかがか」


 その瞬間。

 言葉にならない沈黙が、じっとりと広場を支配した。

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