第3話 水竜の姫

 しかし。

 結果から言って、アレクシスの計画は、そのほとんどが失敗した。

 なにがその原因だったかと言えば、何よりも、その相手の水竜の姫の存在が大きかったのかも知れない。



 雷竜国で催された「親睦の宴」に、アレクシスは敢えて遅れて行った。そうすることは父ゴットフリートの望みでもあった。

 ともかくも、他国に舐められてはならないのだ。もちろんアレクシス自身、他の有象無象の王子らと自分とを同列に見られるのは、我慢がならなかったというのも事実である。

 遅れて入室したアレクシスは、また敢えて傲岸不遜そのものの態度で雷竜王はじめその場の皆に挨拶をしてやったのだったが、そんな自分を詰るように、ひときわ鋭い瞳で見つめてきたのが、例の水竜の姫だった。


(ほう……これは。)


 目の端でちらりと見ただけでも、彼女は息を飲むほどに美しかった。

 非常な深い色を湛えていると言われる、水竜国クヴェルレーゲンの水源を思わせるような碧い瞳に、蜂蜜色のつややかな髪。見たところほっそりとはしているが、芯の通ったきりりとした立ち姿。

 どれをとっても、アレクシスの心にまっすぐに斬りこんでくるような、峻烈な力を持っているように思われた。その姿を見るだけでも、普段から武術によって鍛えているというのはただのはったりということではなさそうだった。


 しかし、見目の美しさだけで言うのなら、その少女に関してアレクシスが驚くべき点は、何ほどもなかったのかもしれない。なにしろ彼は、父王があの火竜の宮に囲っている女たちを毎日のように見慣れているのだ。あの奥の宮には、それこそ国じゅうから集められた美姫たちが、これでもかと溢れかえっていたのだから。


 だから、アレクシスがアルベルティーナ姫から感じる「美しさ」は、恐らく、見た目のみのことではなかったのだろう。

 事実、まだ幼い弟王子の代わりに、雷竜王や他国の王子の質問に答える姫の言葉は、控えめで品がありながらも非常に的を射ていて、かつ簡潔だった。そのことは、彼女の育ちの良さ、受けてきた教育の高さ、そして聡明さを十分に窺わせるものでもあった。

 そうして、彼女が隣に座る幼い弟を気に掛けて、なにやかやと声をかけ、世話を焼いては優しく微笑むその顔が、まるで輝くように華やいで見えた。


(なんだ……? こいつ。)


 アレクシスの胸に、もやもやとどす黒い血の染みが浮き出るような感覚があった。

 それは時間が経つにつれ、次第にはっきりとした痛みに変わってゆくようだった。

 それは、一体なんだったのか。

 自分は、いまだに分からずにいる。

 それに、その時は自分の胸の中に起こったその異変を、そこまで深く考える余裕もなかったのだ。


 ともかくも。

 アレクシスは、宴の間で雷竜王エドヴァルトをはじめ、他国の王子らがあれこれと下らぬ話に花を咲かせている間じゅう、気がつけばずっと、その姫の姿を見つめていた。

 姫はもちろん、その視線に気づいているらしかったが、敢えてこちらを見ようとはしなかった。その眉間はさも不快げにひそめられていて、彼女がもう一刻も早くここから去りたいと願っているのが丸分かりだった。


(……みずから、招くか?)


 たちまちのうちに、アレクシスの胸に、たぎるような嗜虐心が湧き起こった。

 逃げ回る獲物ほど、追ってたのしいものはない。

 「こいつは狩る」と、その時決めた。


 まあ、もともと攫うつもりでここへ来たわけだから、その言い方はあまり正確ではなかったのかも知れない。だからそれは、もっと具体的な意味でのことだった。

 あれほど父王に釘を刺されてはいたが、必ず自ら、その虫唾の走るほどに「清らかな」身体を汚してやろうと。その、これ以上高貴になれないほどに取り澄ましたその顔を、痛みと屈辱によって歪めてやろうと。

 自分のこの手で組み敷いて、それは無様な姿で泣き喚かせてやるのだと――。



 「親睦の宴」がお開きとなり、アレクシスは急いで自分の兵らを集めに掛かった。

 雷竜王からは一個小隊、五十名までと数を切られていたのだったが、ずっと以前からこちらの国に忍ばせていた密偵やら、商人の姿などに身をやつして入国させておいた兵らを合わせ、手勢は三百余名いた。

 それらの兵をひきつれて、すぐさま水竜の王族が逗留している、あの離宮を囲みに走った。


 その後はあの暢気のんきな水竜兵らをあの手この手で刺激して、あちらから手を出すように仕向けさせた。

「せっかく我が王子殿下が水竜の姫と仲良くいたそうと、わざわざこんな所まで出向いて下さったのではないか」

「属国、水竜ごときの王族づれは、有難がってお受けするのが筋であろうが。すぐにも丁重にお迎え申し上げねばならぬところよ」――

 まあともかくも、離宮の門前にあって我が兵らはそんな調子で、したい放題、言いたい放題、相手の姫や王子を貶めて、散々に挑発してくれたものだった。


 結果的に、遂に水竜国の若い士官が激昂し、こちらの兵の一人に拳を上げた。そこまでさせるのに、大した手間は要らなかった。

 あとは一気に、離宮になだれこむだけだった。


 遂にあの姫の篭城している部屋にたどり着き、そこに入って彼女を見た瞬間、アレクシスは先ほど覚えた嫌悪感が、さらにその度合いを増して自分を打ったことに気付いた。

 アルベルティーナ姫はその美しい碧い瞳から怒りの炎をほとばしらせるようにしながら、ドレス姿で自分の得物らしい長剣を構え、こちらにぴたりと切っ先を向けていた。

 彼女の背後では、その弟である王子がむせび泣き、他の女官らと抱き合ってへたりこんで震えていた。


(こ……の、虫けらどもが……!)


 その時、自分の胸に去来したものは、いったいなんだったのか。


 背後にうずくまる幼い少年。

 それを女の細腕でただ一人、必死に守らんとする姉の姫。

 その図がどうにもこうにも、アレクシスのはらわたいたのだ。


 己が、なににそこまで激昂したのか。

 アレクシスには、分からない。

 いや、無意識にも、分かることを拒んだのかも知れなかった。


 ただその時には、ただひたすら、目の前に展開されているその図を引き裂いてやりたかった。それこそ、完膚なきまでに、ずたずたにだ。


 しかしそれは、あの忌々しい翠のをした武官の少年に妨げられた。

 初め、「どこかで会ったか」と不審に思ったものだったが、後から思えばあの相貌は、雷竜王の妻にしてもと風竜国の人、ティルデ王妃に非常によく似ていた。

 アレクシスがその理由を知るのは、まだもう少し先のことになる。


 ともかくも、その少年の閃くような剣勢に阻まれているうちに、雷竜王からの援軍の知らせが届き、アレクシスは残念ながら、なんの手土産も持つことなく、その場を去るしかなくなったのだ。



◆◆◆



「あれほどの大口を叩いておきながらの、この体たらく。どのように贖うつもりだ――!」


 火竜国王、ゴットフリートの怒りは、凄まじかった。

 長兄と次兄はその横で、だぶついた腹を震わせて、さも嬉しげに揶揄の言葉を投げつけてきた。

「さすがは側妾の子、頭の弱さは如何いかんともしがたいですな。やることが杜撰にすぎる」

「いかにも濁った血の王子の考えそうな、愚かな穴まみれの作戦にございました……」

 そして思うさま、哄笑によって嘲られた。


 父王は水竜と雷竜からの抗議の書簡に対し、事前に約束していた通り「愚息の短慮によること。余はいっさい預り知らぬ」と一蹴し、彼らの不満を退けるため、アレクシスに「相応の処断」を下した。


 すなわち、「火竜の刑」に処したのである。


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