第2話 提案

 結論から言えば、その雷竜国ドンナーシュラークの「親睦の宴」の出席者として白羽の矢が立ったのは、第三王子アレクシスだった。

 王太子や第二王子を向かわせるというのは危険きわまりない話であって、二人を除外するのは当然のことだったので、別にそれ自体、驚くようなことでもなかった。ただ、他のどの王子にするのかということで、また例によって水面下で側妃らの間にすったもんだがあったことは想像に難くない。


 父王の執務室に呼ばれてその話をされたとき、アレクシスは「ああそうか」と思っただけのことだった。

 長兄と次兄も一応その場に呼ばれていたが、父とよく似た風貌と体型の二人の兄は、さも汚らわしいものでも見るかのようないつもの目で、すらりと精悍な、見目のいい赤毛の弟を眺めていた。

 この兄たちとは、普段、接点らしい接点もなかったし、久しぶりにこうして会っても、特に言葉を交わすこともないのが普通だった。たとえ何か言われることがあったとしても、あちらから一方的に、こちらを「側妾腹の汚らしい弟」として見下した、くだらない揶揄や下卑た頭の悪いあてこすりをぶつけてくるぐらいの話だった。


 そのころにはあのアレクシスの母が、その美貌を盾に父王に取り入り、すっかりお気に入りの美妃としての地位を確立していたのも良くなかった。

 彼女は王に対して、珍しい宝玉や豪奢な織り地を山ほど使った装飾品だの、景勝地に彼女専用の贅を凝らした離宮を建設するだのといった様々の「おねだり」に非常に熱心だったのだ。

 そのため、彼女は当時もうすっかり、この国の「傾城けいせい」としての悪名を馳せるまでになっていた。正妃はもちろんのことだったが、その他の側妃や側妾やらからの風当たりは相当なものだった。そしてそれは当然ながら、その子たるアレクシスにもまともに降りかかることになったのだ。


「まあせいぜい、この国の名に泥を塗らぬようにはしてくれよ。側妾腹の王子には、なかなかに荷の重いことで気の毒だがな」

 長兄たる王太子がせせら嗤うようにしてそう言えば、隣の次兄もぱんぱんに膨らんだ頬肉をぷるぷるさせながら、腹を揺らして笑うのだった。

「ははは、兄上。それは可哀想というものでしょう。この弟から滲み出る品のなさばかりは、いやはや、どうしようもありませんよ――」


 アレクシスはそれら塵芥ゴミの鳴き声などは綺麗に無視して、ただ父王だけを見て話をした。

「父上。此度こたびの隣国訪問につきまして、少しご提案があるのですが」

「ふむ? なんだ」

 太い茶色の眉を跳ね上げるようにして、父ゴットフリートがそう言った。

 彼は太りじしの体を緋色のマントと軍装に包み、窮屈そうに豪奢な装飾のほどこされた王のための執務椅子に押し込めて、目の前に片膝をついている我が息子を、射るような視線で見下ろしている。

 二人の兄王子らも、まずまず似たような様相だ。


「この度、隣国、水竜国クヴェルレーゲンよりこの宴に参加するのは、第三王子エーリッヒとのことですが。かの王子はまだ幼く、そのため王女アルベルティーナが介助役として参加するとの情報があります」

「ほう? 例の『じゃじゃ馬姫』か。それがどうした」

 実はアルベルティーナ姫の噂については、結構まえからこの王宮にも聞こえてきていた。もちろん、まずはその美しさであり、次には王の言うとおり、その武芸の腕前についてのことである。

「あの『人たらし王』め、こちらが何度も王太子と姫との婚儀の話を持ち出しているにも関わらず、いつまでも右へ左へと返事を濁しおって。忌々しい――」

 言いながら、ゴットフリートがちらりと長兄たる王太子の顔を見やった。


 そうなのだ。

 実は火竜国は前々から、隣国クヴェルレーゲンの王女とこの王太子の婚儀の件を、あちらの王へ打診してきた。しかし、ミロスラフ王は今に至るまで、まったくそれに取り合ったことがない。


(まあ、無理もないが。)


 アレクシスは無表情の下でそう考える。

 あちらの王にしてみれば、あの「蛇の尾」を渡す代わりに、こちらから姫を差し出すという話ならまだ分かるだろう。それを一方的に、代わりになにを差し出すとも言わずに「姫を寄越せ」では、通る道理がなかった。

 少なくともそう言う以上は、こちらから何らかの権益や、譲歩の道を示す必要があるはずだ。そうした何の担保もなしに、あちらからこちらへ可愛い姫を差し出す訳がなかろう。

 そのあたりは、五竜王国の中でももっとも武門の誉れも高く、「わが国こそその舵取りをすべき国」と信じて疑わない、傲慢そのものの父王の性格がそのまま出てしまったと言えるのかもしれなかった。

 父にしてみれば、火竜の従属国たる水竜の姫など、こちらから言わずとも王太子のもとに差し出して当然だと、そんなぐらいの認識であるらしい。


 こちらとしては、その姫に火竜の血を受け継ぐ王子でも生んでもらって、第二王子あたりを水竜王に据え、いずれはこの火竜国が、水竜も含めた二国を一手に支配できれば万々歳。

 五竜の力の均衡によって、あまり領土を拡大できずにきたこの数百年、火竜の国としては忸怩たるものがあったわけだが、五つのうちの二竜の力を手にできれば、その均衡を一気に崩すことも夢ではないだろう。

 すぐにというわけには行くまいが、火竜王たる父ゴットフリートの脳裏にそんな未来が描かれていることは間違いなかった。


 だからこそ、アレクシスもこの「親睦の宴」の話を聞いたときから、あることを考えてきたのである。

「あの素っ頓狂な雷竜王が何を考えているのかは定かではありませんが。この誇り高き火竜国が、ただ大人しくあのエドヴァルトめに鼻面を引き回されるだけではつまりますまい」

 父は黒々とした目を一度、ぎょろりと光らせた。話に興味を持った証拠だった。

「ふむ? 何が言いたいのだ、アレクシス」

 アレクシスはすっと顔を上げてにやりと頬を引き上げた。


「この際、多少強引な方法でも、水竜の姫を手に入れるというのはいかがでしょう。せっかく、その側までゆける良い機会です。さしたる警備の兵もいないところ、我が火竜の屈強の兵らが襲い掛かるなどは容易きこと。姫の身体をけがし、好きにはもの言えぬようにしておいて、こちらに連れ戻った上、改めて婚儀の話を進められませ」


「む……!」

 その「身体を汚し」のところで案の定、兄二人が身を乗り出したようだった。

 「やれやれ」とは思いながら、そんな心中は噯気おくびにも出さず、アレクシスは言葉を続ける。

「ついでに洟たれの王子のほうも連れ帰ることが叶いますれば、その身柄と引き換えにあの『蛇の尾』を寄越せなどの交渉もはるかにやりやすくなりましょう。……いかがでしょうか」

「ふうむ……」

 父王ゴットフリートは、白いものの混じり始めた硬そうな髭を撫でながら、じろじろと三男の王子の相貌を眺めやった。「こやつ、意外に……」とその内で考えているらしいことが、ほとんど透けて見えんばかりだった。


「そ、その、姫の身体をというお話なのですが……!」

 と、王太子が横から口を差し挟んだ。

けがすと言いましても、その……わたくしの妻となるべき者でありますので、父上――」

 唾を飛ばさんばかりにして身を乗り出すその姿は、ただもう醜いのひと言だった。

「ああ、分かっている。姫の貞操はそなたのものよ」

 王は多少面倒臭そうに、ひらひらと長子に手を振って見せた。

「おお、……必ずでございますよ、父上……!」

 王太子は嬉しげに、だぶついた頬を膨らませた。隣では次兄の王子が、浅ましい目つきで物欲しげに小さな目をぎょろつかせている。


(……豚どもめ。)


 内心で、もう何万回目になるやも知れない悪態をき、アレクシスは床に視線を落としていた。

 王はそんな王子らをじろりと見やってからこちらに向き直り、アレクシスに向かってまるで臣下に告げるような声音で言った。


「まあ、やれるだけやってみるがよい。しかし、これは飽くまでそなたの一存でしたことにせよ。軍勢と魔法官らは適宜貸し与えるものとするが、これについては余も、王太子らも一切預り知らぬこと。失敗した暁には、そなたのその身をもってすべてをあがなうことになろう。忘れるなよ」

「はっ」

 まあそのぐらいは、予想の範囲内だった。

 兵と魔法官どもさえ与えられれば、あとの差配には自信もあった。


 そして父はさらに、先ほどのことも念を押してきた。

「分かっておるな、アレクシス。その女は兄のものだ。ゆめゆめ、そなたや兵どもで先に犯すことのなきようにせよ。とは言え、まあ最初だけのことよ。後々、いくらでも味わう機会はあろうゆえな――」

「……は。肝に銘じます」

 口先だけでそう応え、アレクシスは頭を下げて、執務室を後にした。


 勿論、そんな約束を守るつもりなど毛頭なかった。

 その場でどうなるかなどは、常にその時の話だ。

 戦地にあって血気にはやり、兵らがとりわけ敵地で村娘などを犯すは日常茶飯のことである。今更、この火竜の国の、そうでなくとも血の気の多い兵らに我慢を強いるのも可哀想というものだろう。

 また、たとえ自分がその場で興に乗って先に犯したからといって、あの兄どもにそれが知れる訳でもあるまい。

 姫にはせいぜい、兄らの前ででもしてもらえば済むことだ。


(……さて。準備は周到に、だな――)


 アレクシスは、くらい炎を宿した瞳をすっと一瞬細めると、大股に宮殿の廊下を歩いていった。



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