第4話 火竜の刑 ※


 ニーダーブレンネン王家に古来より伝わるその刑の名を聞いて、身の毛のよだたぬ臣民はいない。

 非常な強運の持ち主だけがそこからの生還を許されるとは言われているが、今の時代に至るまで、その刑から命を永らえて戻った者などいないのだ。


 ともかくも。

 アレクシスはその後、嘲り見下す視線を隠そうともしない兄たちの面前で兵らに縛り上げられ、すぐに城の地下牢へと連れて行かれた。

 父はと言えば、兵らが彼を執務室の扉へ向かわせる頃にはもう、彼の存在そのものを頭の中から消し去って、水竜、雷竜の二国へ返答する書簡の内容のことで、さも忌々しげに側近の宰相と話を始めていた。


 その地下牢で、まずは刑のための「下準備」が施された。

 すなわち、アレクシス自身が下働きの子供らにしてきたような笞罪ちざい、すなわち棘鞭による鞭打ちが行なわれた。アレクシスの皮膚は切り裂かれ、小指の先ほどのまともな場所など残らないほど、それは厳しく無残な傷が縦横に走っていたことだろう。

 しかし、その時にはもう、彼の目にそれは見えなかった。さらに四肢の骨を砕かれ、焼け火箸で目を潰された状態だったからである。

 その状態のままアレクシスは、無造作に箱馬車の中に放り込まれて、とある場所に連れて行かれた。


 その場所へは、王都から馬車で数週間も掛かる。

 秋から冬にかけてのことで、幸いアレクシスの傷はひどく化膿して腐りだすという憂き目は免れた。とはいっても、ろくに薬なども塗らないままに後ろ手に縛られて放置されているのだから、「幸い」という言葉は当たらないのかも知れない。

 古来より、この国の火竜が住まうとされるその巨大な火の山は、その竜の眠る地であるが故に、「竜眠る山ドラッヘシュラーフェン・ベルク」と呼称されている。

 冬には分厚い雪と氷に覆われるこの国にあって、この広大な火山地帯だけはどす黒い土くれや灰色の岩塊がむき出しの、茫漠とした風景が広がっている。今となってはそれらを目にすることは叶わないアレクシスだが、以前に一度来たことがあるので知っているのだ。


 アレクシスは、刑の決まりにのっとって、その火山の麓に口を開けた洞穴の中に放置されることになった。

 かつて幾度も噴火したことのあるというその火山の下には、溶岩が通り抜けたあとに出現した空洞が縦横無尽に走っている。溶岩の外側が冷え固まった後、その中のどろりとした溶けた岩が流れくだって穴として残るというのが、その理由であるらしい。

 そこは真夏でも外気よりはるかに気温の低い場所である。

 晩秋のニーダーブレンネンにあって、そこはただ居るだけでも肌を刺すような冷たさだったことだろう。とは言え、ずたずたに引き裂かれたアレクシスの肌では、その痛みが傷によるものなのか冷気によるものなのかは分からなかった。

 刑吏である兵士らは、歩くことの出来ないアレクシスの身体を数人がかりで持ち上げて、洞窟内の奥ふかくへ運び入れると、とある場所で彼をおろしたようだった。

 このまま、ここへ放置される。

 それが「火竜の刑」の全容だった。


 砕かれた四肢と潰された目で、それでもこの洞穴を這い進み、運がよければ外へ出る穴が見つかることもあるかもしれない。

 しかし、それは至難の業だった。穴は縦横無尽に連なっており、目の見える人間が松明を持っていてさえ迷うことも多い場所だ。さらに、たとえ外に出られたとしても、そこに誰が待つわけでもない。

 たとえ運よくそこに辿り着いたのだとしても、そこらをうろつく腹を空かせた野獣に引き裂かれて命を終えるのが関の山だ。

 大抵はそれ以前に、穴の中で飢餓と疲労のために命を落とす。

 これは、そういう刑なのだった。


 兵らが身体にかかった縄を解き、やはり刑のしきたりどおりにとあるものを罪人の首に掛け、黙然とそこを去ったことを確認してから、アレクシスはもぞもぞと、とりあえずは動き出した。

 どちらに向かえばいいのかも分からず、また何も見えない目で動き回れば、どこか大きな穴にでも落ち込んで、上手くすれば首の骨でも折って一気に死ぬことも可能だろう。

 そんな風に思ってしたことではあったけれども、案外とことはそう単純には済まなかった。


 折られた腕も脚も、ごつごつした冷たい岩肌の上を這えば、凄まじい激痛で文句を言った。気温の低さのために、そこに溜まった水には氷が張って、ぱきぱきと割れ裂けては肘や膝を容赦なくさらに傷つけた。

 真っ暗な中、ただ何も考えずに這い進む。

 一応は着せられている囚人服など、すぐにあちこちに引っかかっては端から裂けていった。

 たまにからから、しゃりしゃりと軽い音がしてアレクシスの身体に当たるものがあったけれども、行く手から転がり離れるそれをふと指先に捉えて、すぐに分かった。

 それは生き物の――それも恐らくは人間の――骨の残骸だろうと思われた。それは恐らくこれ以前に、自分と同様にこの刑に処せられた罪人のものだったのだろう。

 アレクシスは特になんの感慨もなくそれを放り出し、また黙って前へと這い進んだ。


 盲目の匍匐前進は、いつ果てるともなく続いた。

 たまに喉が渇くと、アレクシスは洞穴のそこここから滴ってくる冷たい水の雫を口に入れて喉を潤した。首のところでぶらぶらと例のものが揺れているのには気付いていたが、アレクシスはそれには意識を向けなかった。


(……巫山戯ふざけた刑だ)


 まるで他人事のようにそう考える。

 凍てつく寒さのお陰か、身体の痛みまでが麻痺したようになっているのは好都合だった。


 「火竜の刑」に処せられた者には、最後にほんの豆粒ほどの「火竜の結晶」が与えられる。

 周知の通り、これは火竜の遺物から抽出された魔力の宝庫だ。魔法職にいる者ならいざ知らず、一般の人間にこのようなものを与えたところで、意味するところは決して「救い」などではない。

 最後の最後、おのが命を諦めたその瞬間に、それを口にすれば早めに逝ける。まあ、執行者側にしてみれば、これはそういった「恩情」の類いのつもりなわけだ。その魔力の凄まじさに、普通の人間なら体の方が耐えられず、数瞬で息の根が止まることになるはずだった。


(あるいは……博打ばくちか。)


 この十数年、王宮の書庫にに唸るほどに集められて埃をかぶっている歴史書の類いに当たってきたアレクシスは、その事実を知っている。

 気の遠くなるような確率で、それを口にしても死なぬ人間がいるのだと。

 その者は「竜の眷属」となり、人の身としては考えられぬほどの魔術と魔力を備えた身体へと変革を遂げるのだ。いわば、人の「竜化」とでも言うべきものか。


 「竜の眷属」は、語義どおり竜のしもべのようなものだ。

 火竜であれば火竜の魔力を補助また底上げできる存在だとも言える。

 「火竜の眷属」がいまここに顕現すれば、火竜国の魔力は増大し、隣国の竜の魔力を押し返して、あの忌々しい「蛇の尾」を奪い取ることも可能になるに違いなかった。だから、歴代の王はその者の顕現を求めてきたし、折々には魔法職にある優秀な家臣の誰かを選んでは、その「実験」に手を染めてもきた。

 しかしながら、殆どの人間は、「竜の結晶」を口にした途端、それがほんのわずかの欠片であっても、体じゅうの穴という穴から血を迸らせるようにして悶死する。そうそう、話はうまくいかないのだ。

 ましてや今、アレクシスに与えられた結晶の大きさでは、即死が約束されているばかりなのだった。



 と、突然腕の下にあったはずの岩塊がぼろりと崩れて、アレクシスの身体が下方へ投げ出される感覚があった。

 次に襲ってきたのは激しい衝撃。背中を強打し、しばらくは息もできずに、アレクシスは身体を縮めてそこで呻いた。

 どうやら、穴の底に転がり落ちたということのようだった。


「……くく」


 「惨めなもんだな」、と、また他人事のようにそう思う。

 どうせ、母という名のあの女に、腐った肉かなにかのようにして生み捨てられただけの存在だ。

 あの豚のような父や兄どものように、権力に汲々とする気持ちも、金や色に溺れる感覚も、実のところを言えばよく分からない。

 胸の中にある空洞を埋めるため、日々、好き放題にできる奴隷おもちゃは必要だったわけなので、その座にいることは便利だとは思っていたが、敢えて言うならそれだけの話だった。

 寂しいだの悲しいだの、くそ甘い感傷などには反吐が出る。


(そういえば……そんな奴もいたな)


 ふと、幼かった頃にいた、自分の側付きだった乳母の女を思い出した。

 とはいえ、もう顔もよく覚えていない。

 その女は、実の母親から見向きもされないでいる赤毛の王子に、何かといえば砂糖菓子のような声をだして、こんな風に言っていた。


「お可哀想に」

「さぞやお寂しいことでしょう」

「お母様も、けして悪気はなくていらっしゃるのです」

「どうかこらえてくださいませね」

「わたくしが、いつもお側におりますので」――。



 『カワイソウ』。



(『かわいそう』……だと?)


 そう、あの女はそう言ったのだ。


 幼児だったアレクシスには、最初のうち、その言葉の意味はわからなかった。

 しかし本能的に、ぐらぐらと下腹から燃え立つ何かを覚えていたものだった。

 その女に抱き上げられていながらも、アレクシスは涙のひとつも零さずに、女をじっと睨みつけていただけだった。

 「殺してやりたい」、と思っていた。

 この女の全身の皮を剥ぎ、のた打ち回らせ、断末魔の叫びを上げさせて、目の前で死なせてやりたいと。


 そして、その数年後には、実際にその通りにしてやった。



「ふ、……く、……くく……」


 抑えられないものが込み上げてきて、見えはしないが恐らく真っ暗なのであろうその穴の底で、アレクシスは馬鹿笑いした。


「く、はは……。あっは、はははは……」


(そう、……か。なるほどな――)


 そして、理解した。


 どうしてあの時、この自分が、

 あの水竜の姫にどうしようもない苛立ちを覚えたのか。


 こちらを貫かんとするほどの碧い眼光で、閃くような怒りを向けてきた、あの少女。

 背後にいて震えている幼い弟や女たちを守らんと、到底勝てるはずもないというのに、それでも剣を構えてこの自分に向かってきた、あの女。


 あの女は、あの母の対極にいる。


 あの時、自分は忌々しくも、弟を守らんとするあの女の姿に見とれたのだ。

 「もしそうであってくれていたら」と、弱き性根こころが叫んだのだ。


 あの母が、もしもあの時、あの娘と同じ場面に立たされたとして、

 あの娘のように行動したか?


 ……否だ。


 背後で赤子のように咽び泣いていたあの王子が、り潰してやりたいほどに憎かったのは。

 この手でぶち殺してやりたいと思うほどにぎりぎりと、臓腑の底が痛んだのは。


 それは――


「やかましいッ……!」


 が、アレクシスはその答えを、掠れた怒号によって振り払った。

 答えなど、死んでも出してやるつもりはなかった。

 その代わり、首に掛けられていた革紐を力任せに引きちぎった。

 そうして、その先に結わえてある革袋を、歯も使ってぞんざいな手つきで開くと、中から手探りでその欠片を取り出した。



 そして。

 アレクシスは一度だけ、ぐっとその欠片を握り締めると、

 あとは無造作に、それを己が口に放り込んだ。

 

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