第10話 嫉妬

 そうしてようやく、最後の豊穣祈念の踊りも果てて、宴の終わり、国王ミロスラフによる皆への労いのお言葉が掛けられ、三日続いたこの宴も仕舞いとなった。

 王族の皆様は、王妃ティルデともども王宮奥へと引き取られ、宴に集まった貴族らも、三々五々、王宮を出て王都内の宿へ戻る者、王宮内で逗留するために誂えられた部屋などに引き取り始めた。


 レオンも一旦、近衛隊の招集場所へと戻ろうとしたのだったが、そこへまなじりを決した表情で足早に、近衛隊の小隊長がやってきた。

「陛下のお召しだ。すぐに参れとのことだぞ」

「……は」

 隊長のただならぬ様子に、レオンもはっと表情を改めた。

 そしてすぐ、指示された場所へと足を運んだ。



 レオンが指示されたのは、王族の皆様の私的な空間である奥の宮にも程近い、あの王妃ティルデが今回の訪問にあたって与えられている賓客用の居室だった。

 表の扉の前に立つ衛兵は、レオンの顔を見るとすぐに中へ通してくれた。


「レオン、参りました」

 ひと声掛けて、入室する。

 その瞬間、ひりつくように緊張した室内の気配を感じ、レオンはさらに嫌な予感がした。


(何があった……?)


 賓客用のその居室には、贅をこらしたソファセットや卓などがゆったりと置かれている。そこに今、国王ミロスラフ、王妃ブリュンヒルデ、そして王女アルベルティーナが座っていた。その奥、部屋の隅には、文官の長衣を着たレオンの養父、アネルの姿もあった。

 さらに、彼らに向かい合うようにして、隣国の王妃にしてレオンの叔母である方、ティルデが真っ青な顔をして座っている。顔色をなくしているという点では、アルベルティーナも似たような感じに見えた。


(……!)


 さらに視線を動かしてみて、レオンははっとした。

 部屋の中央、床の上に、レオンの同僚でもある近衛第三小隊の士官らが数名、両側から一人の女の腕を抑え込むようにして跪かせていたからだ。

 濃い緑色のワンピースを着たその少女は、いつもきちんと結い上げていた癖のある黒髪を解き、今はざんばらにそれを振り乱して、菫色の瞳を燃え上がらせ、じっとアルベルティーナを睨み据えるようにしていた。

 その唇が、非常に悔しげに噛み締められている。

 ティルデ王妃の侍女、ミカエラだった。


 ミカエラは、レオンが入室してきたことに気付くと、ぱっと一瞬嬉しげな顔になったように見えた。しかし、すぐに両側の近衛士官からぐっと身体を押さえ込まれて、小さく呻き声をあげ、また苦しげに眉を顰めた。

 ティルデはその様子を見て、真っ青な顔のまま、口許を覆って震えているようである。

 やがて、ミロスラフが少し手を動かすと、近衛兵らはごく手馴れた様子でミカエラを後ろ手に細縄で縛りあげ、そのままそこに彼女を跪かせたまま退室していった。


 しばし、部屋の中を恐ろしい沈黙が支配した。

 ミロスラフがアネルに向かって少し頷くようにすると、アネルは一度王に向かって礼をしてから、レオンに向き直った。


「レオン。そこの少女、ティルデ王妃様の侍女ミカエラが、先ほど『風竜の結晶』の魔法を使い、アルベルティーナ姫殿下のご寝所に忍び込んで、部屋に準備されていた水差しの中に毒薬をお入れ申しあげたとのことだ」


(な……)


 レオンは絶句した。

 そして思わず、ミカエラの顔を凝視した。

 ミカエラはまっすぐにその視線を受け止めて、むしろ堂々と頭を上げ、「誇り高い」といってもいいぐらいな表情でレオンを見返してきた。その瞳に、迷いや後悔の色はいっさいなかった。


(いや、しかし――)


 なんという、大胆な真似を。

 こともあろうに、この少女は、一国の王女の寝所に忍び込んで、そのお命を狙ったというのか。


 アネルは淡々とした声で説明している。

「方法は、昨日、お前の部屋に入り込んだのと同じ手口だ。幸い、それを予見して事前に待機させておいた近衛隊の面々が、物陰から事態のすべてを見ていた。そしてそのまま、すぐさまその場でその者を取り押さえた。……つい、先ほどのことだそうだよ」


(なるほど――)


 レオンは、すぐに合点がいった。

 昨日、レオンに対して行なわれたミカエラの工作の一件で、アネルはミロスラフ王と一計を案じていたのだろう。

 レオンが彼女の思惑通りに体調を崩さず、予定通りに大広間の警備にやってきたとして、彼女がどう動くのかを予測し、先手を打っておいたということか。つまり、必要と思われる場所から魔力結界を解き、その代わりに、兵らを配備していたのだろう。

 ということは大人たちは、彼女が何を目論んで、なにを阻止したがっていたかを知っていたということらしい。もしかすると王妃ティルデからも、事前にレオンとミカエラとの過去の関係についてそれなりに情報を得たということかも知れなかった。


「先ほど、女官たちにも協力してもらって、すでに彼女の所持していた『風竜の結晶』はすべて没収させてもらっている。だから今の彼女はもう、『跳躍シュプルング』の魔法で逃げることは叶わない」

 父アネルが不快さを押し殺したような声で、淡々と説明してくれる。


 なるほど、それで彼女は綺麗にまとめあげていた髪をこうまで解かれているのか。あの複雑に編みこまれていた髪の間にも、恐らく小さな「風竜の結晶」を隠し持っていたということなのだろう。

 「女官たち」という父の言葉からして、それは髪だけのことでなく、服の下についても徹底的に調べ上げられたことを意味するはずだ。


「その魔法を知った経緯についても、もう尋問が終わったよ。やはり、風竜国の王家にお仕えしていた魔法官が、もともとおなじ侯爵家にいたようだね」


 父の説明によれば、こうだった。

 そもそも、あの一連の先代の風竜王追い落とし劇の挙げ句に凋落の憂き目を見たミカエラの家は、権力と財産のひどい引き剥がしに遭ったのみならず、当主である父は処刑され、家族もばらばらにされてしまった。

 幼い頃からその美貌で注目を集めていたミカエラは、それゆえにこそ、その身を求める不埒な輩も多かったのだという。それゆえに、彼女の母が親戚の元魔法官に頼み込み、必要な魔法の韻律を密かに教わっていたということらしい。

 もちろん、幼い娘のことでもあり、あまり難解な韻律までは覚えられないため、習得できる魔法の種類は限られた。しかし幸いにして、いざというときに敵の手を逃れるための、この「跳躍」の魔法は習得することができた、という経緯であるようだった。


 非常に高価でそうそう手に入るはずのない「風竜の結晶」についても同様で、その母親が密かに隠し持っていたいくばくかを、こっそりと娘に譲り渡したものらしい。

 ちなみに、その力を使えば、あの憎い王弟一派の暗殺なども出来たのかもしれないのだが、あちらも当然それは警戒しており、寝室などには厳重な魔力結界が張ってあるため、素人術者の「跳躍」魔法ごときでは、そうそう成功の目はなかったのだという。


(そういうことか――)


 レオンは改めて、そこに跪いて凄まじい目で王家の人々を睨んでいる少女を見つめた。

 ミロスラフ王がソファに座った姿勢のまま、少し肘掛に肘をつくゆったりとした様子で、ごく静かにミカエラに問うた。

「では、改めて聞かせてもらおう。なぜそなたは、わが娘アルベルティーナの命を狙おうなどとしたのだね」


 レオンは、驚いた。その声が、あまりにいつもと変わりのないものだったからだ。

 普通の胆力と神経を持つ王であったら、こんな場面でこんなに穏やかな声で、当の暗殺者に向かって尋問などできるはずがなかった。なんといっても、彼が何より大切に思っておられるはずの、家族の命が狙われたのだ。


「このようなことをしてしまえば、そなたのあるじ、ティルデ様にも多大なご迷惑が掛かろう。雷竜国はもちろんのこと、そなたの祖国でもある、風竜国にまで影響が及ぶことすら考えられる。それでもなお、このようなことに及んだ、その理由を聞かせて欲しいのだがね」


 ミカエラは後ろ手に縛られて跪いた姿勢のまま、それでもまっすぐにミロスラフ王を見返して、言い放った。


「……レオンが、わたくしのものだからよ」


 その言いようは、もはやそれが、太陽が東から昇るとでも言うかのように、まるで当然のごとくに聞こえた。

「いいえ。わたくしが、レオンハルト殿下のものだから、と言ったほうがいいのかしら。ティルデ様もご存知のとおり、わたくしはもともと、彼の許婚いいなずけだった女なのだから」

「…………」

 そこで、ちらりとミロスラフがこちらを見たようだった。アルベルティーナとその母、ブリュンヒルデも、固い表情でこちらを見ている。


 レオンは仕方なく、眉間に皺をたてたまま、固い声でこう答えた。

「いえ。自分には確かめようのないことですので。父、ヴェルンハルトと彼女の父であった貴族の男が、生前、そのような約束をしたというのは、その者の口から聞いてはおりますが――」

「あ、……あのう」

 そこで、ティルデが恐る恐るというような様子で口を挟んだ。


「そのことでしたら、昨日、陛下にも申し上げた通りです。以前確かに、兄からの手紙に書かれていたことがあるのです。ミカエラの父であった侯爵と、兄ヴェルンハルトとの間で、お互いの子をいずれめあわせようという話があったのは、間違いなく本当の話ですわ――」


 震えながらも、その場にいる皆を見回してそう言ってから、ティルデは改めてミカエラを見た。


「でも……ミカエラ。だからといって、このような……! わかっているの? 大切な隣国の、王女殿下のお命を狙い申し上げるだなんて……! エドヴァルト陛下から、どんなお咎めがあることか――」


 言いながらもう、かたかたと全身を震わせている。

 ブリュンヒルデがさっと立ち上がると、彼女の隣に座ってその細身の身体を抱くようにして言った。

「さあ、落ち着いてくださいませ、ティルデ様。とりあえず、アルベルティーナには何事もなかったのです。処断その他の細かいことは、殿方にお任せいたしましょう。あなた様は少し、お気を静めてお休みにならなくては――」

「ブリュンヒルデ様……!」

 ティルデはもうたまらなくなったように、わっとブリュンヒルデの足もとに崩れ落ち、その膝に顔を埋めるようにして号泣し始めた。

「申し訳ございません、まことに申し訳もないことでございます……! わたくしの側仕えの者が、まさか……まさかこのような恐ろしいことを……。お許しくださいませ、どうか、どうか……!」


「なにをおっしゃるのです、ティルデ様!」

 ぴしゃりと叫んだのは、ミカエラだった。

 そのすみれの色をした瞳は再び、恐るべき怨嗟の炎で燃え上がっていた。


「そこの、身の程をわきまえない、お馬鹿さんの姫がいけないのではありませんか! その女は、畏れ多くも、風竜国のまことの国王陛下になられる方に懸想申し上げたのですよ? 本来であればわたくしが、その妃になるはずだった御方にです……!」


 甲高くてよく通るミカエラの声は、その居間に凛々と響き渡った。

 その舌鋒は、とどまるところを知らぬかのようにアルベルティーナに突き刺さった。


「こんなことが、許されてよいものでしょうか? いいえ、いいえ! 風竜国の矜持にかけて、そのようなこと、風竜神様だってお許しにはならないわ……!」


 アルベルティーナは呆然と、自分に叩きつけられている悪口雑言のすべてを聞いていた。そこまでの攻撃に晒されていながらも、まだ彼女は、自分がどういう立場にされているのかをよく理解もできていなかったのかも知れない。

 なにしろこの姫殿下は、今まで生きてきた人生の中で、あのアレクシスを除くなら、ここまで心底からの憎悪を真正面から、真っ直ぐに向けられたことなどなかったはずだからだ。

 ミカエラの声は一段と高くなった。


「泥棒猫! 一国の王女だなんて言っているけど、一皮剥けばただの女よ。そりゃあ分かるわよ? だって、レオンハルト様は、こんなに凛々しくて、素敵でいらっしゃるのだもの……!」


 ティルデが、ひいっと、声にならない喉声を漏らした。

「やめて! ミカエラ、もうやめて、お願いよ……!」

 ティルデの声はもう、悲鳴に近かった。彼女は今や、両手で顔を覆い、これが悪夢なら今すぐにも覚めてほしいと願う人、そのままのお顔であられた。

 が、ミカエラの口は止まらなかった。


「あの大広間じゅうの女が彼を見て、ぼうっとなっていたのを見たでしょう? それを……そこの王女が自分の身分を利用して、ちゃっかりと自分の側仕えの近衛隊になんか配属して! ほんとうに、薄汚いったらありゃしないわ……!」


 アルベルティーナ姫は真っ青になって、ミカエラの顔を見つめたまま石のように固まっている。

 そしてミロスラフ王は、やや眉を顰め、少し目を閉じて顔を横に振られただけだった。


「恥を知りなさいよ、この泥棒猫! それともこの王宮では、『は自分のもの』だなんて、下賎な教育がまかり通っているのかしらね? ふん、そんなお綺麗な顔をして、アルベルティーナ姫殿下の心の中は、下品な界隈のどぶ泥ぐらいに汚物まみれでいらっしゃるというわけよね……!」


 あははは、と甲高く不快な哄笑が響き渡る。


(……!)


 レオンはかっと目を見開いた。

 次の瞬間、ぱん、と乾いた音が室内に響き渡った。


 気がつけばもう、レオンはミカエラのそばにいて、その頬を一発だけ、平手で張り飛ばしたあとだった。

 女に手を上げたのは、生まれて初めてだった。


 両手を戒められているミカエラの軽い身体は、それだけで床にふっとばされた。

 しかし彼女は、すぐに上体を起こして、こちらをぎゅっと睨みあげてきた。

 レオンは拳を握り締め、少女を凄まじい眼光で睨み下ろした。


「……撤回しろ。姫殿下への悪口あっこうは、俺が許さん」


 てのひらに、ぴりぴりと衝撃の余波がやってきた。


「あら。レオンハルト様……」

 しかし、ミカエラはレオンの指の形に赤くなった頬で、不気味なうっとりした笑みを作った。

「はじめて、わたくしに触れてくださったのね。……嬉しいわ」


(……!)


 予想をはるかに上回る返答が来て、レオンは心底、怖気を震うような嫌悪を覚えた。


 この女は、何を言っているのか。

 そもそも、状況が理解できていないのか。


「……もういい。やめなさい」


 静かな声が背後からして、レオンははっとして後ろへ下がり、頭を下げた。

 ミロスラフだった。

 王は立ち上がり、紺のマントを引きながら、少しこちらへ歩んで来られた。そしてそのまま、倒れたミカエラの手前で床に片膝をつき、彼女の顔をじっと見つめて言った。


「そなたの言い分が、すべて理解できないとまで言うつもりはないが。たとえそうでも、そなたのしでかしたことは重大だ。……そのぐらいは、わかっているね?」

「…………」

 ミカエラはただ、憎々しげな瞳のまま、王を睨み返している。ミロスラフはそれには構わずに言葉を続けた。

「そなたの身柄については、しばらくこちらで預るとする。処分その他については雷竜国、エドヴァルト陛下のご意向を確認してからということになろう。……みなみなも、それでいいね?」

 部屋に居る一同のだれも、それに否やは言わなかった。王はすぐに、部屋の外に待たせていた先ほどの近衛兵らを呼び戻し、ミカエラを連れ出させた。彼女はそのまま、この城の中にある牢に入れられるとのことだった。



「あ、……の、水竜王陛下……!」

 近衛兵らにひきずられるようにしてミカエラが連れ出されていってからすぐ、掠れきった声でそう叫び、ティルデが転がるようにしてやってきて、ミロスラフの着ている長衣の裾に縋るようにして跪いた。

「どうか、どうか……あの子をお許しくださいませ! い、命だけはお助けくださいませ、お願いでございます……!」

「妃殿下。どうか、落ち着いてください」

 ミロスラフは彼女の手をとって立ち上がらせると、そのまま優しい仕草でもとのソファへといざなった。


 ティルデはハンカチを口許にあてて嗚咽を堪えながら、必死に王と王妃、そしてアルベルティーナに向かってかきくどいた。

「あの子も、可哀想な子なのです……。もとは侯爵家の令嬢として、それはもう、蝶よ花よとばかりに大切に育てられていましたのに……」


 その話の先は予想がついた。

 レオンは暗澹たる気持ちで、立ったまま目を伏せた。


「あの事件で家の凋落という憂き目にあい、一族郎党散り散りにされ……。それでも、あの容姿だったものですから、年頃になるとすぐ、ムスタファ一派の貴族の男の第二夫人にと望まれて――」

 ティルデはもう、涙ながらに必死の様子でミロスラフらに語り続けている。

「相手の男は、あの子よりも四十も年上だったやに聞いております。あの子がたかだか、十二の頃の話でございますよ? 故国からの手紙でそのことを知り、それがあんまり不憫に思えて、わたくしがエドヴァルト様に無理を言って手許に呼び寄せたのが、ほんの三年ほど前のことなのです……」


「本来であれば、レオンハルト殿下が王位に就かれたとき、そのお隣にいたはずだった子なのです。少々のことで泣き言など言う子ではありませんけれど、今までどんなにか、人には言えない苦労もしてきたかと思うのです……」


 あとはもう、ろくに言葉にもならず、ティルデ王妃はさめざめと泣き続けた。


「あの子の主人は、わたくしでございます。あの子の罪は、わたくしの罪ですわ……。どうか、あの子を罰するとおっしゃるなら、是非ともわたくしも一緒にお打ちくださいませ。陛下、ブリュンヒルデ様……アルベルティーナ様。どうか、どうか、お願い致します……!」


 それを聞いている一同は、ただ暗い瞳のまま、そんな王妃の震える肩を、気の毒げに見つめているばかりだった。

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