第8話 離宮襲撃 ※

 それは、アルベルティーナたちが「親睦の宴」から滞在先である王宮敷地内の離宮に戻って、ものの四半刻もたたないうちのことだった。

 その時、アルベルティーナは弟と自分たちの身の回りの世話のためについてきている女官たちや召使いらを急がせて、出立の準備をしているところだった。

 急に居室の大扉の向こうからばたばたと忙しない足音がしたかと思うと、血相を変えた武官が一人飛び込んできた。


「姫殿下、エーリッヒ殿下! 火竜国ニーダーブレンネンの王子アレクシスが、数百名の手勢を率いてこちらへ参っております……!」


 その兵士の緊張した面持ちを見ただけで、アルベルティーナは即座に、相当多くのことを理解した。

 恐らくかの王子は、こちらの兵士が制止するのも聞かずにここへ乗り込もうとしているのに違いない。

 先ほど自分たちを送ってくれた雷竜国の兵士らも、そのまま自分たちが確かに出国するまで護衛についてくれるとの話でまだこの場にとどまってくれているというのに、今ここでそこまでの無体をするとは驚きだった。

 さすがにここまでのことは、あの国王エドヴァルトも予想しなかったということだろうか。そうだとしてもこのようなこと、すぐにあの伯父の耳にも入るだろうに。

 雷竜国の、それも王宮の敷地内でこのような傍若無人、のちのち、いったいどう申し開きをするつもりか。


「アレクシスは、ともかく姫殿下に会わせよとの一点張りで……我らの制止も聞かず――」

 伝令の兵がそう言い終わるか終わらないかのうちに、廊下の方で男たちの激しい怒号や、金属の打ち合う音が聞こえ始めた。


「やめんか! 無礼な」

「止まれ、貴様ら……!」

「どこへ行っ……ぐは!」


 そんな声が次々に聞こえてくる。中には途中で異音とともに途絶えるものまであった。その声の主は即座に斬られるか、殴り倒されでもしたようだった。


「ともかく、おふた方はもっと奥のお部屋へ……!」


 部屋にいた武官数名に促され、怯えた様子のエーリッヒと侍女らを伴って、アルベルティーナは続き部屋になっている側の扉を抜けて、隣の部屋に入った。さらにそこから、離宮入り口よりもさらに遠いほうの部屋へと足早に移動する。

 しかし、背後から聞こえる物々しい剣戟音や男声による怒号は途切れることなく続いていた。

 ここが自分の城であったら、抜け道や隠し通路などにも通じていることだし、ここまで慌てることもなかったのかも知れない。しかし今は、あいにくと勝手のわからぬ他国の離宮にいるわけだ。


「裏口などからも逃げられないのですか?」

 弟の手をしっかり握り、隣を歩く武官にそう尋ねると、武官は渋面で首を横に振った。

「残念ですが。気付いたときにはもう、この離宮全体を火竜の兵らに囲まれておりました。奴等は最初から武装しておりまして――」

 それはいかにも、悔しげな声だった。

「そう……」

 アルベルティーナは眉根を寄せた。


 となると、この事態について雷竜王エドヴァルトの耳に届けようにも、こちらにはすぐにそうするすべがないということか。兵の誰かがこの囲みを破って知らせに走る以外にないとなると、非常な時間を要するだろう。

 ともかくそれまで、自分たちは敵の手に落ちるわけにはいかないのだ。


 やがて一同は、三方を壁に囲まれたやや小ぶりな部屋に入ると、武官二名を中に残し、内側から鍵を掛けた。さらにあとの武官らは、その部屋の外で陽動をするとだけ言って、すぐにそこを離れていった。部屋の中には、今は使われていないらしい卓や椅子などの調度品が積み上げられている。要は物置きなのだろう。

 扉の外では、相変わらず物の倒れるような音やぶつかり合うような音、そして男らの怒号が響いている。部屋に残った武官らは、女官らにも手伝わせて、部屋の中にあったそれら調度を扉の前に積み上げた。

 しばし、息詰まるような時間が過ぎた。

 弟と女官たちは部屋の一番奥でしゃがみこみ、互いを抱き合うようにしてがたがた震えている。


 が、やがて周囲が静かになって、つぎつぎにあちこちの扉が開かれてゆくような音がし始めた。

 自分たちと一緒にいる武官らが厳しい目で互いを見交わし、アルベルティーナを見た。その意味を悟って、アルベルティーナは唇を噛んだ。事態は明らかに切迫している。敵兵らを押しとどめていたこちらの兵らが、すべて沈黙させられたということだろう。


(どうすれば……!)


 自分はともかく、弟と女官らだけは守らねば。

 そうでなければ、自分がここまで弟についてきた意味がない。アルベルティーナは持ってきていた愛用の長剣を身体にひきつけ、最後の時をじっと待った。


(ああ、……でも。)


 アルベルティーナにはそれでも、この場でたった一つだけ喜ぶべきことがあった。


(レオン――)


 ここに、あの人がいなくて良かった。

 レオンがここに、いなくて良かった。


 彼は、下士官だ。

 このような場合に、真っ先に敵の矢面に立たねばならない立場の人だから。

 もしもいま彼がここにいて、敵に遭遇していたのなら。

 いかに彼でも、無傷では済まなかったに違いないから。

 ただそれだけが、この場でのアルベルティーナの救いに思えた。


 と。


 ……ガン!


 ガン、ガンガン!


 遂に、部屋の扉が重い打撃音とともに軋み始めた。

 そしてあっという間に、内側の錠前ごと叩き壊され、積み上げていた調度ががらがらと崩れ落ちた。そうして、紅の軍服を着た武官が数名、ぬっとそこから入ってきた。

 いずれ劣らぬ面構えの、胸板の厚い偉丈夫である。手には扉を壊したらしい、いかにも無骨な戦斧を握っている。その顔はどれも、ぞっとするような無表情だった。


「無礼者ッ……!」


 すぐさま、共にいた二人の武官が相手に斬りかかったが、頭ひとつ分も大きな体躯をした敵兵は、なんと長剣を持ったその武官の腕をいわおのような拳で無造作に掴んだかと思うと、鳩尾に重い膝蹴りを叩き込んだ。

 ごきりといやな音がしたのは、同時に腕の骨を砕かれたものだろう。


「ぐ、は……っ!」


 もう一人の兵も、別の敵兵に壁まで吹っ飛ばされてそこに激突し、あっさりと昏倒させられる。

 見ればもう、口から泡を吹いて意識を失っているようだった。


「きゃあ……あああっ!」

「いやああっ……!」


 堪らず、背後の女官たちが悲鳴をあげる。


(………!)


 真っ青になって震え上がった女官たちと弟エーリッヒを背後に隠し、アルベルティーナは愛用の長剣を手に取って男らの前に立ちはだかった。もちろん、すでに抜刀している。

 残念なことに、いま着ているのは先ほどの宴の時のままの薔薇色のドレスである。剣を振るうのに、この足捌きの悪さばかりは如何いかんともしがたい。これはいま、もっとも着ていたくなかった代物だった。

 が、ここで泣き言を言っていても始まらない。


 しかし、悪鬼のような巨躯の敵兵ふたりは、別にアルベルティーナに対しては一向にかかってくる様子が無かった。作り物のような目をこちらに据えて一応は身構えたまま、不気味に沈黙しているばかりである。

 やがて、彼らの背後から「どけ、貴様ら」という聞き覚えのある声がした。

 その向こうでは、どこか遠くでまだ数名の兵らが殴り合ってでもいるらしく、異音や悲鳴が続いていた。


 そんな中、場違いなほどに涼しい顔をした火竜の国の第三王子が、やはり口端に笑みを貼り付けたような顔で紅いマントを翻し、目の前に悠然と現れた。

 この少年、実は姿だけは貴公子然として、すらりと背も高く、美しいのだ。


「先ほどらいだな。わざわざ会いに来てやったぞ、水竜の姫」


(この男……!)


 一瞬にして、アルベルティーナの碧い双眸が燃え上がった。

 いけしゃあしゃあと、何を言うのか。

 アルベルティーナは急激にせり上がってくる怒りの炎を飲み下し、殺気の籠もった眼光で相手を睨み据えた。もちろん、相手に向かってぴたりと剣先を定めている。


「……お招きした覚えはありません。どうぞ、速やかにお引き取りを」


 氷の刃もかくやというような声で返答するも、相手は憎々しげな薄ら笑いを浮かべたままだった。

「ほう、つれないことだ。俺はただ、美姫との誉れも高い隣国の姫と、多少の茶飲み話でもしようかと伺っただけなのだがな」


(『茶飲み話』ですって……?)


 アルベルティーナは奥歯を噛み締める。

 これのどこが、そんな平和的なものだというのか。

 警護の兵らを殴り倒し、寝所に土足で上がりこむような真似をしておきながら。野獣の狩りでも、ここまで下卑た真似はすまいと思う。

 第一、この王子の耳には、その背後から聞こえてくる兵らの悲鳴や、殴打や斬戟の異音はまるで聞こえないのか。


「門の前でも、何度もそう言ったのだがな。貴国はもう少し、兵どもをきちんと躾けておいて貰えんか」

 アルベルティーナの心の声が届いたのかどうか、王子は冷笑を頬に貼りつけたまま、少し肩を竦めるようにした。

「こちらの言い分をなかなか聞き分けてくれんばかりか、いきなり斬りかかられたのでは堪らんわ。そんなこんなで、このような面倒な仕儀になった。俺は、降りかかる火の粉は払う主義でな――」


(なにをぬけぬけと……!)


 そんなもの、どうせ言いがかりに決まっている。

 わが国の兵らが、こんな場所と場面で無駄な血気にはやるような、愚かな真似をする訳がないのだ。たとえ先に手を出したのが事実だとしても、そちら側からのぎりぎりの挑発行為があってこそのことだろう。

 それこそ、王子本人も含めたそちらの国の躾の問題ではないか。


「なによりこれは、『親睦の宴』だったのであろう? だったら隣国の王族たる俺たちは、他国の王子らよりもはるかにになっておく必要があるではないか。そう思わんか? 水竜の姫」


 自分に向かって突きつけられているアルベルティーナの白刃など目にも入らぬかのような態度で、相変わらず冷笑するような顔のまま、アレクシスが言葉を続けている。

 アルベルティーナは返事をしなかった。ただ、それだけでも相手を殺せそうな眼光で、ひたすらに相手を睨みつけているばかりだ。


「問答無用か? ……ふん」


 王子の目が長剣の先をちらりと見やり、すっと細められたようだった。


「……それとも、何か。まずは、をお望みだという事かな? さすがは『水竜のじゃじゃ馬姫』というところか――」


 ちき、と王子が自分の腰の長剣のつかに手を掛ける。

「武門の誉れも高き火竜の国の王子が、たかが女ごときに遅れを取ると思うのか? 侮られたものよ」

 王子の声には、多少の自嘲が仄見えた。

「女一匹、手に掛けたからといって、せいぜい刀の穢れになるぐらいのことだがな。……どうしてもと言うなら、やむを得ん」


 しゃりん、と金属の擦れる音がして、王子が自分の得物を抜き放った。

 残念なことに、その動きのどこにも、一分の隙も見えなかった。

 自分にもし付け入る隙があるのだとすれば、相手が自分を女だと侮ってくれることだろう。実はそこに一縷の望みを託していたアルベルティーナだったのだが、それはどうやら甘かったらしい。

 覚悟を決めねばならないようだった。


「お相手しよう。……ただし」


 火の国の王子でありながら、その声は地の底から聞こえるようで、一語一語がこちらの背筋を凍らせる威力を放っていた。

 王子の瞳は、まさに紅蓮の炎さながらだ。


「俺が勝ったら、次はお前が俺の相手をする番だぞ、水竜の姫。……もちろん、俺の望むままにな」

「……!」

 アルベルティーナは目を剥く。

 それが何を意味するのか、もはや言われるまでもないことだった。

「ああ、先に断っておくが。自害などは許さんぞ。あいにくと、死んだ女をいたぶる趣味はないのでな」

 にやりと、少年の口角が引きあがった。


(下劣な……!)


 アルベルティーナは唇を噛み、さらに相手をにらみつけた。

 だが、そういう卑俗きわまりない事を口にしているわりに、この王子からは意外にも、下卑た淫猥な雰囲気があまり感じられなかった。先ほどの宴の席のときとは、なにか少し様子が違うようにも思われる。

 アルベルティーナには、それが非常に不思議な気がした。


 あえて言うなら、この王子には、何か大事なものが欠落している。人なら当然持っているべきはずの大切な何かが、この少年の中にはないのだ。

 それは、今こうして剣を持って互いに向き合ったことで初めて、本能的にアルベルティーナの中に流れ込んできた閃きのようなものだった。


 ただ、だからといって救いがあるというわけではない。

 なぜならその欠落を凌駕して余りあるほどの、なにかどす黒くて底知れない、恐るべき歪んだ圧力のようなものが、アルベルティーナの全身を襲っていたから。


(……いいえ。始まる前から、負けていては駄目……!)


 アルベルティーナは、得物の柄を握りなおし、必死に自分自身を叱咤した。

 背後では、もう小さな弟がむせび泣いている声がしていた。その周りの女官たちも、共に抱き合ってがたがた震えているばかりである。

 我が身のみならず、自分はかれらも守らねばならないのだ。


 そんなアルベルティーナの内面をすべて見透かしたような目で、火竜の王子が嘲りの滲んだ笑みを深めた。


「覚悟はいいか? 水竜の姫。……では、参るぞ」


 その、数瞬後。

 小さな部屋に、鋭い剣戟音が鳴り響いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る