第3話 肉迫

 そこからさらに、五日が過ぎた。

 今、クルトと黒馬の姿のレオンは、ドンナーシュラークの中央部にある、商業の街ハンデルシュタットにいる。レオンによれば、ここをもう少し東よりに進めば、この国の王都へも三日程度の距離なのだということだった。


 商業と流通に力を入れている国らしく、街はクルトの故郷の最も大きな町、すなわち王都よりもはるかに大きかった。道は石畳で舗装され、見るからに人口も多く、人々に活気がある。

 道行く人たちの顔立ちや出で立ちも様々で、肌の色も目の色も体格も、また着ている衣装も非常に多様だ。村のいちに入ってみれば、所狭しと並んだ商店用の天幕の下から威勢のいい客引きの声が飛び交っている。


 かたわらを歩き過ぎてゆく女たちの中には、クルトが見たこともないような黄色や橙などの鮮やかな色の薄絹を顔の下半分に垂らし、黒や紫といった濃い隈どりを施した大きな瞳をきらきらさせているような者もいる。

 彼女らは、その印象的で真っ黒な瞳で少年を見下ろしながら、しなを作って歩いてゆく。彼女らと行き違うと、衣服に焚きしめてあるらしい薫香がむわっと嗅覚を狂わせた。

 そうかと思えば、上半身が裸で、まるで夜の闇のような肌色を晒した巨躯の男が、綺麗に剃りあげた頭の上に山盛りに果物を盛った大きな籠をのせてぐいぐいと大股に歩いてゆく。

 周囲は物凄い喧騒で、みんな身体をすり合わせるようにしながら、それぞれの目的のため、この界隈を歩き回っているのだった。芋の子を洗うようだとはこのことだった。


 周囲の屋台からは、あれやこれやとうまそうな匂いがしてきて、育ち盛りの少年の鼻腔をいやがうえにもくすぐった。

 クルトのような山だしの少年には、もう何もかもが珍しい。ぽかんと口を開いたまま、あまり周囲をきょろきょろ見回しすぎ、つい通行人にぶちあたっては、「おい坊主、気をつけな!」と、何度も人々から叱咤され、嫌な顔をされた。

 見かねたように、ときおり隣を歩く黒馬が「落ち着け」とばかりにクルトの頭にその大きな顔を軽くぶち当ててくる。


「わかってるよ、うっさいなあ……」


 クルトは馬の顔を押しのけて、ちょっと膨れっ面だ。

 一応、マントのフード目深にかぶり、背中にしょった弓矢や腰の短剣を覆い隠してはいるものの、クルトが余所者よそものの田舎の餓鬼だということは、誰の目にも明らかなようだった。

 そのぐらい、クルトはここまでの旅程ですっかり土ぼこりに塗れてみすぼらしいことになっている。ちゃんと金は持っているのに、どこぞの屋台などに寄って食物を買おうとすると、そこの店主の中年女や親父に、頭の上から足の先までじろじろと嫌な目で見られることも多かった。


 そんな中でもどうにかこうにか、クルトは羊肉の炙ったものとほかほかの雑穀パンを買い込んで、広場の中央にあるかつての国王のものらしい銅像の下に座り込み、それにかぶりついた。

 骨付きの羊肉は塩味がついていて、今にも脂が滴りそうに柔らかくて美味かった。クルトはしばらく夢中で、ようやくありついたそのすてきな食事を楽しんでいた。


 その時だった。

 不意に馬が、さりげなく銅像の後ろへ回り込むそぶりを見せた。

 クルトは不思議に思いつつ、「なに、どうしたんだよ?」とまだ口をもぐもぐさせながら振り返って、レオンに訊いた。


(……あ。)


 馬の様子が明らかに緊張したものになっているのに気付いて、クルトは慌ててマントのフードを引きおろし、馬の近くへ歩み寄った。それでも手にした骨付きの羊肉にはかぶりつき続けていたが。

 銅像と馬の影からそっと覗くと、商店が軒をつらねた場所からはだいぶ奥まった遠くの路地、石造りの家々の陰に、ひっそりと馬車が停まっているのがわかった。

 別にそれだけなら、どうということもない。これまでだって、そんな様子の馬車だったらあちらこちらで目にしてきたのだ。

 ただ、馬の様子を見る限り、それはいつもとは違う馬車であるらしかった。

 クルトは口を動かすのはやめないままに、馬と同じようにじっとそこに佇んで、その馬車の周囲を観察してみた。


 やがて、庶民風の男がごく普通のそぶりでその馬車に近づいて来た。そいつの様子を見て、クルトもはっとした。

 その男は、馬車に近寄ってくるまでは至極温厚そうな、どこにでもいる街の男のような風情を醸し出していたのだったが、馬車に近寄り、その御者台に座っていた別の男と二、三言かわすとき、一瞬だけ、きらりとその目に鋭い光を湛えたのだった。


(あいつら――)


 クルトは、胸がどきどきしてきた。


 あの時、やつらは黒い覆面で顔を隠し、黒装束を着ていた。だから、人相そのほかについては、クルトもまったく記憶にはない。それはレオンだって同様だろう。

 けれども、今、あの男の一瞬だけ纏う空気が変化したさまや身のこなしを見て、確信したのだ。あの隙の無い様子、明らかに人目を避けるような態度。

 何より、その纏う空気が、あの森の中、ニーナやレオンと共に遭遇したあの時に感じた、冷えびえとした嫌なものと同じだった。


 ……あれは、やつらだ。

 遂に見つけた。

 恐らく、あの何の変哲もない馬車の中に、求めるあのひとがいるのに違いなかった。


「どうする? レオン」

 クルトは黒馬の手綱を握り締め、ごく小さな声でそう言った。

 馬はぴくりと耳だけをこちらに向けて、静かに後退し、銅像の陰にさらに隠れた。


 馬がいつまでも少年とここにいたのでは、いくらなんでも目立ちすぎる。今は人通りも多くて目に付きにくいことだろうが、奴らのうちの一人でも、こちらに気付いたら最後だろう。

 馬は静かにその場から離れて、馬車とは反対方向の壁の向こうへと身を隠すと、クルトを促して自分の背に乗せた。そうしてそのまま、街の出口を目指して歩き出したようだった。


(……あ、そか)


 ハンデルシュタットの入り口は、切り石が積み上げられてちょっとした城門のようになっている。例によってそこにも立っている検問の兵士らに通行証を見せて街の外へ出ると、馬はすぐに街道をまた北上し始めた。


「どっかで待ち伏せするんだな? レオン」


 馬上からそう訊くと、馬は両耳をぴくぴくさせて、打ち合わせの合図どおり「応」の返事を返してきた。


(……いよいよだな)


 そう思うと、クルトの胸はどきんどきんと高鳴った。

 別に怖いわけでもないのに、ぶるぶる拳が震えてくる。


 やっと、追いついた。

 これでようやく、ニーナを救い出せるのだ。


 もちろん、レオンが馬の姿である昼間に襲い掛かるのは愚の骨頂。彼が人の姿に戻るまでは、どこかで夜を待つ必要がある。

 馬は周囲の地形を確認するようにちらちらとあちこちを眺める様子で、それでもやや早めの速歩はやあしのまま、どんどん街道を進んでいった。

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