第5話 挽歌 ※

 その女剣士とともに、クルトとアニカがもとの村に戻った頃には、太陽はやや傾きかけていた。

 森を抜け、村に近づいても、人の声らしきものはまったく聞こえてこなかった。クルトは暗澹たる気持ちになりながら、のろのろと山道を進んでいった。


 村の入り口にたどりつくと、無残な様相が嫌でも少年の目を射た。すでに、死肉を食らう山の獣たちが、物言わぬ村人の身体にたかっていた。そうした生き物の何かが死体を引きずって森の中へ入ったような跡もあり、クルトは思わず、それらのものから目をそらした。

 ぎゃあぎゃあと不気味な声で鳴きたてながら、黒い烏の群れが上空を舞っている。


「おにいちゃん……。とうさんは? かあさんは……?」


 アニカは震える声でクルトに聞いた。しかし彼女も、ある程度のことは肌で感じているのだろう、クルトの粗末な上着を掴んだ小さな手がぶるぶる震えているのが分かった。

 燃え上がっていた家の火はほとんど消えていたが、それで焼けたらしい肉の焦げるような臭いで、クルトはどうしようもない吐き気を覚えた。それでも、妹の手を引き、自分の足を励まして、倒れた屍骸の間を歩いていった。

 クルトたちの足音を聞いて、死体に集っていた烏どもが、不快な声をあげてばさばさと飛び立った。


 父と母が倒れていたはずの場所までやってきて、その惨状を見た時、クルトですらその場に倒れそうになった。

 昨夜の時点ですでにこと切れていたのは知っていたけれども、それはもう野の獣どもにすっかり蹂躙されていて、二人とも見る影もないほどに身体を損壊されていた。

 妹は、それが父母であることすら認識できないらしく、ただぼうっと、目の前に倒れている肉塊のようなものをガラス玉みたいな目で見つめていた。


 あとから歩いてきた女剣士が、遺体の前で呆然と立ち尽くしているクルトの肩にそっと手を置いてから、自分のマントを肩から外し、父母だったものの上に掛けてくれた。

 そうしてしばらくそこに膝をつき、両手を握り合わせて頭を垂れ、天に祈るようだった。それから二人をそっと自分のそばにいざなった。


「……さあ。お二人も、お別れを言わなくては――」


 アニカは機械仕掛けの人形みたいに、かくかくと足を動かして女のそばに座り込み、言われるまま両手を握って、じっとそのマントに覆われたものを見つめていた。

 クルトもその傍らにへたり込むようにして、しばらくそれを眺めていた。


 女はやがて立ち上がると、「薪を探してきますね」と言って、村のあちこちや森の中へと入っていった。

 女の言葉などほとんど耳に入らないまま、クルトはそれでも、アニカの肩を抱くようにして、ぼんやりとそこに座り込んでいた。


 ニーナは、そういう高貴な家の出の人とは思われないほど、ただ黙々と働いてくれた。周囲から集めてきた布で次々に村人の遺骸をくるんでは縄を掛け、自分の黒馬に引かせて村の広場だったところに集めた。

 クルトも、妹をその場に残して、やっと重い足をひきずるようにして立ち上がり、女の手伝いをした。

 ただ土葬にしただけでは森の獣に墓を掘り返され、荒らされてしまうので、火葬にするほかはない。村人たちはもともと全員で三十名に満たないほどだったが、すでに獣に掠め取られてしまった者があるためか、思ったほどの数ではなかった。


 最後に、ようやくマントに包んだ両親の遺体をそこへ運んだころには、日はもう暮れかかっていた。

 女はちょっと困ったような顔になり、もの問いたげな自分の黒馬の方を見ながら、何かを思案する風だった。

 それから、近くに火をおこして焚き火を燃やしつけてから、意を決したような顔でクルトたちのほうを見ると、静かな優しい笑顔を見せてこう言った。


「……申し訳ありません。わたくしがお手伝いできるのは、ここまでです」

「えっ?」

 クルトはびっくりして、女の端正な顔を見上げた。

 こんな山奥の、全滅した村に、沢山の死体と一緒に置いていかれるのだろうか。

 急に不安が込み上げてきたクルトの顔を、ニーナはそうと見て取って、優しくかぶりを振った。

「大丈夫です。心配しないで。……彼が、代わりに来てくれますから」

「え……?」

 女が何を言っているのか、クルトにはさっぱり分からなかった。


 呆然としている小さな兄妹を置いて、女は後ろ髪を引かれるような顔をしながらも、黒馬に跨って、夕刻の森の中へと消えていった。

 クルトは心細さにまたしゃくりあげはじめた妹の手を握り締めたまま、焚き火の傍に佇んで、しばらく女の姿の見えなくなったほうを見つめていたのだったが。


 女がいなくなってからすぐに日が沈み、周囲には再び、真っ暗な夜のとばりがおりた。すると、あの黒髪、黒マントの男が、どこからともなくぬっと現れたのだった。

 男を見て、兄妹は心底、驚いた。

 彼が一体どこから現れたものか、まったく分からなかったからだ。


 男はじろりとクルトとアニカを一瞥すると、ものも言わずにぐいぐいとこちらに歩いて来て、集落の壊れた家の中から勝手に油壷を探し出し、その中味を死体の山にぶちまけはじめた。

 何が始まるのかを見て取って、クルトは奥歯を噛み締めた。

 男は、死んだ村人を火葬にしようとしているのだった。

 と、妹のアニカもそれに気付いたらしく、急に慌てて、あの女のつけていた紺地のマントにくるまれた父母の身体の方へと駆け出した。

 男が松明を作って、それに焚き火の火を移したところへ、そのマントにしがみ付くようにして大声を上げる。


「いや、いやあ……! 父さんを、母さんを燃やさないで……!」


 男は悲しみを押し隠したような厳しい瞳のまま、しばし小さな少女を見下ろした。

 しかし、ぐいと少女の肩を押しのけると、大股に遺体の山へと足を向けた。


「いや、やめて……!」


 アニカがぱっと走り出して、男から守るように、紺のマントに包まれたものに覆いかぶさろうとした。

 が、男はそれより一瞬早く、妹の服の背中を掴んで引き止めた。


「死者に触れるな。思わぬ病をもらうぞ」


 声も言い方も、至ってぶっきらぼうには聞こえたが、クルトにはそれが何故か、妹を案じての言葉のように思われた。

 男はそのまま、アニカの小さな体を放り投げるようにして、クルトの方へ押しやった。そうして、薪で囲み、油を撒いた躯の山に火をつけた。


 もとは村だったその一帯に、死肉の焼ける異様な臭いがたちこめた。やがて炎は燃え上がり、その炎と黒い煙の中で、夜空に浮かんだ星ぼしが白っぽく浮かび上がった。

 アニカは煤や土ぼこりで真っ黒になった頬を涙でびしょびしょにして泣いていた。

 クルトはそんな妹の手を握り締め、唇を噛み締めてその炎をじっと見ていた。

 炎に浮かび上がった長身、黒マントの男の姿が、おどろおどろしく揺らめいて、まるで夢か何かのように思えた。


 夢なら、いますぐ覚めてくれればいいのに。

 何度もそんな風に思ったけれど、どんなに目を閉じてみても、ふたたび開けば同じ無情の光景が、目の前に続いているばかりなのだった。


「もう寝ろ。あとはやっておく」


 男は無愛想な声でそう言って、クルトとアニカをそこから少し離れた比較的ましな状態の家に連れてゆくと、相変わらずの有無を言わさぬ様子で、薄い木製の扉をばたんと閉じてしまった。

 部屋の中に入っても、あの肉の焼ける、なんとも言えない不快な臭いから逃れられるわけではなかった。しかし、それでもクルトは妹と一緒に寝藁の中に潜り込むと、途端に襲ってきた睡魔に負かされ、あっという間に眠りの底に落ちていった。



◆◆◆



 翌朝。

 すっかり外が明るくなってから、ようやくクルトは目を覚ました。妹はまだ、隣でぐっすり眠っていた。

 どうして自分がこんな所で眠っていたのかがすぐには思い出せず、クルトはしばらくじっとしていたのだったが、やがてすべての記憶が次々に甦ってくると、がばっとそこから身を起こした。

 慌てて家から走り出て、昨夜、男が火を放った死体の山のあった場所へ向かった。


 朝の爽やかな光が届き始めたその場所には、もうこんもりと土が盛り上げられ、大きな塚ができていた。

 その前で膝をついて頭を垂れていた人が、ふとこちらを振り向いてそっと微笑んだ。


「ニ、ニーナ、さん……?」


 クルトはちょっと信じられないものを見たような気になって、そこにぼうっと立ち尽くした。ニーナはすぐに立ち上がると、軽い足取りでこちらへとやって来た。

 不思議なことに、昨夜、父と母の身体を包むために使ってくれたはずの紺地のマントが、何事もなかったかのような綺麗な状態で、彼女の肩に流れていた。


「おはようございます、クルトさん。少しは休めましたか? ……アニカさんは」


 彼女の、あの優しい声が降ってくる。

 見れば、塚のたもとに可憐な野の花がひと束、そっと手向けられていた。

 クルトはそれを見て、息を止めた。


(本当……だったんだな。みんな……)


 クルトは今でもまだ、できることなら昨夜までに起こったすべてのことが、みんな悪夢であったらいいのにと思っていた。

 しかし、目の前のこの塚と花束は、それがすべて現実のことなのだとクルトにまっすぐに告げていた。

 クルトは黙ったまま、その塚に近づいた。

 そうして、今まで女がしていたように、そこにひざまずいて、手を握り合わせた。女は黙って、背後から彼を見ているようだった。


 どうやらあの男は、恐らく夜じゅうかかって遺体を火葬し、大きな穴を掘って埋葬して、この塚を作ってくれたらしい。

 こんな大仕事をたった一人で、よくもやってくれたものだと思う。

 あんなに無愛想で不機嫌そうにするものだから、つい言い忘れてしまったけれども、次に会ったら、ちゃんとお礼を言わねばならないなと思った。


 そうなのだ。

 なぜかクルトは、きっとまたすぐ、あの男に会えるような気がしていた。

 きっと、夜がやってくれば、男はまた自分の目の前に現れるのだろう。

 そう思ってそっと目線を動かしてみたら、少し離れた木の陰に立っていた黒馬が、やっぱり面倒くさそうな顔で、ふんとそっぽを向いたような気がした。

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