第4話 女剣士

 クルトが、妹とともに捕まっていた女たちも連れて山道を下ってゆくと、すこし道幅の広くなってきたあたりで、黒馬に乗った剣士に出会った。

 驚いたことに、蜂蜜色の豊かな髪を後ろで三つ編みにし、白銀の金属鎧に紺地のマントを流したその剣士は、男ではなかった。


(あれ……?)


 その女性ひとと目が合った瞬間、クルトは奇妙な気分に襲われた。

 その、優しく澄んだ碧い瞳に、見覚えがあるような気がしたのである。女は非常な美貌の持ち主で、その仕草や表情からしてもう、どこぞの貴族かなにか、ともかくやんごとない出自の御方であることが明らかな佇まいだった。

 このご時勢、女の身で剣士あるというだけでも相当に稀有なことだったが、そんな高貴な家の子女が供もつけずにこんな田舎道に単騎で歩いているなど、普通なら考えられない話である。


 一緒に歩いていた女たちも、自分同様、ちょっと信じられないものを見てしまった顔で彼女に見とれている。クルトはそんな彼女らを連れ、女剣士の傍を通り過ぎようとしてまた「あれ?」と思った。

 女の跨っている黒馬の右の目にだけ、なぜか黒い遮眼革しゃがんかくがつけられていたからである。不思議な違和感のような、すでに見たことのあるものを見たような変な気持ちになりながら、クルトはその馬の残った方の目をつい覗いてしまった。

 黒く澄んだその馬の目の底に、やっぱり見たことのあるような、悲しげに沈んだみどりの色を見た気がして、クルトはぱちぱちと瞬きをし、何度もそれを見直してしまった。


「……どうしたのです。皆さん、何かありましたか」


 と、涼やかな透きとおる声が降ってきて、クルトは現実に引き戻された。

 馬上の女が、どうやらこちらに質問してきたようだった。


「皆さん、ひどくお疲れのようですね。どちらへ向かっているのです」


 言いながら、女はもう下馬して、こちらへ近づいて来た。

 地面に降り立っても、彼女はすうっと細身で背の高い、とても優美な風情の人だった。彼女が歩くたび、その身にまとった美麗な装飾の施された銀の鎧がかしゃかしゃと軽い音をたてた。

 彼女は腰に細めの長剣を手挟んでいたが、その鞘も、やっぱりどこかの貴族の紋章や宝玉のあしらわれた、それは優美な品だった。

 そのひとが近くへ来ると、なんとも言えない、爽やかな花のような香りがして、クルトはちょっと眩暈がしそうな気になった。隣に立っているクルトの妹アニカも、なんだかぽうっとなってぼんやりしている。


「……どうされました?」


 不思議そうに女剣士にそう尋ねられて、クルトははっと気を取り直した。

「えっ、いや、あのっ……」

 急にいたたまれないような、なんだか気恥ずかしいような思いが湧きあがり、クルトは思わず少し後ずさったが、引いていた妹の手を握りなおして、意識的に声を張った。

「はい、えーと……この人たち、ゆうべ山賊に村を襲われて、森の奥で捕まってたんです。俺の妹も捕まって……、ある人が助けてくれたんですけど」


 そう言いながらふと馬の方へと目を走らせたのは、完全に無意識のことだった。しかし、何故か片目の馬のほうは、ふいと路肩の方へと首を向けて、こちらのことなど「われ関せず」といったような風情に見えた。


(……?)


 どこがどう、とは言えないのだが、何となく、馬らしくない馬のような気がする。

 クルトのいた貧しい村には、比較的豊かな家に農耕用の年寄り牛がいたぐらいなもので、馬なんてぜいたくな生き物を飼っている家などなかった。しかしそれでも、普段から牛や羊などの動物と日常的に触れて暮らしてきたクルトにとって、その馬はなんだか異様に見えた。


 変な顔になったクルトのことを気にする風もなく、女はにっこり微笑みながら、さらに質問してきた。

「そうなのですか。皆さんの村はどちらなのです? 小さなお子さんもいるようですし、皆さん大変お疲れのご様子。良かったら、私の馬をお使いなさい。途中まででも、お送りしましょう」

 女の声は、ごく優しかった。

「え……」

 クルトはびっくりして、端正な女の顔をまじまじと見返してしまった。そしてまたつい、その背後の黒馬の方を盗み見てしまう。


 そして、クルトは見てしまった。彼女のその台詞を聞いた途端、馬がさも「やれやれ」と面倒くさそうな顔になったのを。

 いやもちろん、その時は、それは自分の気のせいだと思って、少しの疑いも抱かなかったのだけれども。



◆◆◆ 



 賊どもに拉致されていた女たちは、クルトの村より少し規模の大きな麓の村から来たということだった。

 聞けば、村の男たちは相当にあの山賊に抵抗してくれたらしかったのだが、ちょうど昨夜は村の祭りに当たる日でもあって、彼らは既に賊の襲撃があるまでに、しこたま酒を飲んで寝こけていたものらしい。もしかすると、事前に酒樽の中になにか薬でも仕込まれていたかもしれない、と村の女の一人が言った。

 生き残って逃げ散っていた村人らが戻ってきている可能性は高かったので、女たちはともかくも、まずは自分の村に戻りたがった。


 クルトは女たちとまずはそちらの村に向かって、その後、自分の村を見に行くつもりでいた。女たちの村とは違い、ごく小規模の自分の村は、恐らく全滅しているだろうとは思ったけれども、それでも一応、必要なもの、大切なものを持ち出すぐらいはしたかったのだ。

 ちなみに、今回、クルトの村の女は他にだれも、賊に捕らわれてはいなかった。もともと小さな村だったし、いるのはごく小さな幼女か、中年以上の女ばかりだったことも大きかったのかも知れない。


「そうでしたか……。お察しいたします。どなたかお一人でも、村のかたがご無事でいらっしゃるといいですね……」


 女は起こった事を心から悼む様子で、憂いを含んだ美貌を少し顰めるようにしていた。やや悔しげに、その薔薇色の唇を噛みしめている。

 道々、そんなことを話しながら歩いているうちに、クルトも、妹のアニカも、その他の女たちも、すっかりこの女剣士と仲良くなってしまった。


 女は、名をニーナと言うらしい。

 そういう家の出の子女らしからぬ、さばさばと明るい気質の女性であるらしく、貴族の女にはありがちな、じめじめ、鬱々した様子も、自分の美や富貴を誇る様子も微塵もない。それでいて、人当たりの厳しいところもなく、身分の低いクルトや女たちに対しても、ごくたおやかに優しい立ち居振る舞いのできる人なのだった。

 皆は話をするうちに、すっかりこの人が好きになった。

 女たちの中には、今回のことで人としての尊厳を奪われる、まことにひどい経験をしてしまった者も多かったのだけれども、彼女と話をしている間は、そんな女でもほんの少し、笑みを浮かべることができるようにも思われた。


 女は、山奥からずっと歩いてきて足を痛めてしまった小さな少女や、怪我をしている女から優先的に、自分の馬に乗せて引き馬をし、自分はずっと歩いてくれた。妹のアニカも、少し馬に乗せてもらって、それはそれは上機嫌だった。

 アニカの笑顔に、クルトは少し救われたような気持ちになった。しかし、もうこの世に父も母もいないのだと思うと、自分にし掛かってくる胸の塞がるような思いはどうしようもないのだった。


 これから、一体どうすればいいのか。

 父さんも、母さんも、死んでしまった。

 村人も多分、あれでは誰も生き残ってはいないだろう。

 小さな妹を抱えて、二人でどうやって生きていけば……。


 知らず、とぼとぼと石ころだらけの足もとばかり見つめて歩いているクルトのことを、傍を常歩なみあしに歩くその黒馬が、考え深げな濡れた目でそっと見ていたようだった。


 やがて、女たちの村が見え始め、生き残りの村人らが驚いて女たちを迎えに走り出てきたのが見えると、ニーナは皆に挨拶をして、そこで馬上の人となった。

 そろそろ、昼餉をするような刻限だった。


「それでは、わたくしはこれで。皆様、どうかお気をつけて」


 そうして村人らには会わずに、すぐ馬首を巡らせて行こうとする女を、クルトは思わず呼び止めていた。


「ま、……待ってよ!」


 ニーナは馬をとどめて、馬上からクルトを見下ろした。

 そうして静かに、続くクルトの言葉を待ってくれている。

 その、もの問いたげな優しい碧い瞳に励まされたような気になって、クルトは思い切って言っていた。


「ニ、ニーナさん、どっちに行くの? 俺の村、あっちの山までもう少し行ったところなんだ。よ、よかったら――」


 妹の手を握り締めて、ぎゅっと目をつぶる。

 もうそれが、この世にたったひとつ残った、一縷の望みのような気がした。


「い、一緒に行ってくれない? ニーナさん……」

「…………」


 女が、ちょっと困ったように、その瞳を揺らしたようだった。

 そうして、なぜかさり気なく、空に上がった太陽を眺めたように見えた。

 彼女の跨った黒馬も、ぶるる、と少し不満げに首を振った。


「だって、俺……作らなくちゃ。み、みんなの……」


 声が次第に震えそうになって、クルトは必死に自分の喉を励ました。


「と、父さんと……母さんの――」


 それでも、声はどんどん小さくなって、クルトはしまいに俯いた。


「……お、墓……」


 もう、何も言えなかった。

 必死に奥歯を噛み締めていなかったら、今にも変な声が出そうになっていたから。


 女がはっとしたように、急いで馬から下りた気配がした。

 かしゃかしゃと金属鎧の音がして、気がつけばもう、クルトはあの、爽やかな花の香りに包まれて、その腕に抱きしめられていた。


「ごめんなさい……! わたくしが至りませんでした。どうか、許して――」


 女はそこに片膝をつき、堅い鎧の胸に、クルトの頭を押し付けている。

 気がつけば、彼女が肩に流している紺地のマントの上に、ぽつぽつとぬるい雨が降っていた。

 そうしてそこが、あっと言う間に濃い色に滲んでゆく。


 それが自分の零したものだということに、クルトはしばらく気が付かなかった。


「あ、……れ? 俺――」


 と、思う間にも、それはぼろぼろととどめようもなく零れだして、やがて熱く、視界のすべてを覆ってしまった。

 喉はもう、クルトのいう事など聞いてはくれなかった。それはひきつれたような歪んだ音を立てて、持ち主の意思など関係なく、悲鳴のように軋んでいた。


「ひい……っ」


 妹の前では、決して泣かないと思っていたのに。


 気がついたらもう、クルトは彼女のマントを両の拳で握り締めて、声を限りに泣いていた。

 そんな兄の様子にびっくりして、隣でしばらく固まっていた妹も、まるでそれにつられるようにして女剣士にかじりつき、やがてわんわん泣き出した。

 女剣士はそんな二人を、両腕にしっかりと抱きしめた。


 二人の子供に抱きつかれ、大声で泣き喚かれている女剣士を、傍らに立つ黒い馬が、やっぱり困ったような目で見つめていた。

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