第3話 饗宴 ※

 その竜は、それから一刻もしないうちに、黒い剣士のもとへと戻って来た。

 白い竜が彼の黒髪に頭をこすりつけるようにしながら、くるくると何かをその耳に囁くと、男はそっとその生き物の体に手を添えるようにして頷いた。

 やがて立ち上がり、焚き火を足で踏み消して、水筒らしい皮袋に川の水を入れ、そこへ一度掛けてから、いずこかへ立ち去る様子である。


 こちらのほうなど見向きもしないでもう行ってしまいそうにするその男の背中を、クルトは慌てて追いかけた。

「あっ、あの……」

 男は一瞬、足を止めて、じろりとこちらを睨み下ろした。


「ついて来い。夜の間に決着をつける」


 言い捨てるようにそれだけ言うと、男はもう何も言わずに、ずんずんと大股に鬱蒼とした黒い森のなかへと踏み込んでゆく。

 クルトはびっくりして、さらに慌ててそれを追いかけた。

 男の言葉の意味はよく分からなかったが、竜がクルトの妹の居場所を突き止めてきてくれたらしい。まさかとは思うが、この男は力になってくれようとしているのだろうか。

 これほどかかわり合いになるのを嫌そうにしていながら、何故そんなことをしてくれる気になったものか、クルトにはさっぱり分からなかった。


 ともかくも、男は夜空に輝く「竜のドラッヘ・シュテルン」を目指すようにして、森の中を歩き出したようだった。

 「竜の星」は、常に廻り動く天球の中で唯一動かない、不動の星だ。

 つまりそれは、この大地にあっては北を指す。

 本当か嘘かは知らないが、村の年寄りたちによれば、その星はこの大地の、五頭の守護竜の生まれ故郷なのだという。


「ねっ、ねえねえ! あのさ――」


 長身の男の足取りは、思った以上に速い。急な坂道もものともせずに、ぐいぐいと沈黙のまま、いばらや灌木を掻き分けるようにして進んでゆく。山育ちの少年の足でも、それについてゆくのはひと苦労だった。クルトは息を弾ませながら、大きなその真っ黒い背中にむかって声を掛けた。


「俺っ、名前、言ったよね? あんたは、なんて言うのさっ……?」


 少し休んでいたお陰なのか、身体は随分と楽になっている。あの賊どもに散々に殴られたり蹴られたりした傷も、不思議なぐらいに痛まなかった。

 しかしやっぱり、男は無言のままだった。

 少年は、ちょっと膨れっ面になる。

 忙しく足を動かし、息を弾ませながら、前を行く男の背中に食い下がった。


「あのさ。相手が名乗ったら、自分も名乗るのが礼儀ってもんなんじゃねえの? 村の爺様がいつもそう言ってたぜ? それともあんた、名前もねえの?」

「…………」

「そんじゃ俺、勝手に名前つけちまうぜ? いざという時、名前もないんじゃ不便だもんな。『黒いおっさん』とかどう? 『片目のおっさん』は?」

「…………」

「あ〜っ、『無愛想ぶあいそなおっさん』とかでもいいかな! わ〜、ぴったり! そんじゃあ、それで――」


 その途端。

 がっ、といきなり男が立ち止まって、クルトは危うく、その広いマントの背中に顔面からぶち当たりそうになった。


「うわ、っと――」

「レオンだ。そう呼べ」


 殺気の籠もった翠みどり色の瞳で睨みおろし、地を這うような低音でただひと言そう言って、男はまた踵を返し、再び凄まじい速さで山道を歩き出した。



◆◆◆



 その山賊どもの根城らしい薄汚い集落へは、そこから早足に歩いて半刻ほどでたどり着いた。


 集落を囲む木立の間からそちらを覗くと、男どもがわらわらと楽しげに酒など飲みながらどら声を張り上げているのが分かった。

 先ほどの襲撃で手に入れた食料やなにかを山分けでもしているのか、不意に怒鳴りあいや殴り合いが始まっては、周囲の男たちがそれをはやし立てる声も聞こえる。見たところ、ざっと三十人ぐらいはいそうだった。


 今夜襲われたのはどうやらクルトの村ばかりではないらしく、見慣れない顔の女たちが集落の真ん中に集められて、それぞれ男たちから吟味されたり、殴られたり、髪を掴まれて小さな天幕の方へと引きずられていったりしながら悲鳴をあげているのが分かった。

 見たところ、すぐには妹の姿が確認できず、クルトはそちらをじっと見つめながらも、じりじりときもを焦がしていた。


 みずからをレオンと名乗った黒マントの剣士は、片方しかないその目をじっと細めるようにして、しばらく山賊どものその狂態を眺めているようだったが、やがてその場にしゃがみこみ、クルトの胸倉を掴んで自分に引き寄せた。


「せっかくついてきたんだ。お前も手伝え」


 ぶっきらぼうにそれだけ言って、男はとあることをクルトの耳に囁くと、小さな白竜には別の何事かをそっと囁き、その生き物を森の方へと静かに飛び立たせた。ここからしばらく、竜のことは隠しておくつもりであるらしかった。

 別に、クルトが不服に思うような筋合いでないことは百も承知なのだが、自分に対するそれと、その竜に対する男の声音は随分と違うものだった。その小さく優美な竜に対しては、男はいつもひどく丁寧で、しかも優しく話しかけているようなのだった。

 それはとても、単なる愛玩動物ハウスティアラに対する態度とは思われなかった。


 クルトは男に言われた通りに、集落を囲んでいる見張りの男の目を盗み、随分と大回りをして、剣士の反対側へ出た。そうして、とおにしては小柄な自分が逃げ込めるような、適当な木のうろを見つけ出しておいてから、そっと集落の傍へとにじり寄った。

 そうして、じっと頃合いを見計らってから、いきなり立ち上がって、なるべく低い声を出すようにしながら大声で怒鳴り上げた。


「王国軍だ! 王国軍の警備隊だぞ――!!」


 見張りの男がはっとこちらを向く前に、クルトはもう、さきほどの木のうろへ転がり込んで、周囲の落ち葉などで身を隠していた。

 集落が騒然とし始めて、どやどやと男たちが叫び声を上げ、こちらへ向かって走ってき始めたのが聞こえた。それと同時に、女たちの甲高い悲鳴や泣き声も混ざり始めた。


 と、いきなり集落から「ぐへっ」とか「ぐわっ」とかいう、蛙をひき潰したような声が上がって、女たちの悲鳴も大きくなった。

「な、なんだ……?」

 見張りに立っていた男らも、慌てたようにそちらに戻ってゆく気配がする。

「敵襲! 敵襲ッ……!」

 そう叫びたてる男の声も、その半ばで唐突にぶつりと途絶えた。


 クルトは周囲に人の気配がしなくなったのを確認してから、恐る恐る落ち葉をかきのけ、木のうろから這い出した。

 それでも、暗闇と木の陰に身をひそめつつ、そっと集落側へ近づいてみる。


 集落は、今や大混乱に陥っていた。

 手に手に、長剣やら棍棒やら戦斧やらを持った男たちが、今まさにたった一人の男を相手に、次々になぎ倒されているところだった。

 男はまるで、黒い竜巻のようだった。

 手にしているのは、先ほどまで背中に担いでいた彼の得物なのだろう。貴族などがこれ見よがしに腰にいているようなものとは違って、宝石や金細工などの装飾の一切ない、無骨なつくりの両手剣だ。

 ただ、その刀身が一般的な長剣よりも非常に長い。一瞥しただけでも、それがよく使い込まれたものなのは分かった。剣は男の手に馴染み、まるで彼の体の一部ででもあるかのようだった。

 両手剣を構えた男は、その重みをまるで感じさせないような足取りで、次々に目の前の男どもをぶった斬り続けていた。


 彼の大剣が一閃すると、周囲に血しぶきがぱっと散って、周りに立っていた男らの胴体が真横に寸断されたり、首や腕が飛んだりする。

 たとえ身体を斬られなかったとしても、その刀身が凄まじい重みでぶちあたるだけで、男らの身体は変な方向にねじ曲がったり、頭部がぐしゃりと潰れたりするのだった。

 両腕をどちらも切り飛ばされた男の一人が、涙と涎を垂らしながら地面に転がり、吼え狂っている。しかし、すでにこと切れてもの言わぬ者のほうが遥かに多かった。

 男は相当に戦い慣れた手練てだれであるらしく、そこまでの剣戟を繰り出していながらも、ほとんど返り血は浴びていなかった。


 男たちはとうに戦意を失って、今はもう、どうやってこの黒マントの男の剣の間合いから逃げ出そうかと算段しているのは明らかだった。かれらは血走った眼まなこをぎろぎろ光らせ、じりじりと男から間合いを取っては、少しの隙も見逃さぬようにと周囲や互いを必死にちらちらと見合っていた。

 しかし、マントの男はこの場の誰一人、逃がすつもりはないようだった。


 その隻眼も相貌もごく冷厳そのもので、男はまるで機械人形さながらに、あたかきこりが木を切り倒す時のような無感情さで、つぎつぎと男たちの命をほふってゆく。

 その目には、一抹の憐れみも存在しなかった。


 男はただ黙々と、無駄のない動きと足取りで山賊どもを追い詰め、斬り払い、やがてほんの四半刻も経たぬうちに、すべての男らを沈黙せしめた。

 その間ずっと、女たちは震えながらお互いの身体を抱き合い、集落の片隅で震えていたようだった。


 全員を殲滅せしめた男は、血と人体の脂に汚れたその得物を、倒れた躯の着ているものでぐいと拭うと、慣れた仕草で背中の鞘にかちりと戻した。そのかおにはやはりさしたる感慨はなく、ただ与えられた仕事をこなしただけと言うような、ごく凪いだ風情だった。

 彼がちらりとこちらを見たのを合図に、クルトは木陰から飛び出して、生臭い鉄のにおいに満ち溢れた集落の中を駆けずり回った。もちろん、見慣れた茶色のおさげ髪の少女をさがし求めるためだ。


「お、……おにいちゃんっ……!」


 妹は、まだ小さなほかの少女らとともに、荒縄で手足を拘束されて、天幕のひとつに転がされていた。みな、涙や泥で顔や服などは真っ黒に汚れていたが、その着衣に乱れはなかった。

 どうやらこの少女たちは、幸い男どもの慰みものにはされずに済んだものらしい。とはいえ、すぐにも人買いに高値で売られる運命だったのは明らかだった。

 もしもそうなってしまっていたら、この場で慰み者にされるよりも、ずっと過酷で厳しい未来が待っていただろうことは間違いなかった。この国にも、こうした幼い少女らを食い物にしたがる腐った貴族や裕福な商人どもは大勢いるのだ。


「アニカっ……!」

 死体から剥ぎ取った短剣で彼女らの縄を切ってやり、クルトは妹を抱きしめた。早速、大声でもうわんわんと泣き出したアニカを抱きしめるようにしたまま、クルトは天幕の外へ出た。


「あれっ……?」

 クルトは、我が目を疑って一瞬立ち尽くした。

「お、おい……ちょっと――」

 きょろきょろと、周囲を見回す。

 その場にはもう、殺された男どもの死体のほかは、今の状況にただ震えてしゃがみこんでいる、虜にされていた女たちがいるばかりだった。


「ど、どこいったんだよ! あのおっさん……!」


 そうなのだ。

 先ほどまで集落の真ん中に立っていたはずの、隻眼、黒マントのその男の姿は、忽然とその場から消えていた。


 空では早くも夜の色が駆逐され、朝の曙光がじわじわと、眠っていた山容を照らし始める刻限だった。

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