灯籠流しの夜

@mogako

第1話

浅野川のほとりを通学路にする中学生にとって、その日は特別な夜だった。


金沢の一大イベントである百万石祭りが毎年6月に催される。加賀藩主だった前田利家が入城する様を模した百万石行列をメインにお茶会など様々なイベントが行われる中のひとつが、その灯籠流しだ。友禅流しで有名な浅野川を、1000個をこえる灯籠が流れる。その幻想的な風景は恋を覚え始めた若い男女には格好のデートスポットだ。

恋愛に縁の無かった中学生時代の私にとって、灯籠流しは強烈な憧れだった。

それから受験に部活、進学、就職。

いつのまにか夢は頭の片隅に置き去りにされた。


そしてもう女の子とは呼べない年齢になった頃、やっとその機会が巡ってきた。相手はようやくできた好きで好きでたまらない人だった。

ちょっと小さな耳も、標準語のどことなく立ち入りづらさを感じる声も、繋いだ手の感じも。

私にとってすべてが完璧だった。

なけなしの勇気を振り絞り誘った灯籠流しの夜、私は彼が乗るバスを今か今かと待っていた。浅野川大橋はもう多くの観光客や地元の見物客であふれかえしている。藍色や白地に華やかな模様の描かれた浴衣の女の子たち、子供を肩車した男の人。人々の熱気の中、時間より少し遅れてバスはやって来た。

「混んでるね、どこから流れるのかな」

私のドキドキなどまるで別世界のように彼は淡々と周りを見渡している。

「天神橋から流して中の橋で回収らしいよ。」

まだ時間もあるのでとりあえずそのあたりを散策がてら場所を探すことになった。東の廓と呼ばれるひがし茶屋街にある祖母の家によく預けられていた私にとって、このあたりは庭も同然だ。観光客のごったがえす茶屋街のメインストリートしか歩いたことのない彼の手をひき、まずは梅の橋の方へ向かう。

「この橋、梅の橋っていうんやけど夢の橋をもじっとるらしいよ。」

昔、侍が現実から遊女の待つ夢の世界へ、東の廓へ向う時に通った橋がその由来だそうだ。祖母に手を引かれ散歩をしながら聞いた話を得意げに彼に伝える。

「随分ハレンチな夢だね。」

そう言って彼は笑う。


梅の橋も河原に降りても人が多かったため主計町の方へ行ってみることにした。春は桜並木になる河原沿いの道を進み、大橋を渡って主計町に入ると人はまばらになった。対岸のくわな湯の明かりがつき始め、辺りはどんどん宵へ向う。

「そろそろ始まるね。このへんにしようか。」

私達は堤防のブロック塀に掴まって背伸びするように川を眺めた。別名おんな川と呼ばれる浅野川の流れはゆっくりで、暗くなると更にそのゆるゆると流れる様に色気があるように思える。その流れを見つめていると彼の幾分弾んだ声が飛んできた。

「あ、流れてきた。」

ゆるやかな流れにのって小さな白い灯籠がしっとりと始まりを告げにやってきた。中に入れられたろうそくの明かりが和紙越しに辺りを照らす。来た来たと周りからも、はしゃいだ声が上がった。


はじめはちらほらだった灯籠が段々と増えていき、暗い川を無数の光が列をなし流れていく。

それは言いようもなく幻想的だった。

「きれいやね。前に見たの小さい頃だったからなぁ、久しぶりに見たわ。」

流れに乗って押し寄せるようにやってくる灯籠の列はまるで光の河のようだった。父の漕ぐ自転車の荷台に乗って見に来た幼い日、あの時は屋台の方に夢中だったっけ。こんなにきれいだったんやなぁ。歳を重ねると社会の汚いところばかり見えて来ると思っていたけど、こんなにきれいなものも見えてくるんだな。


「本当にきれいだね。灯籠は手書きなのかな、なんて書いてあるんだろう。あ、絵もいろいろある。」

彼の感動しているのだろうがひどく現実的な声に引き戻され、慌てて相槌をうつ。

「手書きみたいやね。あのお花きれい!」

灯籠に描かれた花や文字がろうそくのあたたかい光に照らされいっそう華やかさを増す。


大小様々な灯籠の絵や文章の意味など、他愛もない話しをしていると、

「そろそろ終わりかな。」

延々と続くように思われた光の列も少しずつ間隔が空いていき、とうとう最後の集団が流れてきた。


もう、川下に控える船に拾われそうな流れる灯籠と暗闇に浮かぶ彼の横顔を見つめた。さり気なく寄り添った時につないでくれた手が暖かい。このまま手がくっついて、ずっとこうしていれたらいいのに、彼に体重を預けてそう思った。


結局、時は止まるはずもなく彼の手も簡単に離れていった。私の想いにこたえられない、決して嫌いになったわけではないんだと最後まで優しかった彼の涙を今でも思い出す。10年の年月を駆け抜け、私は結婚し子供もでき幸せな家庭を築いた。もう連絡するすべもないが、彼はどうしているだろうと時々考えてしまう。


今年は灯籠流しに行こうと思う。夢の架け橋を渡って、あの全てが光り輝いて見えた夜の思い出を胸に秘めながら。決して戻りたいとは思わない、触れられないからこそ夢のように美しいものだと思うから。

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