第5話 旧ユーゴスラビアの分割が平和的な手段で達成できると信じていた

Day Side


 トイレで手を洗っている時の事だ。


「メツ」

「……? ああ、お前か」


 清掃員が声をかけて来た。警察署の清掃員は他の職場より特殊だ。そしてこいつはさらに特殊だ。


「お前の面が割れた」

「!……早いな……昨日の09PDの署長にか?」

「ああ。俺がお前のファイルを渡した」

「……なるほどな」


 こいつの立場を説明するのは大変なんだ。つまりこいつは二重スパイだ。鋼鉄派から送り込んだスパイが毒喰派に懐柔されて、鋼鉄派のエリアで活動している。俺達の仲間という仮面を被って重要な情報を流している。そして俺がそれを見抜いた。脅しをかけて三重スパイにする手もあったが、俺はそれをしなかった。二重スパイの活動を見逃す代わりに、毒喰派に『どんな情報を流したか』を教えてもらう、という取引をした。謝礼の話もつけ了承された。それが今の俺たちの関係だ。


「それと、これは友人として話すわけだが……いいか?」

「……ああ、頼む」

「お前に逮捕状が出されるかもしれない」

「何?」


 勢力同士のぶつかり合いは黙認されてきた。突っ込み過ぎると自分たちの首を絞めることがわかってきたからだ。俺は殺しはやっていない。あの仕事では。


「そんなに重要な男だったのか、あいつ……それとも、持ち去ったあれか……?」

「その辺の事じゃないようだ。子どもの誘拐と虐待の疑惑が持ち上がっている」

「何だって!?」


 全く身に覚えがないぞ。どこからそんな話が?


「俺が言えるのはここまでだ。もしも、この先を知りたいなら……」


 そう言って折りたたまれた紙を差し出した。


「わかった」


 俺は紙幣を差し出し、紙を受け取る。そのまま48PDを出た。


 俺が子どもを誘拐? 何故そんな? とにかく情報を集めるか。


 犯罪が溢れ、警察が取り締まる。それが共に進歩し続け、お互いの技術は向上した。法や条例は変わり、技術の革新と共に道を模索した。そして法や秩序の中でも外でも最悪の行為とされたのが、子どもに関する犯罪だ。これについては勢力の問題は関係ない。疑惑が強まれば俺への捜査は拒めないだろう。


 俺は境界線エリアへやってきた。公衆電話にコインを入れてメモにある番号を押す。


「この電話番号は現在使われておりません……番号をお確かめになり、もう一度おかけ直しください……」


 そのまま10秒ほど待つ。そして、俺は言った。


「優しい隣人を装い、隙を見つけて全てを奪い尽くす。その覚悟と責任をもって大きな力に、俺はすがる」


 受話器から音声が流れる。


「連絡先の番号を押してください」


 俺は番号を押し、電話を切った。

 5分ほどして俺の携帯端末のコール音が鳴り、俺は出る。


「こちらは、ディープ・スパイダー・コンシェルジュです。ご指名の者はおりますか?」


 俺はメモに書かれた名前を言う。


「30分後に指定の場所へ向かわせます。住所は――」

 場所を確認し通話を終了。俺はその場所へ向かった。




「お前が雪本不滅か?」

「そうだ」


 公園のベンチに座っていると男が話しかけて来た。"G.O."に根を張る闇の勢力『ディープ・スパイダー』の構成員。どんな立場にいるかは謎だ。報酬を渡せば情報は手に入る。それ以上の対価を払っているかもしれないがな。


「俺に妙な疑惑がかけられているらしいが、何故そんなことになった?」

「お前の襲撃の捜査中に妙な事態になったからさ」


 ディープ・スパイダーは毒喰派にも深く根を張っている。きっと09PDにもスパイを放ったり、密告者を持っていたりするんだろう。


「妙な事態ってのは?」

「まず、お前が襲った相手がアイアン・インゲルの関係者だったらしい」

「そこからか……なるほど、それであの二人が来たわけだな」


 昨日の48PDを思い出す。


「そして、アイアン・インゲルは09PDと協力して襲撃者を探っている。俺たちにも依頼があった。この内容は言えないぞ。さっき貰った分じゃな」

「ああ、わかってる」


「09PDでお前の襲撃の『映像』が流れた。子どもの疑惑はそこからだ」

「ちょっと待ってくれ。『映像』ってなんだ? あのエリア、言っちゃなんだが、時代から取り残されたようなところだったぞ。電子機器の類が稼働しているかどうかさえ怪しかった。俺の感覚器官をごまかせる様な何かがあるのか?」


「確かに、そこは俺も疑問だった。だが、『映像』は確かにあったんだ。それもただの映像じゃない。どういったらいいか……そうだな、お前が主演俳優になっている映画があるとしよう。その映画を一時停止や早送り、巻き戻しが出来る上にカメラを自由に動かしてズームイン・アウトも自由にできる。そんな『映像』だ。仕組みは俺にも分からない。だが、それは確実にある。直接見た訳じゃないが、記憶の一部を共有したから間違いない」


「ふぅむ……まあ、その点は置いておくか。それで、その『映像』に俺の襲撃の一部始終が映っていた、と考えていいか?」

「その通りだ」


「その『映像』の子どもというのは何なんだ?」

「お前の後をつけていたそうだ。ずっとな」


「俺の後を……全く気付かなかった……注意は払っていたんだが……」

「その子どもはお前の襲撃を目撃した。それが相当ショックだったんだろう。建物のロッカーに入り込んでしまったらしい。そして昨日の夜に保護された」


「09PDの見立ては?」

「お前は子どもを誘拐、監禁、そして虐待していた。襲撃のため出かけた時に、子どもは隙を見て逃げ出した。外には出たものの途方に暮れている子どもは、何かにすがるようにお前の後をつけた。そしてお前の襲撃を目撃してショック状態になり、ロッカーに隠れた。そんなところだ」


「なるほど……」


 筋が通ってしまっている。その映像が証拠になるかどうかはわからないが、疑惑は持ち上がって当然だ。何らかの捜査が俺に及ぶかもしれない。まずいな。だが……待てよ?


「子どもは保護されたんだろう? その子から話は聞いていないのか? その子の口から俺の事は出たのか? 俺は子どもに後を付けられるような心当たりはないぞ。何か聞いてないか?」

「それがな……その子どもを、ある女が強引に保護すると言い出したらしい。警察と親密なようでその要求は通ってしまった。なにしろ署長が『良い』と言ったんだからな。で、事情はその女が徐々に聞き出すそうだ。お前を挙げろ、という声が最も強かったのがその女なんだがな」


 女……? 女と言えば昨日うちに来た少女。あの織山実有……いや、まさか……



 思考を巡らす。そしてそれが強まり一つの奔流となる。様々な化学反応、火花が散るようなイメージ、そして一つの出口に向かう。それを言葉にすると……




 ディープ・スパイダーには特殊な設備があると聞く。鋼鉄派と毒喰派のハイブリッド。その『映像』はそれによって作られた。



 ディープ・スパイダーのボスは、ロマックス製薬の設立に関わっていた節がある。およそ二年前、相当な財産を譲り渡した。合法的な手続きのため、記録は残っていた。未成年の少女だったはず。後見人として指名されたのが、確か……ハドソンと言ったか……まあ、これは調べればわかるだろう。



 鬼卿は神出鬼没。鋼鉄派が全力で追っても足取りがつかめない。もしも、その潜入、逃亡のルートをディープ・スパイダーが用意しているとしたら?



 当然対価は必要だ。それも高額なものが。もしもそれが、あの男が持っていた金属の塊のようなものだとしたら……



 俺の中で一つの答えが導かれた。



 鬼卿は織山実有。



 なるほど、俺から攻めることもできるか。


 俺は男に礼を言って、48PDへ帰ることにした。頭の中はフル回転。どうにかできるという興奮も加わって、体が熱くなっていた。

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