第2話 スロベニアがどこにあるかなんて誰も知らないのよ

Day Side


 体を揺り動かされ、自分の意識が目覚めるのがわかる。徐々に声が聞こえるようになってきた。

「起きろ、不滅」

「うぅん……?」

 目覚めて周りを見る。そして昨日までのことを思い出した。職場のベンチで寝たのだった。時計を見る。今は、朝の6時25分か……

「何だ? 何かあったか?」

「鬼卿だ。またやられた。今度は五人いっぺんにだ」

「まったく……」

 俺は同僚の話を聞き溜息をついた。


『鬼卿(デーモン・ロード)』。およそ1年前からその存在がちらつき始めた謎の通り魔。鋼鉄派の人間を襲っている。襲われた人間の共通点は鋼鉄派というだけ。他にも共通点は存在するかもしれないが、現在見つかっていない。鋼鉄派を無差別に襲う毒喰派の刺客ではないか、というのが鋼鉄派の大多数の意見だ。

「現場は?」

「もう、そっちには捜査員が向かっている。俺達は捜査会議に備えろとさ」

「……了解」

 俺は立ち上がり同僚について行き、歩きながら考えを巡らした。


(さて、そうなると俺は『越境』に志願した方がいいか……? そうだな……あっちの仕事もある。その方がいいだろう)


 俺は今後の予定を頭の中で組み立てる。そして目の前の仕事に狙いを定めた。


 ホール・エリア48。20階建ての5階へ向かう。その会議室で捜査の情報をやり取りする。副エリア長も出席予定のようだ。警察の仕事が責任と共に増大して以降、各地区の警察トップは大きな権限を付与された。責任の所在をそれぞれの行政機関と共に共有し、お互いが職場に留まって業務を継続した方が利益が大きい、という判断だ。結果として行政区の選挙で選ばれたエリア長と緊密さを増すことになり、警察トップが副エリア長になった。そんな立場の者が一つの事件の会議に出張るのは稀なことだ。事態は重大だ、ということだな。


 会議では昨夜の事件の報告がなされ、今後の捜査の方針が決められた。俺は他のエリアへの捜査を願い出て了承された。毒喰派が大勢を占める領域への捜査。『越境』と呼ばれるものだ。


 "G.O."の行政エリアは50区画に分かれている。西半分が鋼鉄派、東半分が毒喰派。境目には壁なんて無いがお互いが好んで立ち入ることは無い。境目では争いが頻発して大いに危険がある。勢力の重鎮はそれぞれのエリアの奥に引っ込み、謀略を巡らしつつお互いを葬ろうとしている。まるで冷戦だ。


 各エリアの独自性が強まり、仲間意識、家族意識を持つようになった。それはそれで良いとも言えるが、よそ者への冷たさが過ぎると困ることもある。そこで俺のような越境捜査が可能な刑事が必要となった。アメリカの州をまたぐFBI捜査官のようなものだ。特別区の再解釈、再編成と首都警察であった警視庁の解体、再編成。これらが驚くほど一気に進められた。当然新たな体制に馴染めずに問題は山積、反発は未だにくすぶり続けている。だが、慣れとは恐ろしいもので、人々は"G.O."の中でどうにかで生き延びている。


 警察組織も人間で構成されている。信じるものを縛ることは出来ない。だから熱心な毒喰派や鋼鉄派は多数存在する。例えば俺のように。


 つまり、俺は刑事という立場を利用して毒喰派の偵察に来たわけだ。褒められたことじゃない。でもこれが自分の役割だと信じている。こうすることで一日を生き延びることが出来る者たちがいると信じられる。そして俺はハンターでもあった。鋼鉄派の鬼卿ってわけだ。ちょうどこのエリアに対象がいる。偵察のついでに狩らせてもらおう。


 俺はレコーダー搭載のバイザーを装備する。これで俺の見聞きしたものは全て記録される。そして鋼鉄派の持っているデータをARで投影。地図と連携してナビも頼める。


 俺が来ているのはエリア9。俺の見るところ毒喰派の最重要拠点があるエリアだ。鬼卿に襲われた者は、体の不調を訴え、精神が乱れるなどの症状が多発する。酷い場合は昏睡状態になる。毒を取り除き、生き延びる為に機械の体になったというのに、さらに苦しめる者が現れた。こいつは許せない。鬼卿が使っている攻撃方法は謎だ。鋼鉄派の科学力をもってしても解明できない。このエリアには治療法のヒントや鬼卿への対処方法も埋もれているはず。俺はそれを見つけ出す。


 ターゲットのいる建物に着いた。二階建ての建物。一階の部屋。センサーで中に人がいる事を確認する。人数はおそらく一人。いけるな。


 勢いよくドアを開け、人影らしきものめがけて飛び掛かる。相手を組み伏せて右腕のスタンアームモードを起動。気絶させた。


 相手は小柄な初老の男だった。これなら締め上げつつ情報を聞き出すことも出来たかもしれない。が、もう遅い。俺は情報にあったものを探す。机や棚、その奥や裏を探して回る。そして見つけた。情報にあった金属の塊のようなもの。見つけたのは三種類。金の延べ棒にも見えるが、色が様々だ。手触りもそれぞれで違う。良く分からないがこれを持って帰れば何かの役に立つだろう。報酬も貰える。部屋の情報を記録できるだけ集め、倒した男もレコーダーに納める。そして俺は建物から出て行った。越境捜査は違法ではない。だが、こんな活動を毒喰派の者たちに見られたらいい気はしないだろう。速やかに立ち去り、何事もないように振る舞う。そうやって俺はエリア48に帰った。


 エリア48に着くと待機していた運び屋に獲得したものを渡す。受け取った証明を貰い、そのまま去る。時間にしておよそ30秒。傍目には怪しまれないだろう。48PDへ戻り、俺は捜査の報告をする。特に何も見つけられなかった、というものだ。ちょっとした小言を貰い、俺は自分のデスクでいくつか事務仕事。そして昨日と同じようにベンチで横になる。たまには家に帰らないとな……。そう思いながら眠りに落ちた。


 朝、ベンチで目が覚めた。今日は鬼卿事件の現場に行ってみようかと思い、仕事の準備にかかる。だが、ホールの入口の騒がしさが気になった。同僚の刑事に問いかける。


「なあ、誰か来たのか? やっかいな客とか?」

「09PDの署長が抗議に来たようだ」


 背筋に嫌な感覚が走る。まさか、バレた? だが、監視や追跡の気配はなかった。俺はずっと注意を払ってきたし、カメラやセンサーの類はあのエリアに全くと言っていいほど無かった。何か見落としていたのか……

「何でまた……?」

 俺は平静を装って話を続ける。


「詳しくはわからんが、小競り合いについての『外交』じゃないか? お互い、大事にはしたくないだろうからな」

 そうだと願いたいな……だが、後ろに居るのは……?


「あの二人は? 警察関係者には見えないな。あの女は特に」

「あの大柄な男はアイアン・インゲル "Iron Yngel"の社長だそうだ。隣の女は大株主で取締役だと」

「だが、どう見ても20歳そこそこだろう? 経営に口を挟めるとも思えないな。愛人の娘とか、そういう感じか?」

「あれでも相当な切れ者らしい。あの会社の発展の一翼を担っているという話だ。歳は今、18だそうだ」

「へえ……」


 俺は彼女を目で追っていた。すると彼女が立ち止まり俺の方を見た。思わず視線をそらし後ろへ引っ込む。


「……手強そうだ」


 デバイスで検索をかける。


 アイアン・インゲル。二年前に『ロマックス製薬』から社名を変更。それ以降急速に事業を拡大。瞬く間に世界有数の大企業になった。それと同時に様々な業種の企業を吸収合併。"G.O."の深くに根を張り、伸ばし続けている。インゲルはスウェーデン語で『卵』の意味。毒喰派の後ろ盾、資金源であることは疑いない。だが、あの娘のことは知らなかったな。名前は『織山実有(おりやま みゆ)』か。


 俺はデバイスを閉じて、今後の対策を練ることにした。

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