七.一九三八

 直ぐに出よう、と思いながら軋む階段を上がった。

 「エド、お前病院行け」

 「……健康体だ」

 今日までの原稿をエルンズドに届けると、封を開けるより先にニコロズはそう言った。

 ラジオから流れるこれは何だったか。頭がとっ散らかっていて思い出せない。

 「顔が青い」

 「ちょっと暑さでバテただけだ」

 「痩せ方も異常だ。このままじゃ息子が戻る前におが倒れるぞ」

 「問題ない、飯も食ってるし、ちゃんと寝てる」

 「寝てたらそんなどす黒い隈が出てる訳ねえだろ!今から俺と病院で点滴か、帰ってベッドに入るか、選べ」

 ニコロズの大声が頭に響く。何でお前にそこまで言われなきゃならねえんだよ、言い掛けて止めた。正直喋るのも億劫だ。

 分かっている。人の気遣いすら癪に障るこの有様。何と情けない。

 「……帰る」

 済まない、と重い口で呟いた。

 「寝られなくてもベッドに入れよ。これをやる」

 眉間に皺を寄せたままのニコロズが寄越したのは、小さな銀のスキットルだった。

 「弱いワインウォッカだ、寝酒になるだろ」

 「……悪い」

 「そう思うならそのゾンビみたいな顔を早く何とかしてくれ。」 

 「善処する」

 階段を降りる足がふらつく。ここで転げ落ちたらお笑い草だ。

 七月も後一週。今年の夏は猛暑だ。

 正午の日差しは寝不足の目にきつい。頭痛もますます酷くなった。日陰を選びながら歩くが、汗と熱気で、弱った体はどんどん重くなる。

 アパートに戻ると、警察から電報が届いていた。捜査の進捗を説明したいと書かれていたが、手掛かりひとつ掴めていないのに進捗も何もあったものか。思わず握り潰しそうになるのをしかして寸でで堪えた。万が一と言うこともある。自力でやれる事はし尽くしたし、頼れる伝もほぼなくなった。

 シャワーで簡単に汗を流して、シャツを替えた。リビングの仕事机に着き、ぼんやりとデスクを眺める。散らばった原稿と資料、警察からの電報の束。カレンダーを確認すると、今月末締切の原稿がまだ二本残っている。こんな時でも、仕事は待ってはくれない。じくじくと治まらぬ頭痛に舌を打ち、タイプライターを引き寄せた。並び行く文字、インクの滲みが酷い。


 


 ビターゼが姿を消して、四ヶ月。




 警察に届を出し、現場検証が入ったのはその翌日の昼。窓は開いていたが侵入痕がなく、部屋を物色した様子も、誰かと争った形跡もない。結果、事件性は薄いと判断され、家出人の扱いとなった。警察署で捜索願にサインを入れ、くれぐれも頼む、と頭を下げた。書類を受け取り一瞥した年配の警察官は、どこも事情があるから仕方ないけど、と前置きし、こう言った家出は少なくないから、と慰めにもならない言葉を掛けて来た。

 四月戦争や、その後のエルタイの攻撃により、多くの国民が家族を亡くした。孤児、貰い子、養子縁組、後見人。世間一般の『家族』や『親子』に当て填まれず、悩み、肩身の狭い思いをしている者も多いのかも知れない。それでも自分達は上手くやれていると思っていた。腕をなくした男と、ひとりぼっちの子供。互いに失ったもの、足りないものを補い合って、親と子として十年以上を過ごして来たのだ。それは傍目から見れば歪なのかもしれないが、少なくとも自分にとっては、ただひとつの寄る瀬となっていた。

 実の子でも分からんのに、そりゃあ難しいよ。帽子を取った薄い頭を撫でながら警察官が言った。大きなお世話だ。

 

 


 ひと仕事を終え、寝室でベッドに転がった。途端、足の先ひとつぴくりとも動かなくなった。もう四十が来る身だ、疲れ切った体は休息を求めているのだろうが、しかし頭はそれを許さない。感覚は妙に冴え、カレイドスコープの様に様々が瞼裏に浮かんでは消えるを繰り返す。重い腕で枕元に置いていたスキットルを開けた。漂うアルコールの香りと、それに混じる仄かに甘酸っぱいタンジェリン。畜生、ニコロズの奴何で知ってる。

 弱いとは言えウォッカだ、ひと口で胃に火の玉が落ちたかの熱さだ。喉が干上がるかに乾く。ひとつふたつ咳き込んでベッドに倒れ、血が脳天まで駆け上がる感覚に任せ目を閉じた。これは睡眠じゃあない。気絶だ。




 三時間程で目は覚めてしまったが、それでも頭痛は随分とましになった。起き上がり、大きく息を付く。目が覚めた瞬間から、ビターゼの事を考えている。

 母が死んだ時ですらこんなに長くは引き摺らなかった。女手ひとつで育てて貰った母だ、当然病を聞いた時は目の前が真っ暗になった。それでも、慌て帰郷し、数日ではあったが共に過ごし最期を看取れた事で、己の中では納得が行ったのかもしれない。

 オデロンは良い所か、床の母は繰り返しそう聞いた。住みやすい街だ、と答えたと思う。母はそうかい、と柔く笑んだ。

 今なら母の気持ちが分かる気がする。

 不運続きの人生だ、せめて人並みの幸せを掴んで欲しい。願いはそれだけだった。それは思い上がりだったのか。

 ……結局は自分か。俺はビターゼがいなくなった事が辛いんじゃない、上手くやれていると、血の繋がりなど関係ないと、信じていたのは自分だけだった、そう思うのが辛いのだ。何たる欺瞞。浅ましく傲慢。

 あの日、あの一言がそうまでビターゼを傷付けたのか 、いや、もしかしたずっと長きに渡って不満を溜め込んでいたのかもしれない。ならばせめて謝らせて欲しい。悲しませた事、分かった様な顔をしていた事、心に積もった何もかもを話して欲しい。結果どんな罵詈雑言を投げ付けられても良い、ここを出て行きたいならそうすればいい。だがその前にもう一度、ちゃんと話がしたい。この馬鹿野郎をどうか許して、もう一度お前の親にさせて欲しいんだ、ビターゼ。

 頭を抱え、奥歯を食い縛った。駄目だ。まだだ、まだ諦めるな。




 警察署で捜査の進捗を聞いた。結果は案の上。

 落胆を隠して礼を言い、外へ出た。午後五時、この季節の昼は長い。遠くで大聖堂の鐘が鳴っている。警察署前の通りの向かい、マーケットには夕食の食材を買い出す人々が列を成している。

 取り残された様な空しさが胸を打つ。目の前に続く日常、時は刻々と過ぎて行くと言うのに。

 ビターゼもどこかで新たな日常を送っているのだろうか。それならば良い、ただ、そうと知らせて欲しい。

 ふと、イウェーシュに寄ってみよう思い付いた。ビターゼが姿を消してから一週間後、イウェーシュ・クラブ営業再開のニュースをラジオで聞き、オーナーに事情を話しに行った。オーナーのワスゲンは大層残念そうに、あの子は天才だったのに、とぽつり溢し、伸びた髭を撫でながら小さく息を付いた。イウェーシュにはオデロンや近隣の街から様々の人が集まる。あいつはシングルオーを持って出たのだ、日銭稼ぎにどこかの小さなハプで歌っていれば、それを見掛けた者がいるかも知れない。縋れるのならこの際藁でも上等だ。

 マーケットを横目に、大通りを北上する。少し風が出て来たか。デパートのある交差点を左に曲がると、未だ再建の目処も立たず、無惨な姿を晒したままの中央駅が見える。瓦礫が運び出された空っぽのコンコースには、立ち入り禁止のロープが何重にも張り巡らされていた。その奥、ぽっかりと口を開けたホームへの通路は暗く、先は見えない。

 イウェーシュに着いたのは五時半過ぎ、まだ客は疎らだった。地下にある店中はこの季節でも冷んやりとしている。入って直ぐのバーカウンターで、オーナーはいるかと訪ねると、バーテンの女はあからさまに眉を顰めた。暗い店内、煌々と照る白熱灯を写したブラウンの目が不審を訴える。やれやれ、美人が台無しだ。

 「そう疑ってくれるなよ。リューベン、と伝えてくれれば分かる」

 「それはしてあげるけど、取り敢えず注文してくれない?」

 「……エール、ハーフで良い」

 「飲めないの?」

 「体を壊してる」

 「それはお気の毒様」

 代金のコインをカウンターに置いて、イウェーシュ自慢のオリジナルエールをひと口、ふた口とやって待つ事五分。白いシャツに流行りのニッカボッカー姿のワスゲンが奥から現れた。既に五十も手前だろうに、流石の洒落者振りだ。

 「エド、久し振りだな、元気そう、ではないな」

 「もうぼろぼろだよ」

 肩を竦めて見せると、ワスゲンも、その様子じゃ変わりなしだな、と首を振った。

 「もしかしたら何か情報でも入ってないかと来てみたんだが、無駄足だったかな」

 「まあそう言わず、ちょっと飲んで歌でも聞いて行けば良いさ。かなり参ってるんだろ」

 見ろ、とワスゲンがごつい顎をしゃくった先のステージには、黄色いドレスを着た女が立っていた。幾つものライトに照らされたブロンドが派手に輝いている。いつの間にか客も増え、前方のテーブル席は満員だ。最近うちに入ったんだ、良いシンガーだぞ、とは言うが、こっちはとてもじゃないがそんな気分にはなれない。グラスの残りを飲み干し、カウンターに置いた。美味いエールだ、胃が良ければの話だが。

 「悪い、帰る。ビターゼが顔を出したら連絡をくれ」

 「分かってるよ、だからちゃんと休め、エド。お前が倒れたらビターゼだって困るだろ」

 「……そうだと良いがな」

 「待って、あの、ビターゼの知り合いなの?」

 カウンターを離れようとした刹那、声を掛けて来たのは先程のバーテンだった。

 「記者のエドゥアルド、ビターゼの親父さんだ」

 お父さん、と女は呟いた。今の自分にその資格があるのかは分からないが、頷いて返す。

 「愚息が迷惑を掛けて済まない、ここに顔を出していないかと思ってな」

 「あの、私」

 女は瞳を揺らし、唇を噛み締めた。そして。

 私、知ってます。そう言った。



 バーテンのファツマの話にあったその場所は、市内北東、バスの終着を過ぎた更に先にあった。このまま東に道を行けば、エルタイとの国境ラーテ川に架かる北橋に出る。この辺りは北区と東区の境、昔ながらの煉瓦の住宅街が続いている。成程、この辺りはまだ空き家も多い。考えたな。

 ファツマは長い髪を何度も撫で付けながら、オーナー、謝らないといけない事があります、と切り出した。

 「先週、集会に行きました」

 「マルタのか」

 「はい。……実は、兄が今マルタの一員として活動しています」

 何てこった、ワスゲンが天を仰いだ。

 マルタはアドイノラ各地に集会所と呼ばれるブランチを持っている。尤も、それは一定ではなく、人目を避ける為移動を続けいていると言う噂だ。ファツマが言うのは現在のオデロンブランチだろう。

 ファツマは兄を止めるべく、何と集会所までひとり兄の後を着けたのだと言う。良く無事で、と思わず声が漏れた。今やマルタはただの反政府組織ではない。十余名の罪なき命を奪ったテロ犯として軍と警察に追われる身だ。構成員の身内とは言え、部外者の侵入など許す筈がない。

 「集会所の入り口で兄に見つかって、帰されました。中には入ってません」

 「それで、あいつは、ビターゼはそこにいたのか」

 まさか、ビターゼが連中の元にいるなんて考えたくはない。しかし。

 「集会所の中から、歌が聞こえてました」

 「歌?」

 「ビターゼの声でした」

 姿は見ていないのか、とワスゲンが問う。

 「見てません、けど、ビターゼだと思います」

 私、ビターゼの声は間違わない。ファツマが強い声で言い切った。

 



 青い屋根の家の三軒先、白い塀の家。

 ファツマが言う屋敷は確かにそこにあった。

 足を止めずに横目で観察する。どこに誰がいるか分かったもんじゃない。

 白壁に囲まれたアールデコ調の鉄門には板がX字に打ち付けられている。本来は空き家なのだろう、二階角の白煉瓦は一部が崩れ、風化している。そのまま目線を下ろすと、荒れ放題の小さな庭の先に一階の窓がある。しかしそこも板で塞がれ、中の様子は分からない。

 道を曲がり、裏を確認する。勝手口だろう小さな扉がある。表通りからは完全な死角、裏口に面した細い畦道は……川に通じている。ラーテ川の支流だろう。何かあればここから要人を逃がす、と言う訳か。

 そのままぐるり周回し、表通りに戻ったその時だった。

 「リデリオはこちらにはいらっしゃいません」

 声と共に、背中にごり、と固いものが押し付けられた。

 聞き覚えのある声だ。まさか、そんな馬鹿な。 

 「他の者はまだ気付いていません、今の内にここを離れて」

 「……どういうつもりだ」

 「……せめて変装位して来て下さい。もし幹部に見つかっていたらこの場で貴方を……」

 「どういうつもりか聞いている、シモン!」

 激高した己の声に重なった銃声が、夜の帳の下り始めた宅地に木霊した。

 シモンが天へ向けた銃口から、細い煙が上がる。

 向き合ったシモンの顔は、見慣れた穏やかな青年のそれとはまるで違った。眼鏡の奥の人懐こい目は細められ、色をなくして見えた。

 「大きな声を出さないで。本当に殺さなきゃならなくなる」

 「やれば良いだろうが。テロリストに人の命を憐れむ気持ちなんぞねえだろう」

 「必要ならば僕は貴方を殺します。ただ、それはリデリオの意志に反する事ですので」

 リデリオ・アルバマ。やはりあのテロの事由はそれか。奴の釈放の為にあれだけの人数が殺されたってのか、クソが。

 「……ビターゼはどこだ」

 「お答えはできません」

 「お前が攫ったのか。道理で」

 知り合いに呼ばれて出て行ったなら、部屋も荒れないはずだ。盲点だった。全く己の軽慮に嫌気が差す。

 「理由は何だ」

 「リデリオの意志に反します。お答えはできません」

 シモンの銃口がこちらを捉えた。暗がりに鈍く光るリボルバー。撃ちたければ撃て、二発も銃声が聞こえれば、誰かが警察を呼ぶだろう。ここの連中は道連れだ。シャツの背中を汗が滑り落ちた。

 「帰って下さい、リューベンさん。それがリデリオの意志です」

 「いい加減にしろ、アルバマの意志なんぞ俺には関係ない」

 「……僕はリデリオ・アルバマに従っているのではない」

 そう言ってシモンは撃鉄を起こした。距離は五メートル。駄目か。

 「僕は、リデリオ・トゥシシビリに従う」

 何だと!

 それは声にはならず、轟音と共に視界は白く飛んだ。




 気が付けば病院にいた。

 またかよ、とひとり言ちて、天井を見やった。あの病院よりだいぶと立派だ、窓の外の風景から察するに市民病院だろう。今日も日差しがきつそうだ。

 あれから何日経ったのだろう。頭がぼんやりと、霧が掛かった様だ。

 シーツの中で体を動かしてみる。怠さはあるが、痛みはない。足は両方ある、腕も減ってない。あいつ、当てなかったのか、くそ、人で遊びやがって。起き上がりたいが左腕に点滴が刺さっている。大人しくしとけ、と言う事か。

 点滴に睡眠剤でも混じっているのか、うとうとと眠りと覚醒の狭間を漂っていると、不意にドアが開いた。

 「リューベンさん!良かった」

 入って来たのはファツマだった。どうして君が、言い掛けて、その後に続いた顔がそれを遮った。

 「やっと起きやがったか。俺がいなくてもひとりで病院に担ぎ込まれて、賢いな、エドは」

 「うるせえよニコロズ、しばらく見ないうちにまたでかくなったんじゃねえか」

 「お前と最後に会ったのは一昨日だ、ほらよ」

 そう言って、ニコロズがシーツの上に新聞を投げて寄越した。今一番欲しかったものだ。一気に頭が動き始めた。何とか体を起こし、紙面を広げる。 

 今朝の朝刊だ、一面はオデロン市警が昨日行った、オデロンブランチへの立ち入り捜査について。写真もある。あの屋敷だ。

 「尤も中は既に蛻の殻、大半の資料は持ち出されたか、裏の川に投棄されてたとよ」

 全く警察も情けないもんだ、とニコロズは肩を竦めた。

 「中の連中の行方は」

 「昼のニュースによると、不明だ」

 くそ!と左腕でベッドを叩いた。ちょっと、点滴してるのに!とファツマが声を尖らせる。構うものか。

 医者は数日の病床安静を命じたが、そんな悠長な事していられない。翌日には無理矢理退院し、一旦アパートに戻った。溜まっていた数日分の新聞から、今日の分を探す。ブランチ立ち入り捜査の続報が書かれている。付近の住人の話では、ここ一ヶ月程屋敷に人の気配があったらしい。こう言った話が表に出て来れば、奴等は潜伏先のパターンを変えるだろう。考えろ、どこに隠れる?





 「エルタイに?」

 「はい、明日の夜、シトリ市を越えて、ツフイラに入ります」

 「そう」

 リデリオは声の温度を変えずに言った。本当に興味がないのだろう。

 月の灯りを頼りに、舟はラーテ河を滑る。一度オデロンの南に抜け、夜明けの通勤ラッシュに紛れ、車で北を目指す手筈だ。

 深い闇に吸い込まれる様に続く川面。どうか導き給え、祈りながら櫂を漕ぐ。

 



 リューベンさんを気絶させ、道路に転がした。車は滅多に通らない、大丈夫だろう。シングルでの精密射撃とは言え、頭の真横を狙うのは流石に緊張した。殺したくはなかったし、殺してはいけない相手なのだから。

 一階の角部屋に入ると、リデリオはカーテンの引かれた窓際に座り、シングルオーを撫でていた。灯りのない部屋でも、シトカ・スプルースのギターと同じく、白のシャツに身を包んだリデリオは淡く発光しているかに思えた。

 美しい青年だと、改めて。

 「シモン、何があったの」

 「申し訳ありません、直ぐにここから移らなければならなくなりました」

 既に下の者達が、持ち込んだ物資や資料の処分に係っている筈だ。ここは複数あるオデロンブランチの中でも比較的小さい、証拠を消すのに然程時間はいらないだろう。尾けられた馬鹿は処分したが、まさかそいつがリューベンさんと繋がるとは思ってもなかった。僕もまだまだ未熟だ。

 リデリオは窓を見つめている。まるで先の道路で倒れるリューベンさんを感じているかの様に。いや、そんな訳がない、分厚いカーテンと、外からは板で蓋をしてある。だと言うのに、言い様のない緊張を覚え、息を飲む事も出来ない。心拍を押さえようと意識して呼吸を減らす。

 「パパが来てたでしょう」

 「……貴方の、お父様は」

 「エドゥアルド・リューベンだよ。僕のパパは」

 来てたでしょう、とリデリオは薄く笑った。何の為に銃まで撃ったのか。ここを捨てる事になっても、それだけは気付かれたくなかったのに。

 「……お早くご支度をお願いします」

 「支度も何も、ぼくにはこれさえあればいい」

 そう言ってリデリオは、抱いたシングルオーを頬に寄せた。

 「……裏に舟を着けさせました」

 「シモン、分かってるだろうな」

 パパに掠り傷ひとつでも付けたら、僕はこの場で舌を噛んで死ぬ。

 リデリオ・トゥシシビリはそう言って、赤い舌を出して見せた。

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The Ode To The Dawn 阿弓早波 @ayumisawa

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