第十三話 『血の守護者』

 ヒトを縛り付けるものには、何があるのだろう。

 過去、罪、信条、―――星の数ほどに存在する鎖、それらが総じて内包している"それ"は、何なのだろうか。

 多分、いや確実に、誰であろうとそれを定義することは出来ないのだ。

 十人十色、一人として同じ人が存在しないように。またその理由も、同じものなど存在しないのだから。


 だからこそ、"それ"はヒトを縛る特別な鎖に成りうるのだろう。



       ◆◇◆◇◆◇◆


 目が覚める。

 眩しい光が、寝起きの意識を容赦なく焼いてくる。

 だが、その光から得られる暖かさは、とても心地の良いものだ。

 平穏な日常の、柔らかな陽の光。

 何時だって僕の日常にあるものの筈なのに、何故かそれがとても懐かしく感じた。


 「ん……ん―――っと」


 ベットから起き上がり、背伸びをする。

 時計に目を向けると、現在時刻は朝の六時。初春だからか、はたまた寝起きだからか少し肌寒い。そんな中で僕の身体を甘やかす陽の光は、ともすれば二度寝という魅力的な誘惑をしてくる。

 だがそれに従う訳にはいかない。僕には高校生として学校に行くという責務があるのだから。

 ………責務……?


 「何か忘れてるような気もするけど……まあ、いっか」


 忘れてしまったということは、忘れてしまうくらいの用事なのだ。

 それより今は学校への支度だ。

 僕は洗面所へ向かったり、部屋で学生服に着替えたりして一通りの支度を終えて六時半頃一階に降りた。


 「あら、お父さんかと思ったらあゆむだったのねぇ。いつもぎりぎりの時間で降りてくるのに珍しい、どしたの」

 「偶々だって母さん。それに朝早く起きることは悪いことじゃないでしょ?」

 「それもそうね! 先のテーブルに座ってて、もうすぐ朝ご飯出来るから」


 トントントントンと俺の目の前で小気味よく包丁を鳴らし料理をしているのが僕の母親、聖峰ひじりみね 陽子ようこ

 快活そのものといった性格で、僕は母さんが笑っていないところなど殆ど見たことが無い。謂わば聖峰家の精神的主柱だ。


 「お、歩! 今日は早いんだな、偉いぞ〜」

 「わ、分かったから頭くしゃくしゃしないでよ。折角整えた頭がぼさぼさになっちゃうだろ」

 「わはははは! すまんすまん」


 そして降りてきた途端俺の頭をわしゃわしゃと撫でまわしてきたのが僕の父親、聖峰  勝斗かつとだ。

 その性格は豪快極まりなく、確かに聖峰家の大黒柱兼ムードメーカーであるのだが、同時にトラブルメーカーでもあり僕や妹はいつも苦労させられている。


 「おはよ………お父さん、煩い」

 「わははは! そりゃすまんな!」

 「………はぁ」


 リビングに一つ、気怠そうな溜め息が響く。

 降りてきて早々にうんざりした様子の黒髪長髪清楚系少女は妹の聖峰 紗織さおりだ。

 学生服に着換え姿勢よく佇む姿は一見礼儀正しいお嬢様に見えるが、先程その片鱗を見せた通り中身はとんでもない毒舌家だ。情けない話だが、僕はこの妹には口で勝てる気は全くしない。


 「ささ、沙織も父さんも早く座って。朝ご飯出来たわよ」

 「おお! 今日も美味しいご飯ありがとな!」

 「うふふ、どういたしまして♡ 冷めない内に頂いちゃいましょ」


 「「「「いただきます!」」」」


 「もぐっ! うん! やっぱり母さんの作る飯は最高だな! 愛してる!」

 「や、やあよ勝斗さん。恥ずかしいわ………」

 「朝から節操無し過ぎ」

 「ま、まあまあ」


 朝っぱらから両親が惚気けてたり、それを妹の毒が一刀両断したり、僕がそのフォローに回ったり―――そんな感じの賑やかな朝食はあっという間に過ぎていった。


       ◆◇◆◇◆◇◆


 キーンコーンカーンコーン―――


 学校は何時もの通りに過ぎていく。

 家ほど騒がしくも無いし、ましてや記憶に残るような出来事もなく、気付けば四時間目が終わり休み時間になっていた。


 「よっ! 歩。今日暇か?」

 「誰…って悠斗か」

 「誰とは酷いな! これでも親友だろ!?」

 「あはは、悪かったって」


 母さんお手製の弁当を食べようと机に包みを広げたところで肩に手を回され話しかけられる。

 こんなに馴れ馴れしくしてくるのは僕の知る限りただ一人、小さい頃からの親友の束本つかもと 悠斗ゆうとだ。

 見知らぬ振りをして割りと本気で傷ついていそうな彼に、僕は割りと軽めの謝罪をする。

 これくらいで傷付くなんて無いと、長い付き合いで分かっているからだ。


 「で、暇って?」

 「ゲーセンで新しい格ゲーが出たんだよ! 一緒にやりに行こうぜ!」

 「格ゲーか……。悠斗、それは僕に対しての挑戦状と取ってもいいのかな?」

 「ふふふ、流石に初見なら負けることはねぇだろ! 今日こそ白星上げてやるぜ!」

 「よし受けた。僕に格ゲーで挑んだことを後悔させてやる!」

 「よっしゃ! じゃ放課後な」


 そう言いながら悠斗は去っていった。仲はいいがクラスは違うのだ。

 ちなみに僕と悠斗の格ゲー勝敗は百四十九勝〇敗。無論僕が前者だ。

 その為、悠斗は何かと僕と格ゲーをしたがるのだ。

 ま、そんなことは置いといて。今は昼休み、貴重な弁当タイムだ。

 育ち盛りの男子高校生たるもの、弁当で栄養補給しなければ午後の授業なんて持たないのだ。

 だから今一人で弁当を食べようとしているのは僕がクラスで浮いているのではなく、食事に集中していからなのだ。決して一緒に食べるような仲の良いクラスメイトが居ないわけではない。


 そう一人で心の中に言い訳じみたことを考えながら、僕は弁当を食べた。

 その後の授業も特に変わったことなどなく(あったとしても抜き打ちテストくらいだ)、気付けば放課後。


 「悠斗、お待たせ」

 「おう、待たされたぜ」


 俺は悠斗と合流し、学校からそのままゲームセンターへと向かった。

 道中はその格ゲーがどれだけ凄いか、画質が凄いだのクオリティが圧倒的だの悠斗から聞かされたが、正直僕はどうでもよく感じていた。

 何故か焦りが、理由不明な焦燥感が胸に去来していたからだ。

 そのせいで悠斗の話には適当に相槌を打ってしまったのは、申し訳がないと思う。


 「見よ、これが新入荷した格ゲーだっ!」

 「何んで悠斗が得意気なんだよ………」


 まあこの通り悠斗は少しお調子者で普段からもいい加減なことが多いので、そこまで申し訳無くは感じないのだけれど。


 「さて、じゃあ何賭ける?」

 「そうだな、じゃいつも通り負けたらジュース一本奢りの三本先取で」

 「分かった」


 そうして諸々のルールを決め僕達は格ゲーで向かい合った。

 扱うのは自分ではなくキャラ、だけれど相対しているのは紛れもなく悠斗であり、そして僕だ。

 緊張感で、全身が痺れる。その感覚が心地よくて、だから格ゲーは好きだ。

 生身よりも、余程リアルを感じられる。


 『レディー………ファイッ!!』


 そして火蓋が切って落とされた。

 二次元の平坦な画面上を、筋骨隆々なキャラクターが縦横無尽に動き回り、己の肉体一つを唯一無二の武器として凌ぎを削る。

 蹴りをガードされ、カウンターで冗談みたいな速さの踵落とし眼前に迫る。それを回し蹴りの際の僅かなバックステップを利用しミリ単位で避ける。

 そんなギリギリの攻防が続いていく。だが、それも長くは続かなかった。

 ガードがズレ、回避が遅れ、コンボが途切れ………。

 何時もなら心から楽しめ、極限まで研ぎ澄んだ集中で画面以外が黒く塗り潰される程。だが今日はそれが全く出来なかった。

 楽しい筈の格ゲーが苦しく感じ、意味の分からない不安が心を掻き毟る。


 結果―――〇勝三敗。

 見事なまでの敗北だった。


 「あーあ。遂に負けちゃったな」

 「……負けちゃったじゃない。歩、どした? 全然集中出来てなかったろお前」

 「さあ、確かに集中出来なかったけど、理由なんて分からないよ。それに、負けた後だと言い訳っぽいしね」


 悔しくないといえば、嘘になる。だけど、言い訳はもっと嫌いなのだ。


 「………あー!! これじゃ勝っても嬉しくねぇや。無し無し! 今のノーカンだ。また今度だ」

 「え? でも」

 「俺は本当の意味でお前に勝ちたいんだ。調子悪いお前に勝ったって自己満足にもならねぇよ。………体調、早く治せよ。じゃな」


 一方的にそれだけ言うと、悠斗は行ってしまった。

 情けを掛けられた、状況だけ見ればそうに違いないのだが、それとは絶対に違う気がした。

 何故か目頭が熱くなるけれど、胸にわだかまる気持ち悪い感じは更に積もっていくばかり。


 「ホント、何なんだよ………」



 一人になった僕はゲームセンターを出て帰路につく。

 角を曲がり、小さな公園を突き抜け、小さな小道に何度も入り。

 幾つもの近道を併用しながらの何時もの帰り道、その途中でそれはいきなり視界に入ってきた。

 否、吸い寄せられた、と言うべきか。


 見て最初に目についたのは―――血だ。

 全身、余すところなくべったりと塗りたくられたような血液。

 咽ぶように濃密な鉄臭さと全身の傷が、否応なしに本物だと脳に叩きつけてくる。

 それなのにも関わらず、その少女は平然と、その透きとおった紫色の瞳で僕を見てくるのだ。

 まるで自らの惨状よりも大事なものがあるかのように。

 そう、訴えかけるかのように。


 「き、きみは………」


 話し掛けようとした途端、少女は踵を返し路地へと入っていってしまう。その姿は怪我をしているとは到底思えないほど俊敏だ。

 明らかに異常、明らかに危険。本来ならここで逃げでもして警察に通報をする場面だろう。

 けれど僕は、それが出来なかったのだ。

 しなかった、ではなく、出来なかった。

 理性よりも、本能よりも、もっともっと深い部分で、僕は彼女を追わなければいけないと、そう思ったから。


 路地へと入り視界を辛うじて掠める少女を追い駆ける。

 常に僕の追いつけるギリギリの速度で迷路のような小道を進む姿は、まるで旅人を惑わせる妖精ピクシーのよう。

 いつの間にか辺りは橙色に包まれ、子供は疎か大人の気配さえも消え失せる。

 そんな異常、とっくに気が付いている。けれども既に、僕は誘う少女から眼が離せなくなっていた。

 さしずめ、甘いものに誘われる蟻のように―――



 身体の体力が底を尽きかけ、足が棒のようになってきた時のこと。

 僕と少女の追跡劇ともいえない、けれど追いかけっこにしてはスケールが大きすぎる不思議なモノは唐突に終わりを告げた。


 「はぁ、はぁ、っ――!! やっと、追いついた。ねぇ、きみは―――」


 一体何者なの?

 そう問おうと軋む身体を無理矢理持ち上げ、少女に焦点を合わせる。そして僕は目にする。


 「なっ………」


 何処かで見たような神社の境内、その社の目の前にうず高く積まれたモノを。

 嗅覚を強引に切り裂く異臭、正気を狂気に誘う残酷な光景―――そこには家族の、親友の、僕のありとあらゆる知り合いが一つの肉塊となって蠢いていた。


 「ウキャキャキャキャキャ!! どう? 私のお・も・て・な・し♪」

 「っ!?」


 金切り声にも近い不愉快な声に吊られ視線を動かす。

 そして声の主たる少女を視界に収めた瞬間、背筋からゾワワワワっ! と悪寒のような嫌な感じが通り抜ける。いや、嫌な、なんて曖昧ではない。それは恐怖なのだ。

 ニヤッと、文字通り頬が裂けるほどの笑みを浮かべながら金切り声で嗤うその少女に、僕は心底恐怖した。戦慄した。そして後悔した。

 何故、ここに来てしまったのだろうか、と。

 何故、引き返さなかったのだろうか、と。


 「ウキャキャ!! ドうどゥ? ねぇドおナノ? 家族や友人、ソノ他諸々こネクり回サれて化物ニされチャっタ気分!? ウキャキャ! ウキャキャキャキャ!!」

 「あ……あ……」


 ギョロリと、巨大な肉塊から飛び出た知り合い達に睨まれる。

 お前のせいだ、お前がこの少女バケモノを招いたんだ。

 恨み怨み憾み。

 憎悪が幾重にも重なる槍となり、僕の身体を貫く。それは僕の精神を容易く絶望させた。

 理由など関係ない。理屈など関係ない。

 ただ、目の前の少女バケモノが僕一人を絶望させる為だけに関係ない人達が殺されたのだ。化物に創り変えられたのだ。

 そんな事実、凡人の僕に耐えられる訳が無いだろう!?


 「………」

 「ウキャキャキャキャ!! あレぇ? もウ墜ちちゃったノオ? つまンな〜ィ。………イイや、死んじゃえ」


 少女が僕を指差すと、背後の肉の化物がゆっくりと立ち上がり僕へと向かってくる。

 見上げる程の恐ろしい巨体は、ものの数歩で僕との距離を詰めその豪腕を振り上げる。


 そうか、それで僕を潰すのか。

 ただ目の前の事象を淡々と認識する。既に生きる気力など無くなっていた。ただ、未だ晴れない靄がかった"これ"が何なのか、それがわからないことだけが心残りだった。


 「ウキャキャ!! 磨り潰されて挽肉にナッちゃえ!」


 ゴゴゴゴと地鳴りのような風切り音を轟かせながら、圧倒的質量が落ちてくる。

 当たればひとたまりもなく、彼女の言う通りに挽肉が怪しい。

 けれども、僕には関係ないのだ。何故なら僕は折れてしまったから、生きる為の活力とかそういう諸々が、木っ端微塵に。

 何故僕が、理不尽な、そんな怒りも勿論あった。だけれど、それさえもこの肉塊の前には無意味。無価値。


 潔く目を瞑り、死を待つ。理由もなく殺された人々達の所への片道切符を、ただただジッと。


 その時だった。声が聞こえたのは。


 『思い出せよ。てめーにはまだやらなきゃならねぇことが有るだろうが。殺らなきゃいけねぇ敵が残ってるだろうが―――思い出せ、凶夜!』


 ドスの効いた幼女の声。不可思議極まりないその声が頭に響いた時、一瞬にして膨大な何かが流れ込んできた。

 それは記憶だ。溢れそうな程の、壮絶な僕の、俺の、人生の追体験。


 ―――ああ、そうだった。そうだったな。

 忘れるということは忘れてしまうような出来事だと? 莫迦言うなよ俺。しっかり身体が疼いてたじゃねぇか。忘れてなんか、忘れることなんか出来てなかったじゃねぇか。


 「オラァっ!!」

 「―――ウキャ!?」


 俺は眼前まで迫っていた隕石のような肉塊を、。そしてそのまま肉の化物を持ち上げ放り投げる。

 凶夜の何十倍もの重さを持つであろう巨体が、軽々と放り投げられる。

 蟻が像を投げ飛ばすかのような非常識な光景に、さしもの少女バケモノも笑みが引き攣った。


 「な、なニ今の!? ていうカ何で思イ出シてんだヨ!?」

 「煩ぇよ。たかだか血如きが一端に卑怯な手を使いやがって………お陰さまで脳が怒りで沸騰しそうだ」


 歩から記憶を思い出し凶夜へと戻った彼は理性ギリギリの憤怒に染まっていた。

 誰も信じないからこそ信じられる存在を大切にする凶夜の、誰しもを信じられた遠い昔の大切な記憶。そして何よりも信頼出来る存在といえるかつての世界の住人を、仮初とはいえ蹂躙されたのだ。

 その怒りは凶夜の背景からドドドドドッと音が聞こえてきそうな程だ。


 「ウキャキャ!! じゃあ沸騰しちマエよ! 余裕ぶっちゃッテ、こコはお前ノ夢! 私の戦場だってコト忘れンナよ!!」


 戦闘が開始された。

 少女が両手を左右に広げると、周囲の地面から幾百もの槍が出現し凶夜へと襲い掛かる。

 死角は皆無、全方位同時包囲攻撃、対する凶夜は、


 「墜ちろォッ!!」


 ただの一言、そう発したのみ。だがしかし、その効果は劇的であり、衝撃的だった。


 「は、ハアァぁぁァぁぁぁァァ!?」


 少女が目を剥き冗談みたいに顎が外れそうな程に驚く。それもその筈だ。

 何故なら槍は凶夜の言葉通りに全て、余さず、残さず、一切尽くが地面へと墜ちたのだから。


 「どド、どうナッテンノヨ!? オ前! ……一体、ナニをしタ?」


 少女が放つ問い。

 それに凶夜はいつもの様に、不敵な嗤みを浮かべながら返す。


 「クハハッ。そんなことも解らねぇのか?

お前が夢の中を得意とする前に、ここを誰の夢だと思ってやがる―――俺の夢だぞ?」

 「だ、ダカらって好き勝手ニ出来る訳……」

 「出来るだよ。出来て当然だろ? 人様の遺志ゆめを沢山背負ってんだ、テメェの意思ゆめくらい自由に出来ねぇでどうすんだよ」

 「な………」


 理屈も理論も何もない、紛れも無い精神論に少女は絶句する。

 けれどそれで引き下がる彼女でも無く、立ち上がった肉の化物を視認すると気を持ち直し、凶夜へ鋭い視線を送った。

 敵意殺意ともにマシマシだ。


 「サあ行け! 今度こソアイツを叩キ潰せ!!」

 「――――――――――――ッッ!!」


 彼女が凶夜を指差し命令すると、肉の化物は全身に浮き出た無数の顔から声に成らない悲鳴のようなものを幾重にも響かせながら猛スピードで突っ込んできた。

 その線上には当然、凶夜の姿が。

 だがしかし、彼は動こうとしない。

 動けないのではない、動く必要が無いと分かっているのだ。


 「図体だけが武器じゃない。一番の、何よりも強力な武器は『意思』だ。立ち向かい、闘う意思。それが無い肉塊なんて―――敵ですらない」


 凶夜の手に鎖が出現する。

 美しい、深紅の鎖。禍々しい装飾が施されたそれは、まるで触れたモノを切り裂く華麗な薔薇のようだ。


 「心は鎖で縛られている。強固で、頑丈で、堅牢な、誰にも引き千切れやしない意思と遺志の鎖。俺自身を縛り、前へと進ませるこの鎖―――その強度を思い知らせてやるよッ!!」


 両手に巻き付けてもなお余る程にまで増長した鎖を、迫っていた肉の化物へと凶夜は投げ放つ。

 すると鎖はまるで自らの意思を持っているかのように次から次へと凶夜の両手から離れ、敵を雁字搦めにしていった。

 凶夜の目の前に着く頃には化物は速度を失い、無様に地に倒れ伏す。化物は暴れ、鎖を引き千切ろうとするが、深紅の鎖を動かすことすら出来ていなかった。


 それを凶夜は一瞥すると、操り主である少女に向き直る。


 「思い知ったか。なら早く俺に力を寄越せよ。ここまで好き勝手にやってくれたんだ、お前がシャルの言っていた真祖の血、『血の守護者』だってことは確定だ。あいにく俺には、夢ん中でぐずぐずしてるような時間は無いんでな」

 「な………」


 少女は自分を殺さないことを暗に示す凶夜の発言に、絶句する。

 当然だ。先程まで凶夜は彼女を殺す勢いで怒っていたのだから。

 故に彼女の口から出たのは凶夜への返答ではなく、単純な疑問だった。


 「な、何でお前は私を殺さないのよ。夢の出来事とはいえ私はお前の家族を、友人を、お前の一番大切な想い出を踏み躙ったのよ?」

 「ああ、お前は俺の大事な物を蹂躙した。それは紛れも無い事実だ。だが、お前を殺しちゃお前から力を貰うっていう目的が達成出来ねぇだろう。それじゃ元の木阿弥だ」

 「………私を殺しても力を得られる、と言ったら……?」


 ともすれば自分を殺せと言っているような、挑発するかのような発言。

 だがそれを凶夜は気に留める様子すら無く―――


 「それでも俺はお前を殺さない。今そう決めた。………何驚いてんだよ。当然だろ。何処の世界に犯した罪を罰して欲しそうに告白してくる悪人がいんだよ。お前みたいな奴はな、悪人とは言わない。悪人のふりをした善人いいやつって言うんだよ」


 逡巡する暇も無くそう言い切った凶夜。

 少女はその小さな顔を赤くさせて何かに耐えるようにふるふる震えた後、諦めたように嘆息した。


 「〜〜〜っ! ………はぁ。分かったわよ。私はお前に力を与えるわ。目が覚めたら力を得ている筈よ。これで文句無いでしょ」


 諦めたのだろう、少女は渋々といった様子で凶夜に力を与えることを認めた。

 それは良いのだが、凶夜は急に流暢になった喋り方が気になっていた。

 それが顔に出ていたのか、少女は答える。


 「演出よ演出。これでも真祖の血を護るのが私の役割だしね。鉄板でしょ? 猟奇的な少女」

 「確かに鉄板だな。だがお前の主人?に当たるか分からないが、真祖は全く違うことを言っていたぞ。お前は神格を持った血液で、人格すらない存在だと」

 「失礼ね。……まぁ、あながち間違ってもいないのかもね。私達『血の守護者』は元は一つの真祖の身体に宿っていて、それが複数に受け継がれていく内に私達もそれぞれ変化していった。だから元々、個人なんてものすら無かったもの」

 「その点お前はしっかりと自我がある。突然変異みたいなものか」

 「ちょっと違うけど……ま、似たようなもんね。さて、無駄話はこれくらいでいいでしょ。こっちの準備も整ったし」


 凶夜と話しながら準備をしていたのか、少女が手を振ると少し離れた場所に長方形の光る空間が現れた。


 「アレに飛び込めばお前は目が覚めるわ」

 「おう、ありがとな」


 まさか帰還の世話までしてくれるとは思っていなかった凶夜は、素直に少女へお礼を言った。

 少女はそんな言葉に慣れていないのか、すっ、と顔をそっぽ向かせ「ど、どういたしまして」と赤くなりながら言っていた。

 そんな人間臭い言動を見て、凶夜は改めて名乗ることにした。これから力を貰うのだ、それが礼儀だろう。


 「俺は凶夜、禍津凶夜。お前は?」

 「………名前? 生憎とそんなもの持ってないわよ。私の前に現れて無事だった者なんて今まで居なかったから、名乗る機会なんて無かったし」

 「そうなのか……」


 名前が無い。持っていない。

 確かに『血の守護者』の役割を考えれば、名前なんて必要無いのかも知れない。けれどこんなにも人のような表情をする少女に名前が無いことが、凶夜にはとても寂しく思えてならなかった。

 血の守護の為とは言え知り合いを弄ばれた怒りが鳴りを潜める程に、哀しく思えてならなかった。


 「……じゃ俺が付けていいか?」

 「付けるって、何を?」

 「名前だよ、名前」


 これから先、もしかしたら彼女は自分のような他人と話すことは無いのかも知れない。

 そう考えると、自然と口から出ていた。

 名前を付けていいか? その一言が。


 「別に構わないけど………不思議な奴ね」

 「ん? 何でだ?」

 「私と関わった奴って今まで全員憎しみに身を任せて私を殺して力を貰う、っていうか奪うからさ。こういうのは、初めて。正直―――少し楽しいわ」

 「そりゃよかったよ。………ベリル、なんてどうだ? 俺の世界で『幸せ』の意味を持つ宝石から取ったんだが」


 殺されて殺されて殺されて、誰とも話せなくて、誰からも話しかけられもしなくて。

 ずっと独りで悪を演じて、ずっと独りで敵を演じて。

 生まれてこの方、こうして他人と話すのも初めてだという小さな小さな、女の子。

 その人生を考え、思いついた名を告げる。

 幸せになって欲しい。そう考えて思いついた名前を告げる。


 「ベリル………うん。ありがと。凶夜から貰った名前、大事にするわ!」


 少女は噛み締めるように一言その名を読み上げ、次の瞬間にはパアァと笑顔がその顔を彩った。

 その様子に満足すると、凶夜は背を向け光へ向かう。


 「ま、待って!」

 「ん?」


 それを後ろから少女改め、ベリルが呼び止める。


 「また会える、のかな?」


 凶夜に投げかけるその視線は、ベリルらしくない不安に揺れていた。

 それを見取ると凶夜はベリルの小さな頭に手を乗せた。


 「そんなに寂しいんなら俺んとこ来いよ。シャルから俺の血へ、移って来ればいい。俺の身体の中にも少量だが紛れもない真祖の血が流れてるんだからな」

 「え!? ………でも、本当にいいの? 私、色々迷惑掛けるかも知れないわよ。他の人に移るなんて初めてだし……」


 一瞬は顔を綻ばせるが、それもすぐに曇ってしまった。

 すると突然、凶夜がベリルの頭をくしゃくしゃと撫で始めた。


 「わっ、わっ!」

 「心配すんな。俺の力は目の前で困ってる誰かを助ける為の力だ。だからどんなことが起こっても、ベリルくらい護ってやるよ。だから―――何も心配すんな!」

 「う、うん―――うん!」


 くしゃくしゃと撫でられる頭、それを成す初めて感じる暖かな温もり。

 殺す、ではなく護ってやる。そう言われた瞬間の、表現出来ない程曖昧な、しかし確かにある不思議な暖かさ。

 気付けばベリルは、凶夜の誘いに大きく頷いていた。

 その顔は、もし尻尾があれば千切れんばかりに振っているであろう満開の笑顔浮かべていた。



 こうして、凶夜の血に住まう神格の少女が新たな仲間として加わったのだった。





 「凶夜」

 「なんだよベリル」

 「髪の毛乱れるから、そろそろ離して欲しいんだけど………」

 「………ごめん」

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反逆の魔皇 凪慧鋭眼 @hiyokunorenre

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