第11回 審査会
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演習室では西園の発表が始まっていた。
鏡子は結局現れず、順番を最後に回された。諏訪路が慌てふためいて何度も電話をかけている。いまだ連絡はつかないようだった。
――どうやら、「不慮の事故」が起こっちゃったみたいすね。
策略が成功したらしいことが、桜下の気分を重くさせた。
鏡子さんはつまらないことに、足をすくわれちゃいましたね。葵くんには、謎なんかないんすよ。彼の動機なんて――謎と呼べるほど大したものじゃないに決まってます。
なんたって、二十年しか生きていない若い男なんですから。ありふれた、自分のことを賢いと思いたがっている、若者っすよ。
大学に通っていようがいまいが関係なく、二十歳の男なんてそんなものだ、と桜下は思っている。その根拠のない自信が、まぶしく見えることもある。
鏡子はその対極の人間だと思っていた。鏡子の探偵作法は、自分が賢くないと規定するところから出発している。「頭」を使うことを否定する――飛躍した想像や解釈を行わない。「足」で集めた事実こそが全て。
そんな彼女が、葵のまやかしの輝きに惹きつけられたことは意外だった。
やはり恋すると女は馬鹿になるんすねえ、とずっと桜下は思っていた。
だがここまで馬鹿だとは思わなかった。
桜下は鏡子のことを頭から追い払った。
じっと座って、西園の発表もできるだけ聴かないようにして、自分の論文の構成を頭の中で復習する。
「ここでは、源氏や紫の上の述懐が、なぜ『内面』であると見られたかについて研究史的に押さえておきたいと思います。それを考えるために、まず近代以降の『内面』観、及び『内面』と文学の関わりについて考察します。近代以降の小説史は基本的にリアリズム信仰に基づいて発展しましたが、柘植光彦が『内向の世代』において、『社会に目を向けず、安易に自己の内部に逃避している、というマイナスの意味』の『用語』だったことに触れた上で、『今考えると、自己の内面を描くのは文学の特権であり、それを否定する発想こそ、批評の貧しさを物語っている』と述べるように、リアリズム信仰は社会や政治を描くべきであるという極、すなわちマルクス主義的視点から、人の心の中、内面を描くべきであるという極へと移行してきました。源氏物語研究においても、同様の流れを見いだすことができます。源氏物語第二部の研究における今井・石田の論争に対して、」
西園は、発話する機械であるように、正確な日本語を吐き続ける。
手元に配られているレジュメには目を通してある。
思っていたよりも強敵、と桜下は認識している。
本人と話した限りでは、もっとつまらない――重箱の隅をつつくような話だと思っていた。だが源氏物語というメジャーテーマ、その中にありながらマイナーな女三宮という題材。厳密な描写の検討を積み重ねる議論。もちろん、彼女の他の論文も読んでいる。いずれも、とるに足らない小品、と桜下は断じていたが、それらは今日の発表に向けての準備論文にすぎなかった。小さな断片が組み合わさり、注目に値する考察が展開されていることを認めざるを得ない。
古代と近代で分野は異なるし、手法も異なる。しかし、彼女の論文が優れたものであることは、桜下にもわかっている。声に出して読み上げられると、自分との差異を突きつけられているようで、息苦しい。
「……それでは、これまで『内面』として見られてこなかった女三宮のことばを、特に時間意識に着目して検討しておきます。女三宮が過去を振り返る場面はほとんどないのですが、源氏が女三宮のいる西の寝殿の渡殿を、野の様子に造らせ、そこに渡ってきた場面が、わずかにそのような性質のものと言えます。レジュメの該当箇所をご覧下さい。鈴虫の巻、四巻七十五頁からの引用です。ここでは『今をもて心離れて心やす』いが、源氏の執着を『ひとへにむつかしきこと』に思っています。そのために『人離れたらむすまひに移りたい』が、よく言い出さない、つまり、心は俗世を離れても住まいは離れていないという、出家後の女三宮の状態が描かれています。ここで注意しておきたいのが」
西園の、安定した声が、耳に障る。聴覚から侵入する機雷のように、それは桜下の思考を妨げ、意識下にある防御壁を一枚ずつ、破壊していく。
「……このように女三宮は、過去、現在、未来と続く線的な時間ではなくて、持続する現在の中を生きているのです。なお、朱雀院が『女宮たちのあまた残りとどまる行く先』を思って女三宮を婚嫁させたことを考えると、女三宮が『行く先』を考えないことは、夫婦関係の解消でもある出家を可能にさせたと言えるでしょう」
――うるさい、うるさいな。
いらいらしてそう感じた瞬間、あ、っと心の中で何かが決壊するのがわかった。
西園の発表する言葉は耳をすり抜けていく。発表の内容が頭に入らない。聴くまい、としているからではない――聴くまいとしているにも関わらず侵入してきていた彼女の言葉が、思考が、外国語のように不明瞭に、耳障りなノイズへと変わった。
鏡子も西園も蹴散らして、自分が研究助手の座を手にいれる。
そんな桜下の自信が脆くも崩れた。
「……さらにこの部分は、柏木事件のことを知って変わってしまった心を見たくない、出家した後も源氏が執着を訴えかけるのが嫌だという理由と、『今はもて離れて心やすき』『人離れたる』住まいに住みたいという結論の明確な理由になっています……」
彼女の言葉は、ひとつとして桜下の頭の中で意味をなさない。ただただ、不愉快な音叉の音のように波紋を生み、桜下の思考を妨げ、揺るがせる。
――アンチATフィールドかよっ!
くそ、なんだよ。
これって、プレッシャーですかね!
桜下は、小柄な西園の立ち姿から、異様な圧迫を感じていた。
淡々とレジュメの通りに発表しているだけだが、彼女の存在感が次第に膨らんでいくように思えた。
自分は、彼女にはじき飛ばされる。負ける、という予感が全身を駆け巡った。
西園の声を頭から締め出すために、何か他のことを考えようとした。
「夏目漱石は、探偵を嫌ってましてね。探偵趣味=覗き見趣味は近代人の病だ、と言ってます。彼の生きた明治後期から大正初年は、古い身分制社会が崩壊し、新しい社会秩序が確立される過渡期でしてえ、個人の生活の有り様が多様化したんですね。それで、誰もかれもが他人の生活が気になってしかたがないのだ、という文明批判です」
「ふうん、つまり鏡子さんは病気なんですか?」
葵はそう言った。
鏡子が学内ではちょっと有名な探偵であることを話したときのことだった。
「いいえ、まったく病気じゃないすよ。鏡子さんは現代人ですから。近代の後の後、ポスト・ポストモダンを生きてます。あるいはネットの出現によって、初めて人間は近代を乗り越えつつあるとするスタンスに立てば――わたしはそうなんすけどね――トランスモダンを生きている、と言ってもいいかもしれやせん。ネットとSNSの発達で、個人の精神生活は半ば可視化されており、内面や自意識なんかはその特権姓を失い、均質化、消滅に向かっています。こんな時代に、漱石が言ったような意味での探偵趣味は、病気だなんて言えませえん。むしろ誰もが生まれつきのように備えてる性質です。普通のこと、っすね」
葵は分かったような分からないような顔をしていた。
「普通なのに、どうして鏡子さんだけが、学内で『探偵』と呼ばれるんでしょうね」
「……多くの人は、『普通』のことに対してそこまで貪欲じゃありません。ネット上ならともかく、リアルで行動してまで追及するほど、暇人じゃないんです」
ははは、と葵は笑った。
「鏡子さんはちょっと暇なだけの普通の人だ、ってことですね」
そういうことにしておいて、笑い話として打ち切ったが、本当は違う。
鏡子が探偵なのは、見えないことを許さないからだ。「謎など存在しないよ」という彼女のスタンスは、何らかの事実が隠された状態、「謎」という状態にあることを許容しない。彼女にとってそれは不自然な状態であるのだ。彼女は、世界がトランスモダンな状態にないことを許さないのである。――彼女は、「近代の病」ではなく、「現代の病」に深く深く冒されているのだ。桜下はそう理解している。
葵のように、嘘をついていろいろなことを隠す人間は、その意味ではとても――近代人なのだ。他人に覗かれることを恐れていて、そのくせ自分は他人の真実を知りたがる――例えば第三次六星社文学のこととか。
自分を隠し、他人を暴こうとする。近代人はそういうゲームの中で生きている。時間的には現代を生きていようとも、大半の人間はまだ近代人なのだ。トランスモダンな感覚を持ちながらも、近代のルールで生活している。鏡子は違う。自分を偽らない。他人から見えていることが自明だから、隠す必要を感じないのか? あるいは、ただ不器用なだけかもしれないが。そして、その代わりに、他人が隠すことも許さない。
現代人の探偵と、近代人の怪盗。二人は決定的に噛み合っていないのだ。
「……『源氏物語』のうちに近代的な内面を見いだす視座と、それを否定する視座は、同じコインの表裏として、自他の融合と共感を重視する日本の近代を映し出しています。女三宮は他の語り手から、その『心浅さ』や、道心の浅さを批判されることが多いですが、表層と異なる深層を持たない、『一方』『ひとえ』『ひたおもむき』な女三宮には、そのような批判は意味をもたないのです。翻ってその心のありようは、『内面』の深みに疑義を呈するものとなるのです」
西園の発表は終わった。聴衆の拍手の中、ありがとうございました、と頭を下げ、西園は席に戻った。質疑応答は、全員の発表が終わった後でまた個別に行われる。
――現代を論じたいわたしには、近代的な内面という視点を捨てない西園の議論は退屈です。しかし、近代の作法で古典を読み、内面のない女三宮を取り上げたあたりに、センスを感じますねえ。受けもいいんじゃないでしょうか。古いようで新しい。
いつのまにか、後半は西園の発表に聞き入っていた。
上から目線に論評してみたが、確信は覆らない――自分は負けるだろう。
桜下の論文は、西園よりも「古い」。佐富の指導で、漱石の「こころ」を徹底的に近代の作法だけで読んだ。隠されたものを暴き出した。近代の作法に現代的な要素を調和させた西園の発表に比べると、粗暴さだけが際立つ。それこそ――葵に講釈した、漱石の嫌った、探偵趣味の極みである。
――わたしの読みは、漱石の作品世界の読解を豊かにしていないのかもしれないっす。
たった一度の奇跡的なチャンスだったのだ。自分の属する学科に科設研究助手の話が回ってくることは、桜下の在籍中にはもう二度とないだろう。
いっそ、佐富の提案をはねのけて、漱石をトランスモダンの視点で読解してみれば良かったかも。いまさら、そんな考えがちらりと頭をよぎる。そうするなら、内面や自意識に代わる、まったく新しい作法を造り出すことになる。「こころ」ではなく、「草枕」なら面白いことになったかもしれない。
発表の直前になって、桜下の頭は急に創造的に働きだした。西園の論文と渡り合えるだけの、斬新な論文を構想し始めていた。
だがもちろん、もう時間はなかった。
桜下の名前を呼ぶ声がした。また拍手が起こる。
美伶が手を振っている。佐富が大きくうなずいた。明石が、心配そうな顔で、手を叩いている。桜下の発表を案じているのか、それとも鏡子が来ないことを気にしているのか。
なんとなく、いまは前者のような気がした。
ゆっくりと立ち上がり桜下は演壇に向かう。
隣の席の西園が、シンバルを叩くチンパンジーの人形のように、正確なリズムで桜下に向けて拍手している。
「桜下さんも、がんばってね」
小声で西園はささやいた。
その見送りの言葉には返事をしない。
演壇に立ち、自分の略歴が紹介されるのを聞き流す。
憑きものが落ちたように、心は平静さを取り戻していた。
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