後期学期

第1回 王炊章一

 1

 エレベーターホール前の広場は、老人たちの車椅子であふれかえっていた。

 リノリウム張りの床を、白衣の介護士たちが駆け回り、「はい、足を上げて」「足をあげて」と老人たちの身体を車椅子に固定し、手際よく二台ずつエレベーターに送り込んでいく。

 昼食が終わったばかりらしい。

 食堂室の入り口からは、さらに続々と、車椅子が列をなしている。

 鏡子は邪魔にならないように、広場の隅の柱に張り付いた。

「おじいちゃん、もうお部屋に戻ってるのかしら。いつも食べるのお早いから」

 同行してくれた中年の婦人、清水は、老人たちの顔をさっと見渡すと、手の空いた介護士に尋ねに行った。


 九月も終わりに近づいた日曜日、鏡子は京都市郊外・鞍馬山中の医療老人ホームを訪れていた。かねてから計画していた、王炊章一おういしょういちへの取材である。

 もともとは葵を誘うための思いつきだったが、いまは別の目的が生じている。第三次六星社文学についての仮説に、確証を得たいのだ。鏡子の仮説に基づけば、王炊章一は現存する唯一の生証人のはずである。

 清水という女性が、王炊章一の孫娘だ。もちろん、清水には本当の理由は言えない。あくまで研究のため、ということにしてある。

 王炊章一の身体の具合が悪い、というのは取材を断るための方便で、本当は聞かされていたよりもずっと元気であるらしい。出版局に清水を紹介されてから、鏡子は何度か電話で話し、ゆっくりと説得した。最終的には、鏡子の熱意に折れる形で、清水は面会を許してくれた。


「南さんはもうお部屋ですよー。いまは混み合ってますから、階段からどうぞ」

 普段から老人相手に話しているからか、介護士の声は大きく、離れた鏡子にも十分聞こえた。南、というのは王炊章一の本名だ。

 清水に手招きされて、鏡子も階段へと向かった。





 三階に上がると、鏡子はフロアの入り口にある小さなロビーで待たされた。ロビーを起点にして、湾曲した廊下が二本、伸びている。居室は円形に配置されているようだ。

 ロビーの壁には大型のテレビがかけられており、車椅子の老人たちが数人、それに見入っている。鏡子の存在には無関心なのか、誰も顔を向けない。テレビの中では、若い女性のリポーターが、紅葉した嵐山を背に、京都の秋の見所を説明している。その溌剌とした声がロビーにうつろに響く。

 ここに入っている患者たちはみな、ここを出て行くことはない。誰も、自分の家に帰ることはない。

 それを思うと、気分が重くなった。


 待っているのがずいぶん長い時間に感じられた。

 やがて、清水に並んで、王炊章一こと南老人がやってきた。

 意外にも、車椅子ではなかった。遠目には、普通に歩いているように見えた。よく見ると、南の身体は、細い金属のフレームに囲まれていた。円筒形のそのフレームは、下に小さな車輪がついている。歩行器だ。フレームによりかかり、軽く足で地面を蹴れば、車輪が滑って楽に移動できるという仕組みのようだ。

 しかしこの建物に入ってから、歩行器を使っている患者は他に一人も目にしていない。誰もが車椅子に乗っていた。

 南は、少なくともここの患者たちの中では、抜群に良い肉体的コンディションを保っているようだ。

 鏡子の前まで滑ってきて、歩行器をぴたりと止める。

 身体は痩せこけ、頭髪もほとんど残っていないが、目だけは異様に大きく、じっと鏡子を凝視していた。


 そのまなざしに、肖像写真で見た、若かりし日の王炊章一の面影を探そうとしたが、ちょっと難しかった。王炊が筆を折り、人前に姿を見せなくなってから三十年が過ぎている。年齢はもう九十を超えているはずだ。あまりにも時が経ちすぎていた。


 鏡子は肩から斜めにかけたバッグの位置を整え、キャスケットをとってお辞儀した。

 清水が横で心配そうに見守る。

「がくせいさんだね。おおいしょういち、です」

 テレビに負けないほどの大きな声が、ロビーに響いた。

 思わず、びくりと身体が跳ねた。

「王炊先生、初めまして。よろしくお願いします。六星社大文学研究科の錫黄鏡子です」

「しゃくおおさん。よろしく」

 どこで話せばいいのだろう、と清水に目顔で尋ねる。

「談話室がありますの。お客さんがあるときはそちらでお願いしています」

 受け付けカウンターの奥のドアが開いて、介護士が姿を現した。

「南さんのお客さまですね。どうぞ、こちらへ」


 居室に続く廊下とは反対側、壁に設けられた厚い金属扉が開かれる。その先には、明るい、側面をガラス張りにした廊下が伸びている。

 空中を渡る廊下は、別棟へと続いていた。

 別棟のフロアにはほとんど患者の姿は見えなかった。談話室は広々としており、床には弾力のある緑色のマットレスが敷かれている。廊下に面した壁の上半分がガラス張りになっている。鏡子は、幼稚園の遊戯室を思い出した。


 介護士が手早く部屋の隅に畳まれていた、椅子とテーブルを運んでくる。

 南は歩行器を自分で外し、危なげなく椅子に座った。

 鏡子も薦められた椅子に座る。折りたたみのパイプ椅子だが、分厚いクッションが敷かれているので、座り心地は悪くなかった。


 清水が、部屋の壁に作り付けられた棚から将棋盤と駒箱を持ってきた。

「おじいちゃん、はい、将棋。これが楽しみなんですよね」

 うん、と南はうなずく。ほとんど瞬きをしない、その大きな目が鏡子に向けられる。

「きみ、しょうぎは、できるの?」


 これは事前に聞かされていたことだ。

 どういうわけだか、南老人は、将棋を指している間だけは、若返ったかのように明晰な受け答えができることがあるのだという。

 将棋について、鏡子はルールも知らなかったが、それを聞いてから十分な準備をしてきている。フリーソフトで対戦の練習もした。

 南の認知症が少し進んでいるというのは本当だ。

 だが、囲碁や将棋のゲームスキルはあまり認知症の影響を受けないという。

 あまり弱すぎて、南を退屈させてもまずいだろう、とかなり真剣に練習した。


「はい。よろしくお願いします」

 と頭を下げると、南は手を振った。

「まだはやい、はやい」

 何が早いのか。

 すぐに気付いて、駒を並べる。

 鏡子の言葉を、対局開始の挨拶と取ったようだ。

「では、後はおまかせします。わたしは外におりますので」と清水は席を外した。

 介護士は、そばに立ったままだ。

 南が将棋の駒を飲み込んだりする危険性もあるからだろう。

 すべての駒が並んでから、改めて挨拶を交わす。

「よろしくお願いします」

「よろしくおねがいします」


 二、三局打っていれば、そのうち調子が良くなって話し出しますから。その時になんでも聞いてやってください。

 清水にはそう言われていた。


 面会は一時間だけ、という約束である。そんなに何回も打てるでしょうか、と心配する鏡子を、清水はころころと笑った。

「錫黄さんがプロ級でもない限り。あっという間に終わりますよ」

 その言葉の通り、一局目は、ほんの五分。四十手もいかずに終局した。

 鏡子は、まだ負けたとは気付いていなくて、次の手を考えていたのだが、南に投了をうながされた。

「きみ、詰んでるから。さっさと投げたまえ」

 南の声に、腹を立てたような厳しさが含まれていた。

「は、これは、すみません」

 恐縮して頭を下げた鏡子だったが、これはいい兆候だ、とも思った。将棋を始めるまでの南は、発声こそはっきりとしていたが、その言葉にはずっと感情がなかった。

 

 鏡子が頭を下げたのを、投了の仕草ととったようで、南は満足そうにうなずいた。

 それどころか、いきなり早口で解説を始めた。

「これ、一手前に『詰めろ』なの。わかってなかったんだね、がっかりだよ。次に私が二一の桂取って角成王手。君は取るしかないでしょ。だめだよ、逃げちゃ。銀打ちで即詰み。次に四一飛成で金取ってまた王手。君は三一に角を張るしかないの。んで私が三二金打ち王手、君が一二に逃げる、二一に銀打ってお終い。わかった?」

 突然のことにびっくりして、鏡子は盤面を追うどころではなかった。


「君、聞いてるのかい? 次は二枚落ちだな」

「は、はい、ありがとうございます……」

 二枚落ち、というのは、南の駒を減らすということだ。「おまえ弱すぎるからハンデをつけてやるわ」ということでもある。

 あまりにも腕前に差がある相手と勝負をするのもつまらないものだ。腕の差があってもいい試合になるように、将棋にはハンディキャップをつける仕組みが確立されている。

 次も同じくらいの早さで負けたが、南の評価は悪くなかった。

「七二銀打ちは、工夫しましたね。冷やりとしました。でもそこから、間違えましたね。受け間違えなければ、まだ分からなかったですよ。次は香車も落としてみましょう。きっと良い勝負だね」

 七二銀は、考えた末の一手であったから、褒められればうれしい。なんだか鏡子も楽しくなってきた。

 四枚落ちで、次の勝負が始まった。

 だが将棋をするために来たわけではないのだ。


「あの、先生。ちょっとお聞きしてもよろしいでしょうか」

「うん、うん」

 南は盤面から目を離さない。

 これでは質問をしながらであっても、いい加減な手は打てそうにないな、と鏡子は心配になる。

「……松涛武夫しょうとうたけお先生や、壺洗凱章つぼあらいがいしょう先生のことなんですが」

 その名前に反応したのか、南は急に顔を上げた。

 鏡子が質問を口にする前に、勝手に話し始める。


「武夫さんは私の大学の先輩でね。作家になる前からいろいろお世話になっていた。戦時中、一緒に同人誌を作ったりしたんだ。私も武夫さんも学徒動員されて、南方に送られた。先輩とは同じ連隊だったんだけど、これがまた小さな輸送船でね、米軍に見つかったら、魚雷一発で終わりだ。二人して遺書を書いて、これが遺作とは寂しい、と笑っててね。もう笑うしかないよ。幸いにもこうして元気でやっていて、オリンピックを見ることが出来たわけだから、私たちの輸送船は米軍には見つからなかったわけだけども。松涛先輩はほんとにどうしようもない人だから、復員してからも私が面倒を見たのさ、なんたって東京にはあんまり同窓生もいないからね、助け合ってやっていくしかない。といっても、ほとんどは私が助ける側だったんだけどね」


 少し様子がおかしいな、と鏡子は思った。二人で遺書を書いたエピソードは、鏡子も読んだことがある。松涛武夫との対談集に収録されているものだ。初出は昭和四十五年。

 南は将棋にはまったく興味をなくしてしまったようだ。


「他に聞きたいことはありますか」

 まだ言葉はしっかりとしている。

「壺洗凱章先生のことは……」

「壺洗さんが最近書いてるものいけません。旧友のよしみで具体的に作品名は挙げないけども。これは、壺洗さんだけに限りませんが、大衆作家が政治運動に肩入れしすぎるのはどうなのでしょうか。私などは日米安保、大いにけっこうだと思っていますよ………」


 これは、もっと古い。昭和三十四年が初出のインタビューと同じ内容だ。

 さらに、同じく同窓の先輩であるはずの、千佃哲也の名前を出してみた。

 やはり鏡子には質問をさせず、一方的に千佃哲也の古い逸話を話す。

「これでいいですか」

 ひとしきり話すと、南はまた済ました顔で話を締めくくる。


 なんとなく、理解した。

 いまの南の頭の中は、ひどくおおざっぱな構造になってしまっているらしい。頭出しの出来るオーディオプレイヤーと同じだ。キーワードに対応した、記憶の中のパッケージ、過去の一連の発言を、自動的に再生しているだけのようだ。質疑応答ができているわけでは、まったくない。

 鏡子は落胆した。

 そして哀しくなった。


 王炊章一は決して大作家というわけではなかったが、文学史上に名を残した人物として、鏡子は敬意を抱いていた。

 すみませんでした、と王炊に対して申し訳ない気持ちになった。心臓を針で突かれたような痛みが走る。王炊の老い衰えた姿など見ない方が良かった、と鏡子は痛切に思っている。いや、自分には見る資格がない、と思った。王炊も、もし自分の状態を自覚出来ていれば、こんな姿を見られたくないと思っただろう。

 資格があるとすれば、肉親だけなのだろうな、と何度も面会を断ろうとしていた清水を思い出す。彼女は、祖父のこの状態を知っていたのだろう。


 バチン、と南が駒を鳴らした。

 はっ、と鏡子は注意を戻す。

「じゃあ質問は終わりだ。将棋を続けましょう」

 そっと介護士が近寄ってきて、まだお時間は大丈夫ですよ、と囁いてくれた。


 無理を通してせっかく来たのだ。

 できるだけのことはしてみよう。


 気を取り直した鏡子は、バッグから用意してきたものを取り出す。

 六星社文学第一号の表紙と、目次頁のコピーだ。

 それをおそるおそる南に差し出す。

「先生、これを覚えてらっしゃいますか」

「うん」

 こともなげに南はうなずいた。見てもいない。

 それから、ゆっくりと手にとって、コピー紙に顔を近づける。

「ろくせいしゃぶんがく。だいいちごう。もくじ。かとう、ようぶん」


 だめだ。ただ読み上げているだけだ。


 鏡子は顔に両手をあてて、目を覆った。


 お手上げだ。


 そう思ったとき、南の声に理解の色が現れた。

「さとう、たいじゅう。ふじい、たけいち。はぶ、ぜんじ。羽生蝉耳。……『ほうとあし』……『砲と足』。なんだね、よく見つけたね。さては君、六星社大の人ですね。学生さんですか」

「はい、そうです!」

 涙が出てきそうだった。大声で返事をする。

「懐かしいね。知ってましたか? これを書いたのは私ですよ」


 そうだと思ってました!


 鏡子は自分の仮説の正しさを確信した。

 贋作だ。贋作だったのだ。一冊丸ごとが贋作なのだ。現在、第三次六星社文学第一号として扱われている、葵が盗んでいったあの本こそが、贋作だ。

 急いで、もう一つコピーの束を取り出す。

「先生がお手本にしたのは、これですよね!」

「うん」

 またも見る前から返事をする。

 鏡子は、南がそのコピーをちゃんと読むのを待つ。

 今度は声に出して読み上げはしなかった。

 ばらばらと、紙をめくっている。目は、ちゃんと活字を追えている様子だ。

「うん、そうですよ」

 この返事は、どうやら本当のようだ。

「でも、お手本と言われるのは心外ですね。あくまで、作風をなぞる遊びだったわけですから。羽生蝉耳は、私の手に余りましたかね。天才です」

 そのコピーは、六星社文学第二号準備稿の一部、羽生蝉耳の作品「豆と能」だ。


 次の質問の仕方を、鏡子は考える。

「えーと……。その、先生の作品、『砲と足』もよく書けてらっしゃいましたとも。羽生蝉耳、そっくりです」

「お世辞はよしなさい。私はとてもかないません。でも、遊びにしては、悪くない出来だったですね」

「はい、面白かったです」

 面白かった、という言葉に反応してか、また南の声が柔らかくなった。質問するまでもなく、鏡子の知りたいことを話し始めた。

「みんなでね、古い人の作風を真似てね。なりきりですよ。なりきり。先人から、好きな人を選ぶんです。加藤陽文かとうようぶんを引き受けたのは武夫さん。藤井竹市ふじいたけいちは壺洗さん。米長九二悪よねながきゅうじゅうにあくが千佃先輩だ。羽生蝉耳は取り合いでしたけども、私が我が儘を言ってやらせてもらったんです」


「他の作家さんたちの、『なりきり』をやったのは、どなたなんですか」

 南は遠い目になった。


 また、応答が上手くいかなくなるのではないか、と心配になる。

「田村、内橋、島田、西沢……西沢良太、だっけ」

 鏡子の知らない名前が次々出てくる。慌てて携帯を起動し、メモを取ろうとする。だがその手は、南の言葉を聞いて止まった。

「みんな死にましたよ。学徒出陣でね」


 これは、先生の友人たちの遺稿なんですね。


 鏡子は何も言えない。言うべきでもないと思った。

「出征前にね。これを完成させることが出来て、良かったです。もう昭和二十年になっていましたね。表紙も、目次も、昔の六星社文学そっくりに仕上がりました。発行年月日もね、大正にして。手刷りなんですよ。紙も手に入らないし、ほんと苦労しました」

 愛おしそうに、目次に並ぶ作家名と作品名を、南は指でなぞる。その顔には、笑みが浮かんでいた。対面してから初めて見る、人間らしい表情だった。


「五十部、作られたんですよね」

「うんそう。五十部。よく知ってますね」

「戦後、発見されて」

 かははははは、と南は笑った。

 愉快そうに笑った。

 初めて聞くその笑い声は、大学図書館の視聴覚ブースで聴いた、ラジオ対談に収録されていた王炊章一の笑い声と同じだった。

 皺だらけの南の顔が、王炊章一の肖像写真とようやく重なった。


「そう、私たちも焼けちゃったと思ってたんです。それが、見つかって。大正七年の六星社文学にされちゃった。馬鹿ですね、六星社大の先生たちは。

 武夫さんたちとは、東京に行ってから一度、その話で盛り上がりました。その時に秘密にしておこうぜ、と決めたんです。馬鹿な先生たちが、いつ気付くのかと思ってね。私や武夫さんは、ちょっと悪戯心を出して。エッセイなんかで、六星社文学から自分の書いた作品を、しゃしゃあと引用したりしてみせたんですがね。誰も気づきやしない」


 かは、かははは、とまた南は笑う。

 松涛武夫たちは、その秘密を死ぬまで守ったのだ。あるいは、晩年には自分たちが作ったなりきり同人誌の存在自体を、とっくに忘れてしまっていたのかもしれない。昭和の作家たちは原稿の締め切りに追いまくられて忙しかった。


「発見した時、大学はちゃんと調べなかったんでしょうか。目次と表紙だけしか確認しない、なんてことはないと思うんですが?」

 鏡子の質問に、南は大きく手を横に振った。

「中を見ても、わからなかったんでしょうよ。六星社文学なんて、とるに足らない本だと思われていました。大学内で、大正七年に作られた六星社文学を読んでる人は、僕たち以外に誰もいなかったんです!」


 いつのまにか、南の一人称が「僕」になっている。それが鏡子には爽快に聞こえた。

 いまこの瞬間の南は、七十年前の、大学生だったころに戻っているような気がした。

「戦局が悪化してから、僕たち文科の学生は、軍事教練ばかりやらされて、頭がおかしくなりそうでした。六星社文学をそっくり真似た同人誌を作ろうじゃないか。そう言い出したのは、千佃先輩でしたっけ。先人の残した、忘れ去られた文芸誌のレプリカを作る。僕たちは、そのこじゃれたアイデアに飛びつきました。何でもいいから、文化的なことがしたかったんですよ。時間がない中で、一冊しかない六星社文学を回し読みして、おのおの文体を研究しました。楽しかったなあ」


 本当の六星社文学第一号は、その時点ではまだ大学内に存在していて。昭和二十年の空襲で失われたのだ。


 京田辺で発見された、第二号準備稿とされているものが――その第一号に使われた原稿だった。

「みんな死んじまったけど。生き残った僕たち四人は、まがりなりにも作家として名を成しました。僕なんか、大した才能もないのにね。死んだ連中があの世から助けてくれたんだと思ってますし、」


 南の言葉が不意に途切れた。

 微笑みが消えた。目から表情が失われていくのを鏡子は察した。あわてて言葉を放つ。

「先生、先生の『無敗の手』は、素晴らしい作品だと思います、先生。羽生蝉耳よりも、魅力的です。僕はいま、『無敗の手』で論文を書かせていただいてますっ」

 鏡子の言葉に反応はあったものの、語りが目に見えて変質した。

「あれは私としては、満足のいく作品だったけど世間受けはいまいちだったね。出した月に三島が死んだでしょう。そっちに話題が集まっちゃったからね。でも売れ行きが悪かったのは、それだけじゃない。私が少し斜に構えすぎました。同じ頃に連載してた『心温かき万能』の方がまだ売れましたよ。やはり新聞連載は強いですからね。もう『無敗の手』みたいなのは書かないつもりです。文学作家といえど売れないといけません。ベタな人情をベタに書いていこうと思います」


 先生、先生。

 それはもう知ってます。『文学海』昭和五十一年五月号のインタビューですよね、読んでますよ、僕は、先生のエッセイも対談も、一次資料は全部読んでるんですってばっ。


 バシン、バシン、と将棋の駒を盤に叩きつける。もう少しだけ、南と、いや王炊章一と話していたかった。駒音が、南を覚醒させてくれるのではないかと期待した。


 南は、悠然と細い腕を組み直した。

「将棋の途中でしたね。君の手番ですよ」





  

 病棟の外に出ると、太陽は少し傾いていた。あと二時間もすれば、陽は山々の陰に隠れてしまいそうだ。明るい駐車場に出て、鏡子の口から自然と大きな息が吐き出された。肩にかけたバッグが、急に軽くなったように感じられた。


 はあ、ともう一度深呼吸する。

 清水が気遣うように尋ねてきた。

「若い人には気が滅入る場所だったでしょう?」

「いいえ、そんなことは。王炊先生とお話できて、よかったです」

 南が、再び王炊章一として語り出すことはなかった。残りの時間は、将棋を指し続けた。拙いながらも、好勝負になることを願って、鏡子は必死に将棋盤に取り組んだ。一着一着、過ぎていく時間を惜しみながら駒を置いた。南への御礼のつもりだった。

「おじいちゃんも、久しぶりに将棋が打てて、喜んでましたよ。おじいちゃん、何かお役に立てるようなこと、話してくれました?」

「ええ。とても、有意義な時間でした。とても」

 それはよかったです、と清水は安堵したように微笑んだ。


 清水に何度も礼を言ってから、鏡子はバスの停留所に向かった。清水は自家用車に乗って帰って行った。ほどなくバスがやってきた。乗ったのは鏡子一人だった。

 紅葉で赤く染まった山の狭間に、医療老人ホームの白い病棟を置き去りにして、バスは走り出した。 


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