第5回 「六星社文学」

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 〈諏訪路平著「無名文士たちの群像――羽生蝉耳(はぶぜんじ)を中心に――」序論・「第三次六星社文学までの道程」の項より〉



 …………かように、木村芳雄きむらほうゆう升田恋象ますだれんしょう大山安晴おおやまあんせいの三人の試みはひとまず失敗に終わった。

 だが大山・升田らは、六星社文学の継続と発展の意思を長く持ち続けたのである。京都で文筆活動を続ける傍ら、六星社政治塾・法文学校(現六星社大)の在学生から有志を募り、第二次六星社文学を企画した(※4)。あまりにも知名度を得られなかった第一次の反省から、六星社政治塾にゆかりの深い安宅家に十全の資金協力を求め、改めて本格的な出版活動を行う基盤を整えた。


 こうして明治四十三年八月、六星社文学の歴史の中で、最も高く評価されている第二次六星社文学第一号が発刊された。

 半年に一度のペースで第八号まで出版されたこの雑誌は、京阪神地方の主立った書店で取り扱われ、かなり読まれたようである。毎号の実売部数は推定で三百部程度、とされている。当時の出版状況を鑑みると、地方の文学雑誌としては上々の部類であろう(※5)。


 この雑誌に参加した文士の中では、加藤陽文かとうようぶん中原馬琴なかはらばきん米長九二悪よねながきゅうじゅうにあく谷川江路たにがわこうろらが比較的知られている。後期になって参加したこの四人の名は夏目漱石と森田草平の書簡にも名前が見えるほどで(※6)、加藤と米長の作品については「ホトトギス」「帝国文学」に寸評が掲載されている(※7)。後に中原は東京に出て詩壇に加わり、谷川はいくつか犯罪小説の翻案を手がけた(※8)。加藤・米長については第三次六星社文学を企図し、その継続を図った他、事跡が残っていない。


 巨視的に見ると、最も成功したこの時期の同人の中にさえ大成したといえる者はおらず、第二次六星社文学という雑誌は、所詮は京阪神地方の文学という域を出なかったといえる。

 しかしこれを、彼らの文学的素養の不十分さゆえとするのは酷であろう。前述した地方同人の不利、その限界が表出したと見るべきだ。大山・升田らの青雲の志は、地方と東京の文化的環境格差に敗れたのだと言っても良い。

 第二次六星社文学が明治四十七年末、資金難に陥って廃刊となった後、しばらくその後継者は現れなかった。


 本書で扱う第三次六星社文学が発刊されたのは大正七年になってからであり、その中心人物は、編集主幹を務めていることから、加藤陽文だとされている(※9)。

 第三次六星社文学は、資金難から少部数(推定百五十部、五十部が残存していることから、実売は五十部程度ではないか)の出版となってしまった第一号が、第二次のような世評を得ることもできなかった上、第二号は原稿を集めたものの印刷にいたらず、そのまま廃刊になってしまった、悲運の雑誌である。安宅家の記録によると、企画者の加藤らは前例にならって安宅家に資金援助をあおいだ。しかしその交渉が決裂し、見切り発車のまま創刊されたようだ。加藤陽文の晩年の日記には、寄稿した自作への言及と共に、簡潔な記述ながら、第三次六星社文学への苦い思いが記されている。加藤の日記の他、言及された記録は極めて少ない。わずかに、京都の中外日報に「六星社文学」の名と参加した同人の名が記されている程度である。

 (第二号の準備稿は、昭和六十年になって京田辺市にある安宅家の別邸から発見された。同時に発見された文書類の中には、安宅家が先の決定を翻して、小額ながら資金援助を約束した旨の記録も含まれていた。六星社大に寄贈された文書類は、研究の結果、第三次六星社文学第二号の準備原稿であったとされている。第二号が発刊に至らなかった理由については、安宅家側の記録にも残っておらず、判明していない)


 本書で取り上げる、第三次に参加した同人は、以下の通りである(第一号・第二号とも同じ)。いずれも、この後、文芸の世界で名を上げることはなく、事跡は残っていない。

 

 加藤陽文(かとう・ようぶん)

 米長九二悪(よねなが・きゅうじゅうにあく)

 谷川江路(たにがわ・こうろ)

 林葉南興(はやしば・なんこう)

 佐藤泰充(さとう・たいじゅう)

 藤井竹市(ふじい・たけいち)

 森内歳雪(もりうち・さいせつ)

 先崎真名歩(せんざき・まなほ)

 羽生蝉耳(はぶ・ぜんじ)


 ……第三次第二号も含め、戦前、六星社大文学出版会図書館(現・六星社大出版局付属文書館)に収蔵されていた歴代の六星社文学は、六星社大文科の学生たちに意外に広く読まれていたようだ。


 戦後になって活躍した同大出身の作家、松涛武夫しょうとう・たけお壺洗凱章つぼあらい・がいしょう千佃哲也せんでん・てつや王炊章一おうい・しょういちらは、大学でもほぼ同期にあたり、在学中から交遊が深かったことで知られているが、彼らのうち松涛と王炊は特に第三次六星社文学に傾倒していたことを、自著やエッセイで告白している。また四者そろっての対談でも、四人がそれぞれ、第二次から第三次に渡って寄稿している加藤・米長、第三次から参加した羽生・藤井の作品に影響を受けていることが明かされている(※10)。

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