第4回 前評判
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桜下との会食を終えた鏡子は、自分のアパートに戻った。
大学から徒歩五分。築三十年になる木造アパートの2DK。
周囲も似たような学生向けアパートばかりの静かな環境だ。
二部屋続きの和室だが、一方はすっかり資料置き場になっている。せっかく二面に窓が開いているが、壁面は全て書架で塞いでしまっているので、昼でも暗い。床の上には、コピーの束の詰まった段ボール箱がいくつも積み上げられている。その狭間には、これまた本を満載した二つの移動式ラックが置かれている。そのまた隙間の床面スペースも、ページを開いたまま伏せてある学術書と論文のコピーの束でみっしりと埋めつくされている。"汚部屋"並の、床も見えない部屋である。
もう一方が寝室にあてられていて、畳の上にベッドとPCデスクが置かれている。こちらは比較的片付いている。書架も一つだけであり、ミステリ小説ばかりが綺麗に並んでいる。文庫・新書・ハードカバー、全集。古典から現代まで、学部のころに節操なく買い集めたものだ。どれも長らく手にとっていないので、その棚にはうっすらとほこりがたまっている。
部屋に入ると、鏡子はベッドの上に諏訪路の原稿の入った封筒を投げだし、浴室に向かった。いつもの習慣でたっぷり一時間半ばかり入浴し、就寝用のジャージに着替えたころには、もう日付が変わっていた。
濡れた髪にタオルを乗せたまま、デスクに腰かける。PCを起動してスカイプを確認する。
『
遠く離れた友のアカウントは、本名そのままの素っ気ないスカイプ名だ。
もう長い間、半年以上、彼女はインしていない。
同い年の、鏡子の唯一の親友で、桜下が惚れ込んでいる――熱烈に崇拝していると言ってもいい――女だ。優秀な、不気味なほど優秀な女だ。六星社大で、政治学部を主席で卒業しただけでなく、ついでのように文学と法学の学士号も同時に取得している。
複数専攻制度があるとはいえ、学部四年間で三つの学士号を取得した人間は、六星社大創設以来、彼女が初だという。
難関の学卒助教試験に受かって政治学研究科の正式な助教の地位を勝ち取った後、イェール大学の博士課程に研究留学している。今年中には博士論文を提出するはずだ。
――コネチカット州なら、今は昼の十一時ごろのはずだな、と鏡子は時差を数える。
チャット欄に何か書いておこうかな、と思いつつ、手が進まない。どうせ返事は来ないのだ。
天河のことは、ずっと考えないようにしていた。アメリカで、彼女は彼女の人生を戦っているはずだ。邪魔してはいけない。
鏡子は少し、感傷的な気分になっている。
天河と友だちになった学部三年の後半から、昨年の夏までの二年間は、実に楽しかった。
同性の親友が出来たのは初めてだった。それから、桜下が六星社大に入ってきて、天河に近づく口実として、鏡子にあれこれと事件の依頼を持ち込んできて。三人で事件について、文学について、政治について、あれこれと語り、ずいぶん多くの時間を共にした。
探偵役としては、鏡子が「足」なら天河は「頭」だ。これは謙遜ではない。彼女の常人離れした頭脳明晰ぶりを目の当たりにして、鏡子は「足」に専念することにしたのだ。自分の「頭」には見切りを付けた。
それは心地良い敗北だった。他人から、頭が良い、と思われることは好きだが、自分はそれほど頭が良くないということは薄々分かっていた。それをはっきりと認める契機をもらえたことで、彼女には感謝している。
天河と桜下と過ごした時間は、回想の中で黄金の輝きを放っている。探偵活動の件を抜きにしても、他人といることがあんなに自然に思えて、愉快な気分で過ごせた時期はなかった。
なかなかのリア充ぶりであった、と鏡子は総括している。
現在が楽しくないわけではない。
むしろ、時間が加速しているように感じる。
葵に出会えたし(脈があるのかどうかすらまだわからないが!)、研究助手の候補にも推薦された。
――自分の人生は軌道に乗りかけている。
それはわかっているのだが、どこか寂しさも感じてしまうのだ。
かつて三人で過ごした時間は、学生らしく無為で無駄で、贅沢な時間だった。そう、ごっこ遊びの時間だった。探偵ごっこ、学者の卵ごっこ。今は違う。
十二月の審査会のことを、桜下は「未来を賭けた戦いなんすよ」と言った。
そうなんだよな、と今さらになって鏡子も実感している。
科設研究助手などという、研究者志望の院生への救済措置としか思えないポストが文学研究科に設置されるのは、今年度を逃せば、次は十数年先だ。この制度は、この年この時に、たまたま「有望な若者」とみなされた者にとってだけのチャンスなのだ。
鏡子はその蜘蛛の糸をつかみかけている。
もちろん、できればつかみたい。
大学時代は人生の夏休みに例えられたりする。
大学院に進んだ鏡子は、まだ夏休みも半ばのように思っていたけれども。
実は、いつのまにか夏休みは終わっていたらしい。
これからは研究活動に専念、なのかなあ。
いろいろと思いを巡らしながら、鏡子はほとんど無意識のうちに日課のネットクルーズをこなしている。
動画視聴サイトにアップされた新作アニメをラジオ代わりに流しながら、ニュースサイトと2ちゃんねるまとめサイトをいくつか巡回する。
ついでに2ちゃんねる専用ブラウザを立ち上げる。まとめサイト群の勃興により、2ちゃんねる本体は、一部の雑談カテゴリやニュース関係をのぞいてすっかりかつての求心力を失っているが、中学生のころからの筋金入りの2ちゃんねらーである鏡子は、この巨大匿名掲示板をこよなく愛しているのだった。
ニュース系の板は、震災以来ずっと、日々乱立する原発関係のニューススレッドで埋めつくされている。原発事故の影響を過大に見積もり、「関東は全滅だ」「首都移転も間近」「西日本に逃げるなら今しかない」とその脅威をあおり立てる「危険厨」と、政府発表と御用学者たちの挙げる数値を根拠に危険厨を黙らせようとする「安全厨」が、今夜も仲良くののしり合っている。鏡子はいい加減その手のスレッドに食傷している。ざっとヘッドラインだけ読み飛ばし、専門版に移る。
専門版は過疎化が激しく、一年以上も更新されていないスレッドもざらにある。鏡子は一週間に一度だけ、まだ比較的書き込みの多い、「生きている」スレッドの更新状況だけチェックすることにしている。
今夜はもう眠いな~、とあくびしながらモニターに目を滑らせていた鏡子だが、一つのスレッドで不意に手が止まった。
学術カテゴリの人文板の中にある、近代日本文学関係の論文やら書籍やらを扱っている【近代日文研究】スレッド。
書き込みをしているのは、大学院生やオーバードクター、非常勤講師といった、アカデミック業界の下積み層の皆さん……ということになっているが、もちろんそこは匿名掲示板、本当のところはわからない。案外、専任講師や教授なんかも混じっているかもしれないし、実は事情通を装ったただのニートや学部生、暇をもてあました主婦やオッサンかもしれないし、はたまた小学生や中学生かもしれない。
その中の、ほんの短いやりとりが鏡子の興味を惹いた。
日付は十日前になっている。
381 名無しの人文学徒 : 2011-04-12 20:29:01
大正期の六星社文学についての研究書が出るらしいよ
六星社大出版局のサイトに告知きてるで
382 名無しの人文学徒 : 2011-04-12 21:14:22
六大関係者のステマ乙
そんなマイナー本誰が使うんだよ
383 名無しの人文学徒 : 2011-04-12 21:18:59
サイト見てきた
幻の第二号がメインらしいね
大丈夫か?
384 名無しの人文学徒 : 2011-04-12 21:23:45
あれは出自が怪しいよな
385 名無しの人文学徒 : 2011-04-12 22:02:11
SとSが捏造した、という説もある
やりとりはそこで途切れ、以降は別の話題になっている。
「ふーむ、むむむ??」
鏡子は三度、それを読み返した。
話題の中心であるS教授の御本とはつまり、鏡子が預かったあの原稿なわけだ。
帰宅してからベッドの上に投げ出したままにしてある封筒にちらりと目をやる。
しかし幻の第二号、とは?
第三次六星社文学は創刊号しか存在しないのではなかったか。
ウィキペディアで六星社文学の項を検索する。
第三次六星社文学についての説明記事の末尾に、短い記述が一行だけ置かれている。
"一九八五年に、京田辺市で第二号の準備稿が発見され、六星社大学に寄贈された。"
「これのことか」
"SとSが捏造した"という一文に少しだけ好奇心を刺激された。
SとS、が誰を指すのか、もしかすると片方のSは諏訪路先生かもしれないが、とにかくこの書き込みは、諏訪路先生の本の土台となっているらしい、第二号・準備稿が真っ赤な偽物だ、と主張しているわけだ。
さらにネットを漁ってみたが、第三次六星社文学幻の第二号について詳しく解説しているサイトは見当たらない。ウィキペディアの記載以上の情報はなさそうだ。
論文検索も成果なし。最も、ネットの論文集積SNSは二〇〇〇年以前の古い論文はほとんどフォローしていないので、あまりあてにはできない。
念のため、ツイッターでも検索してみる。
二〇〇八年から日本語版が稼働し始めたこのSNSサービスは、三年の間に急速に普及し、今や2ちゃんねるに代わる新たな情報世界を築きつつあった。
鏡子はあまり使っていないが、一応監視用のアカウントを持っている。
研究関係者で、公開の実名アカウントを持っている(うかつな)人たちは軒並み監視対象に入れてある。
しばし探索に熱中したものの、残念ながら、これといって引っかかるツイートは見当たらなかった。
怪文書の文面を思い出す。
"ご自分の不明と、身の程を知って"
"あなたの三十年は無為でした"
あの文面は、2ちゃんねるの書き込みのことを指しているようにも読めるが、その関連性について鏡子は――考えない。
「足で解決する探偵」である鏡子は、自分の頭を「信用しない」。閃きや、解釈、飛躍した情報連結、つまりはフィクションの名探偵が持ち合わせているような超常的な推理能力が自分にはないことをよく知っている。AとB、二つの情報の間に、なんらかの関係性がありそうだ、と感じても、無理に関係づけようとはしてはいけない。それが鏡子の経験則である。明らかに関係があることが判明するまでは、AならAだけ、BならBだけを追っていけばいい。
まして、このことは、現在頼まれている怪文書の件を解決するためには、「必要ない」。
解決に必要のないことは考えない。
はは、と小声で自嘲の笑いを漏らしてから、鏡子はPCをシャットダウンした。
くだらない呟きを山ほど読まされて、時間を無駄にしたことが馬鹿馬鹿しくなった。
もう一度、ベッドの上の封筒に目を向ける。
「やっぱ『足』を使わなきゃな。今夜、読んじゃうか」
ベッドに寝転ぶと、封筒を開けて原稿を取り出す。一緒に怪文書の入ったファイルも落ちてくる。
問題の「第三次六星社文学・幻の第二号」について、おそらく日本でもっとも詳しく書かれた原稿が手元にあるのだ。これを読まない手はない。
いつ寝入ってしまってもいいように、眼鏡を外しておく。
あくびをもらしながら、ページを開いていく。
実のところ、2ちゃんねるの書き込みを真に受けているわけでもないし、諏訪路が無能だろうと、その研究対象が捏造されたものだろうとかまわない。読んだからといって、畑違いの鏡子に内容の良し悪しや、題材の真正を判別できるとも思えない。
読まないつもりだったその原稿を読む本当の理由は、諏訪路に同情したからだ。なんだか可哀相に思えてきたのだ。桜下の言うとおりならば、教授はずっと「第三次六星社文学」に取り組んできたということになる。この本は畢生の労作、先生のライフワークとも言えよう。それなのに匿名掲示板での前評判も芳しくない。誰にも必要とされていない本なのかもしれない。それはあまりにも空しい話だ。
――だとしたら、せめて僕が読んであげようじゃないか。
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