秋の夜長

@yumemituki02

第1話

空一杯の鱗雲。

蜩の泣き声が夏の終わりを知らせ、秋の始まりを知らせた。


「うー、寒い」

「冬服に着替えればいいだろ。移行期間中なんだし」

「なんで朝言ってくれなかったのよ。お兄ちゃんの意地悪~」

妹と並んで歩く、学校へと続く道。

朝の何気ない会話。

「それじゃ、行ってくるね!」

「おう。また帰りにな」

妹とは二つ違いなので、二つ上の教室へと向かう。

「よう八朔はっさく。今日も紅葉もみじちゃんと一緒か?」

「おはよう村上むらかみ。そうだが、家が一緒なんだから朝一緒なのは当たり前だろ」

妹が超絶美人とかなら羨ましがられるのも分かるが、俺の妹、八朔紅葉はっさくもみじは取り立てて騒ぐほどの容姿を持っているわけでもない。


午前中の授業を終え、昼休みになる。

「お兄ちゃん」

食堂へ行こうと席をたつと、紅葉に声をかけられた。

「珍しいな。どうした?」

「お財布、忘れてきちゃった……」

こいつはおっちょこちょいというほどではないのだが、しっかりものとは言いがたい。

「わかったよ。五百円でいいか?」

財布を出そうとすると、紅葉が首を横に振った。

「足りないか? いくら欲しい?」

「ううん、そうじゃなくて。一緒じゃ、ダメ?」

「いや……いいけどさ」

いつもは登下校以外で学校で顔を合わせることもほとんどなく、最近は避けられているような気さえしていたのに。


「ねぇ、お兄ちゃん」

「どうした?」

「…………なんでもない」

食券を買うときも、食べているときも、食べ終わって階段で別れるまで、ずっとそんな調子だった。


午後の授業が終わり、放課後になる。

いつも通り校門で待つが、いつもの時間になっても紅葉は来なかった。


三十分ほど待つと、ようやく昇降口に紅葉を見つけた。

「どうかしたのか?」

「……大丈夫」

そのあと、家に着くまで紅葉との会話は無かった。


「ただいま」

俺が鍵を空け、紅葉が先に入る。

「ただいまー」

返事はない。

「まだだれも帰ってないのか」

「そうみたい……だね」

 特にすることもないので、自分の部屋に入った。

「四時半か。少し……寝るかな」

 夕飯にはまだ早かったのでベッドに横になると、制服のまま眠ってしまった。


「ん……」

 目を覚ますと、窓からさす光は月明かりに変わっていた。

「九時三十分……」

 完全に寝すぎた。

 きっともう食事も済んでいるだろう。

 とりあえずリビングへと戻る。

 扉をあけると、電気は付いていなかった。

「皆寝た……わけじゃないよな?」

 風呂場も確認したが、誰もいない。

 そもそもキッチンに、食事を用意した跡も、片付けた跡もなかった。

「まだだれも帰ってない?」

 しかしそれなら連絡のひとつぐらいあってもいいはずだ。

 ……いや、もしかしたら紅葉の方に連絡がいってるのかも。

 聞いてみないことにはなにも分からないので、妹の部屋へ行く。


「おーい、入るぞー?」

 ドアをノックしても返事が無かったので、勝手に入らせてもらう。

「紅葉も寝てたのか……」

部屋のなかは明かりがついておらず、ベッドには制服のまま眠っている紅葉の姿があった。

このまま寝かせておいてやりたいのだが、聞きたいことがある以上、申し訳ないが起こさせてもらおう。

「おーい、紅葉ー」

「ん……?」

「悪いな。まだ誰も帰ってきてないみたいなんだけど、なにか聞いてないか?」

「…………えーと、私はなにも聞いてないけど。メールしてみたら?」

紅葉がなにも聞いていなというので、メールを送ろうとスマホを取り出す。

「…………なぁ紅葉」

「何?」

「今、何時だ?」

「えーと、九時三十分だけど。確かに遅いよね」

いや、おかしい。夜遅くに誰も帰ってきていないのもそうだが、そうじゃない。

俺達が家に帰ってきたのは四時三十分。そこから寝過ぎて俺が起きたのは九時三十分。

そして、今の時間は九時三十分。

起きてからリビングやキッチンを見て回っていた時間が少なくとも五分。

スマホの時計と紅葉の部屋の時計は同じ時刻を指している。

「悪い、ちょっと待っててくれ」

「……?」

紅葉を部屋に残し、自分の部屋へ戻る。

紅葉の部屋の時計のほうが正しいのなら、俺の部屋の時計は今十時前を指しているはずだ。

「…………九時三十分」

紅葉の部屋と俺の部屋の時計は一秒もずれていない。

そう、一秒も……。

「電池切れ……か?」

俺の部屋の時計の秒針は動いていなかった。

確認しようと、スマホを取り出す。

「九時……三十分」

先程確認したときから一分も進んでいない。

もう一度紅葉の部屋へと戻る。

「おにいちゃん、どうしたの?」

「紅葉……今、何時だ?」

「……? さっき言ったじゃん」

「もう一度見てみろ」

「えーと、九時三十分…………電池切れてるのかな?」

「これを見てみろ」

紅葉にスマホを差し出す。

「……あれ? どういうこと?」

「わからない」

その後、リビングやキッチン、両親の部屋の時計も確認したが、どの時計も全く同じ時間を示していた。

家中の時計が同時に壊れたとは考えにくく、やはり何かしらの異常事態が起きているのだと思わずにはいられなかった。

「…………」

紅葉はずっと黙っていたが、不安そうな表情を浮かべていた。

「……お腹空いたな」

「何か……作る?」

「手伝うよ」

腹が減っては戦はできぬ。

別に戦をするわけではないが、これからどうするにせよ食事は必要だろう。

「「いただきます」」

冷蔵庫にあったものと冷ご飯で簡単なチャーハンを作り、食べる。

テレビをつけてみたが何も映らず、ただ黙々とスプーンを口に運ぶ。

食べ終わり、後片付けをする間も、会話はなかった。

することがなくなり、テーブルに紅葉と向かい合わせに座る。

「なぁ紅葉、大丈夫か?」

さっきからずっと黙ったままの妹が心配になり、声をかける。

「うん、大丈夫だよ」

「なぁ、一回外に出てみないか?」

家中の時計が止まり、テレビも映らず、メールの返信もいつまでたってもない。

さっき一度電話を掛けてみたが、なぜかコールすら鳴らなかった。


「誰もいないね」

もしかしたら。たまたま家中の時計が同時に止まり、たまたまスマホとテレビの調子が悪く、たまたま両親が用事を伝え忘れていただけなのではないか。

そんな期待は、家の玄関を出た瞬間に打ち消された。

住宅地のはずなのに、街灯以外の明かりがひとつもなかった。

少し歩き、大通りに出ると、人々や車の行き交いは消え、まさしくゴーストタウンと呼ぶにふさわしいものだった。

「九時三十分……」

そして、どこの時計も同じ時刻を刻み、動いているものはなかった。


「……ここも同じだね」

家に程近い公園のベンチに腰をおろした。

公園の時計も例に漏れず止まっていた。

「どうなってんだ……」

あれから近くの商店街やスーパー、駅にも行ってみたが、どこも同じ風景が広がっていただけだった。

「まるで取り残されたみたいだね」

「何に?」

「時間に」

時間に取り残された。

確かにその通りかもしれない。

そういえば風すら吹いていない。

電灯に群がる虫もいない。

今いるこの時空間は、すべての生物から完全に隔離されている。

あるいは、本当にその時間、今日の九時三十分には人々が暮らしていた世界なのかもしれない。

だとすれば、紅葉の言う通り俺たちは時間に取り残されたことになる。

「さて、どうやって戻ったもんかな」

「戻る?」

「……時間に取り残された、なら進む、の方が適切かもな。どのみちずっとこのままってわけにはいかないだろ? どうにかしてみんなのいる時間に戻らないと」

「どうしても戻らなきゃいけないのかな」

「どういうことだ?」

「私は…………このままでもいいな」

「このままって、この時間の止まった誰もいない世界で暮らすってのか? 二人で」

確かにどうしても戻るすべがないというのならそれも悪くはない。だが、まだ絶対に戻れないと決まったわけではない以上、できる限りの模索はしていきたいと思う。

「…………何か、理由があるのか?」

紅葉と二人だけの世界を否定するわけではないが、何も理由を聞かないままではこの釈然としない気持ちを引きずって生きていくことになる。それは嫌だった。

「あのね、お兄ちゃん」

「なんだ?」

「私ね、その…………」

そこで言葉が詰まり、その先を言うべきかどうか、迷っているようだった。

「好き……なんだ」

「えーと、何が好きなんだ?」

「……お兄ちゃん」

「なんだ?」

「そうじゃなくて……好きなの。お兄ちゃんが」

…………近頃の態度を見ている限り、嫌われてはいないことは分かっていたが、まさか好きだと言われるとは思いもよらなかった。

「えーと、そう言ってくれるのは嬉しいんだけど、それがこの世界にとどまりたい理由なのか?」

聞くと、紅葉は少し迷ったような仕草をしたあとに無言でうなずいた。

この世界がいいのか、それとももとの世界が嫌なのか、どっちなんだろうか。

例えば、今日の昼休みのことや、放課後なかなか出てこなかったこと。

見るからに様子がおかしいのに理由は何一つとして話してくれなかった。

もしかしたらもっと前のこと、最近少し避けられているような態度のことだろうか。

「お兄ちゃん、私ね」

考えていると紅葉がその理由を話し出した。

「お兄ちゃんのことが好きなの。だけど……」

そこから先は言いにくいことなのか、少し間があいた。

「今日ね、財布はちゃんとカバンに入れたんだ」

ならどうして。

質問するより早くに紅葉が続けた。

「放課後、トイレから戻ったらカバンが無くなってた。靴も。昼休みが終わったら机の中の教科書が無くなってた。クラスの子に聞いたら、お兄さんに借りればいいじゃないって言われた」

 紅葉の話を聞いている限り、それらはただのイジメだ。

「つまり、お前が俺のことを好きだから嫌がらせをされてる。そういうことか?」

 紅葉はゆっくりとうなずいた。

「……なら俺を頼ればいい」

「え?」

「財布が無ければ貸してやるし、カバンが無ければ探してやる。靴が無いなら背負って帰ってもいい」

 今まで避けられていた理由がそれなのだとしたら。

「嘘をつく必要はないだろ? 他人にも、自分にも」

「でも……」

「好きなものは好きなんだよ。それがなんであっても。もちろん、兄妹でも」

「…………」

 紅葉は何も言わなかった。

「冷える前に帰るぞ、紅葉」

 立ち上がり、紅葉に手を差し伸べる。

 やはり紅葉は何も言わなかったが、家に着くまで、手を離すことはなかった。


 昼寝をしたとはいえ、体感時間ではもう十二時過ぎ。

 眠くないはずもなく、風呂を入れる暇もなくリビングのソファで眠ってしまった。


 目が覚めると、目の前に紅葉の姿があった。

「なにしてるんだ?」

「ひゃっ!?」

「びっくりしたのはこっちだろうが……」

「いや、えーとあのね? 私やっぱりお兄ちゃんのことが好きなんだなーって」

「なんだそりゃ」

 改めて言われると照れるな……。

「お目覚めのキスはいかが?」

「馬鹿なこと言ってると朝ごはんつくらねーぞ……?」

 家では特に取り決めがあるわけではないが、朝は俺が、夜は紅葉が作ることが圧倒的に多かった。

「ふっふーん。もう作ってあるもんねー」

 ダイニングテーブルを見ると、確かにトーストにサラダにスープがそろっていた。

「ほら、いつまでも寝ぼけてないで起きて」

 紅葉が窓際へ行き、カーテンを開け放った。

 眩しい光と共に、真っ赤に燃えあがったような紅葉の葉が目に飛び込んでくる。

 起き上がりながら時計を確認すると、時刻は午前七時三十分を指していた。


「「いってきます」」

 両親は昨日、珍しく残業だったようだ。まだ寝ているらしいので、静かに扉を閉める。

「お兄ちゃん」

「なん……っ!?」

 振り返ると、首にマフラーを掛けられ……と思ったらそのまま首に手を回され顔を引き寄せられた。

「…………恥ずかしいならやめとけよ」

「えへへ…………」

 紅葉の顔は紅く色づき、紅葉したカエデのようだった。


 学校の校門に着くころに、紅葉は一瞬怯えるような仕草を見せたが、俺の手を強く握り、そこで別れた。

 教室に入ると、いつものように村上が話しかけてきた。

「よう八朔。今日も……どうした? 顔が赤いぞ?」

「ああ、ちょっと、な」

「まさか……女か? 相手は誰だ!?」

「お前な、普通は風邪とかの心配するだろ」

「なるほど。風邪だったのか?」

「いや、まぁ今回は違うけどさ」

「もしかして……妹!?」

「…………」

 なんでこいつは変に鋭いんだ……。

「マジかよ!? クッソーあわよくばと狙ってたのに! いつだ、いつからだ!?」

「怖えーよ」

 その後もいろいろ言われた気がするが、ほとんど聞き流していた。


 紅葉のことが心配であまり集中できなかった午前の授業が終わり、昼休みになる。

 食堂へ行こうと教室を出ると、紅葉が教室の前で待っていた。

「……お兄ちゃん」

「一緒に行くか?」

 朝紅葉が財布を入れるところは見ていたので、恐らくまた、なのだろう。

「うん」

「村上。お前も一緒にどうだ?」

 紅葉は少し戸惑っていたようだが、構わず朝からうるさかった友達を呼んだ。


 廊下を歩いているときのアイツの様子は少しおかしかったが、それ以上に食堂で席を取ってからの紅葉の様子がおかしかった。

 少し見回して見ると、恐らく紅葉と同じクラスなのであろう女子が三人、明らかに目をそらした。

「なぁ村上」

「……なんだ?」

 目が虚ろで気味が悪いが、この際放っておく。

「お前は俺の妹を狙ってたのか?」

 紅葉が水を飲んでむせていたが話を進める。

「ああ、まぁな」

「それとも女の子と仲良くなれるのなら誰でもよかったのか?」

「……おい、俺にどう答えろってんだよ」

「実は紅葉が財布を無くしたって言ってるんだが、それは置いといてだな。さっきから向こうの女子がずっとお前のこと見つめてるぞ」

「悪い用事を思い出した先行くわ」

 残っていた飯を数秒で平らげた村上が例の女子のもとへと走って行った。

 実の兄が好きだから。紅葉から聞いていた嫌がらせの原因はそれだけでは無かった。

 あの三人のうちの一人が同じ部活の村上のことが好きだったらしい。

 だが、恐らく部活中にアイツが紅葉のことを可愛いだとか好きだとかなんとか言っているのを聞いたのだろう。

 自分の好きな相手が別の誰かに好意を抱いていることを知り、嫉妬心を抱いた。

 多分こんなところだろう。

 アイツは諦めはいい方だし、これでなんとかなってくれるといいのだが。

「ねぇお兄ちゃん。あの人は私のことが好きだったの?」

「いや、アイツは女の子が好きなんだよ」

「ふーん。あ、そうだ。なんでわざわざ財布のこと言ったの?」

「アイツは変なとこはあるが、他人を傷つけることは絶対にしない」

 それは、他人を傷つけるような相手は嫌いだということでもある。

 こちらの会話は少しは向こうにも聞こえていただろうから、嫌がらせも直ぐに無くなるはずだ。

「お兄ちゃん」

「なんだ?」

「今度の日曜日、遊びに行かない?」


 日曜日、紅葉カエデの植えられたと自然公園の遊歩道を歩いていた。

「綺麗だな、紅葉」

 遊歩道は紅い葉に包まれていた。

「え? 私のこと?」

「なわけあるか」

「むー……」

「お前に綺麗なんていうかよ」

「お兄ちゃんひどいー」

「お前はなんていうか……可愛い、の方が似合ってる気がする」

 あれから、紅葉に対しての嫌がらせは無くなったらしい。

「……ありがとうね。助けてくれて。あのままだったら、ずっとあの世界にいたかもしれない」

 あの世界が何だったのかは分からなかったが、今この時間は確かに紅葉と共に歩み続けている。




 時間を止めてでも、閉じこもってしまうよりはいいはずだ。

 人には、今よりもっと考える時間が必要なのだ。 

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