12
後藤が伊勢屋の離れの部屋に連日顔を出すようになると、お文はさらに衰弱していった。
伊勢屋の主人八兵衛は自分から言い出したことだが、このお文の衰弱は全く予見出来なかったようだった。
後藤の噂――つまりお化け侍という評判は店の中の者達に広まり、それが当然捻じ曲がって受け取られ、後藤がお化けでお文の命を奪いに来ているのではないかというどこかの怪談のような風聞が立つ始末だった。
これには流石の八兵衛も黙っている訳にはいかなくなった。
という訳で、今日も今日とて伊勢屋にやってきた後藤を、八兵衛は一旦自分の部屋に迎え入れて話をすることとなった。
「それで八兵衛さん、お話とは?」
穏やかな笑みを崩さず、後藤はのんびりと構えている。
八兵衛はお文がさらに衰弱していること、店の中では後藤が本当にお化けなのではないかという話が出てきていることを伝えた。
後藤はそれを聞くと、腹を抱えて笑い出した。
「い、いや、すみません。しかし、私がお化け? うははははは」
すみませんすみませんと謝りながらも収まらないようで、長い間笑い転げる。
「申し訳ありませんでした。もう、落ち着きましたので――ふふ」
気を抜けばすぐにでも笑いに呑まれそうなようで、口元は緩み切り時折笑声のなりそこないの息が漏れる。
「重頼さん、あまり笑っていられるような話ではないのですよ? お文が弱っているのは確かですし、それがあなたが訪れるようになってから酷くなっているのですから、このような話が湧いて出るのも仕方がない」
「お文さんが悩まれて、その結果調子を崩すのはわかっていたことではないですか。黄表紙を見て憤慨し、飯も喉を通らなくなるような方です。私の持ってくる化物だらけの品々を見て、ご自分と世間のズレに頭を悩ませているのではないでしょうか。最初に荒療治だと申したはずですよ」
「一体、何をしているのです?」
その言葉に含まれる疑いを読み取り、後藤はそれを笑い飛ばす。
「いやいや、何もやましいことはしておりませんのでそこはご安心ください。ただ子供の遊ぶようなもので遊んでいるだけですよ。なんなら今日はご一緒にどうです?」
後藤の言葉に従い、八兵衛は一緒にお文のいる離れへと向かった。
「どうもお文さん。また来ましたよ」
唐紙を開けて中に入ると、げっそりと窶れたお文が部屋の中をぐるぐると歩き回っていた。後藤に気付くと何も言わずに座布団を二つ取ってきて、部屋の真ん中に敷く。
「今日はお父上も一緒ですから、もう一枚ですね」
後藤はそう言って自分で座布団を取りに行き、向かい合った座布団の横に敷いた。
お文はもう座布団に腰を下ろし、後藤を待ち構えている。後藤はお文と向き合うところへ、八兵衛はそれの横に敷かれた座布団へとそれぞれ腰を下ろす。
後藤は風呂敷包みを解き、中から束になった厚紙を取り出した。
「これは最近出たいろはカルタというものです。ただこれはちょっと趣向が違いまして、化物ばかりのお化けカルタです。まあとりあえずやってみましょうか」
後藤は手に持ったカルタの絵札を畳の上に広げ、自分は読み札を手に持つ。
お文は身構え、八兵衛も慌ててばらまかれたカルタを眺める。
「『やなぎの下のうぶめ』」
お文はおずおずと真ん中辺りに置かれた『や』の一文字とウブメが描かれた札を取る。
「ウブメは柳の下に現れるのですか?」
お文に訊ねられると、後藤は楽しげに笑いながら答える。
「そうですね。あとは川辺が多いです。ほら、その絵札も川辺でしょう? 他に画に描かれたウブメには流れ潅頂が一緒に描かれることが多いですね」
「川にあるものですね」
流れ潅頂は川のほとりに竹や卒塔婆を立て、それに布を張って樒を供え水をかけることで無縁仏や川で死んだ者、そして難産で死んだ者の供養とするものだ。だからそこからの思い付きもあると思いますよ――と後藤は付け加える。
そこで後藤は林羅山の『多識編』という書物について説明を始めた。林羅山と聞いてお文も目を丸くする。姑獲鳥――鵺――無数の鳥――そこから無数に伸びるウブメという化物への思索の沼。
「これがなかなかに面白いんですよ。いい加減かと思えば、裏にはきちんとした成り立ちが潜んでいる」
お文は目を爛々として食い入るように後藤の話を聞いていた。
八兵衛は呆気に取られて二人のやり取りを見ていた。お化け侍と呼ばれているだけあって、後藤の知識はその方面に関してはお文をはるかに上回っている。
これではまるで化物の手習いを受けているようだと、八兵衛は困惑する。
「お文さん、そろそろ頃合いですね」
「はい?」
「私はこれまで化物双六や子供の遊ぶ手遊び絵や、そして今日はお化けカルタを使って、遊ぶのと同時にお文さんに化物についての話をしてきました。小難しく話してきましたが、前にも言った通りこれらは全て受け売りです。お文さんに近付くにはこういった話の方がいいだろうと思ったからです。ただ、それがお文さんを悩ませてしまったところもあるでしょう。たかが化物について、これだけ深い話が出来てしまったのですから、もしや化物とは高尚なものなのかと思われたかもしれない」
「それは――はい。お化け侍様のお話になる化物は、もしかしたら学問にも通じるのではないかと思っておりました。ただ、それにしてはあの黄表紙などはあまりに酷い。一体どちらなのだと考えるともうわからなくなって――」
「それでどんどん調子を崩していったというのかい」
八兵衛が思わず訊くと、お文は恥ずかしそうに目を伏せて頷いた。
「おとっつぁん、それでも私にとっては一大事でした。いえ、そもそも私が伏せったきっかけも笑い話になるような有様です。そんな馬鹿な娘が一層頭を悩ませただけなのです」
「お文さんを悩ませてしまったことは、この場で謝らせていただきます。誠にすみません」
後藤が頭を下げると、気のいい八兵衛などは逆に慌てる。
「そんな。謝られるようなことはございません。どうか顔を上げてください」
お文も慌てて後藤に気を遣う。後藤はそれに応えて即座に顔を上げた。
「さてお文さん、私が初めてここに上がった時に言った言葉を覚えておられますか?」
お文が答える前に、後藤はすぐ二の句を継ぐ。
「化物は楽しんでなんぼ――と言いましたよね」
お文は息を詰まらせたような小さい声を上げる。
「そうです。化物は楽しんでこそ面白い。さあここに広がるお化けカルタを見てください。どれも今まで私がお話してきた化物達です。それが画となっている。それぞれに名がある。私がその説明を読む。お文さんは今までの知識と照らし合わせて絵札を取る。名と像が、像と名が合致する。それは――とても楽しいとは思いませんか」
「楽しい……?」
「『みこしがたけみこし入道』」
お文は自然と『み』の絵札を探していた。見越し入道は見上げれば見上げる程大きくなる化物だが、草双紙では首の長い大男として描かれる――。
ぱん、と手で絵札を叩く。
首の長い大男と、『み』が描かれた絵札。見越し入道だ。
お文の中ではその間、凄まじい知の奔流が起こっていた。名を聞き、性質を思い出し、画を見て、それらを一気に合致させる。そしてお文の手は、絵札を取っていた。
「た、楽しい――楽しいです!」
お文は嬉々として満面の笑みを見せる。
そしてふと、遠い目をしてくずおれる。
「お文!」
八兵衛が慌ててそれを抱きかかえる。
「緊張の糸が解けたのでしょう。たっぷりご飯を食べて、ゆっくり眠れば大丈夫ですよ。ああそうだ、知り合いに飛びきり美味い沢庵を作る奴がいましてね。今日それを持ってきてるんです。どうぞお文さんに食べさせてやってください」
そう言って後藤は、真っ白な沢庵を取り出した。
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