今昔画図続百鬼こんじゃくがずぞくひゃっき』が当初の予定通り開板され、その二年後に『今昔百鬼拾遺こんじゃくひゃっきしゅうい』、そして最後に『百器徒然袋ひゃっきつれづれぶくろ』が次々と開板された。

 予想以上の好評を博し、予定になかった続編が二つも出来上がった。

 佐野は、それはもう好き勝手に描いた。

 勿論、ふざけた洒落を仕込むのに画の質は決して落とさないし、知的なお遊びという姿勢は崩していない。

『今昔百鬼拾遺』の最後から二番目、実質一番後ろには、白沢を描いた。

 白沢庵を臭わせるようなことは一切描いていない。これは白沢庵から毎度念を押されていたことだった。白沢庵は自分が表に立つことを決して許さなかった。

 そして『百器徒然袋』の最後から三番目、実質の最後の化物には、「瓶長かめおさ」というものを描いた。

 これは恋川を元にして描いたものである。恋川の絵師としいての雅号は「亀長かめおさ」。狂歌師としての雅号は「酒上不埒さけのうえのふらち」で、この瓶長の画は瓶の化物が厠の壁にもたれかかっており、酔っぱらってしきりに吐いているようにも見える。

 佐野はこれまでも知り合いの文人達をもじったりして化物に仕立て上げた。

 白沢庵と恋川、この二人には特別に最後を任せようという訳である。

 恋川は『百器徒然袋』が開板されるとすぐに梧柳庵に顔を見せにきた。

「酷いですよ師匠。そりゃあ私は亀長で酒上不埒ですけど、わざわざ最後に持ってこなくてもいいでしょう」

 佐野はそれを聞くと笑って茶を飲んだ。いつもの唐紙で閉め切られた部屋で、向き合って座っている。

「そう言うな。あれで最後なんだから、華を持たせてやったと思え」

 恋川は驚いたように、えっ――と声を上げる。

「もう描かないんですか?」

「読めばわかるだろ。もう描く化物もネタ切れだ。だから『百器徒然袋』じゃあ洒落の出まかせ尽くしよ」

「でも、すごい出来ですよあれは。全部に芝居物が結び付いてて、師匠でもないと描けませんって」

 佐野はまた笑う。

「いや、もうやり尽くしたよ。あの厭な感じに襲われることなく画を描けただけで充分に満足だ。人生も終わりって頃にこんだけ楽しいことが出来たんだ。今まで損してきた分も取り戻せた気分だし、俺ぁ幸せ者だよ」

 それに――と暗くならないようにおどけた調子で続ける。

「まあ、何より身体が持たねえ。俺ぁもう七十越えてんだぞ」

「白沢庵の御老体なんてもっと年がいってますよ。でもまだまだ死にそうにないじゃないですか」

 佐野はありゃあ特別だと笑う。

 笑った後で、少し声の調子を落として恋川に問う。

「白沢庵と言やあ、お前、気付いてるか?」

「な、なんです?」

「あの爺さんと最初に会ったのはいつだ」

「えっと、確か師匠が『画図百鬼夜行』を出す前の年でしたから――九年前ですか?」

「そうだ。それでこの九年、あの爺さんは全く老けてねえとは思わねえか」

 佐野が言うと、恋川はぽかんと口を開けて、そのまま暫く固まった。

「え? いや、そんなこと考えたこともなかったですよ。なにせ最初からとんでもない年寄りでしたから」

「九年だぞ? その間に何も変わらず爺さんのままってのも妙だとは思わねえか」

 佐野が言うと、恋川は黙って考え込む。その沈黙が厭に重苦しかったので、佐野は笑声で空気を震わせた。

「なんてな。そう考え込むこともねえだろ。年寄りなんて大体そんなもんだ」

 恋川もそれもそうですねえと笑う。

「ひょっとして師匠が御老体を化物だとでも言い出すんじゃないかと思いましたよ」

 佐野はそこでまた笑い、寸時遠い目をする。

「ああ――化物なあ。多分もっと、恐ろしいか訳のわからねえもんだな。ありゃ」

「はい?」

「なんでもねえ」

 破顔一笑。こうなっては恋川に問いただすことは出来ない。

 佐野は恋川が帰ると、相変わらずくすんだ空を眺めて、門前町まで足を伸ばした。

 景色はどれもくすんだままで、何一つ佐野の心を震わすことはない。岡場所に入って女と寝ても、この厭な感じはしつこく付き纏うだろう。

 あの時、最初に白沢庵を見つけた時に佐野の目に差した光。それは生まれてからずっと曇っていた佐野の目に初めて表れた晴れ間だったのかもしれない。

 その白沢庵はもうあの場所にはなかった。岡場所が並んで建っている間に隙間を見つけることは出来たが、どこにもあの荒ら家はない。

 佐野は全てを悟ったように頬を緩めた。

 ――白沢庵よ、あんたが言い出さなくとも、俺はいつか化物を描いたと思うぜ。

 白沢庵は確かに佐野を唆した。それでも、元来佐野は化物好きで、白沢庵の言葉がなくとも自ら『画図百鬼夜行』を描いたはずだ。

 白沢庵はきっと、何の重みも持たない。その言葉は端からわかり切ったことで、関わろうと関わらずとも、大きな流れは変わらない。

 ふと、覗き込んでいた岡場所の間に、何かが落ちているのを佐野は見止めた。隙間に割って入って――こんなに狭かっただろうか――それを拾う。

『今昔百鬼拾遺 雨』。佐野の出した一連の本の一つだ。それを開くと、最後に描かれた「隠れ里」の右側の半丁がなくなっている。

「そうか。なんだかんだ言って、気に入ってやがったんだな」

 そのなくなった半丁に描いたのは、実質の最後――白沢。

 これまでに描いてきた化物達を思い出す。

 楽しかった。本当に楽しかった。

 化物を描いて、作って、本気で遊んだ。

 その間、あの厭な感じは邪魔をしない。もう付き合い方にもすっかり慣れたはずのあの感じが邪魔をしないとなると途端に楽しくなる。これまでの生涯で、こんなに楽しいことはなかった。

「礼は言っとくぜ。白沢庵」


 その四年後、佐野豊房――鳥山石燕は浅草は光明寺に葬られた。この墓、江戸城本丸からきっちり丑寅――鬼門にある。最後まで洒落好きなものだと、皆笑った。

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