夜に眠る燈台

川上 神楽

 夜に眠る燈台

 堺魚市場にある「大吉」は深夜の0時に開店し、朝方には店を閉める。深夜にしか食べられない天ぷら屋だ。雑誌に掲載されたのがきっかけなのか、こんな真夜中だというのに若いカップルたちで長蛇の列になっていた。

 久しぶりに小嶋が出張で大阪に帰って来たわけだし、贅沢も良かろう。僕たちは列の最後部に並んだ。

「うわ、めっちゃ久しぶりやわ。昔と全然変わらへんなぁ、相変わらず人気やし」

 小嶋は懐かしそうに店の看板を見上げる。高校生の頃は背中まであった髪も、肩くらいの長さでこざっぱりと切り揃えられている。

 いつも黒い服ばっかり着ていた記憶があるけれど、今日は赤いスカートに紺色のセーターという着合わせだ。でも高校の頃の記憶だから社会に出て趣向が変わったのかも知れない。小嶋はセーターの袖の中に手を丸めて入れ肩をすぼめていた。

「小嶋、寒いんか? 俺のパーカー着る?」

「いや、別にええし」

「でも30分くらい待たなあかんで」

「うん、平気やし。なあ、緒方、堺は全然変わってへんなぁ」

「そうやなぁ、なんも変わってへん。大阪市内はハルカスとかでっかいビルがぼんぼん建ってるし、梅田なんか要塞みたいになってんで。多分、小嶋が行ったら迷子になるわ」

「私も昨日ハルカスは見たし。あれはほんまでっかかった。緒方、あれ上まで昇った事あるん?」

「ああ、1回だけあるわ。見下ろしたらな、通天閣がチェスの駒みたいに見えてん。せやから俺が淀川の向こうに移動させといた。上には上がいるもんや」

 ふたり分の席が空き、僕たちは店内に入る。あさりの貝殻が粉々に砕けて、コンクリートの床に転がっていた。味噌汁を飲んだ客が貝殻を床に投げつける。客のマナーが悪いのではなく、それがこの店の暗黙のルールなのだ。貝殻を踏み潰しながら並びでカウンター席に座った。

「そうや、小嶋、フェニックス通りにスタバが出来たんや」

「スタバみたいなん東京になんぼでもあるわいな」

 堺市は南海本線、南海高野線、それにJRの路線が巡らされているが、それぞれの主要駅の間に距離があり南北の移動には便利だが東西の移動には不便で、市内の交通手段はもっぱらバスとなってしまっている。高野線の「堺東駅」と本線の「堺駅」を結ぶ路線の実現が市民の夢なのだ。

 だが目抜き通りであるフェニックス通りに路面電車を作ろうという構想が持ち上がれば消え、地下鉄を掘ると噂されたりもしたが、結局はどれも実現する事なく頓挫しているのが現状だ。

「なあ、緒方。天ぷら食べたら猿見に行こや」

「ああ、大浜公園の猿やろ? あれな、もう猿山なくなってもうてん」

「じゃ、今、猿何してん?」

「檻に入れられている」

「は? 猿は縦社会やろ? 檻に入れてしまったらいっこもおもんないやん」

「そやねん。おもんないねん。まあ、動物園じゃないし、ただの公園やからしゃあないんちゃうかな?」

「しゃぁないな、んな、燈台いこ」

 天ぷらを腹いっぱい食べ、床にあさりの貝殻を散々ばら撒いた僕たちは旧堺燈台に向かった。辺りは街灯も少なく仄暗い。頭上を走る阪神高速道路から漏れる灯りを頼りに歩いていく。

「なあ小嶋、お前よう覚えてんな。こんなん地元にずっと住んでる俺でも道知らんわ」

「大浜公園の端の歩道橋渡って、道路挟んで反対側な」

 歩道橋を下りると暗闇に覆われた。こんな場所は深夜に来るのには相応しくないな、と思う。街路樹が囲む小道のカーブを曲がれば、少し明るくなり半円状に広がる階段が見えた。その奥に燈台は確かにあった。

「緒方、光ってひんやん、眠ってんちゃうん、燈台。夜やし、起きろ」

「だから『旧』堺燈台なんやろ。今は使われてへんっちゅう事や。日本最古の木造式燈台らしいで。こんな阪神高速の高架よりも下にある燈台なんか役に立つわけないやん」

「自由の女神は見えへんな、暗くてわからんし」

「自由の女神は、右の方にあるはずや」

「東京の子に堺市って言っても、仁徳天皇陵と千利休しか知らへんし。自由の女神がおる事なんて誰も知らん」

「そらそやろ、あとあれさ、自由の女神やないみたいやで。龍女神像やったかな? そんな名前が付いとったわ」

「なんやそれ。自由の女神でええやん」

 小嶋と旧堺燈台に来たのは確か高校2年の夏だったと思う。その時は黄昏時だったので、夕焼けに白塗りの燈台がよく映えた。あの頃は、まさか小嶋が上京し銀行員になるなんて思っていなかったけれど。

 階段に並んで座った。

「緒方が地元で公務員なんて…… なんで安定選んでんねん? そんなキャラちゃうかったやん、27歳で死ぬとかなんとか言ってたやん、来月28なるし」

「まあ、高校生の頃はそういう事を嘯いてみたくなるもので…… いや、別に長生きしたいわけやないけどな」

「そこは、あんま変わってへんな」

 小嶋は小さく笑い零した。昔はこんなふうにいろんな馬鹿げた会話をしたものだ。

「小嶋さ、あれちゃうん? 銀行やったら、マンションとか買えるぐらい貯金あるんちゃうん?」

「なんでやねん、マンションなんか買うてもうたら帰って来られへんがな、いつか堺に戻ってくるし」

「そうか…… 東京にいい男おった?」

「いや、おらんな、全然。まぁ、私は誰とも絶対に結婚せぇへんけどな」

「やっぱ小嶋は変わらんな。なぁ、明日にはまた東京戻るんやろ? もう遅いし帰ろうか、朝の新幹線やろ?」

 立ち上がり小嶋と元来た道を引き返した。小嶋は高校の頃から、私は一生誰とも結婚しないとよく言っていた。それは変わっていなかった。意志の強い女だ、嘘じゃないと思う。

「なぁ、小嶋」

「何?」

「東京に飲み込まれるなよ」

「大丈夫。東京は飲んだり飲み込まれたりするような街やないし。私はどこに行っても私やから」

 そよ風が小嶋の短くなった髪を揺らした。振り返ると、あの頃と変わらない燈台が佇んでいる。夕焼けに染まる燈台の想い出が蘇る。女神が見守る街で僕は毎日夢を見るんだ。

 







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夜に眠る燈台 川上 神楽 @KAKUYA

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ