【エッセイ】東京湾埋め立て地慕情
東雲飛鶴
本文
僕がガキのころのはなし。今はもう変わってしまった場所の話。
よかったら聞いてくれるかな。
ある日の午後、僕が自宅のある晴海から自転車で13号埋め立て地へいくと、まっさらな土だけの広い広い、人工の荒野がどこまでも続いていた。
木の杭と鉄線だけの簡素な柵で区切られて、通りを歩く人も、車さえもなく、自分だけがその荒野にいた。
学校が引けてからのことで、着くころには少々日が傾いていたから、辺りは黄色く染まっていた。
僕はあまりの広さに、この荒野がどこまでも続いているような錯覚を覚えたんだ。
僕にとってあの荒野は、異界そのものだった。
行くのがたいへんだから、そう何度も行ったわけじゃないけど、僕にとっては思い出深い場所だった。何度も自転車で通った銀座のデパートに負けないくらいに。
☆
東京湾にはたくさんの埋め立て地があって、僕が幼少期に住んでいた「晴海」や、もんじゃでおなじみの「月島」も埋め立て地だ。
東京湾の埋め立て地って、パトレイバーとかに出てくるあれをイメージしてもらえると分かりやすいかな。
僕の住んでた頃は、東雲、有明、青海、台場はまだ存在すらなくて、番号で呼ばれていた。地元では、まだ地名もない更地をまとめて「十三号埋め立て地」って呼んでいたんだけど、実際にこの話に出てくる埋め立て地は、十~十三号。
そのバカ広い土地では、宇宙博なんかやってて、輪切りになったサターンロケットとか露天で展示されてたよ。
図で描けないので言葉でざっくり島の位置関係を説明すると、月島・晴海・豊洲は平行に並ぶ横長の土地で、北から月島、晴海、豊洲。
月島の西側の区画が勝どき、東端の区画が佃島。たまに親がつくだ煮を買いに行っていた。まあ余談だけども。
で、勝鬨橋を渡った月島の北が築地、その先が銀座。
僕の住んでいた晴海の一番右はじと豊洲が橋で連結されてて、豊洲の南から広大な荒野が始まる。
橋を渡った先が今でいう東雲。その西側が後に有明と名付けられる場所。そして有明の西が青海で、その北がお台場。
豊洲、今なぜか有名になった土地だけど、そこには昔、ガス会社の大きな施設と、工場と倉庫とスポーツセンターぐらいしかなく、子供の目には灰色の街に見えた。
僕のいたころは主に月島・佃島と晴海に人が住んでいたよ。当時の晴海には団地などの集合住宅しかなく、個人の家はひとつもなかった。でも月島にはいっぱいあるのがちょっと不思議だった。古い町だったからかもしれない。
昔の豊洲や晴海には、港湾専用の貨物線の軌道があった。あれは今でも使われているのだろうか?
江戸時代に出来た、砲台を設置するための島・お台場というのは存在するけども、それは今の台場とは別の小さな島。今のお台場は昔のお台場のすぐ近く。水上バスに乗ると、旧お台場の近くを通るから見物出来るよ。
周りが更地だったあのころから、船の科学館だけはあった。今の場所で言うと、お台場ガンダムの近く。
昔はなにもない所に、ぽつんとあの白い、船型の建物があって、遠くからでもすぐ分かった。いわゆる、ランドマーク的なカンジ。
晴海から、豊洲を経由して船の科学館まで行ったこともあるけど、ずいぶんと遠回りだったので、船ならすぐ着いたのにと、今にして思う。
☆
晴海って、他と比べてちょっと不思議な島だった。
東部は学校、南部には工場や倉庫、真ん中は団地と住宅展示場、自動車学校に図書館、区出張所。西には高層住宅、海上バス乗り場、複数のホテルと船員用宿泊施設、材木置き場、港湾施設、臨海公園、そしてあの見本市会場。
あらためて思い出すと、正直、こんなに多機能だったのかと驚かされる。
晴海の東京国際見本市会場。ここは、倉庫の集合体のような施設だった。だだっ広い場所に、複数の建物が並んでいて、ドーム状のもの、飛行機の格納庫のようなもの、冷凍倉庫のようなもの、と統一感がなかった。
中でも象徴的だったのは、通称ガメラ館。
どら焼きのはじっこを、およそ半径の三分の一ほどの場所でバッサリ切り落として、亀の甲羅みたいにした形状。その大きさから、ガメラ館と呼ばれたのだろう。
外側はつるんとUFOみたいになってるが、内側は新宿西口駅前にある、コクーンタワーをどら焼き状にしたカンジ。
屋根が透けてるわけじゃなくて、その天蓋を支えるこまかな鉄骨と、まばゆい水銀灯を建物の中から見上げると、そういうイメージを受ける。
このガメラ館でモーターショウが開催された時、世間はスーパーカーブームで、自宅の前の道路を様々なスーパーカーが通過していったのを覚えている。まさか自力で走って会場に行くなんて、今ならちょっと考えられない。
ガメラ館は、ロボット国際見本市会場・レイバー見本市会場として劇中で使用されたり、ディズニーオンアイスなどアイススケート場としても使用された。
普段の会場では、現在と同じように企業の展示会場として使用されていて、警備がザルだったせいか、中に入り込んではカタログや試供品をもらったりと、迷惑な話だが、僕にとってはいい遊び場になっていた。
晴海埠頭には、今と同じように、いつも大きな船が停泊していた。
子供の頃の僕は、船にはちっとも興味がなくて、黒・白・灰色の3パターンでのみ、船を認識していた。たぶん、灰色ってのが海上自衛隊。
晴海埠頭で興味のあることといえば、どこでお菓子が買えるだとか、どこで水が飲めるかとか、そんなことだった。
今の晴海は、もう僕の知ってる場所じゃない。
あの頃僕は、鰹節の香りを嗅ぎながら登校したり、橋の上でおじさんがゴカイでハゼを釣ってるのや、運河に浮かぶクラゲをながめたりしてたんだから。
埋め立て地も今はいろんな物が建っている。
☆
有明は2020オリンピックの会場になるという。
海上バス乗り場に行くと、はしけの端にクラゲが浮いていた。
重油と潮の匂いを嗅ぎながらクラゲを見ると、とても懐かしい気持ちになる。
【エッセイ】東京湾埋め立て地慕情 東雲飛鶴 @i_s
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