2 フィアンセ

 逢坂大学に進学することが秋の推薦で決まっていた。公募推薦と言うやつだ。一般の試験を受けるつもりでセンター入試まで受けていた。事故のせいで、散々な結果だった。大学に行くことは良いとしても、車椅子で通うことは難しい。とりあえず杖をついてでも歩けるような状態にしておきたい。

    

 人生二回目のリハビリが始まった————。


 (死ぬ、しんどい死んでしまう!死んでしまう……)病院の廊下でリハビリの先生に支えてもらっていた。先生は額から大量の汗を流していた。もちろん俺は体中汗でビチョビチョだ。二十代後半と思われるムキムキマッチョのオッサン先生に凭れていた。

 (先生も大変ですねーはは)ふざけるしか、笑い飛ばすしか今のしんどさを乗り切る方法はない。そう思って言ってしまった。先生がしんどいのは他でもない、俺を支えて一緒に歩いていてくれたからだ。転けないように、怪我しないように必死だ。つまりそういうこと、俺は自分の力では全く歩けていない。ボケてみても笑えない、わかっていた。やってしまった、先生を怒らせたのでは?恐る恐る顔をみる。先生の顔からは怒りの感情など全く感じなかった。目があって微笑みかけてくれた。惚れるところだった、こんなムキムキマッチョのオッサンに……。そう言えば、俺は喋れなかったんだ。恥ずかしくて顔面から火が出そうだ。疲れすぎて錯乱状態だ。

 頭が暴走していたらリハビリの時間が終わった。一日二時間ほどのトレーニング。家にいる間はリハビリなんてやりたくなかったが、外に出て車椅子で移動していると歩けていたことがどれほど恵まれていることなのか気付かされる。家族がいるありがたみを痛感した。

 (いつも送り迎えありがとう)母が迎えに来てくれたので感謝する。今度は心の中で言った。リハビリしている時のように錯乱してないから大丈夫。

 「気にしなくていいのよ」母が微笑む。

 (聞こえたの??か??)いやいやいやなんで俺の気持ちわかるんだ???よくわからないまま呆けた顔をしていた。

 病院から家まで車で十分ほどの距離にある。病院から家に帰る移動中、車内は母の好きなアイドルソングと鼻歌で賑やかだ。病院に行くのはいつも午後からで、帰る頃には夕日が沈んでいくところが見える。外をランニングしている高校生をみてぼんやり物思いに耽る。三年生がいなくなって新チームとなり半年以上が過ぎた。上級生がいなくなったことによる戸惑いや喜びで浮足立っていた時期が終わり、やる気に満ち溢れた様子を感じ、寂しさがこみ上げてきた。ひたすらニート生活をおくっていた三学期。部活動最後の大会が終わってからの俺とは対象的だ。受験勉強をしながらの毎日で二学期は一瞬で終わったように感じた。年明けの事故以来、高校へ行く一歩がなかなか踏み出せなかったのだから……。卒業式に行っておけばよかった。陸上部で一緒だったみんなやクラスでよく喋っていたやつらと話ができたら、どれだけ良かったか。初恋のことはあまりよくわからないが告白しておけば後悔なんてなかっただろう。もっともっと話をしておけばよかった。今なら、卒業式の壇上で好きな子に告白だって出来る気がする。クラスの奴らの面白くないボケも光の速さでツッコんでやれる。後悔なんてどれだけしたって意味は無い。けれどこの気持を何かにぶつけないと収まらない。

 「—————ルくん……ハルくん……着いたよ。どうしたの?どこか悪い?」ぼーっとしていた。聞き取れなかったが名前を呼ばれたのだろう。母の心配そうな目からは今にも涙が溢れ出てきそうだ。

 首を横に振る。笑顔で母を安心させる。

 「ほんとうに大丈夫?もしかして……それ笑ってるつもりだったりする?」

 頷く。笑えてなかったようだ。自分の顔を思い浮かべ、気持ち悪さに笑えた。母は安心したのか、車の荷台から車椅子を出しに行った。

 家に帰ると玄関で奈菜が待っていた。卒業のお祝いに外で食事することが決まっていたのだ。

 「おにい〜おかえり!遅いから出かける準備できちゃったよ〜ご飯食べに行こ。おとうさんが、今日はおにいの好きな鉄板焼きの美味しいお店に連れて行ってくれるって」

 「おにい、にやけすぎだよ……」あまりにもテンションが上ったので表情に出過ぎたようだ。兄としての面子が丸つぶれだ。いくら、好きな食事に在りつけるというからといって気が抜けすぎだ。妹に子どものように注意されるなんて……。昔は良く面倒を見ていたというのに……勝負でも殆ど負けてないはずだ。気を付けたいところだが、運動した後に食べるステーキは最高だ。気が緩むのも仕方のないことだ。さっきまでの憂鬱な気分は何処かへ消え去った。奈菜は嬉しそうにはしゃぎながら俺を部屋まで連れてきた。「お着替えお手伝いさせていただきますね。お兄様」なんて言うものだから鳥肌が立った。何回首を横に振ったかわからない。言葉が出ない兄で遊ぶ妹。なんて恐ろしい光景なんだろう……面倒見の良さが母に似てきたのかと思ったが、ドSなところまで似てくるとは末恐ろしい。

 (「ホテルにある鉄板焼き屋」無駄に高そうだ)やたら妖艶に妹が着替えさせるものだから、どうでもいいことを考えながら、それが終わるのを待った。父が帰ってきたと同時に出発した。父の友人のお店らしく、父と母は昔からよく行っている。俺と奈菜は小さい頃に一、二回ほどしか行ったことがなかったが美味しすぎて、何か有る毎にそこへ食べに行きたいとゴネていた記憶がある。


 行きの車の中で、父から話があった。鉄板焼き屋は、今日うちの家族ともう一家族の貸し切りという話。鉄板焼き店主の友人Aと、今日来るもう一家族の主人の友人Bと、我が家の主人である父は、中学時代からの友人らしい。なんでも、その友人Bの娘が俺と同学年で同じ大学に入るらしく、話が盛り上がって今日の夜パーティ的な何かを企画したらしい。俺からしたら傍迷惑な話だ。せっかく楽しみにしていた夕食だというのに緊張とストレスで禿げそうだ。

 鉄板焼き屋は大阪駅の近くにある。家からは車で高速道路を使って一時間ほど移動した。殆ど寝ていた。家で天秤くんとゲームやチャットをしている方が良かった。隣りにいる奈菜にチャットで話しかけることもあるが言葉で即答されるから、煩わしさを感じてしまうのだ。奈菜が嫌がっているわけではないのだけれど、俺自身がその場の空気を嫌ってしまう。結局のところ母と父は着くまで話していたが、俺と奈菜は爆睡だったそうだ。一時間なんて目を閉じて開けたら過ぎているんだからあっという間だ。店に着いたら店主のダンディーなおじさまが話しかけてきた。

 「ひさしぶりだな〜ハルくん!奈菜ちゃん!志織さんも!ようこそ我が城へ。今日はゆっくりしていってくれよ」

 奈菜と母はノリノリで「よろしくおねがいしまーす」とか言ってたので、一応俺もテレビ番組のADがフリップを出すように「よろしくお願いします」っと書いて見せた。特に驚いた様子もなく「よろしく!」とハイテンションで答えられて、こっちが驚いてしまった。その辺のことは父が事前に言っていたのだろう。そうこうしているうちに友人B家、ご到着。ごちゃごちゃしているうちに集まってきた。とりあえず大きめのテーブルにみんな座る。何故か、というのもおかしな話だけれど、俺と友人B家御息女が真ん中の隣同士に座る形になった。今日のメインは俺とその子だと先に聞かされたはずだが少々照れる。隣の子はとても清楚で可憐でまるで百合の花だ。つい見とれてしまったが、ふと思う。我が家もなかなか整った容姿の家族だな。俺を除いては……。俺は、あまりにも外に出ていなかったからか、ひどい見た目である。年明けに髪を切りに行こうと思ったまま、半年以上過ぎてしまった。メガネをしていて車椅子に乗っているから表情も殆ど見えない。イケメン父、可愛い系母、綺麗な奈菜。俺が言うのだから間違いない。俺は、となりの美しい百合の花を引き立てる雑草か何か。

 前菜が出てきたときに父が仕切りだした。自己紹介がはじまった。スケッチブックに書く時間が欲しいから俺の順番は一番最後だ。隣の父から始まり時計回りに紹介されていく、友人Bである出雲宗一郎、出雲家次女の文乃、奈菜ときて、母、出雲宗一郎の妻である京子、出雲家長女小百合だ。俺は衝撃を受けた。百合の花を想像させるその容姿立ち振舞は名前そのままだった。次は俺の番。

 「俺は、四葉 晴(よつば はる)よろしく」なんの変哲も無い自己紹介の冒頭だ。少しフランクではあるが、気楽な食事会の自己紹介なんてこんなものだろう。スケッチブックに書いているのだから雑なのは気にならないだろう。そんなことを思っていた次の瞬間自分の耳を疑った————。出雲小百合から俺へ放たれた初めての言葉は雷に打た気分だった。

 「あなた、本当にしゃべれないのかしら?可哀想、ふっ、まぁいいわ、あなたが私のフィアンセ?結婚するまでには喋れるようになってくださるとありがたいわ」

 おいおい、何を言ってるんだ?このお嬢は……。意味がわからなかった。直ぐに父を凝視する。すると宗一郎さんも目に入った。大の大人が肩を組んで気持ち悪い笑顔を浮かべてこちらを見ているではないでしょうか……。全く(フィアンセ……)いい響きだ。しかし複雑な気分で返事する。

 「そんな話は聞いていない!お前みたいな冷徹女と結婚なんてするか!喋れるようにというが、俺はお前に今すぐ罵声を浴びせたいくらいだ」さすがに長文はスケッチブックに書くことが面倒なので、スマホに書いて見せた。

 これは第一印象を撤回せざるを得ない。お祝いの場が台無しだ。今すぐ帰りたいと思っていた矢先、巨大なお肉の塊が運ばれてきた。最高級フィレ肉だかなんだか知らないが、そのお肉には綺麗な白いサシが輝いていた。店主が肉の説明につづけて自己紹介を言ってなかったとかなんとか言い出した。正直さっさと食わせろとしか思わなかった。それ意外頭になかったからかあまり話が入ってこなかった。友人Aの名前は渡辺義信、妻は渡辺遥。「今日はいっぱい食っていってくれ!」そう言って肉を豪快に焼きだした。最高のタイミングで出てきたステーキを頬張り、大満足の夜となった。

 その後、みんな思い思いに喋っていた。そのころ俺は、隣の冷徹女の話を永遠と聞かされながらも美味しい食事に夢中でいた。無事食事会が終わり、帰路に就いた。帰る直前、小百合に無理やり連絡先を交換させられた。無事とは言い難いが、美味しい食事はいい思い出になった。ハーフ・ハーフだ。


 フィアンセの件について、母と奈菜が父に文句を言っていた。とりあえず俺からも父から事の次第を聞くことにした。卒業祝いの記念お食事会をしようと決めた日、宗一郎おじさんと義信おじさんと父の三人で食事に行ったときだ。勝手に決めてしまったようだ。当時、父も相当酔っていて勢いで答えてしまったらしい。謝っていたので後悔してるのかと聞いたら、「むしろ了承してよかった」とか吐かす。いや、仰る。「美人で寛容でとても良いではないか。合うか合わないかはハル次第だ。気晴らしの話し相手がいると言うだけでもいいじゃないか」ということらしい。

 (俺、将来あまり期待できないからか……このままじゃ本当に結婚できないかも!とか考えてくれてたのかもしれないな……でも勝手に決められてもなぁ……)

 嫌とか言える立場じゃないことはよく分かる。腑に落ちない展開の中、鳴らないことで有名な俺のスマホが鳴る。嫌な予感がする。



 「今週末のゲームのイベント!!!覚えてんだろうな!!お前から誘っておいてなんの連絡もなしかよ!」吹き出してしまった。

 予感が外れ、安堵する。さすが天秤くんだ。




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黙劇ピエロ 新橋 秋 @shinbashiaki

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