1 距離感
「おにい、お風呂空いたよー入ってってーお母さんが。うち後で入るから」
(ありがとう、すぐ入るわ)
(あぁ…………そういえば声でないんだったか……)
妹が扉の向こうから言うから、癖で返事してしまった。声になっていない。
(コンコンッ)
床を叩いて理解したことを伝える。最近では、面倒なことは簡略化されてきた。前は言いたい事をスマホで文字を打って伝えていた。さすがに返事するくらいはスマホで見せなくてもルールさえ決めていればわかる。壁を叩いたり頷くことにした。Yesならば三回、Noならば二回叩く、頷く場合はYesなら首を縦に振る、Noならば横に振る。なかなかにシンプルだ。
妹の菜奈、音羽台高校一年の陸上部に所属するスポーツ系女子。兄である俺に対し、常にライバル心をむき出しにしている。何をするにしても俺よりも先にいることが重要らしい。お風呂の順番一つとってもその様子だ。それが事故以来、俺に対して凄まじく優しい。気持ち悪いくらいだ。昔から喧嘩を頻繁にするような関係だったわけではないのだが……。
(小さなことだが……なんか……気を使わせてるな)
車椅子でお風呂場に向かう。うちのマンションがバリアフリーでよかった。心の底から感謝した。足は完治したわけではないが、立てるようにはなった。立てるようになったおかげで、一人でお風呂に入ること、自宅に帰ることの許可が下りた。病院で看護師のお姉さんに体を洗ってもらうのもなかなか嬉しかったが、自宅に帰ってゆっくり入るお風呂は癒される。何よりリハビリはもう嫌だ。
「ハルくん、ご飯出来てるからお風呂すましたら食べてね」キッチンで洗い物をしている母が言う。
頷く。
「ハル!飯の時でいいから進路のことについて聞かせてくれ」リビングで本を読んでいた父が言う。
首を横に振る。
父はそのあともぐちぐち何かを言っているような気がするが、聞こえないふりをしてお風呂場に向かう。服を脱いだりするのも慣れてきた。元々陸上部で鍛えていた為、足がなかろうと両腕さえあれば這いずってでも移動はできるのだ。湯船に浸かりながら一日の疲れを癒す。寝て起きただけで、何もしていない。疲れなんて微塵もない。あるとすればPCの画面を見すぎて目が疲れたくらいか。お風呂に入るまでは疲れるが。
母、四葉 志織は専業主婦、天然ドS。父、四葉 利通は会社員、天然ドS。夫婦そろって似た者同士気があうのだろう、今も仲良しだ。小さい時からいつもどんな時も、厳しくも優しい両親だったと思う。それは今も変わらない。極寒の海で泳がされるくらいの恐怖と、死ぬ間際に天使が舞い降りるくらいの癒しを貰った気がする。
小学四年生くらいだったか。「隣街まで行って流行りのケーキを買ってきてほしい」と頼まれたことがあった。初めてのお使いだ。母は、そのお使いに行くために「予行練習」と言い、前日一緒に下見に行った。その時の母が言った言葉が未だに忘れられない。
「いいハルくん、よーく聞くのよ?家を出て、帰ってくるまでの全てを覚えなさい。道の標識、草の生え方、店員さんのホクロの位置、隅から隅までよーく見るのよ。わかった?帰ったら全部絵にしてお母さんに見せること!明日は一人で来るのよ」言い聞かせるように、囁くように言っていた。
湯船に浸かっているにもかかわらず、寒気が襲ってきた。恐怖が刷り込まれている。母へのイメージか。
父は家で仕事の話を一切しない。何をしてるか全くわからないが、よく気にかけてくれるのだ。父はいつもこんなことを言う。
「人生は長い。しかしながら、人生は短い。この言葉に尽きる」
全くもってよくわからない人、ということだけはよくわかる。
事故以来、昔のことばかり思い出す。何をするにしても昔と比べる。
俺に”先”ってあるのだろうか ——————。
長湯をしすぎた様だ、頭がフラフラする。何より暑い、お風呂上りに冷えた緑茶を飲む。湯あたりが少し引いた気がする。
夜ご飯が冷えてしまう。食卓に向かうとみんな揃っていた。
「ハル、進路はどうするんだ? 推薦で決まった大学に行くのか? 」父が俯きながら話し出す。(気まずい……のか? )
「いいなぁおにいーうちも大学行きたい!」妹が意味もなくゴネる。ゴネタフリだ。
首を横に振る。 (大学なんて行きたくない、というよりも!外に出たくない)
「そうそう!今週末ハルくんの行く大学のオープンキャンパスに行く予定しててるのよ。どんなところなのか見ておきたいの。奈々ちゃんも行く?」
「行く!行く!!おにぃは行かないの?」俺の話題で母と妹が盛り上がっている。(大学行かないって…………)
「何か考えがあるのか? 」話を戻す父。
首を横に振る。 (ないけど……歩くことも話すこともできない!!もう死にたいよ……!ぁぁぁぁああ死にたあああい、なんで声でないんだよ……)
「何か言いたいことがあるなら、言ってくれ。こっちもそれなりの対応はできると思ってる」
「俺大学行くよ、オープンキャンパスは行かないけど」スマホ画面を見せた。
(やりたいことなんて……産んでくれた親に言えるかよ……)
もどかしさから適当な言葉が、出てこなかった。言えなかったから逃げた。逃げるように部屋に戻った。そのままベッドから出れずに朝を迎えた。いつもの通りのニート生活だ。
大学行く宣言をしてから一ヶ月が経った。何も変わらない生活の中、最近友達ができた。小中高と友達が多いわけではなかったが、そこそこにいたように思う。今は連絡をとる勇気がない。高校も事故以来一回も行っていない。入院していた時に何回か来てくれていたらしいが、俺から会うのを拒否した。思った以上にあっさり友達はいなくなった。あっさりね。
最近ハマっているものが”チャット”だ。お互いが声を使わないで、言葉だけでコミュニケーションをとる、この行為自体に「喜び」に近いものを感じていた。俺自身、誰と会話するわけでもなく一日中一人寂しく過ごしていた。どんな時も反論すら出来ずに、ただ受け入れるだけの生活に飽き飽きしてきたところだ。たまたまゲーム内で出会った奴とチャットで会話をしていたら口論になった。普段から口論になる前に自分が折れることが多く、言い合いになることがなかったからか忘れられなかった。始まりはいつも向こうの一方的な言いがかりだ。そんな相手がいつの間にか友達という関係になっていた。彼のゲーム内のアカウント名は「天秤」という。俺はいつも天秤君と呼んでいる。昨日の敵は今日の友か。(どこかで聞いたような話だ)きっかけは口論が発展した時だった。
「天秤君……なんでそんなに俺に突っかかってくるわけ? 」
「突っかかってねぇよ!お前のその態度が『ヤル気アリマセーン』って感じでムカつくんだよ! 」
「突っかかってるじゃん……やる気ないなんてそんな態度してないよね?!妄想で当たり散らすのやめてよ……全く……」
「あぁん?やんのかコラ」
「やらないよめんどくさ~、ゲームで俺に勝てないからってイライラしないでよ(笑)」
「てめーぶっ飛ばすぞ」
いつもこんなやりとりをしている。我ながら恥ずかしくもあるが、いちいち反応する天秤君が面白くてついこっちも売り言葉に買い言葉、乗っかってしまうのだ。口も性格も悪いすぎるが、どこか妹を思わせる天秤君と、友達になれたら楽しいそうだと考えるようになった。天秤君の存在が、俺の中に少しだけ変化をもたらした。積極的に大学に行きたいと思いだしたのだ。
高校生活も残り二週間、俺は学校に行こうと思った。お世話になった先生方へ挨拶をしに行くことにした。もう学校に行く機会もないだろう。陸上部の顧問とクラス担任とは話をしたい。そんな風に思いながら朝ごはんを食べていた。父と妹を見送って俺も続いて学校に行くことにした。
(とりあえず久しぶりの学校だから髪の毛セットしないといけないな!!あぁ散髪に行くの忘れてた!制服にアイロンかけることも忘れてた!!)
(落ち着こう。なんで急に高校に行こうとか思ったのかね……歯磨きでもし——)
「ハルくーん!ご飯食べたら食器洗っといてね。無理じゃないからね!できるできる」母は今日、妹の学校の役員会議で、お茶するんだと。せかせかと準備をしていた。
頷いた。
まるで俺が頷くだろうと決めつけたかのような顔。母は俺の方をチラッと見て行ってしまった。未だに車椅子生活を余儀なくされている息子に、なかなかの鬼畜っぷりである。テレビを見ながらコーヒーを一口。さっきまで学校に行こうと思っていた気持ちはどこにいったのか、今は全く行く気にならない。言われた通り食器を洗うことにした。大きめの椅子を持ってきて車椅子から座りなおして洗う。
(疲れた、こんなことならもっと早く食べておくんだった…………学校に行くのもやめだ!誰かに出くわして話しかけられても、反応が遅れて変な目で見られる。しゃべらなかったら無視してると思われる。行ってもいいことなさそうだな…………今日も暇な一日が始まる。最低だな)苦笑した。
いつも図ったかの様なタイミングでゲームの誘いがくる。天秤君からだ。
「おい!ゲームをするぞ!今すぐログインしろ」
相変わらず自己中心的だ。
「いいよ…………その前に少し話さないかい?むしろ聞いてほしい」変わらない日常と息苦しい毎日に気が狂いそうだ。
「良いけど急にどうしたんだ? 辛気臭い。いつもの威勢がないじゃないか?!そんなHaruは嫌いだ」
「相変わらず口が悪いね(笑)。世間話をしようよ。天秤君はどこに住んでいて、何をしてるんだい?」俺はハンドルネームをHaruにしている。天秤君に名前を呼ばれるのも珍しい。イライラしていたのか天秤君に八つ当たりにも近い無茶振りをしてみた。半ばヤケクソだが、色々聞き出してやる。
「海の見える街。道端でみんなを笑顔にする仕事しているの」バカにしている。先日、同学年で同じ大学に行くという話で盛り上がったばかりなのだ。
「結構真面目に聞いてるんだけど…………」
「いきなり住所教えるやつがあるか!!オレオレ詐欺かもしれないじゃないか」(オレオレ詐欺と住所って関係してるのか? まぁいいか)
「別にそんな具体的な住所が聞きたかったわけじゃないんだけど、まぁそうだね、俺だよ俺(笑)。俺は京都に住んでるよ、君はどこに住んでいるんだい? 」
「なんでお前なんかに言わなきゃいけないんだよ!神戸だよ!」(お!!思ったより近い!?…………かな?しっかし素直じゃないなぁ)
「神戸か…………今度遊ばない? 大阪の日本橋で新作ゲームの発売イベントあるだろ? 一緒に行くやつ探してるんだ」
「お前友達いないのか??(笑)いいぜ!ちょっと興味あったしな!一緒に行ってやるよ」
「ホント性格悪いな、余計な言葉が多いんだよ(笑)。まぁいいや……でも一つだけ、いや二つか…………問題があるんだ」超大問題がある。
「なんだ?勿体振らずに早く言えよ」
「俺、実は、声が、出ナインダ、ヨ」恥ずかしいのか悔しいのか、言いたくなかったのか拒否られるのが嫌なのか、ふざけ気味に返してしまった。
「いやいやいやいやいや、おもんないよ?(笑)」
「更に言いますと、車椅子なんだ。足が動かなくて(笑)」(おいおい俺!なんで急にこんな話しちゃってんだ?真剣に聞く奴がどこにいるんだよ……)
「はぁあああああ??(笑)まじかぁ…………お前とルームシェアする部屋、探すの大変だぜ? そんなんでついて来れんのかよ?(笑)」
(……………………)
天秤君が何を言っているか全く分からなかった。ルームシェアする気もなかったし、家を出るつもりもなかった。一体何の話をしているのか訳が分からなかった。が、涙が落ちた。
(どうして……こんな……チャットで知り合っただけの俺を信用してんだよ……オレオレ詐欺とか言ってたやつの言うことかよ。ルームシェアって何かわかってんのかよおおおおおおおお)
叫んだ。嬉しさがこみ上げた。部屋の反響なんてなかった。叫んだところで声になっていないことは百も承知だが、それでも叫ばずにはいられなかった。
———— PCに向かって号泣した。止めることができず目を閉じた。
「とりあえず事情はわかった。問題ない。任せろ」
「もしもーし聞いてますかー?」
「お前から話聞いてほしいって言ってきたんだろおお!」
「おーい!返事はーーーー?」
「聞こえてますかー?ゲームはーー? やらないのーーーー?」
「オーーーーイ」
「ねぇ!!!!」
爆睡していた。返信したのは午後4時ごろ、あれから7時間ほど経過してからだ。
「おお聞こえた聞こえた。電波が悪かったみたいだ」(こっぱずかしくて泣き疲れて寝てたなんて言・え・る・か!!)
返信はすぐ返ってきた。
「おっせーよ!!電話じゃねーよ!電波関係ないから!おかげで今日やりたかったイベント全部終わっちまったじゃねーか」
「暇児かよ……」
「こっちは忙しいんだよ!!今日はこれで終わりな!また明日」
————天秤さんがログアウトしました。
あっさりとチャットが終わり拍子抜けだが、それ以上に朝の喜びは格別だった。
その日以来俺は一人暮らしを始めようとやる気になっていた。天秤君に言われるまで想像もしなかったが、親から離れることを考える良いきっかけとなった。両親を嫌いになったわけでも、妹と喧嘩したわけでもない。ただ、このまま自分は腐ってしまうのではないか、死んでしまうのではないか。死にたいと思っていたが、それはただ単純に現実から逃げたい一心だった。一人暮らしをすることも逃げているのではないかと思う。しかし今回は違う。言い切れる。前を向いて弱い自分を受け止める覚悟だ。足が治っていないことを考えると一人暮らしは当分出来ないだろうが、夏までにリハビリをして歩けるまでにはしたい。天秤君と大学生活を楽しめるように。先に進むために。
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