♯22 赤の代償
クルミ先輩は何も答えなかった。しかし、口を開かなかったわけではない。最後の質問には答えなかっただけだ。
「さて、色紙君。ラーメンはいくらだったでしょう?」
「いきなりなんですか?」
「ささ、答えてみぃ」
「……650円」
「正解は……500円でした!」
クルミ先輩は500円玉硬化を財布の中から取り出して言った。この味でワンコインとは業深いラーメンだ。
「本当ですか?」
「本当だとも!……というわけで、ここは先輩が奢ってあげるよ」
と先輩らしいことを言ったと思ったら、「最後の質問に答えなかった代わりってわけでね」、と付け加えた。最初から奢るつもりは無かったらしい。
「さて、これから色紙君はどうするの?」
クルミ先輩は尋ねた。
「夕方に黄昏先輩と会う約束をしています」
「ふーん、意外とスケジュール詰まってるのね」
「不本意ながら」
よし、と言って先輩は立ち上がった。
「それじゃあ私は帰るけど、色紙君は来た道覚えてる?」
「……なんとなくしか」
「意識してないと記憶できないんだっけ?」
「完璧には、です。並には記憶できます」
と答えたものの、僕はクルミ先輩に記憶能力について話をしたことはあっただろうかという疑問が浮かんだ。まったく、こういう時に記憶が曖昧なのは使えないと我ながら思う。
「並に記憶できるんじゃあ、帰れると思うんだけどなー」
と首を傾げる。僕はそうですかと答えた。
クルミ先輩は1000円札を出して、店主と軽く会話を交わすと、店を出た。僕もそれに続いて店を出る。
じゃあ帰ろうかと言って、先輩は元来た道ではなく、ラーメン屋の奥へと歩いていく。
「そっちに行くんですか?」
「うん」
疑問を浮かべながら先輩の後に続く。ラーメン屋の奥には最初に通って来たような狭い路地があった。先輩は無理やり体を通して進んで行く。僕も先輩に続いて進んで行く。やっとの思いで道を抜けると、そこは大通りに繋がっていた。
「ここって……」
「うん、一番最初の大通り」
先輩はニタニタと笑う。僕はここ最近で一番大きなため息を吐いた。
「さて、色紙君。君はこれから最後の仕上げをするつもりだね?」
「……分かってるんじゃないですか」
「――頑張ってねー」
先輩は笑顔を崩さずに身を翻して去って行った。
⁂
「で、今日はどういうわけ?」
黄昏先輩は相変わらずの鋭い目つきで、気だるそうに口を開いた。
僕は駅に戻り、駅の地下にあるカフェに向かった。そこで黄昏先輩を呼び出していたのだ。
「下吹越先輩の件でお話があります」
そう言うと、黄昏先輩の目が一層鋭くなった。
「もう、あの人の話はするつもりないんだけど」
「ですが、本当にそれでいいんですか?」
「いいの。もう決めたから」
黄昏先輩は、すでに注文していたコーヒーを一気に飲み干した。
「うえぇぇ、苦い……」
「……先輩?」
黄昏先輩は今まで見たことが無い表情を見せた。顔を歪ませ舌を出している。
「ミルク、ミルクないの?砂糖でもいいけど」
「どうぞ」
テーブルの隅をみると角砂糖があった。とりあえずそれを先輩に差し出す。
「サンキュ」
黄昏先輩は受取った角砂糖をバリバリと食べ始めた。
「先輩、コーヒー飲めないんですか?」
「飲めるわよ!……ただ、久しぶりに飲んだというか、ビックリしたっていうか……、って別にそんなことどうでもいいでしょ!」
先輩は顔を赤くする。
ああ、分かりやすい。黄昏先輩はこういうタイプだったのか。
「ふぅー、あなたが聞きたいのは"わたしと下吹越紅羽の仲を戻さないのか"なのよね?」
「はい。そういうことです。いままでは誤魔化していましたよね?僕は本当のことを聞きたいんです」
「聞いてどうるの?」
「さあ、どうしましょうか?」
「ムカつくやつね」
黄昏先輩は角砂糖を撮むと、再びバリバリと食べる。
「いいわ。教えましょう。でもここはダメね。移動しましょ」
「わかりました」
僕が席を立つと、黄昏先輩はそれを制した。
「どうかしましたか?」
「財布忘れた」
「……分かりましたよ」
⁂
黄昏先輩はついて来いというので、言われるがまま、彼女の斜め後ろをついて歩く。駅の東口を出てからバスに乗り、いくつかのバス停を通り過ぎて降りたのは住宅地の前だった。住宅地をくねくねと曲がって行き、とある家の前で止まる。どうやら目的地に着いたみたいだ。
「ここは……」
「ご察しの通り、わたしの家よ」
証拠と言って指差したのは、ポストの横にある表札だった。『黄昏』と書いてある。
先輩は玄関の鍵を開けると中に入った。僕も入っていいのかと考えていると玄関の扉が開き「ほら、入りなよ」と言った。
どうやら両親は不在のようだ。僕はリビングに案内され、しばらく待っているように言った。
見渡す限り、ごく一般的な家だ。家族写真なんかがテレビが置かれている台にあったりする。おそらく食事をとるテーブルには綺麗な花が飾られている。僕は花に疎いので種類は分からない。赤い花だが、薔薇ではないとしか言えない。
「お待たせ」
先輩は紙と鋏を持って戻って来た。
「いまから真相を話すわ。まずはこの話をしてからの方がいいと思うから」
「分かりました」
僕が頷くと先輩も頷いて、話を始めた。
「単刀直入に言うわね。わたしはとある能力を持っているの」
僕は何も言わなかった。黄昏先輩がクルミ先輩のような能力を持っているだろう可能性を、東の犯した罪を暴いたときに黄昏先輩が現れた時点で予感していた。
「今から見せたあげる。そうね、あの花をわたしがいいって言うまで見ててくれる?」
先輩は僕が先程見ていた花を指差した。
「分かりました」
僕は言われた通り、花を見つめる。その間に先輩は紙を切り始めた。手の大きさの長方形に切り終えると、その紙を両手で挟んだ。
「……いいわよ」
僕は先輩に向き直る。先輩は持っていた紙を僕に差し出した。受取って裏面を見ると、そこには僕が見ていた赤い花が紙にプリントされていた。先程までは両面とも真っ白な紙だったはずだ。
「これは……」
「わたしが持っている能力は、"視界を奪う"能力よ」
「視界ですか」
「視界を奪うと言っても、相手が見ているものを、わたしも見ることができるっていう能力よ。しかも奪ってない。相手は見えてる。真っ白な紙にプリントされたみたいになっているのは、能力を応用したモノよ。今みたいに両手で紙を挟んで視界をプリントするような想像をするとできるのよ」
先輩は自慢はせずに淡々と説明をしていた。
「それじゃあ、僕に送られてきた写真は――」
すっかりクルミ先輩の仕業だと考えていたのだが、黄昏先輩だったのか。
「違うわ」
その考えは即、否定された。
「わたしも分からないのよ。わたしの能力は距離は関係なしに人の視界を奪うことができる。でも、電子メールにそのイメージを表示させることはできないのよ」
「……そうなんですか」
何度も練習したんだけどね、と先輩は付け加えた。
そうなると、やはりクルミ先輩の仕業が濃厚だろう。
「ところで、先輩は東に東京まで付いて行ったって言ってましたけど、距離は関係ないってことは、視界だけで追っていたんですね」
「そいうことよ。そんなこと言っても信じないでしょう?」
今度こそ自慢するように言った。
本題を聞くのはそろそろだろうかと思い、思い切って質問する。
「先輩、そろそろ教えてくれませんか?」
「……そうね」
目を下に向け、長い前髪を掻き分けた。
「最初に言ったけど、それの答えは、わたしの能力と関係しているの。このプリントはどうやって習得したか分かる?」
「……いえ」
「まあ、そうよね。能力は練習すれば応用が効くの。わたしはクルミ先輩って人に練習方法を学んだんだけど――あなたもクルミ先輩は知っているのね?」
「はい」
静かに答えた裏腹に、思考は熱を出していた。ここでクルミ先輩が挟んでくるのか。先輩が黄昏先輩とも面識があることは分かっていたのだが、能力での関係となると、クルミ先輩の思惑があってのことだろう。
「それで、こんな能力を使えるようになったわけだけど、それ以前に、わたしの能力は勝手に発動してたのよ。いつのまにか他人の視界に入り込んでて……あの時は最悪だったわ」
顔を顰めた。何かあったのだろう。
「クルミ先輩のお陰で、まずは能力のコントロールができるようになったの。あなたの問いの答えはこの時期のこと。飼育員会で知り合った先輩とわたしは仲良くなった。先輩は美人で何でもできて憧れだった。けどね、人には裏の顔ってものがあるのよ」
黄昏先輩は立ち上がって窓のレースカーテンを開ける。遮られていた夕日が入り込み、僕の視界が一瞬白くなる。
「あの人だけは、あの人の視界だけは見ないようにしていた。けど、完璧にコントロールできていなかったわたしの能力はある日、先輩の視界を見てしまったのよ」
黄昏先輩は自嘲するように笑みを浮かべる。
「何を見たのかは言えない。けれど、わたしはその時から先輩を避ける……軽蔑するようになった」
両手を軽くあげ、これ以上話すことは無いと言い、ソファに座った。
「先輩、何を見たのかは教えてくれないんですか?」
「さすがに。あなたがあの人の見る目が変わるからね」
「変わると何か問題ありますか?」
「はぁ?……変わってるね、君」
腕を組み、目を細める。
「好意を抱いている人間なら、綺麗なまま汚したくない。何を言われ様とも、信じたくない。真実から逃げる。上っ面だけを見ていたいものじゃないの?」
「……」
「君だって見られたくない秘密はあるだろう?内の自分を外に見せるのは嫌だろう?」
「……そう、ですね」
「ふん」
「――ですが、僕は信実を見なくてはいけない」
「はぁ?どうして?」
「……色を取り戻すためです」
「色?」
僕は色が見えないこと。それにクルミ先輩が関わっていること。約束のこと。すべてを話した。
「なるほどね」
先輩は腕を組んで目を閉じた。
外を照らしていた夕日はいつの間にか消えていた。
「けど、教える気はないの。ごめんなさい」
「それはダメよ。教えなきゃ」
今の声は――
「やあ、みんなのアイドルクルミ先輩だよー」
いつの間にか、リビングの扉の前にはクルミ先輩が立っていた。
「クルミ、先輩!?」
「久しぶりだね、梓美ちゃん」
黄昏先輩は目を丸くしている。
「さて、梓美ちゃん。彼の言うことに答えてよ」
「いくら先輩の頼みだからって、このことは教えられません」
「……うーん。そうか、残念」
クルミ先輩はすぐに引き下がった。しかし、口元には笑みを浮かべている。
「クルミ先輩。何を考えているんですか?」
「おーっと、いい加減、わたしの考えが読めて来たのかな?」
何をしようと考えているのは分からないが、悪意は感じられる。
「そもそも、なぜここにいるんですか?」
「それはね、今からあることをしなくてはいけなくなったんだよ」
そう言って、クルミ先輩は黄昏先輩に向き直った。
「ダメじゃん、殺しちゃさ」
「……」
黄昏先輩は何も言わない。
「……どいうことですか?」
「梓美ちゃんはね、あいつを殺したんだよ」
「意味が、分かりません」
「――ぅ」
「先輩?」
黄昏先輩は何かを呟いた。
「――がう、違う、違う、違う!わたしは何も知らない!」
先輩は目元に涙を浮かべながら否定した。
「あのさ、仕事増やさないでくれない?殺さないで正しい処理をする予定だったのに、無駄な仕事が増えたんだよ?」
クルミ先輩は相変わらず、口元が笑ったまま、動じない。
「殺してないッ!」
黄昏先輩は全力でそれを否定する。
「はぁ……――ミライ」
クルミ先輩がそう呟く。その刹那。
「――きゃあああああああっ!」
黄昏先輩の体が宙を舞い、窓ガラスを吹き飛ばし、外に投げ飛ばされた。僕は何が起きたの理解できず、体が動かなかった。
「ミライ、ちょっとやりすぎ」
クルミ先輩は割れた窓を開け、倒れている黄昏先輩へ歩み寄った。
「……な、何をしたのよ」
「ちょっと、ね」
「チッ」
「舌打ちしないの」
クルミ先輩は硝子の破片をおもむろに掴んだ。
「クルミ、先輩……何をするつもりですか……?」
僕ができたのはそう問いかけることだけだった。
「世界を変えるだけよ。すぐにまた会えるわ」
クルミ先輩は黄昏先輩の元へ跪き、硝子の破片を持った手を高く振り上げた。
「やめて、やめ――やめてよ!やだやだやだやだやだ!死にたくない!死にたくない!しにたく、しにたくない!やだあああああっ!やだよおおおおっ!」
黄昏先輩の声が虚しく響き渡る。
「そうだ、ひとつ教えてあげる。なんで奪う能力なのか、って話」
僕は早く2人の元へ行かなくてはいけないと考えていた。しかし、僕の体は誰かに押さえつけられているかのように全く動かず、何もできない。
「君の能力は視界を奪うことが可能なはずだ。でも、それを使えなかった。努力不足だよ。頑張りましょう」
クルミ先輩は大きく腕を振り下ろした。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ、ああああああああ、ああああああああああああああああああっっっ!!!!!!!」
何度も。
「ああああああああああ、あああああああっっ!!!!」
何度も。
「あああああああああああああああ――」
何度も。
「あああ」
何度も。
「――」
何も聞こえなくなるまで。
「っ!」
いつの間にか、僕は手を床に着けていた。
「これが能力の代償なんだ。すまないね」
顔を上げると、体が真っ赤に染まったクルミ先輩が立っていた。――真っ赤?
「君は、色を取り戻した。おめでとう」
僕は色を取り戻したのか。
「それじゃあ、次も頑張ろうか」
次?
「じゃあね――」
顔を上げた刹那、僕の顔面に大量の赤が視界を覆った。そして、ドスンという崩れ落ちる音。
僕の意識は赤く染めあがったまま、世界ごと消え去った。
—―1章:平行線の赤 終――
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