♯19 僕にできること


 土曜日。

 ―――目が覚めた。いつもの癖で目覚まし時計を止めようとする。しかし、今日はメールの着信音で目覚めたので、目覚まし時計を何回も押しても音は消えなかった。メールだと気づいたのは着信音が消えた頃だった。

 携帯電話を手に取って開くが、メールの差出人は不明と書いてあった。メールの中身を開くと、2枚の写真が添付されていた。画像が読み込まれ、写真が表示される。それを見て、眠気が一気に吹き飛んだ。

 添付された写真には、"黒いもの"を全身に浴びた、何匹ものウサギが写っていた。"黒いもの"が何なのかは安易に想像できた。この写真の意味も理解できた。

 どうやら、僕の脚本しわく通りに事は進まないようだ。



 今日、僕は下吹越先輩を学校に来るように呼んでいた。もちろん、僕も学校に登校しなくてはいけない。学校以外の場所でも良かったのだが、先輩たっての希望で学校になった。

 午前10時45分。約束の時間は11時だ。まだ少し時間があるので、体育館の外にある自動販売機で飲み物を買いに来た。外の天気は曇り。そんな天気のせいで、パッとした炭酸系が飲みたくなってコーラを買った。喉にコーラを流し込むと炭酸が喉を刺激してすっきりとした気分になることができた。

 体育館からは部活ペットボトルの蓋を締めて、半分近く残っているコーラを持ったまま、僕は飼育小屋へ向かった。


「遅いわよ」


 しかし、すでに下吹越先輩は飼育小屋の前で待っていた。暇つぶしにウサギとじゃれ合っていたようで、シロとクロが近くで丸くなっていた。


「すみません。いつからいました?」

「10時半」

「……すみません」


 飲み物なんて買うんじゃなかったな。それどころか、もう少し早く来るべきだったと後悔していると、下吹越先輩が口を開いた。


「それで、何の話かしら?休日に学校へ呼び出すぐらいの用意なのよね?」


 僕はコーラを隣にあったベンチに置いてから答える。


「はい、勿論です。話と言うのは、黄昏先輩とのことです」


 僕が彼女の名前を出した途端、下吹越先輩の表情が変わった。


「ねえ、悪いけど、あの子と関わらないで」

「委員会が一緒で、同じ曜日を担当してるんですよ?関わらないことがないと思うのですが?」


 下吹越先輩は、笑った。


「……君がそんな屁理屈言う人だってこと、忘れてたわ」

「屁理屈なんて、言葉の捉え方次第ですよ」

「はぁ、分かったわ。それで、何が言いたいのかしら?」

「下吹越先輩は悪くありません」

「……誰から聞いたの?」

「東先生です」

「先生は入院しているはずだけど……」

「そこは後で説明します。いいですか、先輩は悪くありません」

「何が言いたいの?」


 下吹越先輩は目を細くする。


「ウサギたちが死んだ責任が、あなたに無いということを伝えたいんです」

「そんなこと言われても、もうどうしようもないのよ」


 そう言って自虐的な笑みを浮かべた。


「最低なのよ、私は。あの時、ウサギたちが動かなくなってるのを見てからすぐ、扉がなぜ開いているのか分かった。鍵を閉め忘れたってね。朝の担当は黄昏で、私はたまたま昼休みにウサギたちを見に来ただけなのよ。つまり、鍵を閉め忘れたのは黄昏……、動揺してた私は冷静さを失っていたわ。喧嘩の原因は私なのよ」


 拳を握りしめる。眼は充血して真っ赤に染まっていた。

 ―――真っ赤に染まっている? 

 気づくと、色なんて存在していなかった。気のせいではないだろうが、今は無視するほかない。


「先輩、それなら謝れば―――」

「謝ったわよ!」 


 下吹越先輩がそう叫ぶと、そばにいた2匹のウサギは小屋の隅に跳ねて行った。しばらくの間が空く。その間に、飼育小屋のすぐそばにある桜の木が風に揺られてサラサラと音を立てた。


「……分かりました。部外者の僕が首を突っ込み過ぎました。でも、最後にひとついいですか?」

「……何?」

「できれば見せたくなんですが、どうしても見てもらいたい写真があるんです」

「写真?」

「ええ。ウサギの写真です。いい表現が思い浮かばなかったんですが、僕成りの表現は『死体』です」


 その言葉を聞いて、先輩の表情が変わった。それもそうだ。いきなり『死体』だなんて、誰でも驚く。けれど、先輩は解ったかのように言った。


「まさか―――」

「そのまさかです。写真はこの飼育小屋を撮ったものです。確認してもらってもいいですか?もちろん、見たくなければいいんですが」

「色紙君、本当にこの飼育小屋なの?」

「僕もそう思って確認しました。99%、この飼育小屋だと断言できます」

「そう。けれども、そんな写真が存在しているなんてありえないわ。誰かの悪戯よ」

「ですから、確認して欲しいんです。悪戯かどうかはともかく、この写真を僕に送り付けたのには悪意を感じます。悪戯にも程があります。そして、送り主は必ず見つけます」


 見当はついていたが、下吹越先輩には言えない。多分、この写真を送って来たのはクルミ先輩だろう。こんな常識を超えているものが存在したなら、"色を奪う"という常識を超えている人物を疑うべきだ。


「―――いいですか?」


 先輩は無言で頷く。


「分かったわ。見ましょう」


 その言葉に僕も頷き、ポケットから携帯電話を取り出した。画像フォルダを開いて、今日送られた写真を表示させる。それと同時に若干の嫌悪を感じた。やはりこの写真を先輩に見せるのは気が引ける。この光景を彼女は実際に見ているのだ。トラウマになっているかもしれない光景をもう一度思い出させることになる。僕が躊躇していると先輩は僕の携帯電話を奪い取って、画面を見つめる。


「先輩!」

「……」


先輩は画面を凝視している。微動だにしない。けれど、自然の摂理のように、先輩の目元から1線の筋が現れた。その筋は頬を滑って、携帯電話に流れ落ちた。先輩に言葉を掛けようとするも、言葉が見つからない。

先輩に写真の確認をするまでのシナリオを幾つも用意していた。学校のテストと同じ感覚だった。テストに出そうな問題は解いておく。そして解き方を覚える。念のためにテスト範囲外も勉強しておく。僕は記憶したことは絶対に忘れない。だからテストでいい点が取れる。でも、現実はテストじゃない。想定外なんていつものこと。


 ―――ああ、僕は無力だ。目の前で泣いている女の子すら救えない。


「―――"巨悪の根源"のところへ行くわよ」



 そう告げたのは僕ではなく、下吹越先輩でもなく、桜の木の上に立つ黄昏先輩だった。


「なんでそんなところに―――」

「私、木を登るのが好だから。今日はたまたまここにいたのよ」


 そう言って、黄昏先輩は身軽に木から飛び降りた。先輩がいた場所は5mは高さがありそうだ。しかし、両手を地面に突いただけで、痛そうな素振りは見せなかった。


「あなた……」

「それ、見せて」


 下吹越先輩が手に持つ携帯電話を指差して言った。


「でも……」


 渋る下吹越先輩をよそに、黄昏先輩は奪う様に携帯電話を手に入れると下吹越先輩同様に、携帯電話の画面を凝視した。


「これ、誰が撮ったの?」

「分かりません」


 予想はついてる。


「今日の朝、僕の携帯電話に送られてきたんです。送り主も分からないんです」

「……なるほどね」


 黄昏先輩は腕を組んで視線を下に落とす。考え事をしているようだ。


「ねえ、黄昏……梓美」


 下吹越先輩の呼びかけに黄昏先輩は視線を上げる。


「何?」

「ごめんなさい!」


 下吹越先輩はそう言って深々と頭を下げた。


「最初にあなたのことを疑ってしまった。本当に申し訳ないわ。あんな口喧嘩が原因で1年近くも、まともな話をしなかった。でも、もう止めにしましょう。昔みたいに2人で―――」

「無理よ!」


 黄昏先輩が声を張り上げる。


「もう、無理なの。昔のようには戻れない」

「どうして!?」

「無理なものは無理なのッ!……ごめんなさい。私はもう―――」


 黄昏先輩はそこで話を切ると僕に向き直り、


「さあ、行きましょう。真実を見に行くのよ」

「……分かりました」


 と僕は答えられなかった。

 "巨悪の根源"と言っているのは、僕がこれから会おうとしていた人物のことだろう。しかし、どのようにして黄昏先輩がそこまで辿り着いたのだろうか。僕はまだ確信を得てはいなかったが、黄昏先輩はすでに答えを知っているような口ぶりだった。そして、その表現については大げさな気もする。


「付いてきてください」


 僕はベンチに置いたコーラを手に取り、校門へ向かって歩き始める。

 ふと、コーラの中身が少なくなっている気がしたが、気のせいだろうと決め込んだ。それよりも、なぜ黄昏先輩は黄昏先輩を拒絶したのか。それが問題だった。最初は意地を張っているだけかと思っていたが、どうやら別の何かがあるようだ。

 

 ため息を吐く。 

 

 僕の考えていた脚本は使い物にならなくなってしまった。これでは出演者キャストがアドリブで演技しているのを、不貞腐れた表情で見ている脚本家のようで―――、そうしたら僕の脚本の価値は?意味は?



「面白くなってきたなー」


 飼育小屋からどこかへ移動する3人を、2階の教室の窓から覗く。


「私の脚本じゃ無くなっちゃたけど……、浩輝」


 彼女が後ろを振り返ると、教室の扉を背に紫牟田浩輝が立っていた。


「あなたが黄昏ちゃんに変な事吹き込んだから、私だけじゃなくて、健巳君まで迷惑してるよ?」

「あんたの思い通りになるんだったら、そんなことはどうでもいいさ」


 その答えに、彼女はつまらなそうに「ふーん」と答えただけだった。


「これ以上は手を出すなよ」

「それはこっちの台詞。健巳君に色々と吹き込みすぎだよ?」

「……」

 

 浩輝は言葉を返せなかった。手を出し過ぎているのはお互い様なのだ。


「お前もこれ以上は干渉するなよ」

「それは無理だねー。健巳君と約束しちゃったし」


 彼女の態度に、浩輝は小さく舌打ちをして教室を去った。


「さて、最初の結末を見届けないとね」


 彼女はそう言って、教卓に置いてある兎の標本に手を添えて、教室を去った。


 


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