♯18 そのために


「がはははっ!」


 じいちゃんは病院のベッドに横たわりながら、大声で笑った。


「てえしたことじゃあねえのに、まさかすっ飛んで来るとはな!」


 がはははっ!と、もう一度大きく笑う。

 

 僕は今、さくら市の総合病院にいた。ばあちゃんからの緊急連絡で、じいちゃんが倒れたので、僕に病院へ向かうように連絡があったのだ。

 学校から病院までは少し離れていたが、黒葛原先生が車を出してくれたので、5分程で到着した。

 検査の結果、貧血を起こしただけのようで、歳のとこを考慮して3日間入院することになった。ばあちゃんもじいちゃんに付き添うため、3日間病院に泊まるそうだ。


 病室を出ると、黒葛原先生が待っていてくれた。


「帰りは駅まで送っていくわよ」

「ありがとうございます」

「その前に少し、休んでいかない?」


 先生は廊下の先にある休憩室を指差した。



「ブラックって飲める?」

「はい」


 先生は自動販売機でブラックコーヒーを2つ買うと1つを僕に渡す。お礼を言ってありがたく受け取った。


「先生、どうかしましたか?」


 休憩所に来たということは何か話すことでもあるのだろうと考えて出た質問だ。


「色紙君が大丈夫なのかなって思ったのよ」

「……僕ですか?」

「そ」


 先生はコーヒーの缶に口を少しつけると答えた。


「3日間も家に誰もいなくなるでしょ?ご飯とか食べれるの?」


 先生は僕が祖父母の家に住んでいるのを知っての質問だ。


「まあ……、なんとかなると思います」

「カップ麺で凌ぐ気でしょ」

「……そうですけど?」

「健康に悪いわ」

「死にはしません」

「あのねぇ……」


 先生は溜め息を吐いた。

 先生なりに僕のことを心配してくれているのは伝わってきた。


「大丈夫です。コンビニ弁当も食べますよ」

「……」


 心配を少しでも和らげようとするも、難しかった。

 

 僕がコーヒーに口をつけたと同時に男性医師が休憩所に入ってきた。どうやらこの病院の休憩所は誰もが利用する場所のようだ。


「はっ!」

 

 先生は急に驚いた声を上げる。

 

「どうかしました?」

「……イケメン」


 どうやら今入ってきた男性医師のことらしい。少し離れた席に座った彼をチラリとみる。確かにイケメンなのかもしれない。あんな顔のミュージシャンをテレビで見た気がする。俳優業などもやっていたはずだ。


「色紙君、ちょっとあのイケメン捕まえてくるわ」

「そうですか」

「少し待っててね」

「分かりましたよ。僕はそこらへんをふらついてきます」


 僕は席を立ってコーヒーをすべて飲み干すと、空き缶入れに缶を投げ込んで休憩所を去った。確か1階にコンビニがあったはずだ。ひとまずそこで時間を潰そう。そう思ってエレベーターの降りるボタンを押す。エレベーターは8階にあった。ここは5階なので、それほど待たずにドアが開いた。中には1人の男性が乗っていた。白髪交じりの頭で50代かなと印象を受ける。しかし、頭の中で何かが引っ掛かっていた。

 

 気のせいだろうと乗り込んだ瞬間、


「おお、色紙君じゃないか?」


 彼は口を開いた。

 

 それでようやく分かった。


 彼は———


「東先生……」



「いやぁー、参ったよ。まさか後ろから衝突されるんだからね」

「それは大変でしたね」


 東先生は交通事故に巻き込まれたあと、この病院に緊急搬送された。その後順調に回復しているとのことだった。


「私の授業を楽しみにしている生徒もたくさんいるだろうに、申し訳ないよ」


 東先生の授業を楽しみにしている人の真偽はともかく、「仕方がないですよ」と返答する。


「あ、そうだ」

「どうしたんだね?」


 この機会にあの事を聞いてみようと思ったのだ。あの事とは、もちろん下吹越先輩と黄昏先輩のことである。浩輝のアドバイスを元に、僕が真相を聞ける人物は彼だけだ。いや、聞きやすい人物だ。その気になれば、3年生か2年生の誰かに聞けばよかっただけなのだ。無駄な時を過ごしたことを反省しつつ、尋ねる。


「聞きづらいのですが……」


 東先生は眉間に皴を寄せた。


「そういう話なら、いいところがある。付いてきなさい」


 そう言って、コンビニの自動ドアを抜けた。僕は何も言わずに付いて行く。


 東先生が向かっていたのは病院の外にある木の下にあるベンチだった。先生が腰を下ろす。続けて僕も先生の隣に座る。

 しばらく無言が続いた。しかし、居心地は良かった。なぜなら日当たりがよく、たまに吹き抜ける風が気持ち良かったからだ。


「先生、飼育委員のことでお話があるんです」


 僕は風が止まったのを口切りに尋ねた。


「―――下吹越と黄昏のことだね?」

「はい」


 と頷く。やはり、先生にも分かっていたのだ。


「話す前に聞いてもいいかな?」

「ええ」

「なぜ2人のことを聞きたい?」

「……」


 当然の質問だ。しかし、僕はその質問に答えるべきか悩む。色を取り戻したいからと言えば当然、クルミ先輩の名を出し、ファンタジーな話をしなくてはいけない。それを信じる人はいないだろうから、興味本位ではないことを伝えるのが先決か。

 頭の中でいくつもの解答を作っていると、


「―――言いたくないのならいいさ」 


 と目を閉じて言った。


「……言えなくてすみません」

「理由は聞かない。ただし、この話を聞いたからには2人の仲を戻して欲しい……」


 今度は僕の目をしっかりと見て言う。

  

「―――頼んだよ」



 2人が知り合ったのは飼育委員会だろう。それ以前から知り合いと言うわけではないと思う。

 2人は今のような関係では無かった。2人は姉妹の様に仲が良かった。もちろん、下吹越が姉で黄昏が妹だな。だが、それも長くは続かなかった。


 あれはどしゃぶりの雨の日の出来事だった。5時間目の授業が2年生、下吹越のクラスであったから2階へと続く階段を上っている途中だった。突然、怒鳴り声が聞こえたので何が起こったかはとにかく、急いで残りの階段を駆け上がった。すると、目の前には罵声を浴びせ、浴びていた下吹越と黄昏がいた。一瞬、自分の目を疑ったよ。まさか、あんなに仲の良かった2人が野次馬が集まる程の喧嘩をしていたんだからね。

 私はひとまず2人を落ち着かせた。それから教室へ戻る様に促してそれでひとまずは落ち着いた。


 放課後、1人ずつ呼び出しをして事情を聞いた。


 ―――ふと窓の外を窺うと、雨は止んでいた。代わって夕焼けが2人だけの教室に明かりを差した。


「なあ、下吹越。どうして喧嘩してたんだ?」

「……喧嘩じゃありません」


 下吹越は不貞腐れた顔で目を合わせずに答えた。


「それじゃあなんだ?」

「……口論、です」


 歯切れ悪く答える。


「何が原因だ?」

「……」

「……」


 しばらくの沈黙。その間、彼女の瞳には迷いが見えた。長年の教師生活の中で生徒への指導は何回もやってきた。経験から、生徒が何を考えているかは何となく伝わってくるもので、それは下吹越からも伝わって来た。


「さっき、飼育小屋に、2人で行ってきたんです」


 下吹越はひとつひとつ記憶を辿る様に話し始めた。


「体育館へ続く渡り廊下から、外に出て、小屋の近くに行くと、あることに気づいたんです……」

「あること?」

「はい」


 大きな間を取ってから続ける。


「小屋の周りの土や草が荒れていて……、それに飼育小屋の扉が開いていたんです」


 彼女の瞳にうっすらと光が反射した。 


「―――な、中で……」


 俯いてそれ以上の言葉は出ず、代わりに嗚咽と涙が溢れ出した。刹那に顔を覆う。隙間から見える彼女から、これ以上の話を聞くのは難しいようだ。


「もういい、下吹越。一旦保健室に行こうか」


 彼女はその提案を、首を横に振って否定した。


「―――言います。言わなきゃ……」


 彼女は顔を上げると、決心したような表情で言う。




 「みんな……、みんな死んじゃったんです」



 東先生は、話は終わりと言う様に両手を膝に置いて地面を見つめた。


「何が起こったんです?」


 予期しなかった展開に、頭の中でいくつもの予想を立て直しながら質問をする。


「どうやら動物、狸とか狐とかに小屋を襲われたみたいなんだ。そして、

飼育小屋の中にいたウサギは死んでしまったんだよ」

「……でも、2羽は残っていますよね?」


 飼育小屋にいたシロとクロを思い出す。


「あの時は全羽死んでしまったと思ったが、あの2羽は小屋の隅で身を寄せ合って生き残っていたんだ」


 東先生は自虐的な笑顔を見せた。


「襲われた原因だが、多分、先生なんだよ。私が飼育小屋の扉を閉め忘れたせいで多くの命を犠牲にしてしまったんだ」


 先生がすべての責任ではないと言おうとしたが、先生はその前に手を挙げて、僕を制した。


「それよりもあの子たちなんだ。あの2人が喧嘩をしたのはどちらが飼育小屋の鍵を閉め忘れたと言い争っていたために起きたものだった。結局、私は2人にその事実を告げたのだが、2人は口を聞かなくなった。下吹越は関係を戻そうと、何度か黄昏に声を掛けているようだが、黄昏が無視をしていてね――」

 

 そこで東先生は話を切ると、突然立ち上がって頭を下げた。


「頼む。2人の仲を戻してくれ。この通りだ」

「先生……」

「頼む」


 先生は頭を下げたままだ。


「……僕はそのために先生に話を聞きに来たんです」

「色紙君……ありがとう」


 東先生はもう一度、深々と頭を下げた。



 

 


 










 

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