♯16 放課後でぃと
「やったよ!90点だよ!」
七彩は僕の机の前でぴょんぴょん跳ねる。
「城山、嬉しいのは分かるが、席につけ」
「はーい」
七彩は先生に軽く注意を受けると、仕方なくといったように席へ着いた。
水曜日の3時間目。数学のテストがようやく帰って来る。先生が体調不良のため、返すのが少し遅くなってしまったのだ。
「よく頑張ったな」
「うん!……ところで、健巳先生は何点取ったんですか?」
七彩は僕のテストの点数を覗き込みながら尋ねる。
少し見せつけてやるかと思って七彩の顔の前に、テストの答案を掲げる。
「ひゃ、100点……。参りました」
ともかく、これにて僕の役目は終了した。無事に七彩は赤点を取ることなく、高得点を出せたのだ。これならクルミ先輩が文句を言うことないだろう。
⁂
「文句が一つあるわ」
「……なんでしょう?」
クルミ先輩に指定された教室へ、心軽やかに向かったのだが、僕の予想とは違ったことになっていた。
「君はひとつ重要なことを忘れているわ」
「重要なこと……あ、」
僕には、下吹越先輩と黄昏先輩、2人の仲を戻すという課題があったのだ。
「仕方がない。君に残された猶予は、一週間だよ」
クルミ先輩は人差し指をピンと立てた。
「どういう意味です?」
「一週間以内に2人の仲を戻せ、ってことよ」
「一週間以内というのは?」
「んー、秘密」
人差し指を唇に当てると、僕の横を通って教室から出て行った。
誰もいなくなった教室には、クルミ先輩の甘いシャンプーの香りが漂っていた。
⁂
「んんーー、おひゃしー!」
「飲み込んでからしゃべりなさい」
七彩は口をモグモグとさせて、肉まんを頬張っていた。
僕は七彩との約束通り、"超贅沢肉まん"を奢ったのだ。
「ごくり。ああ、美味しかったー!」
「それは良かった。それじゃあ、帰ろう」
「うん」
僕たちはコンビニを離れ、さくら駅へと向かった。今日は水曜日なので飼育委員会の仕事はない。さっさと帰ることにした。
「ねえ、たけちゃん」
「ん」
「放課後デートしようか?」
「……ん、今なんて言った?」
七彩が言ったことは理解したが、思わず聞き返してしまった。それほどに言葉のインパクトが大きかった。
「ほ・う・か・ご・で・ぃ・と・っ」
「七彩、デートという表現は止めよう。買い物がしたいんだな?名称は放課後ショッピングにしよう」
「デート!」
「ショ―――」
「デート!」
言葉を遮ってくるあたり、デートにしたいのだろう。僕は諦めて、その名称を使うことにした。
「分かった。放課後デートで」
「やった!」
七彩は胸の前でガッツポーズを作る。
そんなに嬉しいのか。
「それで、どこに行くんだ」
腕時計をチラリとみると、3時50分を過ぎた頃。この時間なら白百合に行くのがいいかもしれない。七彩に提案する。
「よし!それじゃあ、白百合でデートだ!」
どうやら、今日の七彩はテンションが妙に高い。
これは"超贅沢肉まん"のせいだなと、心の中で決めつけた。
⁂
僕が白百合に来るのは少ない。中学の頃は自転車で行くにも遠かったし、白百合に向かう駅からも遠く、『ちょっと白百合に行ってくるわ』というノリでは行けなかった。
三日月に引っ越してからは三日月駅が近くにあるので、かなり楽になったと言える。それは、さくら駅から考えても同じことだ。さくら高の生徒は放課後になると白百合へ遊びに行くという話をよく耳にしていた。それほどさくら駅は便利なのだ。
かくして、僕と七彩は電車に乗っていた。
「七彩、白百合に行って何をするんだ?」
「ちょっと買いたいものがあるんだーっ♪」
七彩は鼻歌交じりで答えた。やはり、テンションが高い。
「なんだと思う?」
「んー、カメラかな?」
「……」
七彩は目を丸くして僕の顔を覗き込む。
顔が近い。
こうしてみると、やはり七彩は美人だなと思う。ふわりと漂う甘い香りが余計にそれを際立たせる。しかし、色が見えないことが残念で仕方が無い。
「……どうした?」
「正解だったから、驚いちゃった。どうしてわかったの?」
瞼をパチパチとさせて尋ねた。
「勘だったんだけど、昔、写真撮ってたから」
「……へぇー」
何かに感心したかのように頷く。
「何に感心したんだ?」
「たけちゃんは昔のこと覚えてるんだと思って」
「そりゃあ、覚えてるよ。短い期間だったとしても、三日月で暮らしてたんだからさ」
「……明確に?」
「明確にとは言えないけど」
「……たけちゃん」
そんなに見つめられても困る。しかし、その顔がどこか悲観に満ちた表情をしていた。
「それで、七彩は覚えてるの?」
「あ、うん!もちろん覚えてるよ」
そう言って遠い目をする。何か思いだしているのかと思いきや、
「あぁ~、"超贅沢肉まん"おいしかったな~」
そっちの思い出か。思い出というか、ついさっき食べたものなのだが。
「てっきり、僕たちが小学生の頃の話をするかと思っていたんだが」
「冗談だよ!」
と笑ってみせる。
「昔の思い出と言ったら、山登りかな?」
「そんなこともしたなぁ」
たしか、小学校に入学してすぐだったろうか。小学校の後ろにある山を登ろうという話が出た。しかし、その山は小学校の決まりで"登山禁止”となっていた。どこかの阿呆が登ろうぜとか言っていた記憶がある。
その話が出た放課後に4、5人が集まって山登りを始めた。もちろん、僕と七彩も含まれている。当時の僕は意外とやんちゃで、悪ガキとつるんでいたことも多かった。一方のその頃の七彩は、大人しい少女で山登りなどしないだろうと思っていたが、「たけちゃんが行くならわたしも行く」と言ってついてきた。
山登りは今にしてみれば、そんなに酷では無かった。急斜面も少なく、高さもそれほどない。しかし、小学生にとっては"大きい山"だったのだろう。頂上に着いた時には、疲れてへたり込んでしまった。
ただ、頂上は見晴らしがよくて、三日月の隅から隅まで見渡せた。夕暮れの色に染まった遠くの山々は美しかった。
後日、誰かが登山のことをチクったらしく、七彩を除くみんなで仲良く怒られた。七彩が登山なんかするわけがないと、先生は七彩だけ怒らなかったのだ。
「でも、そんなに印象深かったか?」
僕にとっては、言われて思いだした程度の思い出だった。
「私にとっては、ね」
⁂
白百合駅東口を抜けると、目の前には複合商業ビル" CDC"が建っている。CDCには家電量販店、本屋、CDショップ、衣服店、レストラン、そして、ゲームセンターがある。白百合で買い物と言ったらCDCと答える人が多いだろう。僕と七彩は4階へ向かった。七彩が買いたいものは本だったようだ。
「それで、何の本を買うの?」
エスカレーターに乗りながら、七彩に尋ねてみる。
「むー」
「……」
「……」
「……え?」
訳の分からい僕の反応に、七彩は振り返って
「ムー!」
と再び言う。
「ムーって怒ってるのか?」
「ちがーう!"ムー"っていうオカルト雑誌!」
「七彩はオカルトに興味があるのか?」
「私じゃなくて、ユキちゃん」
「ユキちゃん?」
「
「ああ、蒼月か」
蒼月と言えば、男勝りな性格で『ちょっと!そこの男子!』と言いそうな(実際に言っている人を僕は見たことないが)女子だった。
蒼月との接点はあまりないが、ある日、放課後までに数学のノートを集めて提出しろと言われた時に、蒼月が学級委員長だからという理由でノートを集めていた。しかし、僕はそのことをすっかりと忘れていた。
放課後、鞄を持って帰ろうとした直後に蒼月が怖い目つきでやってきたと思ったら、机をドン!と叩いて『数学のノートを早くだしなさいよ!出してないのはあんただけよ!』と怒られたことがあった。
「ああ見えて、オカルトが好きなんだなー」
「今度ユキちゃんに陰謀論について聞いてみてよ。私じゃあよく分からなかったの」
「……」
突然、終末論について聞いてくるクラスメイトがいたら、どう思うだろうか。よって、「検討しておくよ」と答えておいた。
「それで、七彩が欲しい本はあるのか?」
「うん、"リア王"を買おうと思ってる」
「シェイクスピアの?」
「うん」
「七彩が?」
「うん。……おやおや~、私が本を読むのが疑わしいんですか~?」
本は読むとして、七彩がシェイクスピアの話を読むとは、誰が思うのだろうか。
「いや、シェイクスピアに驚いただけだ」
「亜理紗ちゃんに、どうしても私に読んで欲しいって言われたから読んでみようと思って」
「……」
僕は顎に手を置き、考える。
「どしたの?」
「貸すよ」
「え?」
「”リア王”貸すよ」
「たけちゃん持ってるの?」
「シェイクスピアの作品はすべて持っている」
中学に入ったころ、僕はシェイクスピアに出会った。彼の描く喜劇と、悲劇のあまりの変わり様に初めは驚き、そして彼の作品を深く入り込んでいった。一度だけだが、白百合でハムレットを公演していたので見に行ったほど、シェイクスピアを好きになっていた。
「おお、ありがと!」
「それぐらい大したことじゃない。……それで、他に買う物は?」
「んー、買い物じゃなくて、デートっぽいことしたい」
デートっぽいことを少し思い浮かべる。
……いや待て。そもそもデートではない。
「ゲームセンターってどうかな!?」
指をパチンと鳴らして提案した。
残念ながら、僕がゲームセンターに行った記憶はない。この機会だからどんな場所か見ておくのもいいだろう。
「いいよ。そうだな、本を先に買うと邪魔になるからゲームセンターから行こうか」
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