♯14 布石
七彩に勉強を教えるようになってから4日が過ぎた。七彩は特に数学が苦手なだけで他の教科は少しのコツが分かれば理解できていた。これならばどこの教科でも赤点は取らないだろうと感じた。
七彩と勉強する場所について僕は図書館を提案したのだが、七彩母の強い要望により七彩の家で勉強をすることになった。七彩に勉強を教えて、七彩母の料理の作った晩御飯を頂くという流れが確立されていた。僕は図書館での勉強を強く推し進められない理由があった。それは七彩母の料理の腕だ。僕は初日のカルボナーラから胃袋をつかみ取られて、その後出てきた美味な料理たちを前に勉強場所の変更を提案できずにいたのだ。
僕はコンビニの自動ドアを通りぬけてしばらくすると後ろから声を掛けられた。
「ちょっと!なんで連絡してくれなかったの!」
いつの間にか七彩がいた。
今日は1つ早い電車に乗って来たのだ。コンビニに寄ってきて出てきたところで見つかってしまったということだ。まあ、どっちにしろ学校で会うので早いか遅いかの違いだ。
「悪い」
「まったくもう。・・・それで、先生!今日勉強する教科はなんでしょうか!?」
「んー、今日は一通りにやってみるか」
「了解です!先生!」
そんな会話をしているうちに校門までたどり着いた。今日は金曜日で飼育員会の仕事の日だ。体育館の奥に自然と目が向く。
朝はいまだに黄昏先輩が仕事をしている。何度か顔を出したのだが、睨めつけられて退散をしていた。やはり、黄昏先輩と下吹越先輩の仲を戻すしかないのだろう。
「数学は難しい問題を出すつもりだからしっかりと復習しといてね」
「分かりました!」
昇降口に入り、教室へと向かうと人は5人いた。その中に珍しい人物がいた。緑だ。いつもならこの時間帯に部活をやっているはずなのだが、今日は地理の教科書を開いて勉強していた。
「緑、なんでいるんだ?」
「あ?俺がいたら不満か?」
「別に、不満じゃなくて、なんでいるのかなと」
「テスト近いから朝練はパスした」
「そういうことか」
「そういうことだ」
その日の授業は、テストが近いので自習を行う教科が多かった。数学の時間は自習をきちんとしていたが、地理の時間は寝ていた。地理は出題範囲が狭く、全部覚えたからだ。
午前中の授業が終わり、昼休みになった。僕がコンビニ弁当を取り出して蓋を開けようとした瞬間、僕を呼ぶ声があった。
「色紙くーん!」
一瞬、無視しようかと考えたが、その声の主がクルミ先輩だったので仕方なく弁当の蓋を閉じて席を離れた。ふと七彩の席を見るといつの間にか七彩はいなかった。売店にでも行ったのだろうか。
「なんですか」
僕は声のトーンを下げて言った。
「勉強の具合はどうかと思ってね」
「順調ですよ。この調子なら平均点60点は取れると思います」
クルミ先輩は満足そうに首を縦に振った。
「ほうほう。それは良かった。この調子で頑張ってね」
「はい」
「分かってると思うけど、あの2人のことも進めなきゃダメよ?」
「・・・分かってます」
「それならいいんだ。そんじゃあねっ!」
と手を振ると風のように去って行った。全く、迷惑な人だ。しかし、これも色を降り戻すためだ。任務を遂行しなければならない。
「あれ?たけちゃん、どうしたの?」
後ろを振り向くと七彩がスーパー袋を手に立っていた。
「いや、何でもないんだ」
珍しく、僕が昼休みに廊下にいたから不思議だったのだろう。いつもなら弁当を食べてから直ぐに寝るのが日課なせいだろう。
「ふーん。あ、そうだ。これ!クロワッサン!食べる?」
七彩はスーパー袋からクロワッサンを手に取り僕に尋ねた。
「それじゃあ、頂くよ」
僕はクロワッサンを手に取ると七彩と一緒に教室へと戻った。
「そういえば、いつからカメの世話をすればいいのかな?」
七彩は席に戻ると尋ねた。
「準備が出来たらお願いするとは言われたけど、まだじゃないかな」
下吹越先輩はカメの世話は準備が出来たらすると言っていた。お願いをされてから数日が立ったが、いまだにカメの世話の件についての話はない。
「どんな準備をしてるのかな?」
「さあ、何だろうな」
七彩の言う通り、数日の時間が必要とはどういう理由なのだろうか。しかし、その疑問を深くは考えようとしなかった。待っていればいつかは来るはずだ。
僕は素朴な疑問を投げる。
「カメって何食べるんだ?」
「キュウリかな?」
「キュウリ?」
「あとは、バナナ?」
「バナナ?」
「うーん、スイカも食べるかな?」
「それ、カブトムシじゃない?」
「カブトムシなの?」
⁂
放課後、七彩はやることがあったようで、教室でしばらく待っていた。暇つぶしに数学の教科書の教科書をペラペラと捲る。しばらくして、うとうととしていると、正面に人の気配を感じて頭を上げる。緑だ。
「なんでいる」
「七彩を待ってる」
「なんで?」
「勉強を教えるから」
「ふーん。どこで」
「七彩の家で」
「は!?」
緑は甲高い声を出して机を叩いた。
「そんなに驚くのか?」
「当たり前だろ!なぜおまえが・・・!2回目だぞ!」
「いや、もう何回も行ってる」
「はあ!?お前ふざけんな!俺も行く!」
「はいはい」
ん。
「お前も来るのか?」
「ああ、テスト一週間前は朝練しかないから暇なんだ。というか、そういう事情なら部活休んででも行く」
「そう」
「俺も行くからな!」
「分かったよ。でも僕の家でやるわけじゃないからな?七彩に許可を取ってくれ」
「分かった」
緑は落ち着いたように僕の前の椅子に座った。
僕は緑の視線を無視して数学の教科書を再び眺め始めた。
「おまたせー!・・・って緑君?」
「やあ、城山さん。実は今、健巳から数学を教えてもらっていたところなんだよ」
この嘘つきめ。とは言わないでおく。
「そうなんだよ。緑も数学が苦手みたいでさ」
「へー、そうなんだ」
七彩は素直に話を飲み込んだ。
「そこで提案なんだけど、緑も一緒で勉強を教えてもいいか?」
「・・・」
七彩は荷物を鞄に入れていたのだが、一瞬動きが止まる。
「どうした?」
「ううん、何でもないよ。たけちゃんがいいんだったら、一緒に勉強しよう」
「おお!ありがとう城山さん!一緒に勉強頑張ろう!」
「う、うん。がんばろうね」
七彩が緑の熱意に押されているのだろうか。それとも、七彩は緑のことを"生理的に無理"と言っていたことが関係あるのだろうか。少なくとも、緑に対して好意があるとは思えなかった。悪いことをしただろうか。
「それじゃあ緑、僕たちは飼育委員会の仕事があるからここで少し待っててくれ」
「分かった」
ひとまず、僕と七彩は教室を後にした。
⁂
「あ、やっと来たわね」
僕たちが飼育小屋に着くと、下吹越先輩が待ちくたびれたようにいた。
「すみません、少し用事があったので」
「七ちゃんに用事があったならいいわよ」
それじゃあ、僕に用事があったらどうするんですかね。と心の中で呟く。
「あ、そうだ。カメの世話の準備ができたのよ」
下吹越先輩が手をパチンと合わせてから言った。
「・・・先輩、何かありました?」
僕は思い切って疑問をぶつける。
「何かって?」
「カメの世話を頼んでから時間が空いたから、何かあったんじゃないかなって思ってたんですよ」
「ああ、そういうことね」
下吹越先輩は飼育小屋の鍵を開けながら答えた。
「東先生からカメはどうやって世話をすればいいのか聞いていたのよ。初めて世話する生き物なんだからきちんと調べておかないといけないからね」
「・・・そういうことでしたか。納得がいきました」
「それなら良かったわ」
僕たちが飼育小屋に入ると、2羽のウサギはぴょんぴょんと跳ねて近づいてきた。
「それで、カメはどこにいるんですか?」
「ああ、そうだったわね。カメは理科室にいるわ。世話をする時のために鍵を渡しておくわね」
そう言って下吹越先輩はポケットから鍵を取り出して僕に渡した。
「餌は月曜日と金曜日の2回でいいの。詳しくは月曜日の放課後に説明するから理科室に来てね」
「分かりました」
「さて、仕事を終わらせましょうか」
僕たちはエサやり、飼育小屋の掃除を始めた。掃除のそう時間はかからなかった。
「さてと、終わったね」
「お疲れ様です」
「お疲れー」
空を見上げると、太陽は西の空に傾いていた。腕時計を見ると、4時半を回ったところだった。
「それじゃあ、来週のテスト頑張ってね」
「はう・・・。が、がんばります!」
下吹越先輩は飼育小屋の鍵の返しに行ってくると先に行ってしまった。
「さて、僕たちも帰ろうか」
「うん」
僕たちは荷物を教室に置いてきたたので取りに行く。
教室には緑がいただけで、他の生徒は誰もいなかった。
「あれ?緑、どうしたんだ?」
と僕はボケをかましてみる。すると、
「待ってろって言われたんだから待ってたんだよ!」
と緑が突っ込みを入れる。
「冗談だよ」
「さ、遅くなる前に行こう」
七彩は僕たちのくだらない会話に興味がないように言った。いつもならノリノリで、くだらない話に入っていたと思うのだが。今日は調子が悪いのだろうか。
「七彩、どうしたんだ?」
「どうしたって何が?」
「・・・いや、何でもない。それじゃあ、行こうか」
何もないならそれでいい。問いただす理由もない。それに、僕が干渉してはいけない理由があるかもしれない。
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