♯10 はじまりの夢


 試合は激しい攻防が続いている。インターバルに入った時の点数は11―9イレブン・ナイン。点数差は2点。前半に焦ってばかりで、攻め切れなかったのが痛い。しかし、後悔している場合ではない。スポーツドリンクを一口飲んで、すぐにでもショートを起こしそうな思考回路を落ち着かせる。

 

 サーブを構える。栗林もそれに応えて構える。


11―9イレブン・ナイン


 俺はショートサーブをショートサービスラインのギリギリに打つ。もちろん、入るように打った。栗林はそれをヘアピンで返した。俺はそれで勝負を仕掛けようとヘアピンで返す。しかし、栗林はそうとはいかないと数回程ヘアピンでの攻防が繰り広げられた。ネットに引っ掛けるかもしれない緊張感と、こんなにも楽しい攻防ができるという高揚感で、心臓がバクバクとなっているのが遠くから聞こえてくる。

 いつの間にか、絶対に勝たなくてはいけないという気持ちがすっかりと消えていた。心からこの試合を楽しんでいる気がする。 でも、負けたくはない。絶対に負けたくない。

 

 甘く上がったヘアピンをプッシュで叩く。

 

 シャトルは地面に向かって飛んで行った。



「クルミちゃん、どこ行ってたの?」

 

 ようやく戻って来たクルミ先輩に七彩が尋ねる。


「いろんなとこ」


 クルミ先輩は、はぐらかして答えたが七彩はそれ以上問い詰めず「ふーん」と返した。


「あいつ……」


 部長が小さく呟く。


「どうしたんですか?」

「ふふ、緑君はこれからも伸びるよ」


 部長は満足そうな顔をして答えた。

 

「どういうことですか?」

「そのうち分かると思う」


 部長は眼鏡をクイッと押し上げてそれ以上は答えなかった。



18―15エイテイーン・フィフティーン


 ここからラストスパートを掛けなくてはいけない。

 勝負をするからには絶対に勝つ。

 ―――城山さんのために。



「18―15」


 ここからがラストスパートでしょう。

 3点程の差がありますが、うまく相手の相手のミスを誘うように動いて、甘くなったところでスマッシュで叩きこむ。ワタクシが冬の間に特訓していた成果を勝利という名目で、ワタクシが緑君よりも強者だという事実を見せつけねばなりますまいいィィィ!!!!!!!

 

 ―――怪盗ルパンとの、約束のためにもおぉぉぉ!!!



 当のルパンは2人の闘志を感じて、くだらないと思っていた。

 

 バドミントンでいいところを見せようたって、彼女は緑のことに全く関心がない。関心があるのはバドミントンだ。

 

 冬の間に、私が教えた戦い方で特訓しててもこんな短期間で成長できるわけがない。まあ、栗林にはちょっと可哀想なことをしてしまったので、ルール違反スレスレのことをやってあげたから、プラスマイナスゼロでチャラ。

 

 さて、勝者はどっちかな?

 

 ―――何の勝負とは言わないけど。



 緑はロングサーブを打って栗林を後ろへと追いやり、返って来たスマッシュを軽く触れてネットの前に落とす。栗林はそれをヘアピンで返したが、緑がクリアで返して、栗林が後退する。栗林はなんとか追いつき、それをクリアでエンドラインまで返す。

 この試合を見ていて思ったが、彼は細い腕をしている割にはかなり筋力がある。返すことが難しくても、筋力でそれを補っているような場面が多々ある。例の秘密の特訓とやらで鍛えたのだろうか。


「ナイススマッシュ!」


 緑がスマッシュを決めたところで七彩が声援を送る。

 

 これで19―15。勝負は先に21点を取れば決まるので、あと2点で優勝を手にできる。

 

 ここからはどれだけ栗林が追いつけるか。そして、緑が目の前の勝利に集中力を切らすことなく戦えるかだろう。

 

 緑がサーブを構える。


19―15ナイティーン・フィフティーン


 緑の背中には僕には理解しがたい何かを背負っているようで、それと同時に、絶対に勝たねばなるまいとする熱意が、ラケットを振る姿からにじみ出ていた。



「お疲れさまでした」


 部長が緑の肩に手を置いて言った。

 

 その緑はというと、表情が渋っていた。


「優勝したのになぜそんな暗い表情をしているんですか?」部長が尋ねる。「試合の内容に満足しなかったんですか?」

 

 緑はしばらくの沈黙の後に答えた。


「……その通りです。アイツは、栗林は冬の間にスゲエ特訓して、戦術も根本的に変えて……。俺は余裕だと高を括って……、惨めです。愚かです」


 なんと声を掛けたらいいか分からない僕らを潜り抜けて、クルミ先輩が緑の前に仁王立ちした。


「……?」

「アホ!」


 クルミ先輩が緑の腹にグーパンチを食らわせた。


「うぐっ!」


 緑は腹を抑えて、その場に崩れ落ちる。周りは一瞬で静寂に包まれた。


「そんなこと言ってるなら、さっさと練習を始めろ!」


 クルミ先輩の怒号が辺りに響き渡る。


「圧倒的強さで優勝するのが緑の戦い方なんだろう!……それに―――」


 胸倉をつかみ耳元で囁く。すると緑は視線を床に向けた。クルミ先輩の声は僕には届かない。何を言っていたのかは不明だ。しかし、緑に励ましの言葉でも言ったのだろうと予測はできた。


「さあ、立って。これ以上惨めな恰好見せるなよ」

「……はい」


 緑はクルミ先輩の手を取り立ち上がろうとするが、クルミ先輩は途中で手を離してしまう。当然、緑は尻もちを着いた。


「調子乗んな。自分で立て」

「……はい」



「いいのか、帰っても?」

「いいの!緑君とクルミちゃんの仲に割り込むのはダメだからね!」

「……そう」


 クルミ先輩の本当の姿を知らない目をキラキラと輝かせる七彩が可哀想になった。七彩に教えてあげようかと思ったが、そうしたらクルミ先輩がどんなことをするのか、想像がつかなかったのでやめておく。自分と七彩の身のためだ。仕方が無い。


「今日は楽しかった?」

「……自分の知らない世界が見れて楽しかった」


 七彩が驚いた表情をする。その表情に逆に僕が驚く。


「そんなに可笑しいか?」

「だって、いつもなら『暇つぶしにはなったよ』とか言うから」

「そんなこと言う?」

「言うよ!」


 太陽は仕事を終えて、今まさに帰宅しようとしているのが、ビルの隙間からハッキリと見えた。駅に近づくにつれ、その輝きは失われていく。色が見えなくともそれは分かる。


「七彩、部活やったら?」

「え……?」


 七彩はキョトンとして首を傾げる。


「あんなに楽しそうに見てたからさ、七彩は本当はバドミントンを遣りたいんじゃないのか?」

「……いいの。もうバドミントンはやらないって決めたから」

「……そうか」


 目を伏せる七彩を問い詰めはしなかった。

 

 七彩の辛い表情を見たくなかったのか。

 

 興味が無かったのか。

 

 それとも……。

 

 電車に揺られながら考えるも、答えは出せなかった。



「それで、どうだったのさ」

「緑が思ってたより強かった」

「今更だな」

「ただのウザい奴かと……」

「その言いようはひでえなぁ……」


 僕が帰宅して、部屋に入ったとほぼ同時に、見計らったかのように電話が掛かって来た。相手は浩輝だった。


「それで、何で電話してきたんだ?」

「何となくだよ」

「ふーん」

「……なんだよ」


 僕はベッドに前のめりで倒れ込んだ。


「銭形警部はどうお考えで?」

「銭形?何言ってるんだ?」

「隠さなくてもいいぞ。今日、クルミ先輩……怪盗ルパンが銭形によろしくって言ってたから」

「何言ってるんだよ。久々の外出をして頭がおかしくなったのか?」

「僕はニートではない。―――もう分かってるから誤魔化すなよ」

「……はいはい。分かったよ。どうして分った?」


 少しためらって、僕は答えた。


「僕の知り合いで、怪しいのは浩輝だけなんだ」

「なんで僕だけが怪しいんだ?」


 再び沈黙する。できればこの問いについては多くを語りたくない。しかし、できるだけ早く終わらせるために核心への言葉を言う。


「僕の交友関係が狭いから、すぐに分かったんだ。思い当たる人物は浩輝しかいない」


 浩輝はため息を吐いて「なるほどね」と小さく言った。納得した様だ。

 

 中学が同じで、仲の良い友人は浩輝だけだ。他に友人と言えば……いない。そして、今更ながら、さくら高に同じ中学だった人は浩輝しかいないような気がしてきた。気がするだけなので後でいるか聞いてみよう。


「はぁー、僕が銭形警部だよ」

 

 その口ぶりから、電話越しでも浩輝の諦めた顔が簡単に想像できた。そして、僕が尋ねるよりも先に浩輝は答える。


「言っておくけど、僕は何もできない。君の色を取り戻す手伝いなんかは特にね。尋ねたいことはたくさんあるだろうけど、今日は勘弁してくれ」

「そうか。分かったよ」


 僕は潔く引いた。電話で長話は良くないと思ったからだ。それに―――


「僕は久しぶりの遠出で疲れた。寝る」

「……ごめん。それじゃあ」

「うん」


 ツーツーツー、と携帯電話の通話回線が切れた。

 

 僕は携帯電話を枕元に放り投げると、天井に広がる木目の板を眺める。

 

 今日は色々と考えさせられる一日だった。 

 

 これから僕はどうしたらいいのだろうか。

 

 色を取り戻すために、下吹越先輩と、黄昏先輩の仲を修繕すればいいのだろうか。

 

 本当に返してくれるのだろうか。


 そもそもクルミ先輩の狂言じゃないのか?

 

 様々な疑問が浮かび上がっては沈んでいく。それはクラゲがぷかぷかと浮いているイメージと重なった。

 

 今日はもう考えることを止めよう。そう思って僕は目を閉じた。



 夢。

 

 ここは夢の世界だ。

 

 僕は確信を持って言える。なぜなら、目の前には色が見えるからだ。僕は色を失っている。それなのに目の前に広がる光景は色鮮やかで美しい。空は真っ赤に燃え、山は山吹色に染められ、僕は田んぼ道にポツリと立っている。ふと、右隣に気配を感じて視線を向ける。そこには少女が立っていた。少女は手に一眼レフのカメラを大切そうに持っている。

 

 少女はゆっくりとカメラを上に持ち上げて写真を撮り始めた。空、山、田んぼ、遠くで走る軽トラック。

 

 パシャリ、パシャリ、パシャリ。

 

 ここで見える光景すべてを記憶に収めるために、少女はカメラのシャッターを切る。

 

 やがて少女はカメラを僕に向ける。

 

 パシャリ。

 

 そして少女は静かに言った。


「泣かないでよ」


 泣いてなんかいない。


「仕方がないじゃない」


 でも。


「ほら、ご両親が待ってるんじゃない?」


 行きたくない。


「ダメだよ」


 離れたくない。


「……ダメ、だよ」


 ずっと一緒に……。


「ずっと一緒にはいられないんだよ」


 寂しいよ。


「また会えるよ」


 本当に?


「本当だよ。だから泣かないで」


 ……約束しよう。


「分かった。約束ね」


 うん。


 僕と少女は光の中へ消えた。



 目が覚める。

 

 外の光がちょうど目に当っていて眩しい。その光を遮ろうと腕を上げようとした。しかし、その動作すら面倒に感じた。いっそのこと起きよう。そう思って目を擦った。

 

「え?」


 思わず声が出た。

 

 目を擦った右手には涙が付いていた。気づけば、枕元が湿っぽい。

 

 昨晩のことを思い出してみる。

  

 確か、考え事をして諦めて寝た。それだけだ。強いて言うのであれば、僕は昨晩混乱していた。しかし、泣く程の問題ではないはずだ。

 

 しばらくベッドの上で理由を考えてみるが、納得のいく答えが見つからない。そのうち、空腹を感じて来た。思い返せば、昨日は夕食を食べずに寝てしまった。体がエネルギー不足の危機を知らせていたのだ。ならば、その危機を今すぐに救って見せなければなるまい。

 

 その前にまずは、着替えよう。

 

 ベッドから立ち上がって、タンスを開けた。

 






 



 



 

 

 



 


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る