♯9 嗜好だよ


「やあ、緑君。君もワタクシと同じ壇上に登って来たのですね?」


 決勝戦が始まる直前、ワタクシは緑君に挑発を掛けました。


「逆だ。お前が俺の壇上に登って来たんだろう」

「クックック、まあいいでしょう。試合の結果であなたをギャフンと言わせてあげますからね!」

「負け犬が吠える吠える」


 ワタクシの挑発に挑発で返してくる緑君には大変ムカつきました。なので、ワタクシは叫びました。


「くぅぅぅうっ!!!いまに見てなさああああいっ!!!ワタクシはお前を倒してやるうううっ!!!」


 緑君は馬鹿にしたかのようにワタクシを見ると、先に観客席を離れました。ワタクシはこれまで生きてきた中で一番の怒りに燃え上がっておりました。絶対に倒してやる!と。なぜワタクシにそのような自信があるのと?・・・そうですね。お答えいたしましょう。

 ワタクシは怪盗に、"あるもの"を盗み出すようにお願いをしていたのです。

 はぁ。

 その"あるもの"は何なのか教えろと?


 フハハハ。 


 怪盗に聞いてください。



 決勝に上がってくるまでの対戦相手は大したことのない連中ばかりだった。しかし、ベスト4が決定してから感じていた予感は見事に的中して、決勝戦は栗林になってしまった。

 決勝戦が始まる直前にした会話通り、栗林が俺のことを倒すことができるのだろうか。しかし、そんなことあってはならない。

 ―――なぜなら、応援してくれてる人がいるから。



「ついに決勝戦だね」

「そうだな」

「わくわくするね!」

「そうだな」

「牛丼はつゆだくが美味しいよね!」

「そうだな」

「こら!」

「いてっ」


 僕は頭のてっぺんに七彩からのチョップを受け、はっとする。


「ごめん」

「どうしたの、ぼぉーとして?」

「考え事してた」


 先ほどのクルミ先輩との会話について考えていたのだ。クルミ先輩の話は100%信じられはしないが、事実の部分もあるはずだ。その判断をしていたのだ。


「今は応援だよ、応援!緑君の応援しなきゃ!」

「あいつのことは気に入らんから別にいいだろ」

「私も嫌いだけど応援するの!」

「おい、嫌いって」

「ななちゃんはバドミントンのことに熱いだけだから、緑君のことはどうでもいいのよ」


 七彩の後ろから手を回して現れたのはクルミ先輩だった。


「・・・クルミ先輩」


 冗談で言ったのだろうが、先ほどの会話を考えると僕には悪意しか感じられない。


「ほらほら、もうすぐ始まるからちゃんと見てな。この決勝戦はすごいことになるよ」


 クルミ先輩の、まるで未来を見て来たかのような発言はなんだろう。冗談や人をからかうのが好きな人なのだろうけど、実態の分からない、空中に浮遊した1人の存在は僕の世界を荒らしていく。僕はそのアウトサイダーを赦せないのだ。今すぐにでもこの観客席を立ってしまおうかと腰を上げると肩に重い何かが落ちて来た。


「健巳君もちゃんと見てね」


 後ろを振り向くと、いつの間に回り込んだのか、僕の肩に手を置いていやらしく微笑んだクルミ先輩がいた。僕の思考を読んだような台詞に立ちかけた観客席にゆっくりと腰を下ろした。

 観客席の少し下に位置する第一コートでは審判が試合の始まりを知らせる宣言をしていた。



「ファーストゲーム、ラヴオールプレイ!」


 サーブは栗林からだ。あいつの癖は分かっている。サーブを打つ前にラケットを1回転させればショートサーブ、ラケットを3回転させればロングサーブだ。今日も相変わらず、その癖は健在だったのでレシーブはどのように動けばいいかは簡単だ。ただし、どのサーブが来るか見越して早く動きすぎると逆の手を打たれるので注意しなくてはいけない。特に栗林のサーブの癖が分かっていると思われればこの作戦は使えなくなる。

 栗原はラケットを1回転させた。ショートサーブだ。ラケットを持ち上げて構える。栗原のサーブは予想通り、ショートサーブだった。ネットぎりぎりの高さで飛んできたシャトルをエンドラインぎりぎりまで打ち返す。当然、栗林は追いついてハイクリアをする。高い打球をドロップでシャトルを減速させてネットの上ぎりぎりを通過する。栗林は苦しい表情でヘアピンをする。俺は素早いステップでネット前に移動する最中、栗林のヘアピンにスピンが掛かっていることに気づく。俺の打ったドロップはかなり苦しい打球だったはずなのにスピンを掛けて返すのは驚きだ。いつもの栗林ならただのヘアピンだったはず。いや、それ以前に俺のドロップに追いついていないはずだ。俺は何とか追いついたもののカットスピンのせいでうまく打ち返すことができず、シャトルはネットを超すことは無かった。



「七彩、いま栗林ってやつが打ったシャトル、おかしくなかったか?」

「あれはカットが掛かっていたんだよ」

「カット?切るってことか」

「うん。シャトルをラケットで切る様にするからカット。ネット前でラケットを出してちょこんって打ち返すのはヘアピンって言ってね、結構難しいんだよ。栗林君が今やったヘアピンはカットが掛かってるからカットヘアピン。たけちゃん、普通にシャトルを打ち返したらシャトルはどんな向きで飛んでいくと思う?」

「コルクみたいなのが前で、羽が後ろになって飛ぶ」

「そう。重い方が下を向くからね。でもカットが掛かってるとシャトルに回転が掛かってどっちが下を向くのか分からなくなっちゃうんだ。今緑君がネットに引っ掛けちゃったのは羽の部分が下になってたからだよ」

「なるほど。つまり栗林ってやつは相当うまいのか」

「・・・うーん」


 七彩は首を捻る。


「どうした?」

「栗林君は決勝戦まで残る人じゃないんだよ。いつも県大会でベスト16ぐらいなんだけどなー」

「運っていうのもあるんじゃないか?」

「今の動きを見ると運だけじゃないような・・・うーん」

「短期間で実力をつける人もいるんですよ」


 七彩の隣に座る部長が突然口を開く。ここに来た時、あいさつを交わしたのだが、整えられた髪と角ばった眼鏡で生真面目な印象が強かった。


「聞いたところによると、栗林君は冬休みの間に"秘密の特訓"を行ったそうですよ」

「"秘密の特訓"・・・?」


 七彩が首を傾げる。


「部活の先輩や同級生でもその特訓の内容は話していないようですが」

「相当過酷な特訓だったんじゃない?」


 僕の後ろの席に座るクルミ先輩が話に割り込む。先ほどの一件で、僕はクルミ先輩を警戒していたために自然と睨めつけるように後ろを振り返った。クルミ先輩はそれに対して僕にウインクを送って来た。こんな人だから彼女にはなんとも対応しづらい。僕は呆れるように緑VS栗林の試合へと視線を向ける。どうやら激しい攻防が続いている。


「努力は報われるんですね」


 と僕の耳には七彩の小さな声が聞こえた。



5―4ファイブ、フォー


 今の一点はどうにか取れた。・・・どうにか?なぜ栗林に『どうにか』という言葉を使わなくてはいけないんだ。俺はこんな奴、圧勝しなくてはいけないのに。

 そんな焦りからか、俺のサーブはネットに引っかかり、栗林に得点が加算されてしまった。やってはいけない凡ミスだ。

 俺は焦る心を落ち着けようと一度深呼吸をしてからシャトルを拾って返球した。

 焦ってはいけない。今は同点だ。凡ミスのことは忘れろ。次の一手を考えるんだ。


5―5ファイブ、オール


 栗林はラケットを3回転させた。

 ―――ロングサーブだ。そう思って足を一歩下げたのが失敗だった。

 栗林はその一瞬を見逃すことはなく、サーブはネットの上ぎりぎりのショートサーブへと変貌していた。俺の重心は後ろにある。出遅れてしまった。レシーブはできたものの、成功とまで言えない。甘くふわりとした打球に、栗林は余裕の体勢で身構えていた。俺は急いで体勢を整える。この場合、スマッシュかドロップの2択。流石にこんなサービスショットをクリアで返す人などいないだろう。


 ―――どっちだ。


 自転を進める時計が、針を進ませるのを躊躇うかのように、俺の目に映るものすべてが、のたりのたりと動いている。栗林のラケットがシャトルを捕らえようとしている。そんな空間でいまさら栗林のラケットが前見た時のものとは違うことに気づく。あのラケットはDUORA10だ。攻撃型のラケット。栗林はコントロール性を求める奴なので使うはずがないのだが・・・。そうだ、これに賭けよう。

 栗林のショットの後、俺がどう動けばいいか素早く考える。自分の考えが決定するに向けて、世界は元の速度に戻ろうと加速している。やがて、世界は元の速度に戻った。現実を認知した瞬間、時が止まったかのような不思議な感覚に襲われた。気が付くと、シャトルは地面に落ちていた。

 取られたれたのだ。息を少し整え、地面に落ちたシャトルを取りに行こうとする。しかし、栗林が先に行ってシャトルを取ってしまった。そしてそのシャトルを俺に返球した。一瞬、体が硬直する。栗林が間違えて俺に返球してしまったのだろう。そう思って、シャトルを返そうとすると


6―5シックス・ファイブ

「え?」


 俺は返球しようとしたのに審判がカウントを言った。


「どうかしましたか?」

「返球しようとしただけなんですけど」

「いえ、今のは緑さんが得点を取りましたよ」

「―――え?」



「緑は一体どうしたんだ?」


 緑は何やら審判と話をしている。緑は栗林から放たれたスマッシュを見事に打ち返し、今の点数を取ったはずだ。


「んー、何だろうね・・・。あ、何も無かったみたいだね」


 七彩に言われて再び試合に目を移すと緑がサーブを打ったところだった。クルミ先輩にも(気は向かないが)聞こうと思ったのだが、いつの間にか席を外していた。・・・トイレだろうか。


「・・・」


 部長を見ると何も言わずに2人の攻防を目で追っていた。表情は相変わらずの仏面だが、口元が微かに緩んでいて楽しそうに見えた。



 試合が再開され、ラリーに集中しなくてはいけないのだが先程の現象がなんだったのかという疑問が頭の片隅でへばり付いていた。


7―5セブン・ファイブ


 点数は2点差。このまま点数を伸ばしたいが、栗林はサーブの癖を自分で見つけて、対処してしまった。俺がレシーブの時の勝率は多少下がるだろうが、元々栗林のサーブの癖だけに囚われていた俺が悪い。それにしても、俺が勝てばいいのだ。いや、勝たなくてはいけない。今日だけは、絶対に。

 俺はショートサーブを打つ。栗林は今までレシーブはクリアで返していたが、いきなり攻めに来た。栗林はレシーブをドライブで返したのだ。ドライブはネットとほぼ平行に強い打球を打つ攻撃的なショットだ。もちろん、ドライブが来るのは考慮の上だ。俺は正面に来たドライブをバックハンドを使ってネットの前に落とす。

 ショートサーブが少しでも甘いと打たれる可能性が大きい。しかし、今の俺のサーブは甘くはないはず。普通ならクリアで返すのが安全な方法だったはず。

 栗林から返って来たヘアピンをクリアでエンドラインぎりぎりまで飛ばす。そして俺は体勢を立て直す時間を作った。先程までの傾向から栗林はスマッシュを打つ確率が高いだろう。栗林の打球は鋭角なショットだった。予想通り、スマッシュだ。スマッシュをバックハンドで返そうとするもフレームショットで、シャトルはふわりとネットに吸い込まれた。

 想像以上にスマッシュが早かった。この試合中で一番のスピードがあった。驚きのあまり栗林に目を遣ると、彼はニタリと満面の笑みを浮かべていた。それを見て俺は思った。

 

 ―――栗林の逆襲劇が始まると。



 久々の遠出だ。電車は何年ぶりに乗っただろうか。自転車でここまで来ても良かったのが、駅から直ぐだと聞いたので移動手段は電車を選んだ。その選択は間違いではなかったようだ。空は薄暗い灰色に塗りつぶされ、いつ雨が降ってきてもおかしくはない。自転車で向かっていたら帰ったころにはびしょ濡れだっただろう。例え、そうなったとしても後悔は残らないだろう。今日はあの怪盗ルパンを捕まえに来たのだ。俺は銭形警部で、ずっとルパンを追いかけている。ルパンを捕まえるという本懐を遂げれればそれでいい。

 俺の追いかけているルパンはとんでもない奴で、金目の物は興味がない。腕利きのガンマン、つまらないものを切る侍、ナイスバディの美女が仲間でもない。そんなルパンが何を盗んでいるのか。それは人の心です。・・・そんな訳がない。いや、あのルパンは結局はそうかもしれない。ゲーテが提唱したように、色は心に影響を与える。色を盗むのは心を盗むことと同等なことだろう。

 俺がルパンと出会ったのは小学校だ。その頃のルパンはおとなしくて、あんな大罪を犯しているとは思わなかった。・・・色を盗むのは大罪だよね?

 ある日の放課後、俺はルパンの犯罪を目撃してしまった。ルパンは花を眺めていた。理科の時間に俺たちが植えたアサガオだ。当然、アサガオは夕方にその姿を見せるはずがなく、花は閉じていた。その閉じていた状態を眺めるルパンを不思議に思い、俺がこっそり見ていると、なんとルパンはアサガオの花を手に取った。俺はその光景をアサガオ愛でているルパンとしか認識していなかった。しかし、話し声がしたのだ。周囲には俺とルパンしかおらず、当然俺が一人で話してはいないので、ルパンが花に話しかけていることになる。別に不思議には思わなかった。

 しばらくして、ルパンはアサガオの花壇から立ち去った。俺はルパンを追いかけようとはせず、アサガオの花を見に行った。長時間見続けられるほどそんなにアサガオは美しいのかと思ったからだ。しかし、アサガオたちは特に変わった部分もなく、ルパンが手にした花さえも、ただのアサガオに過ぎなかった。

 事件が起きたのは翌日だった。

 俺が学校に登校すると、長い髪をした女の子が花壇の前で泣いていた。理由を尋ねてもうわんうわんと泣くだけだ。俺には手に負えないと思い先生を呼んだ。先生が来てようやく泣き止んだ。まだ、ぐすんと言っている女の子に先生はやさしく「どうして泣いているの?」と尋ねる。その問いに女の子は花壇を指差しただけで何も言わなかった。先生は困った顔で「教室に行きましょう」と言って女の子を連れて行った。残された俺は

花壇をじっと見つめる。花壇には昨日の夕方はつぼみを閉じたアサガオが花を開いていた。そこで俺はあることに気が付く。それは昨日、ルパンが凝視していたアサガオだ。そのアサガオは周囲の花たちの美しさを圧倒していた。

 そのアサガオは周囲の青紫を無視して、純白へと変貌していたのだ。あの女の子はこの花を見て泣いていたのだ。

 当時は、なぜあの女の子が白いアサガオを見て泣いていたのかと疑問を抱いていたが年を重ね、少しあの女の子の気持ちが分かった気がする。アサガオの色はすべて統一された中で、周りを跳ね除けるかの美しさが気高くて、それが寂しくて、可哀想と思ってしまう。

 その気持ちを想像して彼女は泣いてしまったのかもしれない。―――そう思いたい。そうでなければ、女の子の心の中を想像する変態ロマンチストみたいじゃないか。

 さて、これが俺とルパンの出会いだ。そして、今から再会する。

 彼女は大罪を犯してしまった。法の権威すらも恐れない問題だ。それは人としての地位も危ぶまれるほど。だから、俺が裁きを下す。しかし、それは今ではない。ルパンの罪がすべて暴かれて、真実を見つけ出し、悲しみを乗り越えたその後だ。


「やあ、久しぶりだね」


 後ろから声を掛けられる。俺は振り返らない。


「黙れルパン。お前の罪は重い。だが、今すぐに自首すれば命だけは助けてやる」

「あー、怖い怖い」

「お前の罪は重いんだぞ」

「私が君の恋人を使ったから怒ってるの?」


 その発言に俺の怒りは瞬時に頂点へと昇りつめた。しかし、どうにか噴煙は上げずにいる。その状態でいられるのが自分でも不思議だ。


「お前を今すぐにでも牢獄へ閉じ込めたい」

「お好きにどうぞ。でも、そしたら返して上げないよ?」


 "何を?"とは問わない。言われなくとも分かっているからだ。


「それで、なぜ俺を呼んだ?」


 そもそも、遠出をしたのはメールに"県の体育館で待っている"と連絡が入ったからだ。県の体育館と言えば、ここにしか心当たりは無かった。


「んー、宣戦布告かな」


 俺はルパンを鋭く睨んだ。


「今までの戦いをなんだと思ってるんだ?」


 ルパンはあくびをしてから答える。


「下準備」


 舌打ちを鳴らす。

 そのテキトーな態度が気に喰わない。


「お前は健巳をどうするつもりだ?」


 ここで彼の名前をだしてみる。その名前に反応して、暗い空を見つめていたルパンはその済んだ瞳を俺の目の奥へと向ける。

 しばらくの間があってようやくルパンは口を開く。


「分かってたか。・・・私は健巳君には"あるべき姿"に戻って欲しいと思ってる。けどさ、あの子が悲しむ。私はあの子が悲しむところを見たくないんだよ」


 ルパンは人格が変わったかのように淡々と述べた。


「元を辿れば、お前が悪いんだろう。元凶はお前にあるんだ」

「・・・」


 ルパンは何も答えなかった。


「帰る」


 これ以上の会話は必要ないと感じた俺はルパンに背中を向けて歩き出した。


「―――それもまた・・・」


 そんな言葉が風に流れてやってきた。後ろを振り返るが、すでに彼女はいなくなっていた。




 




 

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