♯7 初速250㎞/sの世界
時刻は午後11時を回った頃。今日の授業の復習はとっくに終わっている。あとは寝るだけだ。
ベッドの上で天井を見ていると今日が金曜日だっことを思い出す。僕は明日の朝にでも下吹越先輩に尋ねに行こうと計画を練る。
部屋の明かりを消そうとベッドから立ち上がるとズボンのポケットに入っているケータイが震えた。確認すると七彩からだった。
明日は暇かな?よし、暇だね。8時半に三日月駅集合ね。遅れたらダメだからね!
七彩の言う通り、明日僕は暇だ。しかし、僕の都合を一切無視している。まあ、そのことは良しとしよう。それよりもだ。なぜ8時半に8時半に三日月駅を集合しなくてはならないのか理由を説明してもらいたい。僕がそんな風に返信すると
明日のお楽しみ!
と返信がきた。
それでは楽しみに明日を待っているとしよう。
僕は部屋の明かりを消して、夢の世界へと足を踏み入れた。
⁂
―――ピピピピッ
俺は電子音で目覚める。時計の短針は4を指し示していた。まだ覚醒しきれていないぼやけた世界をしばし傍観して、ベッドから這い上がる。
朝飯は自分で作る。今日は卵焼きとウィンナーとみそ汁だ。いや、今日というよりも朝飯はほぼこのメニューだ。
歯を磨いてから、自室から持ってくるのを忘れていたラケットバッグを部屋から運んでくる。愛用のラケットVOLTRIC Z-FORCE Ⅱが3本あることと、ストリングの張りを確認し、小さな声で「行ってきます」と言って玄関を出た。
三日月駅へは徒歩で15分といったところだ。自転車で行けばいいのだが体力をつけるため、あえて徒歩という選択肢を取っている。三日月駅に着いた時には5時を軽く過ぎていた。駅のホームにある椅子に腰を掛ける。俺が乗ろうとしている電車は5時半の始発だ。始発とあって、駅のホームに人は俺を含め5人しかいない。電車はスマホでネットニュースを見ていたらすぐにやって来た。体感にして5分。実際15分はあっただろう。音楽プレイヤーを再生する。視線は窓の外。そして、席には座らない。これは体感トレーニングの一種だ。長年の成果で、電車の揺れで足は一歩も動かないでいられる。ただ、これがトレーニングとして成立したかは定かではない。
電車はさくら駅に辿り着いた。いつもならばこの駅で電車を降りるのだが今日は違う。今日はバドミントンの県大会があるのだ。この大会は『春の県オープン』という俗称で呼ばれている。正式名称は・・・忘れた。電車の終点である
「流石はエース、早いわねー」
「ちょうどいい電車がないんでね」
俺が会場の待ち合わせ場所に到着すると、
「流石はローカル
「です」
光陽線の愚痴を溢していると、1年生のマネージャーがクルミ先輩の後ろからスーッとやって来た。
「あのぉ……」
名前は
「どうしたの仙崎さん?」
クルミ先輩が、もじもじとしている仙崎さんに問う。
「緑先輩!がんばってください!―――ふわぁ~」
そう言って仙崎さんは足元から崩れ落ちた。1年生のマネージャーが駈け寄り、引きつった顔で「し、失礼しましたー」と仙崎さんを引きずって行った。
「また可愛い子羊を
「なーに馬鹿なこと言ってるのよ」
「クルミ先輩よりは頭がいいと思うんですけど」
「ッ!うるさいわね!」
「ほいほい」
俺はラケットバッグからタオルと水筒を取り出してクルミ先輩に預ける。
「体育館の周り走ってくるんで荷物お願いします」
「分かったわ。集合時間前に一人でウォーミングアップだなんて、真面目ね」
「別に真面目なんかじゃありません。集合時間前にウォーミングアップするのが普通なんです」
「ふふ、そうかもね。それじゃあ私たちはさくら高の場所取りしてくるわ」
クルミ先輩はマネージャ―たちを引き連れて体育館へ向かった。残された俺はタオルを首にかけて、手には水筒を持ってランニングを始めた。
ランニングは体育館の周りを走ることにした。すでに何人かの今大会の選手と思われる人々がランニングをしていた。道端で体操をしている人もいる。前を走る人に目線を向け、今日の試合についてのイメージトレーニングをしていると後ろから声を掛けられた。
「やあやあやあやあやぁ!お久しぶりですねぇ!」
このウザいテンションで話しかける人物に一人だけ心当たりがある。走るスピードを緩め後ろを振り返ると想像通り、細い身体つきで、短く刈り上げた髪をし、俺に永遠のライバル(自称)と言っている
「……栗林、ウザい」
「挨拶も無く、ワタクシに向かってウザいとは!!!今日こそはあなたに勝たせて頂きますよぉ!」
「小学生の時から俺に一回も勝てたことないくせに、よく言うぜ」
「なぁ~にを言っているぅ!ワタクシは今まで手加減をしてきたのです!今日こそは本気を出して勝たせて頂くのです!」
「たしか、去年の春の県オープンじゃあ、今日みたいに『本気で行きます!』とか言ってた割にはベスト8戦で俺に負けてたよな?」
唾を飛ばしながら栗林は否定する。
「うるさああぁぁあああいいい!!!今日のワタクシは一味違うんですよ!」
周りの視線が気になってきた。俺はそろそろ話を終わらせようと、走るスピードを速める。しかし、栗林も走るスピードを速めてきた。
「何が、どう違う?」
「それは大会が始まるまで秘密ですよ」ヒヒヒッと不気味な笑みを浮かべる。
「そだ、トーナメント表見ました?」
「いや、見てない。というか開会式の時に公開されるんじゃないのか?」
「いやまあね、ワタクシにはコネというモノがございましてね」
「コネだぁ?」
「ワタクシ、スポーツマンシップに則っておりますから試合での不正は行っておりませんよ」
「お前が不正を行ったとしても、俺はお前に勝つからどうでもいい」
無意識に走るスピードが上がっている気がする。
「フン!それでは決勝戦でお会いしよう!さらばっ!」
そう言ってダダダダッ!と栗林は去って行った。嵐のような男だったというのが率直な感想だった。
「今回の大会は県主催の大会です。関東大会へ続きはしませんが今年度の他校の実力を知る機会です。また、こちらの実力も見せつける機会でもあります。みなさん、気を引き締めて上位入賞を目指しましょう!」
バドミントン部の顧問である北村先生の言葉で、部員たちは「はい!」と返事をした。その声はどれも気合が籠っていた。それに続き、部長が指示を出す。
「間もなく開会式が行われると思うので、みなさん下に移動しますよ」
ぞろぞろと部員たちが移動を始める。俺もその後を追うとしたが部長に呼び止められた。
「おい、緑」
「なんすか?」
「応援が来るらしいぞ」
「応援?」
「あれ?聞いてないのか。それじゃあ、楽しみにしとけ」
「応援なんて邪魔なだけです」
「ふーん。そうなんだ」部長は嘲笑するかのように言った。
「その発言は撤回すると思うけどね」
そう言って俺の肩に手を置いてから去って行った。一体なんだったのだろう。ともかく、俺も開会式に出るため下に移動する。
この体育館は2階立てとなっていて、1階はコートとなっていて、2階は観客席になっている。観客席ではその一部を使用して各学校の拠点として使っている。この大会は中学生と高校生の部の2つがあるため、場所取りはかなり大変だ。無事、場所を取れたことをマネージャー諸君に感謝だ。
「それでは春の県オープン、バドミントン大会を始めます」という掛け声のもと、開会式が始まった。進行の人が春の県オープンと言っているのでこれが正式名称らしい。毎年、ぼーっと開会式を聞いていたので今回でようやく謎が解けた。
開会式も終わり、いよいよ試合が始まる。観客席に戻ろうと階段を上っていると再び栗林と鉢合わせた。
「なんですか、『うわぁ、また会っちゃったよー』みたいな顔」
「まさにその通りなんだが」
「ひどいなぁー。そうそう、トーナメント表見といてくださいよ」
栗林はニタァと笑って去って行った。
「相変わらず仲がいいわね、2人共」
「うるさい」
「先輩にうるさいって言うな」人差し指をピシッと指す。
「緑君はもうトーナメント表見た?」
「いえ、まだです」
「面白いことになってるわよ」
そう言ってクルミ先輩は、トーナメント表が書いてある薄い冊子をショルダーバッグから取り出して俺に渡した。高校生男子の部を見てみる。まずは自分の名前を探す。選手番号は21番だった。次に、他の選手の名前を見ていくとクルミ先輩の言っていることがなんとなく分かった。
「これ、シードがおかしくないですか?」
普通、前回の大会の成績でシードが決まる。俺は去年中学の部で優勝していた。今回も第1シードと行きたいところだが、高校生になり部門が変わってしまったので俺は第1シードになれない。初出場枠となり、一番小さな山からだ。しかし、第4シードの人物に目を向けるとおかしなことになっている。なんと、そこには栗林の名前があったのだ。
「栗林はお金でも払ったんですか?」
ランニングの時に言っていたことはこれだったかと納得しつつ尋ねる。
「実は今年から、すべての選手は抽選でシードが選ばれることになったの」
「運営はどうしてそんなことを?」
「私の聞いた話によると、どうやら組織委員会のお偉いさんが原因らしいよ」
「そうですか。でもシードをランダムにしたところで・・・」
「そうよね」
シードに入れたから強いというわけではない。結局は本来シードであるべきだった人に負けてしまうのだから。それでも、少しでも順位を上げたいよ思う人がいるのなら、ランダムでシードを決めるという機能は喉から手が出るほどのものだろう。
「多分、栗林の仕業です……、ほら」
俺は冊子の最後のページを指差す。そこには"大会組織委員会副会長-栗林
「これはクロね」
「クロですね」
と言った瞬間、館内アナウンスが入った。
『これより、試合の呼び出しを始めます。男子は1から6コートで行います。中学生は1から3コート、高校生は4から6コートです。まずは中学生の部からで第1コートです。中学生の部男子、1番―――』
どうやら試合が始まるようだ。
「佐々岡先輩がさくら高で一番最初に試合をやるわ。応援に行きましょ!」
「佐々岡先輩ですか。応援しなくても―――」
「するんです!他の人の試合は見るだけでも勉強になるんだからね!」
「えぇー、でもあの人めっちゃ―――」
「弱いとか言わない!」
今日何回目か分からない、顔の前に人差し指をビシッをされ発言を阻止された。けれど、俺はまだ弱いと言っていないんですけど。
「ほら、行くよ」
「任意同行でお願いします」
俺の懇願に対し、クルミ先輩は
「強制よ」
と冷たい目線を俺に送ると右腕を引っ張られ、強制的に観客席へ連行された。
⁂
「うおおおおおぉぉ!!!勝ったぞおおおぉぉ!!!俺は勝ったんだああああぁぁ!!!」
コートの中央でこちらの観客席に向かって叫び声を上げる、やけにガタイの良い男がいた。これが佐々岡先輩である。
「やった!佐々岡先輩が勝った!」
「あの"無
「あの筋肉馬鹿が!」
などと言われ、祝福されているのか、
「応援のお陰だね」クルミ先輩は俺に笑顔を向けて言ったので「日々の鍛錬のお陰です」と無表情で切り替えした。クルミ先輩は一瞬ムッとした顔つきをしたが、ため息を吐いた。
「そんなに性格が悪いと七彩ちゃんに嫌われるよ?」
「えっ!ちょっと、なんで城山さんのことを!?」
"七彩"という名前に反応した俺は声が裏返ってしまった。クルミ先輩は勝ち誇って満足げな表情を浮かべて言う。
「ナナちゃんは親戚でよく知ってるの。あの子、中学でバドミントン部だったから……って、緑も知ってるか。同じバドミントン部なんだし」
「まさか、城山さんと親戚だったとは……」
「そんなに驚く!?……ふふふっ、それじゃあ、もっと驚くことを教えてあげようかなー?」
「まさか!?実は婚約者が―――」
「アホ!いるわけないでしょ!ん……―――ほー、婚約者がいたらどうする気?」
「殺す」
「ナナちゃんに対する愛は十分伝わったよ」
と、コントのようなやり取りをしていると、
『高校生の部、男子、20番
賑わう観客席の奥から、選手を呼び出すアナウンスが聞こえて来た。
「いよいよね。相手は聞いたことない名前だから1年生かしら?」
「学年なんて関係ないですよ。誰が相手だろうと俺は勝つんです」
「ふふ、全国大会まで行く男は言うことが違うわね。……それじゃあ、準備してきなさい。素早いスマッシュ、期待してるわ」
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