♯5 雨降る金曜日
「もぉ!なんで連絡くれなかったの!」
教室で数学の勉強をしていると、七彩が頬を膨らませてやって来た。髪は雨が降って来たせいか少し濡れていた。
確実に今朝のことだろう。僕が七彩に連絡せずに一人で学校に来てしまったことが不服なのだろう。
「悪い。……って、連絡をする必要ないだろ」
べつに、一緒に登校するという約束をした覚えはない。……と言葉にすると七彩が説教を始めそうなので心に留めた。
「必要あります!いい、これから登校時間を変える時は私に連絡するんだよ!」
「……分かったよ」
了承以外の選択肢が、僕にはないようだ。
「それで、なんで時間変えたの?」
七彩は鞄から教科書などを取り出していく。
「何か理由があるんでしょ」
「起きる時間を間違えた」
「……はぁー」
「なんだ、そのため息は」
「たけちゃんらしいなーって」
七彩は席に座り、机でうつ伏せになった。
「意味が分からない」
「分からないくていいよ」
「分かれ!」
いきなり会話に現れたのは緑だった。背中には大きなラケットバッグを背負っている。
「あ、緑君。もう朝練終わったんだね」
「今日はちょっと早めに終わらせた」
時計は8時15分を示していた。あの時間から今まで練習をしていたとは、ご苦労なことだ。
「ご苦労」
「お前に言われてもな」
そう言って緑は自分の席に行ってしまった。
「城山さん、おはよう。あ、色紙君も」
「おはよう」
「ん、おはよう」
あいさつをしてきたのは同じクラスの女子だ。残念ながら彼女の名前を覚えていなかった。
「その目、名前覚えて無いんでしょ」
「へ」
七彩からが図星のことを言ったので声が裏返ってしまった。
「図星でしょ」
「はい、そうです」
「謝罪しなさい」
「申し訳ございませんでした」
「……ふふふ」
彼女の微笑に、僕と七彩は顔を合わせる。
「いえ、ごめんなさい。朝から夫婦漫才を見れるとは思っていなくて」
「夫婦じゃない」
「あら、これは失礼しましたわ」
彼女はわざとらしく口を手で隠して言った。
「それで、あなたの名前は」
「私は
「はい、すみません」
「そうだ、城山さんアレ、昼休みまでに考えておいてくれる?」
「うん、分ってるよ。考えておく」
「それじゃ」
北村が席に行ったことを確認してから七彩に問う。
「アレって?」
「アレは部活のこと」
「部活に誘わてれるのか」
「そいうことだね」
「何部?」
「バドミントン部」
「七彩ってバドミントンやってた?」
「言ってなかったかな。私、中学はバドミントンやってたんだよ」
「そういうことか」
「何が?」
「いや、なんでもない」
緑と七彩の関係が明確に繋がった。
「……やればいいじゃん、バドミントン」
「別にやるつもりはないよ。朝とか早いじゃん」
「そうだな」
朝の出来事を思い出す。毎日あの電車に乗るとなると、キツイ。
あくびが出る。朝の出来事を思い出したせいだ。急に眠気が襲ってきた。
「たけちゃん、口ぐらい押さえなよ」
「ああ、もう寝る」
「寝るの!?」
⁂
気づいたら3時間目が終わっていた。起立と礼を何回かした記憶はあったのだが、授業内容はさっぱり覚えていなかった。
肩を叩かれ、後ろを振り向く。
「次、物理だよ」
「分かった」
机の中を探り、物理の教科書を取り出す。
周りの生徒はほぼいなくなっていた。物理は理科室で行なうためだ。僕と七彩は一緒に理科室へと向かう。
「今日は寝すぎじゃない?」
「朝が早かったからね」
「それにしてもだと思うよ」
「そうか?」
「そう」
階段を下に降りていく。
「七彩、飼育委員の2年生の名前って知ってる?」
「黄昏先輩だよ。下の名前は
「名前まで覚えてるのか」
「当たり前でしょ!」
「そうか。勉強はできな――すみませんでした。拳を降ろして下さい」
危うく七彩の反撃(物理)にあうところだった。
2階に降りると階段を駆け上がって来た生徒と衝突しそうになる。両者ギリギリで回避することに成功した。
「すみません」
僕は謝りながら顔を上げる。彼女と認識した僕は一瞬硬直してしまう。
「……悪い」
彼女は目を合わせずに一言謝ると、階段を駆け上がって行った。それを見送った七彩が告げる。
「あ、今の人が黄昏さんだよ」
⁂
「絶対ダメ!」
「なんで?」
「ダメだから!」
放課後、相変わらず雨は降り続いていた。今日は金曜日なので、僕と七彩はウサギ小屋へ向かっていた。そして、僕は何を否定されているかというと……。
「黄昏さんのことは聞かない方がいいよ」
僕は下吹越先輩に黄昏先輩と何があったのかを尋ねようとしていたからだ。
「理由が聞きたい」
「たけちゃんはこういう話に首を突っ込まない方がいいの!」
「七彩は気にならないのか?」
「……べっ、べつにー、気になってないしぃー!」
「すごい気になってるね」
「うぐぅ」
七彩は嘘を吐くのが苦手だ。しかもバレた時の反応も分かりやすい。
「もし答えてもらえなかったら裏口使うし」
「え、裏口?」
「なんでもない」
一応、答えてもらえなかった時のことも考えていた。こっちの方が確実に調べてもらうことができるのだが、調査をしてくれる代わりに何かを要求してくるのが面倒なので、ダメ元で一度聞くつもりでいるのだ。
「それにしても、雨止まないな」
曇ったガラス越しに外を見ると雨がサァーと降っていた。大雨というわけでもないので、交通機関に影響がでることはないだろう。
「一日中降るって天気予報で言ってたよ」
「……あ、傘忘れた」
「折り畳み傘、持って無いの?」
「無い」
「……ふっふっふっ」
七彩が不気味な笑い声をあげる。
「気持ち悪いんだけど」
「な、なんでもないよ。早くうさぎちゃんたちにエサあげちゃおう」
「そうだな」
職員室に寄ってエサを取り、渡り廊下までやって来た。靴を履き替え動きを止めた。ウサギ小屋は外にあるので傘が欲しいところだが、僕は持っていないからだ。これは七彩に行ってもらうしかない。七彩を見ると、手には傘を持っていた。
「折り畳み傘だよ。私はきちんと持って来たんだよ」
「さすが。それじゃあ、七彩がうさぎたちにエサをやってきてくれるか?」
「何言ってんの?たけちゃんも行くんだよ」
「いや、僕傘がないって」
「私の傘に入ればいいじゃん」
「折り畳み傘じゃ小さくて、僕は入らない」
「大丈夫!入れる!」
「無理だろ」
「もお!ほら行くよ!」
七彩は僕を無理やり引っ張り、僕を傘の中に入れる。予想通りこの傘に人が2人入るのは難しく、肩がはみ出てしまった。
「無理だと言っただろ」
「全身濡れるよりはマシだよ」
「……」
七彩の左肩も濡れていた。僕は七彩の持っていた傘をとる。
「あ、ちょっと」
僕は七彩の肩が濡れないように、こっそりと傘の位置を調整する。
「僕が持っている。代わりにエサを持ってて」
「たけちゃんが濡れちゃうよ」
「七彩が風邪をひいたら困る」
「私もたけちゃんが風邪をひいたら困るよ」
「僕は別にいい。ほら、早く行くぞ」
「……」
七彩は頬を膨らませる。僕はそれを無視してウサギ小屋へ向かう。
ウサギ小屋にはすでに下吹越先輩がいた。彼女は赤い傘を差してウサギを眺めていた。僕たちに気づくと振り返って優しい笑みを浮かべた。
「本当に付き合ってないの?」
「はい」
「あら残念」
七彩が僕のことを軽く睨んだ気がした。
「雨も降ってることだし、早くあげて早く帰りましょうか」
「そうですね」
下吹越先輩がウサギ小屋の鍵を開け、先に中へ入る。僕と七彩もあとに続く。小屋の隅にいる2羽は体を丸めて身を縮めていた。しかし僕たちが来たことに気づくと2羽はゆっくりと近づいてきた。2羽がエサを食べている間に3人で手分けをして素早く小屋の掃除を行う。
「そういえば、ウサギって鳴くんですか?」
七彩が手を休まずに尋ねる。
「一応鳴くわよ。けれど、滅多に鳴かないわ」
「どんな鳴き声なんです?」
「グー……というよりブーって感じかしら。んー、再現するのは難しいわ。あの鳴き声は本当に難しいのよ」
「是非この耳で聞きたいです!」
「……そう、がんばってね」
「はい!」
今の下吹越先輩の言い方だと鳴き声を聞くのは難しそうだ。
ウサギ小屋の掃除は順調に終わり、10分もしないうちに終了した。
「それじゃあ、帰ろうか」
「先輩、少しお話いいですか?」
下吹越先輩は渋った顔をする。しかし、了承してくれた。たぶん、何の話をするのか察しがついたのだろう。
「……分った。場所変えて話そうか」
「たけちゃん、教室で待ってるね」
「ちょっと―――」
七彩は目線を合わせず、足早に小屋を出て行く。
「あらら。後で謝った方がいいわよ」
「何を謝るんです?」
「……色紙君」
下吹越先輩は僕をしばらく見つめた。
「まあいいわ。行きましょうか」
先輩は未だに降り続ける、雨のように微笑んだ。
⁂
「それで、何が聞きたいの?」
「聞きたいと質問をしている時点で、何を聞きたいのか分かっていますよね?」
「分からないわ」
先輩は笑顔で答える。その
下吹越先輩と黄昏先輩の関係。
先輩と後輩。
去年も同じ飼育委員会。
2羽のウサギ。
黄昏先輩の長い髪、鋭い眼光。
紅羽。
『あの人は最低な人間だ』
僕は頭を駆け巡る言葉を浮かべる。
選ぶ。
考える。
―――ぶつける。
「あなたは最低な人間だ」
それを聞いた下吹越先輩の目つきが変わる。
「……どうしてそれを」
「黄昏先輩が言ってました」
「そう」
「……何があったんですか?」
「それをあなたに教える必要は無いわ」
「そうですか」
僕はあえて深くは潜り込むことはない。僕の反応に先輩は少し驚いた表情をする。
「あっさりと諦めるのね」
「こういうのは諦めが肝心ですよ。……勉強も」
「……あなた、私の何を知ってるの?」
「何も知りませんよ。ただ……」
「ただ?」
「あなたの色が見えるんです」
僕は、ぽかんとする下吹越先輩に「それでは」と一言あいさつをして教室を出た。去り際に先輩に目を遣ると、彼女は赤い光に包まれていた。それは生き血のような鮮明な赤だった。
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