♯4 あの人は最低な人間だ


 入学式から約1ヶ月が過ぎ、暦は5月を迎えていた。1年生はすっかりと高校生活に慣れ、教室の雰囲気はどのクラスも賑やかだ。それは僕のクラスも同じことだ。

 しかし、華やかなだけが学校ではない。人には、好きとか嫌いとか自分以外の人間を見定めることをする。その中でグループというものを作って自分の居心地の良い環境づくりをして生きていく。特に女子というものはその作業が大変らしい。ちょっとした不祥事でグループから消されてしまう。

 帰宅中に行われる、七彩のつまらない話の議題は女子のグループが如何に面倒かと言う、愚痴に近いものが多くなってきている。当然、僕は聞き流しているのだが、七彩は相変わらず母親譲りのエンドレストークを繰り広げる。


「それでさぁ―――」

「うん」


 七彩はそういう人間関係の構築は得意としているのだろう。下吹越先輩とすぐ打ち解けたことが記憶に新しい。

 この頃、ようやく僕は、七彩は僕のいない数年間で変わったのだと今更気づいたかもしれない。昔は口数の少ない印象だった。それが今となってはこの有様だ。この代わり様には、七彩が人生を大きく変えるような出来事に遭遇してしまったのではないかと思っていたが、特に何もなかったのだろう。単に、母親譲りなのだ。僕はそう思い込むことに決めていた。


「それでね―――」

「うん」


 七彩から見ても僕は変わったのかもしれない。僕も知らないうちに何かが変わったのだろう。自分では気づかない何かに。


「ねえ、聞いてる!?」

「うん」


 僕は七彩のいない時間が―――


「聞っけええええぇぇ!!!」

「はい!―――何?」


 何を隠そう、七彩のエンドレストークのお陰で無心で相槌を打つことができるようになってしまったのだ。


「聞いてた?」

「うん、聞いてた。肉まんが食べたいんだろ?」

「ちっがーう!」

「あれ?違うの?」

「全然違うからね!肉まんの話なんてしてないよ!」

「そうか。ならばそこにコンビニがある。実は季節限定肉まんが発売を開始したんだ。―――食べたいか?」


 こんな誘導で乗ってしまうのが七彩だ。当然の如く、


「食べる!」


 と右手を元気よくあげて言った。

 250円の出費だが、お小遣いを何にも使わない僕にとって、どうってことは無い。

 しかし、それよりも 


「……ちょろい」

「ん?なんか言った?」

「何も」


 これでは言葉巧みに、否。巧でなくても食べ物で釣られて怪しい人に付いて行ってしまうのでないだろうか。

 コンビニに入ると、必ず記憶に残ってしまう入店音と店員さんのあいさつが出迎えた。

 肉まんの入っているケースを見ると、普通の肉まんに紛れてさくら肉まんが1つだけ置いてあった。 


「さくら肉まん1つください」

「さくら肉まん1つですね。……162円になります……ありがとうございました」


 さくら肉まんはその名の通り、さくらの色をして餡は牛肉の季節限定商品だ。かなり売れているらしく、購入できたのはラッキーだ。


「ん~、おひゅしゅ~」


 七彩はテレビに出ている芸能人の様に、とても美味しそうに肉まんを頬張る。


「うまそうに食うんだな」

「はひゅしゃんもはふる?」

「飲み込んでからしゃべろ」

「……んっ。たけちゃんも食べる?」

「いや、遠慮しておくよ。七彩が全部食べていいぞ」

「遠慮しなくてもいいのにー」

「七彩が食べてるのを見るだけで、こっちが食べてる気分になれるからいいんだ」

「……変な人だね、たけちゃんは」

「あのなぁ……」

「おーい!」


 僕たちに呼びかける声がする。振り向くと、交差点を挟んだ反対側に浩輝が立っていた。

 コンビニから学校はとても近い。徒歩3分と言ったとことだ。そのためさくら高の生徒とすれ違うことは多い。しかし、よりにもよってそれが浩輝とは。

 信号は青に変わり、横断歩道を超えて来た。


「やあ、城山さん。君と話すのは初めてだね。いつも健巳をお世話になっています」

「こちらこそ、たけちゃんと仲良くしていただいてありがとうございます」

「おい」

「健巳が何か変なことはやっていませんか?」

「いいえ。大変真面目な方で、私も助かっております」

「おい」

「そうですか、それなら良かったです。今後ともよろしくお願いいたします」

「こちらこそ」

「僕が何をしたと言うんだ……」


 僕の愚痴に、七彩と浩輝は同時に笑った。


「いやぁ、城山さんとは気が合いそうだ」

「私もそう思います」

 

 初対面でよくここまで打ち解けるものだと感心する。


「ところで、浩輝はなんでいるんだ?」

「おいおい、俺も電車だわ。色々あって昨日までは放課後すぐに帰れなかっただけだぜ。本当なら今の時間帯が帰宅時間なんだよ」

「なるほど。それじゃあ、彼女さんはどうしたんだ?一緒に帰らないのか?」

「そりゃ、一緒に帰りたいけど今日は先客があるみたいでな。先に帰ってなさい、と」

 

 話の切れ目を見つけた七彩が僕の袖を引っ張り、尋ねる。


「ねえ、たけちゃん。今更だけどこの人誰?」

「ああ、そうだった。こいつは紫牟田しむた浩輝。中学校からの知り合い」

「ども、紫牟田です。浩輝で構わないよ」

「それでは浩輝さん、私は城山七彩と言います。私も名前で呼んでください」

「了解、七彩さん。ところで質問なんだけど―――」

「ダメだ」


 僕は浩輝の言葉を遮る。


「何がダメなのさ」

「質問禁止だ。お前は何を言い出すか分からない、危険人物だ」

「ありゃ、俺って健巳のブラックリストに入ってる感じ?」

「そうだ」

「あちゃー」


 こいつは噂の類が大好きで、中学の時も噂話を嗅ぎまわり、その他にも面倒ごと、ゴシップ、などに突っ込み危うく退学になりかけたことがある。特に”校長先生の不倫疑惑”の時は、……思いだしたくもない。

 

「いくぞ七彩。こいつに付き合ってられない」

「あ、ちょっと待ってよー」

「おい、俺も行先は同じだぞ」


 僕はため息を吐いて、信号を青になったことを確認して視線を前に戻すと、一人のさくら高の制服を着た女子生徒が立っていた。彼女はイヤホンをして俯いている。

 僕が歩き始めて少し遅れて彼女も歩き出す。視線は地面に向けたままだ。

 彼女とすれ違う寸前、横目で彼女の表情を盗み見ようと試みた。しかし、彼女の長い前髪がそれを邪魔して、結局僕は彼女の表情を見ることができなかった。ただ、表情を見なくとも僕にはなんとなく、彼女の思考を読み取れた気がした。なぜなら、彼女の拳は春の空気を力強く握りしめていたからだ。



 今日は金曜日で、今日を乗り越えれば休日だ。

 

 しかし、朝から気分が冴えない。

 

 天気が曇りのせいだろうか。

 

 朝早く起き過ぎたせいだろうか。

  

 ―――緑が隣に座っているせいだろうか。


「ところで、なぜ色紙がここにいるんだ?」

「ところで、なぜ緑がここにいるんだ?」

「……俺はいつもこの時間に電車を乗っている。色紙はこの電車より一本遅いはずだぞ」

「僕は時計を見間違えて、早く駅に来てしまっただけだ」


 僕は右腕に身に着けている腕時計で時刻を確認する。あと5分で電車がやって来るはずだ。


「城山さんはどうした?」

「別に待ち合わせて一緒に登校しているわけじゃない」

「本当か?」

「本当だ」


 緑は安堵した表情を見せた。しかし僕がそれを見ていることに気づくと表情をいつもの爽やかなものに戻し、軽く睨む。


「どうして緑はこの時間に登校してるんだ?朝の6時半だぞ」

「部活の朝練だ。いつもなら5時半の始発の電車に乗っている。今日は寝坊をしてしまった」

「部活って何やってるんだ?テニスか?」青い大きなラケットバッグを見て言った。

「バドミントンだ」ラケットバッグをポンと叩いて答える。

「強いのか?」

「そこそこな」


 列車が参りますという男性のアナウンスが聞こえてくる。三日月駅は無人駅なので録音されているものだ。

 電車は桜の木を横切る。すでに壊滅寸前の桜が宙を舞う。しかし、その桜に色無い。僕は記憶を辿り、脳内でその桜に色を塗っていく。それは電車が停止したキィ、という音でその作業は中断された。

 僕と緑は電車に乗り込む。

 電車の中には学生が数人とスーツを着て寝ているサラリーマンが多数だった。僕は空いている席を見つけて座る。それと同時に電車のドアが閉まり、電車が動き始めた。ふと、ドア付近を見ると緑が立っていて外の光景を眺めていた。空いている席があるというのに座らないタイプの人間らしい。

 

 僕は目を瞑り、意識を手放す。

 


 どういうことなのか、車掌のさくら駅に停まりますというアナウンスで目が覚めた。さくら駅までの間の駅で目が覚めた記憶はない。

 電車が完全に停止したところで僕は席を立ち電車を降りる。気づいたときには、緑はすでに改札口を出たところだった。僕が改札口を出た時には駅前の信号を渡っていた。僕はなんとなく追いつこうとするが、信号は赤に変わってしまった。諦めて、信号を待つ。その間に、なぜ僕は緑のことを追いかけようとしているのか考えたが、良い答えは思い浮かばず、忘れることにする。

 

 校門に辿り着く。学校の桜は三日月駅よりも散っている。こちらは明日にでも無くなりそうだ。

 

 ふと、視界の奥に見覚えのある女子生徒が見えた。そうだ。交差点ですれ違った女子生徒だ。

 

 彼女は昇降口に入らず、校舎の裏手へ進んで行く。

 

 僕の思考の中で無邪気な子供が囁く。


「後を付けてみようよ」


 僕は自分に考える隙を与えないように歩く道を逸らす。

 

 彼女は校舎と体育館を結ぶ渡り廊下を通り過ぎ、体育館の裏手に回った。体育館の裏手にあるものは飼育小屋だ。

 

 思考回路に『金曜日』、『朝』、『飼育小屋』という単語が連なる。

 

 僕の中で答えが自然と湧き上がる。それと同時に、これは身を引くべきことであると脳内のサイレンが響いていた。

 それでも、無邪気な声が強く木霊こだましてくる。


「知りたいんでしょ?」


 ―――ああ、知りたい。

 

 飼育小屋の中に入った女子生徒は2羽のウサギにかなりなついているようで、彼女の足元に擦り寄っていく。彼女もそれに応え、しゃがんで2羽のウサギを撫でる。


「もっと近くに」


 無邪気な声が背中をす。

 大きな足音がしてしまう。

 その音に反応したのかウサギはぴょん、と跳ねて小屋の奥に逃げてしまう。


「誰」


 攻め立てるようで、どこか悲し気な声。長い前髪から覗かせる眼は一瞬で僕を捕らえていた。


「すみません。驚かすつもりは無かったんです」

「……」


 視線は鋭く、瞳は冷たい。ここからいち早くも逃げ出したい。彼女を例えるのならライオンだ。その爪で胸を引き裂かれ、首を牙で噛みつかれる。

 イメージをしただけだったのに、目の前に立つ彼女が本当に襲ってくる気がしてならない。


「あなた、一年」

「どうして……?」


 彼女は無言で自分の襟元を指差す。

 そうだった。さくら高の生徒は襟元に校章がつけられている。それは学年によって色が異なる。今年度は1年生が青、2年生が赤、3年生が白となっている。1年生である僕は当然、青の校章を身に着けている。


「何の用」

「あなたは飼育員の方ですね」

「だから?」


 彼女はたんたんと言葉を返してくる。


「あなたも飼育員ね」


 少しの間を置き、細い目をもっと細くして確信に満ちた声で言う。


「はい。そうです。僕は1年の色紙と言います。金曜日の担当です」

「・・・黄昏たそがれよ」


 名前を聞いて、先月の委員会の会議を思い出す。そんな名前があったような、なかったような。

 

「それで、なんか用があるんじゃないの?」

「あ、いえ。用事というか何かお手伝い出来ることがあるのなら・・・」

「私一人で十分」

「そうですか」


 先ほどよりかは彼女の警戒心は薄れているようだが、依然として冷めた態度だ。ウサギたちも再び彼女の足元に集まって来た。


「一人で掃除もしてるんですよね?」

「……紅羽に聞いたのね」


 鋭い視線を向けられ、僕は無言で頷く。


「紅羽さんとは仲がいいんですか?」

「……別に」


 黄昏は水飲み場の水を取り替えようとたらいを持ち上げる。


「でも、下吹越先輩とは去年も一緒の曜日担当って聞きましたけど」

「……そんなことも話したのね。悪いけど、紅羽のことを会話に出さないでくれる?」

「なぜですか?」


 僕は言葉を発したと同時に、過ちを犯したと悟った。

 黄昏の目が大きく開く。


「やめて!」


 彼女は声を張り上げる。ウサギたちは再び小屋の隅に飛び跳ねていく。

 黄昏は自分をな宥めるように視線を逸らした。


「……ごめんなさい。もう帰ってくれる?」

「……僕もすみません。では」


 僕は飼育小屋のドアに手を掛けて立ち止まる。


「最後に一つだけいいですか?」

「……何?」


 黄昏の目をしっかりと見て尋ねる。


「下吹越先輩が嫌いなんですか?」


 黄昏の目が一瞬ピクリと動く。そして、彼女は罵倒するわけでもなく、けれど怒りを目に宿し、静かな声で答えた。



「紅羽―――あの人は最低な人間だ」


 

 ポツリと雫が落ちて来た。














 








 



 

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