♯1 変色していく過去

 

 4月1日、公立さくら高等学校の入学式。

 大きな体育館へ案内され、そこに用意されていた椅子に座る。しばらく座っていると、ポケットに入っている原稿用紙に意識が向いていく。

 やがて、入学式が始まる。開会の言葉から始まり、やがて新入生代表挨拶へと順番が回る。


「新入生代表挨拶。1年3組、色紙健巳しきしたけみさん、お願いします」


 僕は「はい」と返事をして席を立つ。それと同時に、多くの視線が僕に集まっているのが分かる。体中が痒い。

 新入生代表あいさつは、高校入試で一番成績の良かった人物に任されている。つまり、僕は成績1位で高校入試を終えたのだ。点数は合計で500点中489点。なかなかの出来栄えだ。

 僕は式壇に上がり、マイクを調整して話し始める。内容はすべて記憶したので、紙を見る必要は無いのだが、念のためチラチラと確認をしていく。それと同時に、会場を見渡して、幼馴染である城山七彩しろやまななせに視線を向ける。残念なことに彼女は式の最中であるのにも関わらず、寝ていた。左隣に座る女子生徒に肩を突かれて目を覚ます。そして、僕があいさつをしていることに気づいたのか、それとも視線を送っていたからか、彼女は笑顔を見せてくれた。僕は表情を変えず、視線だけを合わせてからすぐに会場全体を見渡す。

 あいさつが終わり、席に戻る。すると、七彩が振り返り再び笑顔を見せてきた。彼女の周りがそれに気づき、何人かが後ろを振り返る。僕は知らない振りをした。子供じゃああるまいし、恥ずかしい。

 ただ、彼女の笑顔をモノクロで見るのは少し残念だなと思った。



 入学式前日。僕は小3まで住んでいた、三日月地区に引っ越してきた。三日月地区は皐月市の西側の端にある、山と川に挟まれた田舎だ。三日月を訪れると時間が止まっているように思える。

 さくら高校は皐月市の市街地に位置する。僕が住んでいたのは北の端にある幡部市だ。さくら高校に通うとなると、僕は県の端から端を移動しなくてはいけない。そこで、じいちゃんの家に引っ越すことで、とても楽に通えるようになった。それに、また三日月に住めるということが純粋にうれしかった。

 自室は2階の一番奥の部屋となった。一人で使うには少し大きい部屋のような気がする。大きいことに越したことはないが。

 僕は階段を行ったり来たりして、自室に段ボールを運んで行く。すべて自室に運び終わったときには、昼の12時を回っていた。お腹が空いたので、台所に行き、カップ麺がないか物色するも見当たらなかった。

 外に出て、畑仕事をしているじいちゃんに尋ねる。


「カップ麺ってない?」


 語尾が強調された、訛りの強い返事がすぐに返って来た。


「台所のとこに置いてなかったか?なかったんなら、小学校の近くのコンビで買ってきたらどうだ」

「え!コンビニできたの!?」


 僕は驚きのあまり大きな声を上げる。

 この田舎に、ついにコンビニが出来るとは……。これは田舎における革命かもしれない。


「言ってなかってけか?おめえが中学生になったぐれえに、コンビニができてたぞ」

「聞いてないよ。それじゃあ、コンビニ行ってみるよ」

「そうけ、気いつけてな」

「分かった」 


 僕は自室に戻って財布を取ってくると、自転車を車庫の脇から車に当らないように引っ張り出す。


「行ってきます」

「おう」


 僕は勢いよくペダルを踏み込んだ。

 今日はとても過ごしやすい天気で、自転車で風を切るのがとても気持ちいい。

 僕が小3まで通っていた小学校は山の上にある。僕は、通学路で使っていた道をわざわざ選んで、自転車で進む。辺りを見渡しながら、小学生の時の記憶を辿っていく。僕が見ている風景と、小学生の僕が見ていた風景に特に変わりは無い気がする。けれど、身長が伸びたからか、より遠くの景色が見えている気がする。遠くにそびえる山々はどこか凛々しく感じられる。

 山に差し掛かると、自転車に勢いをつけて加速する。しかし、坂の途中で力尽き、自転車を降りる。降りたところからは小学校が見えていた。あと少しだ。

 遂に頂上に辿り着く。横断歩道を渡り、小学校の入り口に自転車を止める。今日は日曜日なので、人の気配は無い。じいちゃんに聞いた話だが、今の小学校には全校生徒が100人もいないらしい。僕が通っていたころは150人いたはずだ。じいちゃんは「これが田舎の宿命よ」とどこか遠くを見て言っていた。

 しばらく小学校を眺めていたが、突然お腹が鳴った。そして、コンビニに用事があることを思い出した。僕は自転車に乗って、小学校を後にした。

 コンビニなんてどこにあるのだろうか。とりあえず、山を越して中学校の方面に向かおうと自転車を走らせる。坂を下っているので自転車にスピードがついていく。しかし、僕は山の中腹でスピードを緩めることになる。なぜなら、目の前にコンビニが現れたからだ。


 コンビニには車が7台止めてあった。駐車スペースは広々としていた。僕は自転車を止め、「いらっしゃいませ」という爽やかなあいさつを受けて入店する。

 とりあえず、カップ麺売り場へ行く。僕の好きなトマトチリ味のカップ麺を選ぶ。すぐに買おうと思ったが、せっかくコンビニに来たので、他の商品を見て回ることにした。後ろにはドリンクコーナーがあるので、飲み物を買おうと、中を覗く。ドアを開け、冷やされた空間から炭酸水を取り出す。僕は炭酸水の強い刺激が好きだ。コーラでも良かったのが、今はさっぱりとしたものが欲しかった。

 左側には雑誌のコーナーがあるが、全く興味が無いので、パンコーナーへ移動する。あまりコンビニには来ないので、僕にとって珍しいであろう菓子パンたちが、僕に買ってもらおうと誘惑してくる。僕は菓子パンたちを見渡して、チョコクロワッサンに目をつける。最後の1個だ。

 僕はチョコクロワッサンに手を伸ばす。刹那、もうひとつの手が伸びてくる。もちろん僕の手ではない。僕の手ともうひとつの手は同時にチョコクロワッサンを捕らえる。手は動かず、無意識にもうひとつの手の持ち主に顔を向ける。

 

 目が合う。

 

 僕は、彼女の瞳に吸い込まれる。

 

 僕の見ている世界で、彼女だけが色を着飾っている。彼女がこの世界の中心のようだった。

 しかし、それは一瞬の幻想で、色が見えることも、世界の中心を見つけることはできなかった。それでも、見つけたものはある。


「……たけちゃん?」


 それが、幼馴染みである城山七彩との再会だった。



「すごいでしょう!私、さくら高に受かったんだよ!」

「おー、すごいすごーい。頑張ったねー」

「たけちゃん酷いよ!言葉に心が無いよ!」


 僕と七彩は、七彩の住む住宅地の中にある古びた公園に来ていた。公園と言っても、とても狭く、遊具は滑り台と鉄棒と長椅子しかない。久しぶりにこの公園に来たが、相変わらず子供1人遊んでいない。

 僕と七彩は長椅子に揃って座った。コンビニからほど近いこの住宅地は三日月唯一の住宅地だ。


「まあ、僕は小3までの七彩までしか知らないけどさ、七彩って小3の算数のテストで0点取ってたよね?」

「ふっふっふっ、甘いよたけちゃん!小5の時にも0点を取ったんだよ!」

「はあー、なんてことだ」僕は落胆の眼差しで七彩を見る。

「ちょと、そんな目で見ないでよ!これでも、中学校は勉強を頑張って、さくら高に入学したんだよ!」

「そうだな」


 七彩が頑張って勉強をした。それは、僕が転校してからの七彩を見ていなくとも、想像はできる。僕の小3までの七彩の記憶は、算数の計算が理解できず、ただただ泣いていた、小さな七彩の姿が脳内に焼き付いているのだ。

 七彩に入試の合否を聞かなかったのもそのせいだ。合格発表当日には七彩らしき人物を見なかったので、七彩は不合格だったと思っていた。

 七彩は変わったのだ。……特に変わったと言えば、おしゃべりになった気がする。

 気づけば、七彩のおしゃべりは同級生の話題になっていた。


「それでね、亜理紗ありさちゃんが言ったの。『そのような行為が今後も続くのであれば、教育委員会に訴えますから』って!あの時の亜理紗ちゃん、かっこよかったなあー。結局、その先生は1週間も経たないで辞職しちゃったんだよ。亜理紗ちゃん、その先生の授業中はずっーと、先生のこと睨んでるんだもん。亜理紗ちゃん、凄いよね!」


 七彩の話を聞いていなかったので、何を言っているのかよく分からなかったが、今の部分を聞く限りでは、先生が生徒にセクハラでもしたのだろう。


「ああ、凄いな。亜理紗って、東藤とうどうだろ?」

「うん、そうだよ」


 東藤と言えば、男子に喧嘩を挑むような強気な子だった気がする。


「あいつはどこの高校に行ったんだ?」

「亜理紗ちゃんはすみれ高に行ったよ。先生には推薦枠でいいって言われたのに、『私の実力で挑みます』って言ったんだよ。それで受かっちゃうんだもん、やっぱり亜理紗ちゃんはカッコイイよ!惚れちゃうよ!」


 菫高校と言えば、県内で一番偏差値の高い高校だ。そんなに頭がいいとは知らなかった。


「惚れちゃうのか。それで、さくら高には七彩の他に誰かいるのか?」

「えーと、2人いるよ。ひーちゃんと、緑君」

「ひーちゃんは神崎翡翠かんざきひすいだな」


 小学生の時、休み時間に七彩と神崎がよく話をしていたことを思い出した。神崎は赤い眼鏡をつけていた。


「緑……そんな人いないと思うんだが」


 三日月で小学校から中学校に進学すると、自動的に三日月小学校から三日月中学校に進むことになる。なぜなら、三日月には小学校と中学校が共に1校ずつしかないためだ。また、どちらも1学年1クラスしかない。つまり、小学校から中学校までは転校でもしない限り、小学校を入学してから中学校を卒業するまではクラスの人は全く変化しないということだ。

 つまり、転校生か。


「あー、そうだった!緑君は中2の時に転校してきたんだよ」


 予想的中だ。


「それは知らないわけだ」と、驚いたように僕は言った。

 中2で転校、しかも田舎に来るとは、それなりの事情があるのだろう。


「……ねえ、たけちゃん」

「ん、どうした七彩」七彩は、急に神妙な顔で僕を覗き込むように見る。

「たけちゃんは私のこと『七彩』って言うんだね」

「……高校生にもなって、僕に『なっちゃん』と呼ばせる気か?」

「是非!」

「却下」

「なんで!?」

「当たり前だろ。お前も『たけちゃん』はやめろ」

「んー!たけちゃんたけちゃんたけちゃんたけちゃんたけちゃんたけちゃんたけちゃん――――」

「分かった、分かったよ!七彩の自由に呼んでいいから、呪文をやめろ!」

「―――たけちゃ……やった!」

「その代わり、僕は呼ばないから」

「んー、分かったよ……。残念だなー」


 七彩は本当に落ち込んでいるようだ。七彩は肩を下げたまま、椅子に座る。

 

「でもね、こうやってまた2人でおしゃべりができるようになって、嬉しいな」


 七彩は大きな笑顔を見せた。その表情に僕も、自然と笑みがこぼれる。しかし、それと同時に七彩の”2人”という言葉の違和感が、夕焼けの空に浮かんでいた。



 夜。

 僕は絵を描いていた。

 まず、真っ白な紙に黒を塗りつぶす。その上に白を塗ってく。筆を動かしていく。しばらくすると、中心からグレーの波紋が出来上がる。そして、少し乾燥させてから中心には再び白を塗っていく。今度は純粋な白。その白は人の形をしている。僕がイメージした、白。

 純粋で、純白で、何も混ざらない白。

 けれど。

 白い人に赤、青、緑を塗っていく。白い人は他の色でけがれてしまった。

 きっとこの人は、他人から見れば綺麗な色に染まっているだろう。

 けれど、僕はこの人を綺麗な色と言えない。


 僕には色が見えなくて、黒く汚れただけにしか見えないから。


 

 




 



 

 

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