ゲーテの色奪
四志・零御・フォーファウンド
―1章 平行線の赤
♯0 ヤーヌスの返答
中学校3年生冬。この時期の中3と言えば、自分の進路を決める悩みの時期だ。自分の学力を見て、自分に見合った学校を選ぶ。人によっては『この学校の制服がかわいい』、『あの人と一緒の高校に行きたい』などと不純な理由はあるだろうが、結局は皆悩む。しかし、僕と同じ悩みを抱える人は数少ないだろう。
僕の悩みは『高校を選べない』だ。学力が低く、行ける高校が無いということでは無い。むしろ、その逆で正確に言うと『学力が高くて、高校を選びきれない』だ。僕の中学校で受けたテストすべての点数は95点以上で、100点は何回も取っている。全国模試を受けたならば、全国1位だった。
そんな訳で、僕は悩んでいた。ずいぶんと悩んでいるせいで、全校生の中で進路が決まっていないのは僕だけになってしまった。父さんと母さんからは『お前が行きたいと思った高校に行きなさい』と言われている。それもまた、僕の進路を悩ませる原因となった。
その頃の僕には『高校なんてどこ行っても同じ』という思考が纏わりつき、日々の生活には脱力感が垣間見えているのだった。
進路が最終決定するまで残り2週間。僕の体、正確には目に、ある変化が起きた。
その日、僕が目覚めると視界に飛び込んでくるのは白と黒の情報のみ。色彩は完全に狂い、仕事を為していなかった。
すぐさま両親に知らせ、母さんと地元の病院に直行した。父さんは僕を心配するも、仕事へ向かった。
病院の先生の診断は原因不明とのことだった。この病院では詳しい検査ができないとのことなので、大学病院への紹介状を貰い、その日のうちに県北の大学病院へと向かった。
12時を過ぎた頃だろうか。
その頃には、僕は白と黒の世界に投げ出された時の焦りも無くなり、すっかり落ち着いていた。
窓の奥を見ると、灰色の大きな木々が生い茂っていた。それを見た僕は率直な疑問を浮かべる。
『この木はどんな色をしているのだろうか?』
⁂
見たことない機器が次々と現れては消えていく。
すべての検査を終えると、病院の先生は静かに言った。
「何の異常も見当たりませんでした。全色盲という色が見えなくなる病気はありますが、検査の結果、その症状も出ていませんでした」
医者は明らかに、僕を疑っている。
中学3年生のこの時期。悩みの末に狂言を吐いているとでも感じているのだろう。
帰宅すると、すぐにパソコンを立ち上げインターネットを開く。
検索蘭には『全色盲とは』と入力する。
検索結果に出てきたサイトを次々と調べていく。
1時間ほどパソコンに向かって格闘していたが、自分の症状と完全に一致する例は無く、パソコンをシャットダウンした。
僕はベッドに仰向けに倒れ込む。そして、脳内で今日の出来事を振り返る。
なぜ、色を失ったのか。昨日、目に思い当たる怪我をしたか。些細なことでも思い出そうとするが、僕の望む答えは浮かんでこない。
僕は仕方なく漆黒の海へと身を投げ出した。
⁂
目が覚める。
進路の最終決定まで残り1週間。
僕はこの症状に怒りを覚えていた。最初の数日は、まだ見ぬ世界を体験し、好奇心が頭を駆け巡り、モノクロの世界を歓迎していた。しかし、好奇心の水がコップを満たしていくにつれて、色を見たいと思うようになってきた。この欲求は数日のうちに怒りへと変わっていく。どうしようもない怒りの矛先は、僕以外の誰かに向かないようにしっかりと引き付ける。
制服に着替え、朝食を摂る。玄関まで来たら誰もいない家に一言。
「行ってきます」
家の鍵を閉め、鞄にしまう。外はとても寒い。身震いをしながら車庫の脇にある自転車を後輪を浮かせ、移動させる。家の前の路地まで持ってくると、自転車の鍵を開けて、跨ぐ。漕ぎ始めるのはいつも右から。
学校までは自転車で15分。辛い距離ではない。遅刻することもなく学校に辿り着く。
教室のドアを開けると、廊下との気温差で風が生まれる。教室には生徒がクラスの半分ほどいた。
エアコンは去年導入されたものだ。この革命的な出来事により、この学校の生徒はかなり救われている。もちろん、僕もそのうちの1人だ。
HRが始まるまで時間がある。
この時間に友達とくだらない話をして、盛り上がることを考える。しかし、その友達は生憎今はいない。1人だけ親友と言える奴が1人いるが、彼はいつも遅刻ギリギリで登校してくる。よって、僕の朝は暇潰しから始まる。暇潰しと言っても勉強だ。これでも受験生なのだから。
1時間目の始まりのチャイムが鳴る。
授業はつまらない。もう、頭の中にすべて入っている。
気付けば空の黒が濃くなり放課後を知らせるチャイムが鳴り響いていた。他の生徒に吊られるように、僕も教科書やノートを鞄に入れる。
昇降口まで来ると、外の風が校舎に入って来て身震いする。手に持っていた上衣を来て、外に出る。
自転車置き場に着いた頃には漆黒の割合が増え、太陽は居場所を追いやられていた。
自転車の鍵を取り出し、開ける。ガチャと音が鳴り、その衝撃で後輪が少し動く。自転車の群れの中から引っ張り出して左足を乗せて、力を入れる。その対価として、自転車はゆっくりと動き始める。前輪に付いているライトは暗闇を察知して自動的に点灯する。
ライトは凍える地面を照らし、温めていく。僕はそれに注目せず、ただ、無心になって自転車を走らせる。
眺める風景はモノクロで、風を切って感じる冷たさが、色の無い冷たさと重なる。
家には仕事帰りである母さんが「おかえり」と出迎える。僕もすぐに「ただまいま」と返答する、
僕はすぐに自室へ向かってエアコンの暖房のスイッチを押す。エアコンの風を手で浴びる。風はだんだんと温かいものに変わっていき、悴んだ手の生気をだんだんと取り戻していく。僕はコタツが欲しいのだが、コタツは家に1つしかない。両親に相談しようとしたが、エアコンがあれば十分だと判断した。
「夕飯ができたわよ」
そんな声が聞こえた。僕は自室である2階から1階へと降り、食卓に向かう。
今日の夕飯はカレーだった。
「いただきます」
僕はカレーをガツガツと頬張り、5分程度で済ます。カレーは飲み物。この言葉に感謝を込めて
「ごちそうさまでした」
食器を台所まで置きに行き、コップに水を1杯入れてすぐに飲み干す。
使った食器を水で浸す。そして足早に2階へ行く。
僕には世界が一変してから、あることをしている。
それは、絵を描くことだ。僕には絵の才能が一切ない。絵の才能と言えば、小学校3年生まで通っていた県南にある、田舎の小学校を思い出した。そこは全校生徒100人ほどで、田舎と言っても誰もが想像する、田んぼや畑しかないような、そんな田舎ではない。
僕はそこに住む、幼馴染を思い出したのだ。彼女とは保育園の頃から遊んでいた。彼女は絵が上手でコンクールで金賞を何回も受賞していた。しかし、絵の才能は彼女の一番の素晴らしさではないと思う。なぜなら、彼女の趣味が写真撮影を知ったからだ。
彼女の体格に似合わない、大きな一眼レフカメラを大切に抱えて撮る写真は、小学生という心が育っていない時期でも、僕はその美しさを感じていた。
しかし、小3の時に僕は父さんの転勤で、今住んでいるこの町に引っ越した。
今の彼女との付き合いは年賀状が来る程度だ。毎年、そこにおじいちゃんの家があるので彼女との再会を期待した時もある。
昨年、年賀状にメールアドレスが書いてあった(個人情報を書き込むのはどうかと思うが)ので、1回だけメールをして少し会話をしたが、結局はもう何年も会っていない。
僕は水性の絵の具を引き出しから取り出す。絵の具には色の名前が表示してある。僕はそれで色の判断をしていた。もちろん、描かき終わってもどんな色か理解することは僕にできない。それ以前に、僕の絵はお世辞でピカソと言われればいい方だろう。
今日の絵が完成する。今日は花を描いた。花の色は赤を中心とした色で構成した。
描いた絵は箪笥にある段ボール箱に入れる。
色の消えた世界で、必死に足掻く、僕の葛藤の印に。
⁂
ピロピロリンと、音が鳴る。これはメールの着信音だ。しかも、幼馴染からだ。
ベッドに放心状態で倒れ込ませた体を無理やり起こし、ケータイを探す。ポケットには無い。机の上も無い。ふと、下に目を向けると、黒のケータイが落ちていた。僕はそれを拾い上げて、ケータイの画面を開く。画面にはメールが一件届いていますと書いてある。僕は受信ボックスから、そのメールをと出す。題名は、『最近どう?』だった。
お久振りです!しばらくメールしてなかったね。お互い受験生だから頑張って、志望校の合格目指そうね!
私は一番近くにある、さくら高校を目指して猛勉強中です!私の学力だとまだ厳しいかも知れない……。でも、悔いの残らないように頑張るぞ!
ところで、たけちゃんはどこの高校にするの?たけちゃんは頭がいいからどこでも入れるよね?
たけちゃんも、さくら高校に来てくれたらなぁ……なーんてね!まずは私が合格できないと!
それじゃあ、お互い頑張りましょう!
僕はケータイを閉じる。
ケータイをベッドに投げ捨て、再び横になる。頭の中を真っ白にして、自分に問う。
どうする?
僕は再びケータイを手にする。そして、メールの内容を打ち始める。短い文章は30秒もかからずに終わる。
最後に題名をつけて、送信する。
題名は『頑張れ』
久しぶりだね。僕は少し悩んだけど、前々から心の底で、決めてた気がする。
さくら高を目指すよ。
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