天馬は去り往く
永多真澄
天馬は去り往く
富山県高岡市の片隅に、その古書店はあった。鉄骨造平屋建て、延べ面積は目測100平米そこそこ。黄色地に赤文字の看板が目印の、「古本屋ペガサス」という古書店が、たしかにあったのだ。
思うに、この「ペガサス」という古本屋での経験は、僕の後の人格形成に大きくかかわっている。
僕が「ペガサス」の存在を知ったのが小学校低学年の頃。入り浸るようになったのが小学校中学年の頃。そして今現在僕は28歳。驚くことに、あの店との出会いから20年近くの年月が流れていた。
「ペガサス」は、端的に言って楽園だった。
1990年代当時の古今東西有名な漫画本は一揃い揃っていたし、何より立ち読みしていても全く咎められることがなかった。僕はこの店が無かったら「こち亀」は全巻読破していなかったし、「突撃パッパラ隊」という名作ギャグ漫画に出会うこともなかっただろう。
僕は日曜の午後になるとペガサスを訪れ、ラジオから流れる「山下達郎のサンデーソングブック」を聞きながら読書にふけるのが習慣となっていた。
もちろん立ち読みばかりではなく、正月などまとまったお金が手元に入った時は購入もしていたが、それでも立ち読みの比率が高かったことは言うまでもない。
僕が初めて同人誌というものに触れたのも、実は「ペガサス」だった。
普通の漫画本とはずいぶんと離れたところに、冊子状の薄い本が陳列されていたのである。後述のプラモデルコーナーのすぐ隣であった。僕がなぜそれを手に取ってしまったかといえば、表紙がガンダムWだったからで、中身はお察しのホモセクシャル描写のオンパレードであった。
僕は軽いトラウマを植え付けられた。
「ペガサス」の雇われ店長、ロン毛で頭にバンダナを巻いたSさんは、だいたいはカウンターに座ってタバコをふかしていた。「タバコは毒! 人生を棒に振る気か! 死ぬぞ!」と英語で書かれ、髑髏のマークが底面にあしらわれた灰皿を愛用しているロックな人だった。
僕が小学校六年生の頃に28歳だと言っていたから、ちょうど干支が一回り半年上ということになる。
サブカルチャーに明るく、とりわけ模型に関してはプロ級の腕前を持っていた。Sさんと僕は友達というか、先輩後輩のような付き合いをしていたのだけども、そのきっかけは模型だったように思う。
「ペガサス」は古本屋ではあったが、プラモデルも取り扱っていた。ショウケースにはSさん入魂の作例が所狭しと飾られていて、たまに僕の作った作例も飾らせてもらったりした。
Sさんの一番の力作は、マスターグレード1/100ガンダム試作1号機(地上型)をベースに製作されたガンダムver.Ka、つまりカトキハジメデザインのファーストガンダムである。Sさんはことあるごとに制作苦労話を語ってくれた(8割はコアファイター周りの処理の複雑さについての話だった)し、実際の作例をどれだけ眺めても原型をとどめないレベルで改造が施されており、圧倒されるばかりであった。
夏になると、ショウケースの一部を片付けてレジンキャストのガレージキットを複製しているのが風物詩だった。当時知識の無かった僕が聞くと、Sさんが原型製作したキットをワンフェスで売るのだと、複製が終わった部品を見せながら教えてくれた。メカものではなく、キャラものだったように思う。
Sさんがキットを複製している日は、本屋全体がなんだか有機溶剤臭くなった。
Sさんは絵も上手だった。ボールペンでさらさらと、かっこいいロボを描いてくれた。
これは僕が高校生の時に知ったのだけど、「ペガサス」の雇われ店長だけでは食っていけないので住宅図なんかのイラストカットを書く仕事をやっていたこともあるそうだ。
僕は毎年届くSさんからの年賀状が楽しみだった。
今思えば僕は、Sさんを心の底から尊敬していたように思う。
思うに、この「ペガサス」という古本屋での経験は、僕の後の人格形成に大きくかかわっている。
特に読みたい漫画も見つからなかった日は、カウンターで暇をしているSさんとロボットアニメや模型の話に花を咲かせたし、時には僕をペガサスへ引き摺り込んだ張本人である二つ上の先輩Y君を交えてロボ談義をしたりした。
ペガサスは、端的に言って「楽園」だった。
そして今はもう無い。
それは高校を卒業して、働きに出た年の事で。初めての仕事が忙しく、なかなか顔を出せないでいたうちに、呆気なく「ペガサス」はなくなってしまった。
いつもは「12時開店年中無休」の札が掛かっていた玄関には、寂しく「閉店」の文字だけが並んでいた。
僕は泣いた。
予兆はあった。年中無休を謳っておきながら、僕が高校三年生の頃はほとんどの日を休業していたし、たまに開いている日に顔を出せばSさんは入院明けだと笑っていた。
「ペガサス」のあった場所は、前面道路の拡張のために削り取られて、今ではパチンコ屋の駐車場の一部になっている。
一昨年、ふと思い立って久しく出していなかった年賀状を出してみたが、返信はなかった。
ひょっとすると、Sさんはもう死んでいるのかもしれないな、と最近では思うようになった。僕はもう28になってしまって、順当にいけばSさんは40過ぎ。あり得ない話ではない。
それでもいまだ、夢に見るのだ。既に更地になってしまっているはずのペガサスに自転車で乗り付けて、カウンター越しにSさんと他愛のない会話を交わす夢を。
夢の中で僕は、いつも泣きながら笑っているのだ。
天馬は去り往く 永多真澄 @NAT_OSDAN
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます