うちの公園

圭琴子

うちの公園

 うちは、北海道の名寄市。…と言っても、分からない方が多いか。

 大雑把に言ってほぼ道央に位置する、旭川市をご存じだろうか。そこから最北端の稚内市との真ん中、札幌からは普通列車で三時間ちょっとの所である。

 郊外に大きなショッピングセンターはあるが、駅前は寂れてシャッター街が続き、林などの自然が多い、いわゆる田舎だ。

 

 

 うちの前には、公園があった。玄関を抜けて真っ直ぐ五歩歩くと、公園の入り口。だから私は小さい頃、そこを『うちの公園』と呼んでいた。

 うちの公園には、ブランコ、砂場、ジャングルジム、小山などがあって、いつも近所の誰かが遊んでいた。


「琴子ちゃーん、あーそーぼー!」

「いーまーいーくー!」


 小学生の頃、同学年の子たちが誘いにきてくれる。

 そんな時は、私は得意げに言うのだった。


「うちの公園で遊ぼう!」

「えっ、この公園、琴子ちゃんちのなの!?」


 驚き顔に、私は信じて疑わない嘘を吐く。


「そうだよ!!」


 中学生になっても、高校生になっても、うちの公園のブランコが好きで、勉強に疲れたら漕ぎにいった。


 捨て猫を拾ってからは、猫と一緒に散歩に行った。

 猫は、ブランコに乗る私の隣まできて漕ぐのを眺め、飽きると何処かに行ってしまう。


「晩ご飯までに帰ってくるんだよ!」


 私は声をかけて見送るのだった。


 それから私は、小さい頃から人を驚かせるのが好きだった。

 まだ当時は小さなテレビの下のテレビ台の中に入り、人が来たら飛び出すのが、鉄板芸だった。


 だから、うちの公園でもサプライズをしてみたくなった。

 マスクをし水中眼鏡をかけて、友達と二人で草をむしり、私の身体を草で覆って貰って、兄が来るのを息を殺して待っていた。

 結果は、側に兄が来るまで待ちきれず、フライングをしてしまい失敗だったが、それでもお腹が痛くなるまで笑い転げた。


 お盆には祖母に浴衣を着付けて貰って盆踊りの輪に入り、近所の子たちと競い合うようにして踊ったものだ。

 何賞だったか忘れたが、一番上手く踊れた人には景品が当たったので、とにかく一生懸命だった。

 景品は何の事はない、冷凍庫で冷やして中央から折って食べる棒かき氷だったので、簡単に買えるのだが、賞を取るのが目的だった。


 冬には、ミニスキーを履いて雪に覆われた小山を滑ったり、ソリ遊びをしたりした。

 ところが夏に、小山を自転車で駆け下りる不届き者がいたらしく、危ないからと斜面に古タイヤが埋められてからは冬の遊びも出来なくなって、子供ながらに苦情を申し立てたい気分だった。 



 うちの公園内には、屋外プールもあった。夏には、家で水着を着てプールに行き、また水着を着たまま帰ってくる。

 祖父母が隣に住んでいて、プールの後は必ずお風呂に入れてくれた。


 小学校低学年の時、なかなか泳げるようにならない私は、確信犯で嘘を吐いた。


「泳げた!」

「どれどれ」


 姉兄に父母、祖父母までプールに見学にやってくる。

 その前で私は、子供用の浅いプールで床に手を着きバタ足をして見せた。

 

「凄い凄い!」


 幸いすぐに、本当に泳げるようになって、


「水泳教室通っているの?」


 と監視員さんに訊かれるくらい、クロールが上手くなったのだけど、何故そんな嘘を吐いたのか、子供の脳みそというのは分からないものである。


 ちょっとした事件も起こした。

 子供用プールと一般用プールを分ける鉄の柵に、膝を突っ込んで抜けなくなってしまい、レスキューの方に柵を切って救出して貰った。

 大人になって、あれは夢かうつつか分からなくなり、父母に尋ねた事がある。

 そうすると、


「あれは恥ずかしかった」


 と語り草になるのだった。



 実家を出て東京で一人暮らしをするようになっても、帰省した時にはうちの公園でブランコを漕いだ。

 亡くなった祖父と猫の事を思い出しながらぐんぐん漕いで、誰もみていないのを確認すると、昔のように靴を飛ばした。

 その靴をケンケンで取りに行くのが、酷く懐かしくて大人になった自分を感じたものだ。


 帰省中に兄の子供たち三人と一緒になった時、うちの公園で鬼ごっこをした。

 ただの鬼ごっこだとつまらないから、色鬼。鬼が色を指定して、その色に触るとセーフというヤツだ。

 三十路になっていたが、子供の大好きな私は、ふうふう言いながら真剣に色鬼をした。

 家に帰って、一番下の五歳になる男の子が言った。


「ねえ、妹、大人?」


 兄は私の事を妹、と紹介したので、甥っ子は素直に妹、と呼んだのだ。

 そして自分たちと一緒になって駆け回る私が、子供なのか大人なのか、素朴に疑問に思ったのだろう。

 今でも時々その話をしては、父母は笑う。



 そして最近、うちの公園の前の『うち』が売却された。

 東京に引っ越してもうちの公園はうちの公園だったけど、もう、あの公園は『うちの』ではないのだ。

 折に触れて漕いでいた、ブランコを懐かしく思い出す。

 もううちはないけれど、いつかあの地に降り立ったら、いつも私を癒やしてくれた公園に恩返しをしに行こう。

 草でもむしってまたブランコに乗れば、声が聞こえる気がする。


「おかえり」


 と。

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うちの公園 圭琴子 @nijiiro365

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