第4話赤い瞳が最後に映すもの&エピローグ
「ここが…王都か…」
「すごい活気だね、お兄ちゃん…みんな、楽しそう」
「あぁ、そうだな…」
街を出てから一月さ迷い歩きようやくたどり着いた王都。並みの街よりも数倍も広いその敷地には今まで俺が見たことないくらいの人が、世界のどこにこれだけの人間がいたのかと思うほどの人だかりがあり皆それぞれ楽しそうに思い思いの時間を過ごしていた。まるで世界がどんな犠牲の上に成り立っているのかも知らないで、ましてや俺があの魔王の子供だということも知らないで、そんなこと関係ないとでもいうように自らの楽し気な日常を過ごしている。
「ほんと、呑気なものだよな。今から俺たちが王様を殺しに行くってのに」
「そうだよね。もし王様が死んじゃったらこの国も終わりだっていうのにね」
「ま、世界ってそういうものだよ。みんな自分のことが一番大事、自分の日常が永遠に終わらないって誰もが思ってるよ」
悲しげに言うトイに俺は言葉を返すことができなかった。的を射た言葉を俺は空中でさまよわせた後適当に話題の種を放り込んだ。
「それにしても…でかい王宮だよな。あんな所に住むなんて王様は相当偉いんだろうな」
「ま、そりゃそうでしょ。この国、というか大陸全土を支配してるんだから。そりゃ威厳を表すのに大きな王宮に住むのは当たり前じゃない」
「あれが国民の血税でできてるって思うとなんだかなぁ…」
「お兄ちゃん。それは言わないお約束」
シャイナはそういうがやはり俺はそう言わずにはいられなかった。きっとあの王宮を作るために凡人がどれだけ犠牲になったことだろうか。働き者の反乱を奪われたある部族の人間がどれだけ犠牲となったことだろうか。きっと俺が想像するのもおこがましいほどの人間が過労やらで死んだのだろう。
「なぁ…俺たちで絶対、この悪政を打ち壊そうな」
「うん…」
「もちろん、わかってるよ。お兄ちゃんこそ目の前にしてビビって逃げ出さないでよね?」
「大丈夫さ。俺はもう覚悟ができてる」
俺たちは改めて誓う、王様を倒して理不尽な世界を変えるんだ、と。誰も疑おうとしなかったこのくだらない世界のルールを今、俺たちで書き換えてやろう、と。
「それじゃ報告だ」
俺たちは1日中くまなく王都を捜索し宿に戻りこうして顔を合わせて作戦会議をしていた。トイはいいのだが俺やシャイナは王都ではやはり奇異的な視線で見られ目立ったのであまり目立ったことをすることもできずに収穫は少ないが、それでもやはり互いが得た情報は共有しておきたかった。
「お兄ちゃん、それじゃ私から行くね」
「あぁ。任せたシャイナ」
「ここじゃやっぱり魔王は相当嫌われてる。魔王と同じ髪色ってだけで相当奇異的な目で見られてたのはお兄ちゃんもわかるよね?それに魔王って言葉を街中で吐いてもだめみたい。街の人たちが鋭い視線で睨んできたし…」
「そうか…」
魔王の髪の色、それは俺たちと同じ黒色で東洋の島国の人間特有の髪の色である。現在ほとんどの国が大陸の支配を受け黒髪の部族は東洋まで追い立てられひっそりと過ごしている。彼らは魔王と同じ髪の色というだけでひどい弾圧を受けており、俺たちが助ける部族の一つでもあった。各街々でも俺たちはこの髪色のせいで差別を受けてきたがここではそれ以上なのだ。街の警備が厳しいからケンカなどは起こらないが、きっと窃盗やらが起こった時に真っ先にやり玉に挙げられるのは俺たち兄妹だろう。
「それだけここの人たちは魔王を嫌ってるみたい。被害としては一番少なかったのにね」
魔王の進行は出身地である東洋から行われ次第に大陸を横切るように占領、そして最後の一手がこの大陸の一番端に構える王都だったのだが、魔王はあと一歩のところで勇者に殺された。つまりこの街へ侵攻の魔の手は伸びておらずほぼ無傷なのだ。だがそれでも魔王が忌み嫌われるというのはここが王様の根城であるからなのだろう。
「あ、そうだ。王宮にも近づいて見たけど警備の人に止められちゃった。しかも王宮より結構な距離があるところで。なんでもこの髪色の人間はこれ以上先には通すなって言われてるみたい。だから王宮に関しての情報はほぼ0…私の報告は以上だよ」
「俺も同じだな…」
結局俺たちは何の役にも立たずトイに任せた。彼女は自身が街で得たことを話していく。
「それじゃ王宮についての説明ね。王宮は街の北部にあって入り口は一つ、大きな門だけ。王宮の周りは塀に囲まれてるけどとてもじゃないけど登れる高さじゃない。見張りは王宮の周りに軽く30はいるかな。どの兵士も腰に剣を提げてて手には銃を持ってた」
「なるほど…警備の武装は完璧ってわけか」
登っても攻略できずに正攻法で突破しようとすれば銃撃でハチの巣、たとえそれをかいくぐっても剣でばっさり切られるのがオチってわけか。
「警備の交代の隙をつけるかなって思って観察してたけど、どうやらそれもだめみたい。警備の交代時間が一人一人違うの。一人ずつ交代に入るから警備の少ない時間を狙うこともできない」
「完全防御ってわけ!?王様ってばどれだけ臆病なのよ!」
「臆病っていうよりこれは慎重すぎるわね…誰かが侵入してくることを想定しての警備プランみたい。普通なら見張るだけの警備もここじゃ完全に防衛システムと化している」
完全な防御、臆病な王様、民への魔王への嫌悪の植え付け、これらが意味しているモノを俺は推測する。
「もしかして、王様は自分が誰かに殺されるかもしれないと思ってるんじゃないか?自身が寝首を掻かれることをわかっているような…」
「王様はそれを覚悟で圧政を強いてたってわけ?」
「いや、違う。圧政をするからこそこの防御なんじゃないか?自身の政策で民衆に反乱がおこる、王様自身がそれをわかっていたからこそ絶対的な防御システムを見せることで民衆を威嚇していたんじゃないのかな?」
「なるほど…反乱への抑止力ってわけね。自分にはこれだけ力があるんだぞって言う誇示みたいなもの…」
これはただの憶測でしかない、だがそれがもし本当ならばきっとこの攻略は困難を極めるだろう。抑止力とすれば警備の兵も一流のものを用意し、王様が慎重で臆病な性格ならばきっと王宮の中も相当な仕掛けを用意してくれているのだろう。
「はぁ…せめて王様から招待状でも届けば楽なんだけどなぁ…」
「シャイナ…そんな夢みたいなこと言うなって。王様と接点を持ってる奴なんていな…い…」
俺はハッとしてトイの方を向いた。肝心の彼女はどうして俺がこんなに真剣な顔で向いたのかもわからずにただきょとんとするだけしかなかった。
「トイ!いや、勇者の一人マジックボックス!お前ならさ、王様との接点があるだろ?その接点を使えば王様に会えるんじゃないか!?」
「…」
トイは一瞬俺が何を言っているのかを頭の中でくみ取り、数秒のちにハッとしたように顔を歪めた。
「あっ!確かに!私って勇者だ!頼めば王宮に入れてくれるかも!」
俺たちはそんな盲点的なことに改めて気が付きバカみたいに笑った。自身の間抜けさをあざ笑うようにただただ笑い転げたが、そこでシャイナがふと笑みを止めた。
「でも私たちはどうするの?この方法だと会えるのはトイ一人ってことにならない?お友達サービスで王宮の中に入れてくれるほど王様は甘い性格だとは思わないけど?」
「あ、そっか…」
「ううん、私一人で大丈夫。私、一人でもやるよ…一人でも王様を殺して見せる…私自身がどうなってもいい…たとえ道連れになったとしても、私はあいつを、殺すんだ…」
「トイ…そんなこと、言うなよ…」
トイの力強い声とは反対に俺の声はとても弱々しかった。それはトイが俺の彼女なせいなのか、いや、そんなこと関係ない。俺はたとえどんな関係であってもそう弱々しく言っただろう。たとえそれが一月前の復讐にかられた俺であっても、トイのことを失うような真似をさせることはさせなかっただろう。けれど方法が今はこれしか思いつかない以上は強く断ることもできず、俺の気持ちは霧散して宙ぶらりんだ。
「リゼ君…私ね、やっと昔の自分と決別できるんだって思った。きっとこれを成し遂げたら新しい私になれる…リゼ君にはね、新しい私を見て、新しい私を好きになってほしいの…今の昔を引きずったままの私よりも新しい世界で生きる新しい私のことをもっともっと愛してほしいの…だから私、やるよ…それにこれはもとはといえば私たち勇者が撒いた種なんだよ?」
「けど…俺はお前に死んでほしくないんだよ…」
「大丈夫だよ。死ぬっていう確証は無いしさ、リゼ君はもっと彼女の事を信じなさいよ!彼女の私が大丈夫って言ってるんだから彼氏のリゼ君は笑顔でがんばってって言わないと!だよね、シャイナちゃん?」
「え…?あ…う、うん…そう、だよね…」
とっさにふられたシャイナはしどろもどろになりながらもうなずく。けれどその言葉に彼女の感情は一ミリたりとも込められておらずただ空虚な言葉だけが音として空間に解き放たれただけだった。
「なぁトイ…あと2日、いや、3日待ってくれ…その間に何とかそれ以外の方法を探すから…だから3日だけ、待っててくれないか…」
これは俺の最大の譲渡であり希望だった。この短い期間の間に何とか糸口を探し出さなければ世界は絶望に染まってしまう。たとえ諸悪の根源である王様が死んだとしても、だ。もはや今の俺にはトイのことがすべてだった。復讐や世界平和なんて二の次だ、今はただトイが幸せに過ごせる世界だけを望んでいた。
「はぁ…分かったよ。あと3日ね。けど3日で何も思いつかなかったら、その時は…」
「うん…分かってる」
そうして俺たちは約束をし、俺はさっそく希望を見つけるために方法を巡らせた。残された時間の中でどうすればトイのことを幸せにできる世界を見せてやれるのかを。
「ごめんね、リゼ君…私、約束破っちゃう…」
私はその夜、リゼ君の部屋に来ていた。ベッドの上ではリゼ君もシャイナちゃんも気持ちよさそうに寝息を立て私の到来など気付いた風でもなかった。けれど私には彼らを起こす気は微塵もない、むしろ起きてもらっては困るのだ。
「リゼ君…私、3日も待てないよ…倒すべき相手がもう目の前にいる…ならすぐに動かなくちゃ…今こうして待ってる間にも苦しんでる人が増えてるだろうし…」
リゼ君は私の言い訳じみた言葉に返事をしない。ただ返ってくるのはすぅすぅと規則正しい寝息のみ。相変わらずのマイペースを浮かべるリゼ君に私は笑みを浮かべて彼の寝顔を覗き見る。とても気持ちよさそうで穏やかな可愛らしい寝顔、まるで子供みたいな寝顔がとても愛らしい。隣で眠っているシャイナちゃんも同じく愛らしい表情を浮かべている、きっと幸せな夢でも見ているのだろう。その表情の裏側にはいったいどれだけの苦しみが、辛さが隠れているのだろうか。世界の理不尽を壊すと決意した彼らが幸せになれる道を作れるのはきっと私だけだ。彼らが起きている時も今のような穏やかな笑みを浮かべられるようになる世界を作るのは、私だ。それはきっと私の罪滅ぼしでもある。
過去に彼らの瞳を奪ってしまった私の唯一できる罪滅ぼし。私を愛することで復讐をやめてくれたリゼ君に、理不尽な世界に向き合うことを教えてくれたリゼ君にできる唯一の感謝でもあるだろう。
「リゼ君…」
私は改めて彼の顔を覗き見る。私が愛した少年、数奇な運命で巡り合った魔王の子供のリゼ君と勇者の私、けれどそれでも愛し合った彼の表情をもう一度見る。けれど彼の表情は歪んで見えない、それは私の涙のせい。無意識に零れ落ちる悲しみを孕んだ温もりが瞳からとまらない。これが最後に見る彼の姿なんだと思うとなおさらだ。
きっと私は暗殺に成功してもしなくても殺されるだろう。勇者の実力をもってしてもあの要塞みたいな王宮から逃れることは不可能だろう。私の死はもう確定事項なのだ。
目が覚めたリゼ君は私がいないと知ったらどう思うのだろう。悲しんでくれるだろうか?泣いてくれるだろうか?きっと、泣いて泣いて、世界に絶望するまで悲しんでくれるのだろう。なにせリゼ君は優しいから、復讐の相手であるとしても私が死ねばきっと泣くのだ。そしてどうして、と叫んでしまうのだろう。きっと今以上に苦しめてしまうのだろう。そう考えると決意が揺るぎそうになってしまいその考えを頭を振って必死に頭から追い出した。
私はやらなければいけないのだ。リゼ君のため、シャイナちゃんのため、世界を平和にしなくてはいけないのだ。そのための犠牲ならリゼ君もいつかは許してくれるのだろう。
「ごめんね、リゼ君…ありがとう、さよなら…シャイナちゃんも、ありがとうね。さよなら…」
これが最後の別れの言葉だ。明日の朝にはきっと彼らは幸せな世界を歩むことができているはずだ。だからこれが最後の言葉、明日を見ることができない私からの愛する人への最後の手向け。
「リゼ君、大好きだよ…愛してる…」
私はその言葉とともに、彼の唇にキスをした。目を覚ましてしまうかもしれない、そんな不安があったけれども我慢ならなかったのだ。彼と思いを確かめ合ったあの日、けれどリゼ君は愛を確かめるような行為は何一つしてこなかった。きっと私を大切に思っているからなんだろうけれど、女の子だって少しくらい強引な方が嬉しいのだ。私の中に眠っている獣的な本能が最後にリゼ君を求めた、リゼ君に私の初めてを捧げるべく。
初めてのキスはレモンの味、なんてよく言われてるけど現実はそんな味ではなかった。蕩けそうなほど甘くて、なんとも言えないほろ苦さで、そして、少ししょっぱかった。
「この先は許可のある者しか通せん!」
「これ以上進むなら撃つぞ!」
「待って!私は勇者マジックボックス。王様に合わせてほしいの」
「マジックボックスだと?本物という証拠は?」
「王様に取り次げばすぐにわかると思うけど?」
「今ここで証拠を出せと言っている!」
「はぁ…ちょっと痛い目見るけどいいかな?」
少女のため息は闇夜へ消えていき次の瞬間それは閃光に変わった。いつもの閃光は警備の一人へと吸い込まれ内側から壊していく。少女のこれでいい?という顔に警備の一人は怯え顔で王宮の中へと消えていった。
「イスカ様…こちらが勇者マジックボックスと名乗る人物ですが…どうですか?」
「ふむ…」
それから数分後、警備の人間に囲まれた王様、イスカが姿を現し少女の顔をしげしげと眺めた。イスカのでっぷりとした体つきに少女、トイは驚きを覚えたが今はそれを心の奥に隠し鋭い表情で見繕った仮面をかぶり続ける。やがて少女を観察し終えたイスカはうなずく、すると警備の一人が扉を開け少女を中へと招き入れた。
「さて、マジックボックス、いや、トイだったね。つもる話もあるだろうし入りたまえ」
「はい、ありがとうございます…」
「いやぁ…キミが生きているなんて驚きだよ。なにせ音沙汰もないし、世間では勇者の連続殺人が話題になっている。もしかするとどこかで殺されてしまったのではないかと心配していたのだよ」
「すいません…王様に心配をおかけしてしまって…」
(ちっ…何が心配だよ、このデブ親父…顔一面に書いてあるよ、死んでくれてればよかったってね)
だだっ広い王宮内を警備に見守られながら二人は歩いていく。互いの真に思っていることを分厚い仮面で隠しながら表面上の心配をしあっては余所行きの笑顔を浮かべる。トイにとってこれほど不快に感じることはしたことがなかったがこれも王様暗殺のための一環だ、自分にそう言い聞かせくだらない話を続けていく。
「いやいや、頭をあげなさい。確かに私は心配はしたけれどキミの実力を信じてもいた。キミなら犯人を返り討ちにしてるんじゃないかとも思っていたさ。なにせキミはあの勇者たちの中で一番強かったのだから」
「いえ、一番強いというのは少し誇大し過ぎかと…」
「そんなことはない。現に君は今も生き残っているではないか」
「だからそれは私が身を隠していたからで…」
「それにキミの詠唱無しの魔法、あれは本当に称賛に値する。キミでなくては使えないというのがネックだが…いや、キミだけの最強の特権ととらえればいいのかな、ハハハ」
「そうですか、ありがとうございます…」
(悪魔の力だっての…しかもこの力は誇れるほどすごくない呪われた力…)
豪華なシャンデリアの群れが廊下を照らし出す。キラキラと光るのは天井につるされたそれだけでなく見張りの兵士の瞳もギラリと鋭い光を込めてトイを睨んでいた。本当に仕事熱心な兵士だこと、トイは内心でうんざりとため息をつく。
「王様…今日はそのことについて話があってきました」
「そのこと、というのは…勇者殺人の件かな?」
「えぇ、巷では魔王の復讐だと言われていますが…私は犯人を知っています」
「何!?それは誰なんだ!」
驚きに目を見開くイスカ、どうやら彼はまだ真相にはたどり着けていないようだ。警備の兵士たちもざわめきを隠し切れないようで互いの顔を驚きの表情で見合っている。これは好都合、トイは誰にも見られないようににやりと笑った。
「王様…その話は二人きりでお願いしてもいいですか?」
「どうしてだ?別にここで話してもよかろう?」
「いえ…この警備の中に犯人への内通者がいた場合を考慮してです」
王様にだけ聞こえる声でトイはそう言った。もちろん真っ赤な嘘、だが嘘を重ねなければ王様を殺すことなんてできない、彼女は自身の言葉が孕む嘘を真実という鎧を身につけさせてひたすら王様に吐いていく。
「もしこの中に内通者がいた場合次に狙われるのは私ではなく王様になるわけです。私は一度犯人を退けていますから心配はあまりしなくてもよいのですが…もしも王様の場合は無数の部下のうちの誰かに殺されてしまうと不安な夜を過ごさなければならなくなります…」
「うむ…確かに…だがなぜ私に犯人を言うのだ?黙っていればいいのではないか」
「いえ…犯人はグループなのです…警察を自在に操るほどの力を持ったグループ、それを捕まえられるのは王様の権限を使うしかないのです…」
「なるほど…分かった。私の部屋に行こう。そこならば完全に二人きりだ。もちろん監視や盗聴の心配もない」
「わかりました…ありがとうございます」
(これで布石は整った。あとはタイミングを見計らって…殺す…)
トイの心臓は緊張でいやに高鳴っていたが、それでも気分は落ち着いていた。今から王様を殺す、なのに気分だけはやけに落ち着いていて、例えるなら眠る前くらいだろうか、それほどまでに落ち着き払って彼女は最後の舞台に立った。自身とこの理不尽な世界が終わる最後の大舞台の幕が、開く。
「さて、誰が犯人か私に教えてくれないか?」
部屋の扉を閉めるなりイスカは食い気味にトイに迫り寄る。そこまで知りたかったのかとトイは驚くが自身の集めた最大の部下である勇者が殺されたのだから当然か、とも納得した。
「王様、まずはお茶でもたしなみながら話しませんか?今までの事件の筋を辿りながらゆっくりと話した方がいいでしょう?それとも王様は推理小説を最後のページ、犯人が発覚したところだけを読むタイプの味気ない人間ですか?」
「う~む…そうだな。筋道を辿りながら話を聞いたほうがよさそうだ。なにせまだまだ夜は長いのだ。今宵の一興と行こうではないか。それでは茶を用意する。少し待っていろ」
イスカはお茶を入れるべく備え付けのキッチンエリアに向かった、トイに背を向けて。これこそが最大の好機でありトイが狙っていたことだ。こんなに早く、しかも自分の思い通りにチャンスが訪れたことを怖く思うと同時にこのチャンスを逃すかと自身を奮い立たせた。
トイは王様に気付かれないように手で小さくピストルを作り、彼のでっぷりと肥え太った背中へと向けた。彼は全くトイが何をしようとしているのかに気付いていない、殺すには絶好の機会だ。あとはいつも通りにバン、と撃ちだせばこの残酷な世界は終わる。圧政を強いた王が死に国民はすべて解放され次にきっとまともな人間が国を指揮してくれるはずだ。トイ自身はそれを見ることはほとんど叶わないだろうが、希望を託すくらいのことはしてもいいだろう。トイは自身の希望を込めて最大出力の魔術の弾丸を、撃ち放った。
「バン」
ほとばしる閃光、命中、崩れ落ちる王様、理不尽の終わり、少女の目の前では様々な物事がスローモーションで展開されていく。それはすべての終わりであり喜ぶべきことだ。だがゆっくりとした視界の中崩れ落ちる王様を見て、トイは背筋を凍らせた。彼は倒れ落ちながらも、にんまりと口元に三日月をたたえていた。どういうことだ、トイが考える一瞬の間に瞳から王様の姿はなくなっていた。
「え…!?」
彼女の口から言葉が漏れた瞬間、彼女の首元に冷たい何かが当たった。それは呼吸するため喉を動かすたびにコツコツと彼女の首へあたり冷たい狂気を彼女自身の身体へと送り込み全身を凍らせた。
「貴様…やはり私を殺すつもりだったか…」
その冷酷な声の主は、王様、イスカだった。彼は最大級のトイの魔法を受けても傷一つなく今彼女の首元に剣を突きつけていたのだ。こんな脂肪の塊みたいなやつにどれだけのスピードが隠されていたのか想像もつかない、だが目の前で起こった事実からは目を背けることができずに彼女はただ全身から冷や汗を垂らすしかできなかった。
「こうして釣られてみれば案の定というわけだ。まぁ私への魔法はすべて無効となるから隙をわざわざ作らなくても無意味だったがな」
魔法を受け付けない特異体質、それがイスカが最強とうたわれる理由の一つであった。彼自身が最大の魔法障壁というわけである。イスカは声を低くして続ける。
「貴様…私への忠を忘れたのか?」
「忠…?何よそれ…初めから私はそんなもの持ってなかった…あんたの言いなりになるなんてまっぴらごめんだったからね」
最後を覚悟したトイは毒を吐く。どうせ死ぬならばせめて盛大に散ろうではないか、そう思っていたからだ。
「それに、私はあなたのやり方には賛成してない…人間を使い捨てのように犠牲にして税を搾り取って…そんなやり方私は認めない…だからあなたを殺して世界を元に戻す、そう決めたのよ」
「フン…そう魔王の子供に吹き込まれたか」
「え…!?」
動揺を隠そうとした彼女、だがもう遅かった。彼女の本能が反応をしてしまったのだからそれは隠しようもなく、もちろんイスカにも筒抜けになってしまった。
「やはりか。この王都で黒髪に赤い瞳の子供がうろついていると聞いたが、やはりそうか…ハハハ!私を殺しに来たのもあのガキの復讐というわけか…」
「リゼ君は関係ない!全部私の意思よ!」
「ほう…そうか…」
「早く、殺しなさいよ…私はもう覚悟はできてる…だから、殺しなさい…」
(ごめん…リゼ君…私、失敗しちゃった…私、無駄死にだったよ…それに、リゼ君のこともばれちゃってたみたい…ほんと私って、バカだな…こんなことになるならリゼ君のお願い、守ってればよかった…)
沸き起こるのは後悔、けれどもそれ以上にリゼのことがトイの頭を支配していた。自身のせいでリゼを悲しませてしまう、リゼを危険にさらしてしまう、それだけが彼女の心を占め、そして死にたいほどの悔しさに駆られた。リゼを危険にさらした自分にはもう生きる価値はない、今ここで王様の刃によって殺されるのだ。それが自身の哀れな末路、世界を平和にしようなんて結局は夢物語だったのだろうか。
「いや、殺さない。お前はエサだ。お前をエサにして魔王の子供をあぶりだす。そして殺すのだ…今度は私の手で…」
「リゼ君…ごめんね…私…ダメだったみたい…」
「おっと、舌を噛んで自殺されては困るからな。縛り上げないとな、捕らわれの姫らしく。ハハハ!」
王宮に響くイスカの下卑た笑い声、トイは涙することすら忘れてただ自分の失態に呆然とするだけだった。
「お兄ちゃん!起きて!早く起きてよ!」
「ん…?なんだよ、シャイナ…まだ早いんじゃないか…?」
「そんなのんきなこと言ってないでこれ見てよ!」
寝起きでボヤつく瞳をごしごしと擦りシャイナから渡されたそれに目を通す。それは手紙で一文字ずつ読んでいくごとに俺の頭は急速に覚醒へと向かっていった。
「おいおい…嘘だろ…トイが、捕まった…?」
「うん…きっとお兄ちゃんの約束を無視して王宮に行っちゃったんだと思う」
それは王様直々の手紙であり内容としては簡単、トイを捕らえたというものだった。そしてそれは同時に挑戦状でもあった、俺たちにトイを助けられるかという挑発の文が律儀にも添えてあったから。
「お兄ちゃん、どうする?助けに、行く…?でも罠かもしれないし…」
「いや、俺たちはいかなくちゃいけない…この手紙が届いたってことは俺たちの居場所も相手はもう知っている。ゆっくりしてたら試合放棄とみなされて殺されるかもしれない…」
「どのみち殺されるのは変わりないってことね」
「なら行動に移すのが一番ってわけさ」
「そうだね。何もできないまま死んでいくなんて一番嫌だし、それに行動しなくちゃ勝ち目もないし」
「そうだぜ。さて、さっそく装備を整えていこうじゃないか。せっかくの招待だ。派手に暴れてやろうぜ?」
「うん!」
決意と同時に俺はくしゃりと手紙を握りしめた。俺は必ずトイを救い出し王様を殺す、世界を変えるんだ、それが達成不可能な難易度だとしても俺たちはやらなくちゃいけない、なにせ世界を平和にしようと戦った魔王の子供なのだから。
「第一関門は難なくクリア…っていうか誰も見張りがいなかったし…」
「うん…昨日は街にもいっぱい見張りの兵士がいたのに今日は誰一人いないね」
街に出て俺たちが気づいたこと、それは見張りの兵士がいないことだ。昨日はある一定のラインを超えるのも困難を極めた俺たちだが無人のそこを通るのは容易であり楽々と王宮の前まで来ていた。今は隠れて王宮の様子をうかがっているが、どうやら見張りの兵士のほとんどはここに集結されているようだ、殺気があふれる兵士が数えるのも億劫になるほど王宮の前に集まっている。
「無料の歓迎はここまでってことかな。この先は有料エリアってわけだ」
「案外この手紙を見せたらすんなり通してくれたりして」
「あいつらの雰囲気じゃそれは無理だろうな。少しでも王宮に近づいたら、それがたとえありんこ一匹だとしても全力を以って潰しそうだ」
「それじゃどうするお兄ちゃん?」
シャイナにどうするかを振られたが行動に移ったのが昨日の今日だ、細やかな作戦など考えている、いや、思いつく暇もなくの行動だ、だから唯一の作戦といえば突撃しかコマンドを持ち合わせていなかった。
「へへ…正面突破さ。それしか道はないよ」
「ま、そうだよね。お兄ちゃんならそう言うと思ってた!」
けれどそれでいい、俺たちはただ闇雲に突撃すればいい、作戦で勝てる相手ではないのなら力を示せばいい。俺たちは目指すのだ、たった一つの扉の先、その奥で捕らわれたトイの下へ。俺の軽はずみな言動のせいで捕らわれてしまったトイを助けるのが俺の義務だ、王様を殺すなんて二の次、愛した女の子を助けることができずに何が男だ。
「シャイナ、誘導は任せた。俺が道を切り開く」
俺はガチャリ、と突撃銃を構える。何かあった時のために常に持ち歩いていたパーツたちを急いで組み合わせて作ったこいつ、今までの旅では活躍の時がなかったのだが今この瞬間白日の下にさらされた銃器は早くその殺意を試したいとうずうずしたようにきらめきを放っていた。ギラリ、黒光りする銃口が今まさに火を噴こうと漆黒の身体を輝かせた。
「さぁ、シャイナ…始めようか。俺たちの戦いを…」
「うん、お兄ちゃん。背中は、預けたよ」
「あぁ…!俺の命もお前に預ける…今夜はトイも入れた3人で祝勝会だな」
「気が早いけど…期待してるからね!豪華な料理いっぱい食べようね!」
「あぁ…!」
俺の返事とともにシャイナが仕込んでいたカードマジックを発動、物陰から飛び出したカードの群れは王宮の壁に当たり爆発を起こす。もちろんそれは一発や二発で終わるわけもなく、無数の爆発が王宮を襲った。
「な、何事だ!?」
「敵襲だ!敵襲に備えろ!」
「いや、その前に消火だ!このままでは王宮の中にまで火が回ってしまう!」
予想通り王宮前はパニックだ。いくら兵士を集めたところで爆発騒ぎではその指揮も戸惑ってしまう。いや、兵士が多いからこそ指揮が乱れるのかもしれない、各々が自由な方向を向き有象無象を束ねるトップも皆を統制する伝達力が失われる。その隙をつけば突破は簡単だ。
「招待状をもらったんだ!通してもらうぜ!」
「て、敵だ!爆発は誘導だ!撃て!撃て撃て撃てぇ!」
「まずは入場料でも払おうかな!」
真っ先に指揮の声を放った兵士、それがトップだろう、俺はそいつの頭に一発銃弾をくれてやった。倒れる兵士、動揺する有象無象、俺の考え通りそいつが兵士を束ねる頭だった。トップが崩れればあとは簡単だ、雑魚を蹴散らしながらゴールへ向かうのみ。
「さて…次はファンサービスでもしようか!おりゃあぁぁぁぁ!」
「ついに…始まっちゃったのね…」
外から聞こえる爆音に銃声、それが戦いの合図だということは光に閉ざされた牢に捕らわれた私でもわかることだった。そしてそれは同時にリゼが私を取り戻すべく戦ってくれている合図でもあった。私自身のヘマでつかまってしまったというのにリゼはこんなにも早く助けに来てくれるなんて、私の目に熱いものが浮かぶ。
「リゼ君…」
けれど私の胸中は複雑だ。助けに来てくれて嬉しいというのはもちろんだが、どうして私なんかを助けに来たのかと後悔もある。複雑な思いを孕ませながらも私は外の騒音に耳を傾ける。兵士たちの声、連続で上がる爆音、あらぶる銃声、そして人間の断末魔、それが止むことなく私の鼓膜を震わせていた。外ではきっと数多の命が散っているのだろう、王様を守るべく忠実なシモベが次々と。
けれど自らのために命が散っているのを気にも留めないという風にでっぷりとした腹にさらに肉を詰め込みながら王様は私の方を見た。
「どうやらお仲間が助けに来てくれたようだな」
「へへ…そう、みたいね」
どうして王様が直々に私の監視をしているのか、それは簡単だ。並みの兵士では私に脱獄の隙を与えてしまうから。魔法が得意な私はこの鉄格子を吹き飛ばすなんて朝飯前、赤子の手をひねるより楽な作業だ。もちろんそれは普通の見張りならの話だ、魔法を無力化にしさらにどこに隠しているのか凄まじい力を持っている王様相手には通用しないだろう。そういうわけで私はここにおとなしく捕らえられているしかなかったというわけである。
「もしも白馬に乗って助けに来てくれてたら完璧なんだけどね」
「冗談を言うほどの余裕はあるようだな」
私の冗談もただの強がり、本当はいつこの銃撃が終わってしまうのかとびくびくしているくらいだ。けれどこれを悟られるわけにはいかない、私は必死に見栄を張る。
「リゼ君ならきっと来てくれる…そして、あなたを殺すわ」
「はぁ…本当に魔王の一族は私を困らせるのが好きなようだ。かつての魔王だった男も私を困らせていた…」
「あなた…魔王のことを、深く知っているの?」
私のその問いに王様は昔を懐かしむような瞳を向ける。
「あぁ、彼は昔私と一緒に政治を動かしていた。彼は優秀な私のパートナーだったんだよ」
「そう、なのね…」
「まぁ冥途の土産というやつだ。一つ面白い昔話を聞かせてやろう」
まさか王様が本当に話してくれるなんて思わず私は困惑する。けれど彼の話が始まった瞬間私はその声に耳を傾けた。
「かつて彼は私の優秀なパートナーとして仕事をしていた。今と同じ王の立場に立つ私とその部下だった彼、彼はさまざまな機転から今までなかった政策を思いついては実行に移していた。彼は本当に優秀な部下で私の誇りであった、あの日までは」
「あの日…?」
「そう、私が出した政策に彼が初めて文句を言った日であり、私と彼が分裂した日だ。私は今のままの財政では国が持たない、そう判断して税を重くすることを決めた。それに不満が起こらないように一部の人間を差別的に扱うことも心を鬼にして決断した。だけれど正義感の強い彼にはそれが気に入らなかったのだろう。王である私にあんなにもひどい言葉を浴びせたのは今でも彼しかいないよ」
王様はそう言ってはは、と力なく笑って見せた。その表情には過去の友人へと何か思いをはせているようにも見えた。
「私は彼と口論になり、ついカッとなって彼を追放してしまった、自分自身の言葉の重みなど知らずに。王である私の言葉は絶対だ、彼は永遠に私の前、いや、私が治める地域からも追放された」
「それで魔王は、東洋の島国に…?」
「あぁ、そうだ。私は彼の故郷である島国へと送り返した。彼はそこでも同志を募り必死に抗議活動をしていた、本当に懲りないやつだ」
過去を懐かしんでいた穏やかな声も次第に強さと鋭さを増していく。
「彼はそこであきらめていればよかったのに、行動に移してしまった。私の増税に反対する人間を引き連れてまたこの地へ帰ってきた。そしてデモ活動を行いこの地の人々も巻き込んでいった。私は王としてそれを鎮圧する義務があった。もちろん友として心苦しかったが、この政策が軌道に乗ってきていたのだ、財政は潤い貯蓄する余裕も生まれた。このままうまくいけば永遠の繁栄も夢じゃなかった。だから私は、彼の募ったデモ隊を、壊滅させた」
利益と友情のどちらかを取らなければいけなかった結果が、この出来事の結末だった。王様は国のため利益を選んだ、繁栄という夢に憑りつかれて。
「だがそれが帰って彼を逆なでした。仲間を殺された彼は怒り狂い、私に復讐するべく故郷で軍を募った。それが魔物の軍勢だった。新しく発見された魔物を操ることができる部族を仲間に引き連れてな」
魔王の誕生、それは仲間の死への復讐によるものだったのだ。私は驚くと同時に少し噴き出してしまった。やっぱり、リゼ君の父親だ、と。リゼ君が大切なシャイナちゃんのために復讐を誓ったのと同じで、リゼ君のお父さんも大事な仲間のために復讐を誓ったんだ。とすれば魔王も元はといえば優しい人間で、ただ狂気に憑りつかれてしまっただけなのだろう、利益を選んだ目の前の人間と同じで。
「彼は私へと宣戦布告をした。そこからは知っての通り、世界を巻き込む魔王との大戦争だ」
「私たち勇者が選ばれて魔王を殺した…」
「あぁ、そうさ。お前たち勇者は憎らしい魔王を殺してくれた。私を苦しめた魔物の軍勢を退けてくれた。だから多大な土地も与えてやったし自由にする権利も与えてやった。なのにお前は私を裏切った!飼い犬に手を噛まれるとはまさにこのことだな」
王様はきっとどこかで人としての歯車が狂ってしまったのだろう。かつての友人を敵に回し、世界からも糾弾され、人としての何かを失ってしまったのだろう。彼のこの暴政だって失ったゆえのものだとしたら、私はその考えを途中で放棄した。たとえ彼自身に問題があったとしてもこの暴政は許されるものでもないし、彼に同情する理由もない。目の前の王様も苦しんでいるが、それ以上に国民も苦しんでいる、私は勇者として、魔王の息子の恋人として、王様を倒して平等で幸せな世界を手に入れる。
「報告します!敵が王宮内に侵入しました!」
「なんだと!?防衛ラインはどうした!?」
「それが…ほぼ全滅です…あいつら、ただ者じゃありませんよ…」
「そうか…ご苦労だった」
報告に入ってきた若い兵士は王様の労いの言葉とともに地に崩れ落ちた。その背中は彼自身の血で真っ赤に染まっていた。王様に事態を伝えようと今まで気力だけで持ちこたえていたのだろう。
「さて、私も出るとするか…これ以上の犠牲は私も心苦しいからな」
王様はそう言うと私に背を向け牢を出る。
「待って!私、脱獄しちゃうかもよ?」
「いいさ。たとえ一人増えたところで痛くもかゆくもない。好きにしろ。ただ、次はないと思え」
ただそれだけを言って王様は本当に出て行ってしまった。その背中がどこか小さく愁いを帯びているように見えたのは私の気のせいだろうか。
「…っと、早く出なくちゃ!リゼ君に合流しないと…ごめんね、王様。私、やっぱりあなたを倒すよ」
「シャイナ、大丈夫か!?」
「お兄ちゃんこそ!まだくたばってないよね?」
「愚問だな。俺はまだくたばるには早いんでね!」
外の兵士たちを蹴散らし無事に王宮に侵入した俺たち、現在兵士どものサービス精神旺盛な弾丸の嵐のフルコースを通路の壁に隠れて堪能しているところだ。実際外の奴らは有象無象の連中で平和ボケしすぎているせいか大した腕ではなかったが、やはり内側の人間が本命なのだろう、素人目から見ても明らかに実力者たちがそろっていた。
「ただ…銃弾がもうすっからかんだ。これ以上の銃撃のサポートは無理だ」
永久機関ではない銃はもう使い物にならない。倒した兵士たちのものを奪おうとしたが生体ロックがかかっており本人以外使うことができなかった。機械文明が滅んでもこういう無駄に便利なものだけが残っているのは少し腹立たしい。
「それじゃ私が魔法で蹴散らそうか?」
「頼む、と言いたいところなんだけど、大丈夫か?さっきからフルパワーで使いまくってるだろ?」
魔法は便利だが使用回数は本人の体力に起因する。先ほどから大きな魔法で雑魚を蹴散らしてきたシャイナには俺が想像できないほどの疲労がたまっているだろう。けれど彼女は無理を押してまで俺のため、世界のために限界を超えてくれている。そんな健気な妹の姿に俺も応えてやらないとな。
けれど俺ができることはあまりにも少ない。一番の相方のマチェットナイフも銃撃の嵐の前ではほぼ無力だし、十八番のワイヤートラップも張り巡らさなければ効力を発揮しない。残念ながら魔法も苦手分野だ。こうなることが初めから予想できていたのだから魔法の練習を怠ってきた過去の甘えた自分を殴りたくなる。だがどれだけ悔いようとも現状は変わらない、タイムマシンでもあれば、なんて夢のような考えは頭のゴミ箱へと放り込み俺は敵の方を向いた。
目の前の敵は10人、皆手に機関銃を持ち完全にこちらをハチの巣にしようと血気付いている。対して俺の武器は役立たずの銃にマチェットナイフ、ワイヤー、護身用のピストルに少量の爆薬、後は旅に必要な諸々のアイテムのみ。これでどうすればいいのか、考え込んだ頭に一筋の電流が走った。
「そうだ…なければ作ればいいんだ」
俺はさっそく作業に取り掛かる。ナイフの柄にワイヤーを巻き付けて、完成だ。3分クッキングならぬ30秒クッキング、こいつなら遠距離の敵に投げつけて攻撃できる。即席にしてはなかなかの出来のワイヤー付きナイフを俺は勢いよく放り投げた。
「よっと…!」
それは敵の脇をすり抜けて奥の壁に突き刺さった。兵士たちはそれを見て俺のコントロールをあざ笑ったが目的は相手に突き刺すことではなかった。
「シャイナ!目をつぶってろ!結構グロいぞ!」
シャイナへかけた声とともに俺は駆けだした。通路から飛び出した俺は格好の的、もしも一発でも銃弾に当たればその時点で即ゲームオーバー、だけどなぜか俺はこの銃弾の嵐をやり過ごせる、と根拠のない自信があった。俺は必死に走る、自身の持てる最高速度で風と一体化するように、ただ闇雲に走った。そして、俺が反対側の壁に隠れた時にはもうすべてが終わっていた。
敵の身体が、すっぱりと上下に分かれた、それも全員だ。上半身と下半身の永遠の別れ、ずれた体はごとりと崩れ落ち切断部からは止めどなく血液がほとばしる。兵士たちは何が起きたのかわからないといった顔で皆絶命していく。
「ふぅ…何とか成功したな」
空中で輝くのは赤く濡れたワイヤーナイフ、俺が狙ったのはナイフで直接攻撃するのではなくワイヤーを使っての攻撃だ。ナイフよりも切れ味が鋭く確実に相手を倒せる絶対のアイテムに俺はすべてを賭けたのだ。結果は俺の大勝利と終わり万々歳だ。
「シャイナ、いいぞ。こっちに来い…いてっ…」
「お兄ちゃん!足から血が…」
「ちっ…撃たれたか…」
さっきは走ることに夢中で気づかなかったがどうやら足を撃たれたようだ。ただ撃たれたと言ってもほんのかすり傷程度だ、歩けないわけでもない。ただやはり足を庇うように歩かなければいけなくなるがこれもいつものこと、大して気にする必要はない。
「お兄ちゃん…これで止血して」
シャイナはポケットから真っ白のハンカチを取り出して傷口を縛り上げる。見る見る間に白のハンカチが赤に変わる。俺の命の赤、不吉なことが訪れそうな赤い色、白が侵食されている、綺麗なモノが、消えていく。
「これ新品のやつじゃないのか?大丈夫なのか?」
「うん、ハンカチよりお兄ちゃんの方が大事だもん。もし傷口にバイ菌が入って化膿したりしたらダメでしょ?お兄ちゃんはもっと自分のこと心配して!」
「あ、うん…ごめん…」
シャイナに叱られてしまった。こうして妹に叱られるのも久しぶりだな、俺の頭にふとそんなことが浮かび上がった。二人でずっといたことが遠い昔のことのように思えてならない。どうしてそんなことを思い出してしまったのか、よくわからない何かが俺の心を支配して離さない。その感情の正体に俺はまだ気づいていなかった。
「それにしても見張りの兵士がいないね…もうみんな倒しちゃったのかな?」
「それならいいんだけどな…」
激しい銃声が耳に残り続けこの誰もいない廊下が静かすぎて逆に耳が痛くなってくる。つい先ほどまでは考えることもできなかったほどの無音に人の気配もない。もしこれがシャイナの言う通り相手側の全滅を意味するならば残るは王様だけになる。チェックメイトはもう目の前に迫っている、思考ではなく本能が俺にそう告げている。次第に緊張が高まり心臓が痛いほどに脈打つ。もしかするとトイに告白したあの日よりも心臓が痛く高鳴っているんじゃないかとふと思った。
「待っていたぞ。魔王の子供たち…」
「この声は…」
「私はここだ…さぁ、こちらで殺しあおうじゃないか」
「まさか向こうから出て来てくれるとはな」
でっぷりとした肉体を携えた王様が手招きをし俺たちを部屋に招き入れる、まるで俺たちがここまで来るのを待ちわびていたかのような笑みを浮かべ王様はその部屋へと消えていった。
「お兄ちゃん…罠かもしれないよ?」
「罠でもいい…俺はあいつを殺さなくちゃいけないんだ…それにこれは逆にチャンスでもある。わかるだろ、シャイナ」
「ま、今のお兄ちゃんには何を言っても無駄か、私も最後まで付き合うよ」
「ありがとう、シャイナ」
緊張はすでに峠を越えた。今俺の心の中を占めているのは静寂だ、敵を前にしても心がなびかない。きっと古来に生きた侍もこのような心情をしていたのだろうか、なんてふと思って頭を振る。今は雑念などいらない、必要なのはあいつを殺すという明確な意思のみ。世界平和、復讐、そんなもの二の次だ。トイを奪ったアイツを、俺は許せなかった。
「おい…なんだよ…これ…!?」
だがそんな決意が揺らいでしまいそうなほどの強烈なものが今俺の目の前に展開されていた。俺の目の前に現れた物、それは、機械の塊だった。もちろんただの機械の塊、というわけではない。それは失われた機械文明の少年なら一度は憧れたことがあるという伝説のモノ、轟々と唸るエンジンに固いイメージを与える体だがどこかかっこいい、ぎしぎしと四肢を動かすそれはロボットだった。俺の身長の5倍近くはあるであろう巨大ロボットが今俺の目の前にいるのだ。くず鉄を彷彿とさせるさび色の身体に太い四肢、ギアとエンジンの駆動音が耳に障るこの鉄の塊は俺の義手と同じ素材でできているとは思えないほど武骨でレトロチックな代物だった。
「みろ!これが私の仕上げた最高傑作だ!来るべき魔王戦に備えたものだが必要なくなり眠ってもらっていたが…今まさに起動するとき!こいつも魔王の子供を屠れることを喜んでいるぞ!」
ロボットのちょうど胸元、そこから王様の声が聞こえる、きっとそこがコクピットなのだろう。がしゃんがしゃんとブリキ仕掛けのような音を発しながらもブリキの鉄くずとは真逆のしなやかな動きでこちらに近づいてくる巨大ロボット。その動きはあの巨体とは想像できないほど素早い、とは言ってもしょせんは鉄の塊だ。早いと言ってもたかが知れている。振り上げられる機械の腕、重さを孕んだそれが降り注ぐころには俺の身体はそこにはなかった。
「うっへぇ…なんだよ、この力…えげつねぇぞ…」
ぼかん!とまるで爆発のような音とともに機械の拳は何もない地面を抉っていた。大きな穴をむりやり作られた地面、もしもあれが直撃していれば俺はぺちゃんこになって紙みたいにペラペラになってしまうだろう、なんて馬鹿げた考えがひやりとする脳内に浮かんだ。
「リゼ君大丈夫!…って何よあれ!?」
「え…!?と、トイ!?お前無事だったのか!?」
「えぇ…すっごい音がしたから来てみたんだけど…これってやばいみたいね。再開を喜んでる暇はなさそう」
「あぁ、そうだな…」
どうやら自力で脱出を図ったトイと合流して俺たちは鉄くずと対峙する。再会の喜びも感動も今は頭の隅へと引っ込んでおいてもらう。目の前の巨体が本当の鉄くずになるまでその感情には退場してもらわなければ。
「トイ…私とタイミングを合わせて…二重の魔法攻撃よ」
「オッケイシャイナちゃん!」
「ほんとならお兄ちゃんを奪ったトイとは共同作業なんてしたくなかったけど…今だけはそんなことも言ってられないよね。もしもトイがヘマしたら、その時はお兄ちゃんは私のもの、いいよね?」
「それならなおさらヘマなんてできないね…だってリゼ君は私のものだもん」
二人は互いに敵対視しながらも顔を合わせてにんまりと笑う。そこには俺のわからない何かシンパシーのようなものを感じた。
「行くよ…3…2…1…!雷鳴とともに現れし龍よ…我にその力の片鱗を与えたまえ!喰らえ、ライトニング!」
「最大出力全開…バン!」
魔法陣から呼び出される稲妻を纏った龍にまるで砲弾のようなプラズマ球、その二つがロボットの巨体に同時に吸い込まれ、耳を裂く爆音が響く。さすがのあの巨体もこの二つの最大魔法を喰らえばひとたまりもないだろう、俺はそう楽観的なことを思っていたが、それはやはりというかお約束というか、煙が晴れた頃に打ち壊されることとなった。
「嘘…!なんでよ!全然ダメージが通ってないじゃない!」
「それどころか傷一つついてないよ…」
「私と同じ魔法を無力化する力だ。失われた技術を魔法と掛け合わせた傑作がこいつなのだ!どれだけ強い魔法だろうと私には効かん!」
「チートすぎだろ、こいつ…」
巨体に怪力だけでも厄介だというのにさらに魔法を無力化するとなれば勝つ手段はほとんどない。パワー比べなんてもってのほかだ、巨大な腕に潰されるなり抉られるなりして簡単にゲームオーバーだ。一発喰らえば即終了のアンバランスな無理ゲー、けれどクリアしなければ世界は救えない、シャイナもトイも幸せになれる未来は来ない。ならば俺は愛した二人のために道を作ろう、自身の血をもってしても。
「おいでかぶつ!こっちだ!この鉄くずめ!俺がスクラップにしてやるぜ!」
「フン…生意気だな。真っ先に殺してくれと言っているようなものではないか」
見え透いた挑発だが相手はよっぽど勝つ自信があるのかそれに乗っかってきた。俺としてはノープラン、ただトイたちを対象から遠ざけるだけでいいのだ。俺と王様の一騎打ち、父さんが成しえなかったことを俺が代わりに成し遂げる。そう、これは俺たちの問題でありトイもシャイナも巻き込むわけにはいかない。
「殺されるのはお前だよ王様!そんな鉄くずを纏わなければ俺に勝てないのか?」
「勝つ方法などどうでもいい!勝てば正義だ、つまり私が絶対的な正義を得るのだよ!」
「なんだよその理論は!ナンセンスすぎて吐き気がするぜ」
「吐きたければ勝手に吐いてろ、だが吐くのは貴様の血にまみれた臓物だがな!」
一進一退の攻防、俺がナイフを打ち付けては相手が腕を振り回しそれをはがす、傍目から見れば互角のように見えるが戦う対象が違い過ぎる。機械の身体にはナイフの攻撃など表面のメッキを剥がすことくらいしかできずただスタミナだけが削られていく。
「どうした?初めの威勢のよさは?もう終わりか?もっと私を楽しませてくれよ」
「うるせぇ…!はぁはぁ…」
汗が滴り視界が眩む。ナイフを打ち付けるときの反響が手にたまりもはや刃を握り続けることも困難になってきた。足にも腕にも乳酸がたまりビリビリとした痛みを身体の限界ギリギリのレッドゾーンとして俺の体に知らせる。だがそれでも俺は止まれない、止まると死ぬから。原型がないくらいに粉々に砕かれて死んでしまう、自身のそんな姿を想像しては気力だけでそれを振り払うようにナイフを振るう。
「しまった…!」
ただやはり限界は限界だ、気力だけではどうにもならないこともある。勢いよく振り下ろしたナイフ、固い体に反響しそれは弾かれる。ただそれだけならよかったのだが手にたまった汗のせいでナイフが滑り宙に舞ってしまった。無情なまでに宙を優雅に漂うナイフ、ここぞとばかりに振り下ろされる拳、機械の瞳に移った俺のあまりにも間抜けな顔。俺は、成しえることができなかったというわけか。死ぬのは痛いだろうか、それとも一瞬で痛みを感じずに死ぬのだろうか、俺はそんなことを思いながらぎゅっと死の恐怖に目をつむった。そんなことで死の恐怖を逸らせるわけもなかったが人間の奥底に刷り込まれた獣の本能が俺にそうさせた。
びゅん、という風を切る重たい音とともに生温かな液体が舞い散った。それは命の液体、人の身体のとても大切な液体でありすべての生物共通の命の証。それが血を持たない無機質なものによってまき散らされている。
だがその血は、俺のモノではなかった。
「え…?」
俺の体に降り注いだ血液、それはとても熱く、ねっとりとしていて、それでいて甘く懐かしいにおいがした。
「シャイナ!?」
「お…にい…ちゃ…ん…」
目を開けた俺の前に広がったのは、赤い血液をまるで天使の翼のように背中からまき散らす最愛の妹、シャイナの姿だった。ギラギラと光に反射して煌めく血液、シャイナの苦しそうなそれでいて嬉しそうな顔、彼女の瞳から漏れる赤色ではない温かい液体、そしてそこに映った俺の絶望的な顔。
「シャイナ…!シャイナ…!」
最大の死の瞬間、俺を庇ったのはシャイナだった。自身のまだ幼い背で拳を受け止めたシャイナ、魔法で防御したようだがそれでも致命傷は避けられなかったようだ。勢いよく吹き飛ばされ地面に崩れ落ち止めどない血を垂らしぐったりとしている。医学の知識がない俺でもシャイナがこのまま失血死してしまうとわかる。
「お前…どうして…!」
「えへへ…言ったでしょ…私、お兄ちゃんのことが…けほっ!好きだって…」
俺はシャイナに駆け寄り尋ねる。血みどろの池に身を沈めた愛しい妹は口からも命の液を吐き出しながらも微笑む。いつもならふっくらとして愛らしいピンクの唇も青紫に染まり少し動かすのも苦しそうだ。けれども彼女は必死に唇を動かして俺への言葉を紡いでいく。
「私ね…まだお兄ちゃんのこと…諦められなかった…ううん…諦められるはず、ないもん…だってこんなにも…愛してるのに…けど、お兄ちゃんはトイのことが好き…お兄ちゃんは…私に振り向いてくれない…お邪魔虫の私は…ここで退場しようって…最後に大好きなお兄ちゃんの役に立って…死のうって…」
「なんだよ…それ…勝手すぎるんだよ!そんなことで死なれてたまるかよ!」
そんなの、あまりにも勝手で、美しくて、残酷な死に方だ。俺を助けるために、俺に愛されない自分を犠牲にして、そんなこと誰も頼んでないのに、こんな俺のことを助けてくれた。俺は怒りの声をぶつけるがシャイナはなおも笑ったままだ。だんだん焦点の合わなくなってきたくすんだ赤い瞳を虚ろに浮かべ俺の姿を焼き付けている。
「最後に…お兄ちゃんの役に立てて…よかった…お兄ちゃんのために死ねるって…とっても幸せ…げほげほっ!」
「もういいよシャイナ!これ以上喋るな!本当に死ぬぞ!これ以上の出血は手遅れになる…今ならまだ間に合うかも…だから…!」
慌ててシャイナの傷を止血しようと試みる。だが溢れた血は俺一人がどうこうできる量ではなく生暖かいシャイナの命が俺を構成する細胞一つ一つに纏わりつくだけだった。
「大丈夫…俺が…兄ちゃんが何とかしてやるから…だから…頼むよ…生きてくれよ…俺、シャイナがいないとダメなんだよ…ずっと一緒だったお前がいなくなったら俺、どうなるか…」
「大丈夫だよ…お兄ちゃんには、トイがいるでしょ…?お兄ちゃんは大好きな女の子と、幸せになるの…私のことなんて、忘れてよ…お兄ちゃんの事を苦しめてた悪い妹のことはもう…忘れて…お兄ちゃんに復讐を押し付けて…勝手に庇って死んじゃった悪い妹を…お願いだから忘れてよ…」
「そんなの…忘れられるわけないだろ!お前は悪い妹なんかじゃない!俺の自慢で!可愛くて!優しくて!大好きな妹だ!こんなに好きなお前のこと…兄ちゃん忘れらんねぇよ…」
瞳がカッと熱くなり止めどない液体が自身の意思に反して零れ落ちる。こぼれた滴は真っ赤なシャイナを形作っていた液体に落ちてぴちょん、と小さなしぶきをあげる。その儚げな飛沫はまるでシャイナのよう、彼女の残り少ない命の跳ね上がりのように思えた。
「ほんと…お兄ちゃんは最後まで…優しいんだから…そんなこと言われたら…死ぬのがもっと怖くなっちゃう…」
「だからお前は死なないんだって…俺が…絶対助けるから…」
「ううん…私は、死ぬよ…もう、身体が冷たくなってきたのが分かるもん…とっても、寒い…寒くて寒くて…たまらない…お兄ちゃんの姿も…だんだん…ぼやけてきてる…もっとお兄ちゃんのかっこいい顔…見たかったのに…」
震えるシャイナの手の平が、俺の頬を撫でた。まるで母親のようにやさしく撫でたその手の平には彼女の血がべったりと貼りついており俺の頬は血に染まる。頬にねっとりと貼りついたのはシャイナの最後の命の温もり、もう助からない彼女の生きた証。
「げほげほっ!…はぁはぁ…お兄ちゃん…最後に…見てて…私の…命…全部…使い切るよ…お兄ちゃんのために…これが私の…最後よ…」
シャイナは自身の傷ついた身体を持ち上げようともがく。だが血を失い過ぎた彼女はもう立ち上がる力すら残されていなかった。何度も立ち上がろうとして無様に血の海へ逆戻り、俺はそんなシャイナの姿が見ていられずに肩を貸した。
「えへへ…お兄ちゃん…やっぱり…優しい…ありがと…」
肩を貸した瞬間に触れたシャイナの肌、それはとても冷たく、まるで氷を触ったようだった。温もりを失った彼女は確実に死に近づいている。これはもう覆らない事象なのか。俺の心はもう壊れそうだ。今までの旅でどれだけシャイナに助けられたのか、彼女と過ごした思い出が胸から溢れては霧散する。思い出はやがて体中全てにいきわたり彼女との別れを拒絶するように震えが止まらなくなる。心もぐちゃぐちゃに壊れ今自分が何をしているかもわからないくらいだ。
「お願い…私…最後の力…全部使うよ…トイも…お願い…最後に…私に…力を…貸して…お兄ちゃんのことは…あげるから…だから…お願い…私に…力を…」
今まで黙って涙を流していたトイは力強く頷いた。彼女の胸中もぐちゃぐちゃに壊れそうになるほどつらいだろうに、彼女は涙を拭いて敵の方を向いた。諸悪の根源を叩き潰さんとばかりに鋭い視線を叩きつけた。
「そんな死に損ないになにができる!私に勝てるわけないだろう!」
「死に損ないを…甘く見ちゃ…ダメだよ…地獄の炎よ…煉獄の化身となりて彼の者の罪を焼き払え!」
彼女の手に握られていたカードの束、それが今まで見たこともない大きさの炎となって機械の身体へと飛んで行った。彼女の血で赤く染まっていたカードは機械に着弾するとともに燃え盛りブリキの身体を青白い炎で焼き尽くしていく。だが魔法を無力化する相手の前ではそれは無力に近いはずだ、機械の体は熱で赤く輝くだけ。シャイナはいったい何をしたいのか、その答えはトイが与えてくれた。
「シャイナちゃん…ありがとう…あなたの最後の魔法、私がちゃんと完成させるね…あと、リゼ君は私が責任をもって幸せにするよ…シャイナちゃんの分まで、ちゃんと愛する…ありがとね、シャイナちゃん…さよなら」
「ほんと…最後まで…生意気…やっぱり…お兄ちゃん、あげなきゃよかった…」
「えへへ…もうもらったから、返さないもんね…さぁ…王様…あなたのロボットもこれで終わりよ…喰らいなさい!」
涙を強引にふき取ったトイは、手の平を機械の身体へと向けた。十分に熱されて赤く輝く機械の体に、トイの最大の魔法が襲い掛かった。
「何をしようと無駄だよ!」
「ねぇ王様…あなた、化学は得意?熱した鉄を急激に冷やすとね、どうなるか、わかるかな?」
「ま、まさか…!?」
「そう…その、まさかだよ…」
熱を帯びた機械の身体がトイの氷属性の魔法によって急激に冷えていく。熱された鉄は急激な冷えには対応できない、耐えきれなくなった鉄はやがてその体を自身から砕いていく。
ばきん、ばきん、いくら魔法を無効にする機械だとはいえ化学には対応できなかったようだ、その体が壊れていく。巨大ロボットはあっという間にその外殻を壊し悪性脂肪の塊を外へ吐き出した。
「お兄ちゃん…あとは全部…任せるよ…この世界を…救って…もう誰も苦しまない世界を…作って…じゃあね、お兄ちゃん…さよなら…愛、してたよ…」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
抱えていたシャイナに背を押されて俺は駆ける、悲しみの叫び声をあげながら。バタリ、背後でシャイナが力尽きた音が聞こえる、けれど振り返ってはいけない。振り返ると彼女の死を無駄にしてしまうから。俺は前を向いていなければいけない、彼女の言っていた誰も苦しまない世界を作るために。
「―」
俺はナイフを、王様の心臓へと突き刺した。ぐにゅり、とした嫌な肉の感触が手に伝わってくる。それと同時に湧き上がるのは達成感、ではなくシャイナとのこれまでの思い出。楽しかったことも、苦しかったこともずっとシャイナと分け合ってきた。望んでいなかったけれど、俺の痛みも彼女は分け合ってくれた。そんな優しい彼女がいない世界、この先にある者は、俺の光(シャイナ)が消えた世界―
「リゼ君!危ない!」
「はっ…!」
視界も思考も絶望に染まるその寸前、俺の頭には愛する彼女の声が聞こえた。その瞬間現実に引き戻される。俺が見ているこの世界、それは夢も希望もない世界だったのだ。その世界は俺を殺そうと頭上にまるで死刑執行のように刃を振り下ろしていた。それをかわすのと同時に、俺は王様の身体を切り裂いた。王様の最後の力を振り絞って振り下ろした刃も虚しく空を切り、そして彼の魂は虚空へと消えた。
その瞬間、すべてが終わったのだ。俺の長い長い復讐の旅が、終わりを告げたのだ。
「ありがとな…シャイナ…ぐすっ…うわぁぁぁぁぁぁ!」
けれど、失ったものが大きすぎた。俺は泣いた、ただひたすらに、泣いた。まるで子供のように、今までためてきた涙を、すべて吐き出した。
「リゼ君…よく頑張ったね…いいよ…いっぱい、泣いて…キミはもう、泣いていいんだよ…キミはもう、何も失わなくてもいいんだよ…キミがするべきことはもう、全部終わったんだよ…」
21グラム軽くなったシャイナの体と同じように冷たくなった俺の心にトイの温もりが優しく突き刺さる。俺は、いつかこの悲しみを乗り越えなければいけないのだ。それがいつになるかわからない、けれど、トイと一緒なら、どういうわけか乗り越えられそうな気がした。この愛しい彼女と一緒なら、この残酷な別れも分け合えるような、そんな気がした。
俺の足元にはカードが一枚、落ちていた。そこにはミミズがのたくったような荒々しくも彼女らしい愛らしさと優しさがこもった文字が、赤い色で書かれていた。
ありがとう、と―
「リゼ君…大丈夫?もう、泣かなくていいの?」
「あぁ…いつまでも泣いてちゃ、シャイナに顔向けできない…それに、早く勝利宣言をしないとこの部屋に残党どもが来るかもしれないからな…」
俺はふらつく足を何とか制御してやっとの思いで立ち上がった。そして廊下を歩く。血と銃弾の後で汚れてしまったろうか、かつて人だった21グラム軽くなった脱け殻に、臓物の山がそこら中にあふれかえる。そこから漏れて行き場をなくした命の赤がまるでレッドカーペットのように俺の進む先を示す。
涙が無意識にあふれるのをどうにかこらえ、俺は何とか外へ出た。外にはこの騒ぎを聞きつけた野次馬が多数いた。そいつらは血濡れの俺を見るなりざわめきの声をあげる。
「静かにしてくれ!」
だから俺はそいつらよりももっと大きな声で叫んだ。俺の言葉が通じたのか民衆は黙り込む。
「王は…死んだ。俺が、殺した」
ざわり、ざわめきが広がる。だが皆次の言葉を待ち構えるように静まり返った。怖いくらいの静寂に俺はゆっくりと言葉を紡いでいく、真実の言葉を、民衆を呪いから解き放つ言葉を。
「俺は、魔王の子供だ。俺は、魔王が成し遂げようとしたことをやった」
「それが王を殺すことなのか!」
「どうしてよ!」
「王様を返せ!」
「頼む…最後まで聞いてくれ…魔王、いや、俺の父さんは世界の理不尽を正そうと戦っていた…重い税、差別され続ける人々、民衆の苦痛など知らない王の生活、その他すべての理不尽をぶち壊そうと父さんは戦った!確かに方法としては間違っていたのかもしれない…けど、これだけはわかってくれ…父さんはみんなが思っているほど悪い人間じゃないんだ!」
民衆の間にざわめきが走る。今まで悪と信じていた魔王が、本当は悪政を正そうとしていたと知るなり皆困惑の表情を浮かべた。それが魔王の子供の偽りの言葉だ、そう叫ぶ人間もいるがそれも少数、ほとんどの人間はこの理不尽な世界に疑問を抱いていたのだ。ただそれを言葉に出せなかっただけ、それも立派な王様の罪なのだ。
「けれどもう悪政の暴君はいない!俺はあの王様がたてた法律をすべて撤廃し差別もなく争いもない平和な世界を作ろうと思う!この戦いで俺はたくさんの人間を殺した…だから平和な世界なんて言える筋合いは無いのかもしれない…けれど!俺に信じてついてきてくれる人間がいるなら…俺は必ず平和な世界を成し遂げてみせる!過去に死んでいった皆の命を、願いを紡いで…!今日この日に流れた血が、人類最後の流血にしてみせる!だからお願いだ…俺とともに、平和な世界を作ってくれ…!」
俺は自身の胸に秘めてきたことを、嘘偽りなくすべて吐き出した。民衆の間に広がる沈黙、俺は次の言葉をただひたすらに待つ。耳が痛くなるほどの無音、罵声を浴びせられる用意もできている、必ずしも全員が協力的であるとは思っていない。けれどもし、一人でも俺に賛同してくれる人間がいるのならば、俺は希望をもって祈る。
「魔王!」
民衆の中から一つ、声が上がった。俺を魔王とやじる声、この人は俺を認めてはくれなかったのか、初めはそう思った。けれどそれは俺の思い過ごしだった。
「魔王!魔王!」
それは俺を認める声だった。俺を先代の魔王、父親と同じ優しくも強い志を持つ人間として認めてくれた声。
「魔王!魔王!」
「魔王!魔王!」
一人が叫ぶとさらに一人が、また一人また一人と叫び声は増えていき、まるで世界が震えていると錯覚するほどの大きな魔王コールが王都に響き渡った。それは俺の冷たさを孕んだ心までを熱く震わせる。きっと天国のシャイナの下まで聞こえている声に、俺はまたも涙が抑えられなかった。
みんなが、俺を認めてくれた。俺がしてきたことを、正義だと認めてくれた。俺が願った世界が、ようやく訪れるのだ。
「ありがとう!みんな…ありがとう!俺、頑張るから…!世界を必ず、平和にしてみせる!」
「魔王!魔王!」
「魔王!魔王!」
鳴り止まない魔王を呼ぶ声、俺はそれに手を振り応えた。民衆の騒ぐ声が耳に心地よい。この瞬間、俺は魔王の子供から立派な魔王へと姿を変えた。
「リゼ君!」
歓声の中聞こえるのは愛しい少女の声。すべてを飲み込みそうな声の中でも、彼女の声だけは正確に俺の耳は捉えていた。俺は振り向く、愛しの彼女の姿を見ようと。俺は振り向く、愛しの彼女と抱擁を交わそうと。
―パン!―
「ト…イ…」
その瞬間、世界が黒に染まった。訪れるのは静寂の闇、視界がぼやけ身体が歪み、胸から熱いモノが漏れ落ち、力がすぅっと体から抜けていく。俺は寒さで失いそうな意識の中、愛した少女の名を呼ぶ。
「リゼ君!」
彼女の叫び声が響くが何を言っているか脳みそは理解しない。理解できない彼女の音も次第に遠ざかり、瞳も重くなってくる。彼女の青い瞳が、きれいな銀色の髪が、愛らしい顔つきが、見えなくなる。
「ト…イ…愛…し…て…る…さ…よ…な…」
俺の言葉は最後の最後で途切れてしまった。彼女には最後の言葉をしっかりと伝えたかったのに、聞こえていたかすらどうか怪しいなんて、あまりにも滑稽ではないか。
あぁ、体が冷たい。これが世界を変えた魔王の、末路なのだろうか。おとぎ話にしても滑稽にもほどがある。
俺の視界はそこでテレビのスイッチを切ったかのように真っ暗に染まる。俺の瞳のディスプレイが色を映すことは、もう二度となかった。
―エピローグ「世界を変えた魔王と残された勇者」―
激動の世界が、今動きを止めた。世界はすべての争いをやめ、平和の歯車によってゆっくりとした動きにシフトした。世界のギアを変えたのは勇者マジックボックスことトイだ。
彼女はのちに暗黒の時代と呼ばれた世界で二度も世界を変える分岐点に立ち会った少女であり現在の安寧の世界を作り上げた女王でもあった。彼女はイスカ王の作った法律をすべて撤廃、差別排斥に努めた。さらに彼女はイスカ王の大量の貯蓄を貧困に苦しむ子供たちに分け与えた。貧困こそ争いの火種だと考えた彼女なりの行動だ。それでも有り余る財はいずれ彼女の出される優しい法律によって困っている人々に分け与えられるのだろう。
激動の世界が終わり今日でちょうど10年が経過した。10年前の今日、あの日に大量の血が流れ世界を変える小さな大戦争が起こったことは民衆の誰よりも、私が覚えている。なにせその日は私の親友と私の愛した人の命日なのだから。
「リゼ君…シャイナちゃん…ひさしぶりだね…元気、してるかな?私は…まぁそこそこ。国のためいろんなことをするのはやっぱり疲れるね。いろんなところにも飛びまわらなくちゃいけないからほんと疲れるよ。あ、そうだ。この前はね、リゼ君たちの故郷に行ってきたんだよ?みんなリゼ君やシャイナちゃんみたいな顔した人ばっかりでビックリしちゃった!…けど、やっぱりどんな人もリゼ君とシャイナちゃんの代わりにはならないし同じ人もいない…」
王宮から離れた小高い丘、ちょうど王都の全てを眺められるそこにあるお墓に私は祈る。お墓の下から優しく世界を見守ってくれている私の大好きだった兄妹に。
世界最後の流血、それはリゼ君のものだった。あの日、彼は世界に勝利宣言をし、世界はそれを受け入れた。これからリゼ君の作る優しい世界が来る、私はそう思っていた。けれど現実は、まだ優しくなっていなかった。
リゼ君は、殺された。民衆の目の前で、兵士に撃たれて。王様の忠実な部下であり同期の人間が殺された恨みだとかでその兵士はリゼ君を撃ち殺した。世界を変えると立ち上がったリゼ君が殺された、それは世界に大きな影響を与えた。世界は彼の思い描いたようモノを作るように自らが色を変えていった。リゼ君の思いを全てくみ取った私を女王とし、イスカ王の全てを捨て去り、差別も何もかも亡くなった。あの日初めてリゼ君と出会った時のことも、もう世界から姿を消している。
「…っと、ごめんね。ちょっと湿っぽい空気になっちゃったかも…リゼ君、シャイナちゃん…キミたちは安心して休んでて…あとは全部私がやるから…」
リゼ君たちに胸を張って天国に行けるように、私は今を生きなければいけない。それが残された私の義務だ。そして今も続く、彼らの瞳への償い。私が今綺麗な色を見ることができているのは、彼らの瞳のおかげなのだから。
「じゃあね、リゼ君、シャイナちゃん。また近いうちに来るから…それまではゆっくりお休み、それじゃ、バイバイ…またね―」
緑の草木を噴き上げる一陣の風が、私の髪をかき上げた。吹き上げた風につられて、私は空を見上げた。
今日もきれいな、青い色だ。
太陽の眩しさに目を細めつつ私はこの綺麗な世界を眺めた。
世界は今日も、美しかった―
赤の瞳に映るものは美しかった 木根間鉄男 @light4365
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